第八十二話「二つの青が見える場所」
タワーの根っこから建物内に入る。
青色と白色で整えられたエントランス。
展望フロアの入館チケットを二枚買い、順路に従って進む。
「伊織くん。下を向いたまま、着いて来てくれますか?」
「わかった」
彼女が手を引いてくれて、上は見るなと言ってきた。
言い訳なく、恥ずかしげもなく、彼女を眺めていられる口実を、そこに見つける。
彼女の足取りで弾む長髪。
束ねて流れるリボンは天使の羽根。
でも今は、ツアーガイドの案内旗のよう。
顔は見えないけど、きっと笑顔で手を引いてくれているんだろうなと思う。
味気なく壁に囲まれていた順路が開けて、エレベーターホールでは既に何組か、次の昇り待ちをしていた。
「うえ! 見てみてください!」
太陽光が建物の中に集まってくるように照らしてくるので、目が慣れるまで薄目。
そのまま、見上げてみる。
「ほう……」
「森に遊びに来たみたいじゃないですか?」
「木漏れ日みたいな?」
「そう! 光のカーテンです!」
視界に広がったのは今から昇っていく先。
タワーの鉄骨が、下から丸見えになっている。
正三角のクリアなガラスが天井に敷き詰められている姿は、まるで万華鏡を覗いているかのよう。
空は直上には見えない。
だが、鉄骨の隙間から洩れる光と、遮るもの無く斜めに見える空の青に開放感がある。
遠く遥か上の方。
今から使う機械の箱が鼻高々と降りてくる。
案内してくれる笑顔がもう一つ増えた。
制服に身を固めた女性が空までの旅をガイドしてくれるらしい。
「行きますよぉ~」
和栞の声でエレベーターの中に入る伊織。
「これもガラス張りなんだ……」
視線の先。
足元の地上が徐々に遠くなる。
見上げると、白で格子状の骨組みは、雰囲気と相まって、空に伸びる飛行機雲の線のよう。
期待を引き連れて、上階に到着した。
展望フロア三階。
このタワーで一番高い場所らしい。
「私はここからの景色が好きで、伊織くんにも見せたかったの」
彼女が小声でボソッと喋ったあと。
他の客は散り散りに彷徨う。
「こっちです!」
まず始め。彼女に一つ目の三角形の頂点へ案内される。
目前に広がったのは彼女の地元の街並み。
栄えている街は上から見ると、意外や意外。緑と調和が取れていた。
「私の街ですっ!」
「確かに、自分のもの感あるかも」
作り変えられるジオラマのように、整ったビルやホテルに街路樹、河川。
地上では建物に邪魔されて見えなかったが、遠くには山が薄っすらと囲んでいる。
「伊織君は運がいいですね。こんなに晴れてくれてよかったですっ」
「君が晴れ女なんじゃない?」
「じゃあ、二倍で運が良かった?ですねっ?」
そう晴れやかに笑ってくれる彼女の笑顔が景色に映えていた。
「夜は綺麗な夜景が見えるらしいんですけど、また今度にしておいてあげましょう! 次はあっちです!」
彼女に手を引かれる。
歩調がえらくご機嫌で、元気いい。
昇ってくるまでにチラチラと景色が視界に入っていたので、そんな彼女の気持ちもわかる。
先ほどまでお世話になった都市高速には、コメ粒ほどの車がちょこちょこと走る。
「お遊びは、ここまでです……」
彼女が不敵な笑みを浮かべ、言う。
「お~!!」
思わず声が漏れた。
彼女は三角形の二つ目の頂点に案内してくれて、握られた手をふわっと放す。
「一番は伊織君にあげますっ」
ガラスが空に浮いた頂点に向かって狭くなる。
西側の頂点。
上は一面の蒼天。
下には群青の青海原。小さく分かれた砂浜も見える。
呆け、見惚れるほど広く、視界が開ける。
「わっ!!!」
後ろから好奇心を含んだ声と、優しい衝撃に襲われる。
自分の両肩に手を添えられ、彼女が後ろから景色を横取りしてきた。
「びっくりしました?」
したり顔が覗き込む。
「いろんな意味で……」
可愛らしくも、少し予想できた悪戯は、反抗する気になれない。
和栞が伊織に運んできた衝撃と薫風。
唯一、この場で感じるはずのない風が、甘い香りを連れてくる。
たまに彼女から薫ってくる、心が脅かされるような……。
でも、安心するような……。
そんな匂い。
「やったっ!」
えへへと笑う彼女が眩しい。
どんな絶景よりも見たい、君の顔が、心に刺さる。
「君が公園でうたた寝する気持ちもわかるよ」
「なんで今、うたた寝の話になるんですか?」
彼女は穏やかに、不思議そうに聞いてくる。
「この景色知ってたら、あそこのベンチでゆっくりしたくなると思って」
伊織が思い浮かべたのは和栞との出会いの公園。
「伊織君は優しすぎます」
「なんで俺の話になるの?」
「そう思っただけですっ」
彼女はそう言い残すと、ごそごそ。
伊織が後ろを振り向くと、和栞は手持ちの小さなバックから携帯電話を取り出そうとしていた。
「ここで一枚撮っときましょう! 今日の思い出ですっ!」
「写真スポットだしね」
タワーが公式にオススメしてくれている場所だ。
きっと素敵な画角に決まっている。
「伊織君が撮ってくれますか?」
「わかった」
彼女が携帯電話を渡してくる。
和栞は伊織の胸の前に密着して落ち着いた。
「手ぇ、伸ばして。ちゃんと空と海が入るまでやり直しですからね?」
インカメラに撮られ、画面に映った彼女の顔が諭すように言ってくる。
画面のシャッターボタンを一回、タップする。
『カシャ!』
手が震えて折角の景色が定まり切らない。
背後は地上、百二十三メートル。
いや。
多分、この震えはそのせいじゃない。
きっと、君のせい。
「もう一回!」
彼女は笑顔で言ってくる。
『カシャ!』
展望フロアにシャッター音が響く。
「も~いっかい!」
彼女が自分に更に身を寄せる。
温かな体温が胸の前で籠っている。
『カシャ!』
「どう?」
彼女に聞いてみる。
「もーいっかい!!!」
彼女の笑顔が見境なく、カメラに切り取られていく。
「わざとやってる?」
「バレました??」
えへへと笑った愛しい顔。
「だと思った……」
『カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!……』
何度も響く、機械音。
伊織は「思い出は何枚あったっていいしな」なんて思いながら、シャッターを連打した――
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