第八十話「可愛い和栞さんとデートのはじまり」
デート開幕です!
「家まで迎えに行くよ」
「うん!ありがとう!お願いします!」
昨晩のうちに彼女と連絡を取った。
中間考査より増えた試験科目が、容赦なく自分の記憶力や応用力を攻めたてた後。
今日は和栞と約束したデートの日。
なんとなく、迎えに行きたい。そう思ったのは自分。
彼女が住むマンションの下で午前九時丁度に待ち合わせの予定。
今日はよく眠れなかった。
それどころか、今朝は待ち合わせの時間へ時計の針が近づくにつれ、身体が言うことを聞かなくなっていった。
静かな朝の自宅のリビング。
ふと、自分の手の平を見つめると、微かに手の震えがあった。
普段彼女と一緒に時間を過ごすことは、自分にとっては当たり前であるはずなのに。身体に緊張が走っていたことに気が付いた。
今日は、好きな人、密かに想いを寄せる人と、非日常を彼女の地元で過ごす。
出歩くだけで、今日はきっと特別な日になると思うと、胸が高揚した。
唸りを上げる波のよう。何度も何度も打ち付けて、スッと引いていって。
でも次の波が直ぐに来て。
これ以上、胸を弾ませると、心臓がはち切れてしまうと思ったとき。
昨日決めたはずの時間の二十分近く早く、自分の足は玄関を蹴っていった。
その足で一歩、一歩。
心を支配したのは、期待。
きっと今日は特別な日になる――
◇◆◇◆
見慣れたマンションが道を挟んで、直ぐ向かいに聳え立っている。
八時五十分。
歩行者信号が青に変わった。もう、彼女との一日の始まりを邪魔するものは何もない。
自分の足ふたつだけで、目の前には待ち合わせ場所。
足取りは軽いはずなのに、アスファルトは靴裏に吸い付いてくる。
まだ緊張している。
勿体ないなぁなんて思った時、マンションの入り口に小さな人影があることに気が付いた。
まだ待ち合わせの十分前というのに。
時間丁度を見計らってエレベーターで降りてきてくれればいいのに。
彼女はまだこちらに気が付いていない。
少女は前髪を摘まんでは離し、摘まんでは離す。
手鏡を見ながら。
こちらは目いっぱい深呼吸。
新鮮な空気を吸い込む。
肺が悲鳴を上げるまで吸って、吐き出す。
そうした方が、続く呼吸が少しは楽になる気がしたから。
心の準備をその一回の呼吸に任せた時。
彼女がこちらに気が付いて、満面の向日葵が咲いた。
――向日葵の花言葉は「あこがれ」「あなただけを見つめる」「あなたは素晴らしい」――
「おはよう」
「おはよっ!」
こちらを明るく照らしてくれたのは、月待和栞さん。
いつか。
大切に呼んでみたい。
下の名前で「和栞さん」と。
◇◆◇◆
少女が駆け寄ってくるまでに視界を奪うのは、腰を抜かすなと前置きされた、彼女の本気のコーディネート。
清涼感と全体の控えめな印象が彼女の魅力を存分に引き立たせる。
ちょこちょこと近寄る様は幼く見えるが、こちらが気を抜くと包み込まれそうな大人な雰囲気がある。
白地に水色の小花が散った膝丈のワンピース。
露出は抑えられているが、全体のシルエットがふんわりとして癒される。
ウエストにリボンが結ばれており、直上には普段意識しない柔らかな膨らみがふたつ。
肩には薄いレースのカーディガンを羽織って、色白な和栞の肌を日差しから優しく守っている。
チラ見えする肩や二の腕の神々しさたるや。
足元は純白のスニーカー。
彼女が履くだけで靴が喜んでいるみたい。
髪形はこの前、伊織が和栞に教えてもらったハーフアップ。
今日は横髪を綺麗に編んで後ろに回し、それを束ねる長めのリボン。
ロングヘアとともに風に揺れているそれは、カーディガンと合わさると天使の羽根のようで。
「早いですね、伊織くん」
「うん。待たせちゃいけないと思って」
「……」
和栞は黙りこくる。
誉めるのなんておこがましいけれども、頑張ると宣言された手前、彼女を不安にさせたくないなと思った。
「めっちゃ可愛い」
「??? もう一回……」
上目でこちらの瞳を捕まえられる。
「かーわいっ」
しみじみと感想を吐く。
なんだか彼女の表情が急に柔らかくなる。
「あ……ありがとっ」
彼女が照れているとわかったけど、その顔ですら虜にさせられる。
過去に度々抱いたこの感想を明確に彼女に伝えたことでこの顔が見られるなら、何回でも言いたいなと思った。
「可愛い」
次は彼女の装いにじゃなくて、彼女の振る舞いに口が動く。照れもなく自然に。
「一回で大丈夫ですよ?」
和栞は潤んだ瞳で伊織を見つめた。
「口にしなけりゃ伝わらないこともあるからねぇ」
今日は遠出して彼女の地元を歩くことを忘れたいくらい。
「じゅうぶん……伝わりましたから……ね?」
「こっちはまだ、充分言い足りてない」
真剣に顔を見つめていってみる。
「……んっ!」
和栞が息を飲む。
「なんて言うの?一旦、この場で一回転してみる?」
マンション近くで人通りもない。
この時間だけ、彼女の装いを独り占めできるのだ。
「欲張りさんですねぇ……」
「いいじゃん。減るものじゃないし」
「じゃぁ……。伊織君は私に効果音をつけてくださいよ?」
「ちゃらちゃらちゃらちゃらちゃーんとか?」
「それでいきましょう! ……では、まわります」
「ちゃらちゃらちゃらちゃらちゃ~ん」
手を軽く広げてくるり、と彼女は綺麗な円を描いた。
「うん……。何回見てもめちゃくちゃ可愛いくて困る」
「ありがと!嬉しい」
ポーズを決めて一礼してくれた彼女を見て思った。
(最高の一日になるって……)
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