第八十六話「和栞さんの憧れの人たち」
タワーを出てすぐ右手。
上から見ていた人工の浜につながる道を歩く。
百道浜。
互いに額に汗が滲む中、波打ち際から少し外れた木陰で一休みすることにした。
近くには海と空に囲まれ、愛を誓える式場。
遠目でも、今日は華やかな挙式が行われている人だかりを確認できた。
この砂浜もまた華やかで、偶然居合わせた人々から祝福のムードが漂う。
折角の一張羅を砂で汚してしまわないかなと彼女に心配を向けたが、用意の良い彼女は小さなカバンから、どこに入っていたか疑問でならないレジャーシートを取り出し、浜に敷いてくれた。
「ひなたぼっこです!」
「思いっきり日陰だけどね」
「えへへ。伊織君はそこで日陰を堪能してるといいですよ? 私は海に突撃してきますっ」
すぽっ、すぽっ、っと靴下を脱いでしまった彼女は丁寧に折りたたむと、準備運動を始めている。
「そこまで言うのならついていかない訳にはいかないね」
あまりに無邪気な様子で準備をしている彼女だったので、自分が監視しておく必要があると思った。
彼女から与えられた職責を言い訳にして。
「羨ましくなっちゃったんでしょ?」
悪戯な笑みをして、和栞は伊織の痛いところを突く。
彼女の前では、何も良い恰好なんてしなくていい。
飾らない和栞の振る舞いが、伊織の心を軽くした。
そうだ。彼女と楽しく過ごす。
ただそれだけでいいじゃないか。
「きゃっ! 結構冷たいっ」
一番槍を務めた彼女は嬉しそうに、寄せて来る白波をバシャバシャと踏んづける。
「汚しちゃ大変だから、加減しときなよ?」
「濡れなければどうと言うことは無いのです!」
そのセリフは渋いオジサンが弾幕を回避するときに使う言葉だぞ?という彼女に伝わりそうもないツッコミを喉元で堪え、今は波打ち際で輝きを放つ美少女を目の保養にしておく。
底なしに明るくて。
少しだけ子供っぽくって。
目に焼き付けたいのは彼女の一挙手に一投足。
決して脳裏から忘れる事のないだろう光景を、自分の携帯電話にも覚えておいてもらう。
どんな瞬間だって笑顔溢れるその顔を一枚、二枚と。
◇◆◇◆
「野球……何が一番楽しみ?」
波との戯れから帰ってきた彼女に問いかける。
「伊織くんと一緒に観戦できること?」
足裏に付いた砂を払いながら、間髪入れずに和栞は言う。
「即答してくれるところ嬉しいけど、他にも、理由はあるんでしょ?」
「聞きたい?」
「うん」
「試合の内容ももちろん気になるけど、私は雰囲気を感じに行きたい」
「球場の?」
「ううん。ちょっと違うかな?」
穏やかに左右に首を振って和栞は否定した。
「わたしはね。選手が輝く姿を見たい。プレーや結果に関係なく」
「プレーに関係ないの?」
「うん。関係なく」
含みを持って答えてくれた和栞の話を伊織は黙って聞くことにした。
「プロの選手は自分のやりたいことを真っすぐに実現できている人たちでしょう?お手本にできないかなって思って。尊敬とかかなぁ……。うーん……、あまり野球の事はわからないので、上手く言葉にできている感じがしないなぁ……」
彼女が言葉を探してくれているのでじっと待つ。
「私は……自分のやりたいことをやっている人たちを見たときに、何を思うのか?を探しに来たみたいな?」
「まさかデートが自分探しの旅を含んでるなんて思わなかった」
「難しく考えちゃダメです。憧れもあるかもしれませんね。それが、何の職業をやっている人でも良かったんですけどね」
彼女は照れた様子で丁寧に伝えてくれようとした。
「堅苦しいことではなくて……。やりたいことを叶えている人たちが、どう輝くのかを生で見てみたいって思ったというか。それを感じてみたいというか……」
海風が潮の匂いを運んでくる。
和栞は風に負けないように、髪を手で押さえながら続ける。
「私はまだ迷子なんです。でも将来、私がやりたいことを実現できていれば嬉しいなって思うようになって。だから、おそらく自分のやりたいことが出来ている、夢の舞台に居るはずの選手たちが羨ましく映るのかなとか、自分が何を持って帰るのかなとかを考えながら見てみたいかなって……」
「命短しってやつだ?」
「かもしれませんね。後悔先に立たず?とも言いますし、そろそろ将来の事を一度考えてみてもいいのかなぁって」
「君の将来の夢は何?」
「うーん……。迷いに迷ってはいるんですが……」
遠くから鐘の音が聞こえてきた。
その音に気が付いた和栞が、音のする方へぼんやりと向く。
「しいて言うなら、あの人みたいな、可愛いお嫁さんですかね?」
「それなら、あんまり心配しなくていいと思うよ?」
「え?」
「あれ? 朝のが言い足りて無かった?」
「そんなことはっ……!」
「じゃあ、あんまり心配しないでさ。気楽に楽しもうよ、観戦」
「そうだね……っ」
海風を味方にあまりに穏やかな顔を向けてくれる彼女から目が離せなかった――
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