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第七話「眠り姫、日向ぼっこ中につき」

 新学期が始まって二回目の週末、土曜。


 伊織にとって、今日の外出には明確な目的があった。


 幼少以来、自らの意思で行くことのなかったあの高台は、先週はたまたま立ち寄ったが、どこか目まぐるしく変化があった新学期の中で、心の平穏を取り戻すことに一役買ってくれた。


 まさか、同じクラスの和栞に偶然遭遇するなんてことは、想像にもなかったことだったが、落ち着き払った静けさと言い、空の近さと言い、そのどれもが伊織にとっては心地よく感じ、気軽にリフレッシュするには丁度良く感じていたのだ。


 高台にたどり着くまで、良い運動にもなるので、散歩を週末の習慣にしようと決め、正午を少し過ぎたこの時間に家を出て、公園へ足を運んでいる。


 公園の広場を抜け、地獄階段を上り、高台の方へ視線を向けると、今日も高いところまで登った太陽が晴々と行く先を照らしていた。


 暖かい日差しを肌で感じることができ、今日も心地の良い陽気だった。


◇◆◇◆


 高台のすぐ近く、腰掛けのある長椅子には、何やら「ちょこん」と人影がある。


 長い黒髪をなびかせ、それだけで情緒がある。


 この場所で綺麗な黒髪が、穏やかにしている様子と言えば、その持ち主をすぐに連想できてしまう。


 先客は先週と同じ人間、月待和栞であった。


 先週遭遇した時間帯ではないのだが、今週もまた何故か、クラスの人気者が目の前にいるのだ。


 さらに困ったことに、か弱い美少女は無防備極まりなく、春の日差しに照らされて、眠気に負けてしまったようで、すやすやと幼い顔を晒し、瞳を閉じて眠っていた。


 あまりにも気持ち良さそうで安らかな顔をしているので、声を掛けて起こす訳にもいかない。


 かといって、そのまま放ってその場を離れてしまうと、物騒な人間にどこかへ連れ去られてしまうのではないか、危なくないだろうか、と大げさな心配が頭を過ったので、今は心もとない知り合いという権限を盾に、景色には背を向け、柵に肘を掛ける。


 体重を預けて、彼女のうつらうつらを穏やかに鑑賞していた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 つい先ほどまで、眠りについていた和栞から「おはよう、ございます?」と間の抜けた挨拶を受け、お互いの積極的な言葉の応酬から始まってしまった会話は、彼女曰く「そのまま、真っすぐに育ってください」とどちら様目線かわからない言葉を最後に、一旦の沈黙が訪れた。


 伊織はなぜ、和栞に笑顔を向けられているのか、理解出来ていない。


 和栞はその困惑した顔を見守ると、柔らかな笑みを向けた。


 彼女自身に湧いてきた新しい疑問に対して答えを求めるように、こちらの目を見て問いかけてきた。


「南波君はなぜ今日も、この場所に来たのですか?」


 不思議そうに首を(かし)げている。


「暇を持て余したからかな」


 とっさに口から出た言葉の真意はあながち間違ってはいない。運動のため、心の平穏のために習慣にしようとしているくらいだ。この場所には特別に引き付けられてしまうものがあるような、雰囲気が漂っている。


 今日は、その心の安らぎを求めてこの場所に自らの意思でやってきた。


 用事がない限りは学校では積極的に和栞と話す機会も少ない。


 事実、先週この場所でたまたま出会ったからと言って、学校で深く交流を始めるようなこともなかった。お互いに関する情報は先週この場所で話した限りの情報のみで、更新されることはなかった。


和栞は一度、伊織の言葉を聞くと、一度目の質問とは逆に首を傾げながら聞く。


「南波君は部活動……何か興味はないのですか?」


「何か惹かれるようなものがあればとは思っていたけど、生憎打ち込みたいと思えるような興味も湧かなかったよ。土日が潰れてしまうのも気が引けたし。今まで部活動なんてしたことなかったから」


 からりと笑いながら答える伊織だった。 


 学校の部活動はこの二週間という期間でおおよそ、体験入部が終わってしまう。何か部活動に所属する意思がある場合、そろそろ決心がつく時期であり、運動部に所属するのであれば土曜日は朝から晩まで学校に行っている時間である。


「月待さんは? 気になる部活は無かったの?」


 美少女の趣味嗜好は、気になるところだったので、次は伊織が何げなく和栞に問いかける。


「私はあえて……帰宅部を選びました」


 彼女の言った「あえて」という言葉に妙に引っ掛かりがあるが、どうやら彼女はこの何気ない日常を、選択して過ごしているらしい。


「他にやりたいことがあったから……という意味で?」


「そうですね。自由にいろんなことができるように、縛られるものを作りたくなかったというか、なんというか。もう少し仲良くなった後で、教えてあげます」


 一瞬、和栞の顔が逸れて遠くを見ては、感傷の(にじ)んだ表情をしたかに見えたが、再度目線がこちらを捕らえる頃には普段の優しい表情に変わっていたのが救いだった。


 あえて、自分の口から進んで喋りたくないようなこともあるのだろう。


 伊織は彼女の言葉の意味に対して余計な詮索はしなかった。


 それよりも、目の前の美少女は自分と「もう少し仲良くなる」つもりがあるらしいので、今は素直に彼女の言葉に耳を傾けて、発言の通りに受け取ってみる。 

 

 和栞は、新緑が揺れる中、ここから見える景色を自らの瞳にぼんやりととらえて、静寂を味わっていた。


「月待さんの自由にいろんなことができるようにって意見は賛成かな。それに、これで運動部に入ってまた活躍するようなら、今度こそ月待さんは雲の上の存在になってしまうよ」


 ただでさえ、この美少女には何をやらせても、そつなくこなし、その道を究めていけそうな才能を感じているのだ。


 和栞が運動の世界でも活躍している姿を想像すると、自分の非力さに苦笑いするしかない。


「とっつきにくいですか? わたし……」


 隔たりを感じたのか、和栞が妙に悲しげで、こちらを不安そうな面持ちで見つめてくる。


「そうじゃなくて、成績も優秀なのに、スポーツも万能っていう長所まで足されたら、どこから処理すればいいの? って感じ」


 どうやら壁を作られたわけではないと感づいた和栞は、晴れやかな表情を伊織に向けた。


「安心してください! 運動に関しては、できない訳ではありませんが、得意とも言えないので、この子は非常にとっつきやすい人間ですよ!」


 和栞は自分の胸に手を当て、ポンポンと胸を叩き、自らを売り込んでいる。


 やはり人の懐に入る方法を心得ていると思う。こちらになんの嫌な気も無しに、彼女の主張は前向きな形で成功してしまうからだ。


 伊織は、和栞の身振り手振りに、愛らしさを覚え、思わず笑ってしまう。


「自分の目で見てから、その運動神経の力量を判断するよ」


「信じてくれないのですね? 今この場で追いかけっこでもしてみて、確かめてみますか?」


「自分がか弱い少女であることは自覚しようか? でなければ、周りから見ると俺が変質者に見間違われてしまうでしょ?」


 冗談で言ってきているのか、本気で話してきているのか、なんとも図りかねる。


「勝負事で負けるのも悔しいので、捕まえられそうになったら……そうですね……。周囲に大声で助けを求めることにします。助けて~!って」


 和栞が思いついてしまったと言わんばかりに悪い顔で作戦を公表してくるので、本当に実行してきそうで怖い。


――心がくすぐられた……気がした。

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