第七十二話「司と唯依と雨の日と」
「今のって……」
通学を忘れた傘の下。立ち止まった男女が二人。
司は千夏の顔をただ茫然と見つめていた。
徐々に押し寄せてくる恥ずかしさで直ぐにでも隠れてしまいたかった千夏は、傘で自分の顔を隠そうとする。
徐々に低くなる傘の天井に気が付いた司は、千夏の腕を無理に静止することはなかった。
司は彼女の身長に合った相合傘に屈むようについていく。
仕舞には、中腰で傘の中にしゃがみ込み、千夏の火照った顔を下から覗いてちゃんと確認する。
「え?本当に?四回目にして本当に、俺ら付き合うの?」
司は未だに事態を飲み込めていない。
これまで三度、彼女に告白してきて呆気なく断られ続けてきたし、やっと聞きたかった言葉が彼女の口から出てきても、おいそれと直ぐには信じられなかった。
でも、この顔今にでも茹で上がりそうな顔を見て、我に返った。
「うん……」
千夏が司の言葉に同意した。
斜め下の司の顔を見るわけでもなく、ただか細く力のない声で地面を見ながら俯いたままで。
雨音にかき消されそうな声は確かに今、彼女が言ったもの。
一つ傘の下で信じがたいことが今、起こってしまっている。
「今日から千夏が……俺の彼女?」
千夏に掛ける声でもない逸った言葉が司から漏れ出る。
「うん」
「本当に?」
「うん」
「マジ?」
それ以上、喉から音も出なくて千夏は頷いて見せた。
「ちょっと……いい?」
司が千夏の方を向いて顔を強張らせながら固まる。
千夏が司の方に視線を恐る恐る斜めに移していく。
すると、司は直ぐに傘の外にひょいっと出ていってしまった。
「ちょっ……!」
まるで晴れの日のように、雨が降っていることを忘れてしまったのか、雨に打たれてしまうことをものともせず傘から出ていった。彼はこのまま、待っていてくれということだったのだろうか。いや、今はそれどころではない。
まだ静まり返った住宅街。
司は千夏を置いて前に駆け出す。その距離は十メートルもないくらい。
くるりと振り返った司は、千夏を見ながら右腕を力強く天に掲げて。
「やったぁああああ!!!!!!!!!」
満面の笑みと喜び。
この雨空をも一瞬で晴らしていけそうな雄叫びが無邪気にあたりへ響いた。
「ちょっと!!!」
千夏は直ぐに司に駆け寄る。
「嬉しいのはわかったから、濡れられたら私も困るから!」
傘の中に入れてあげた司の笑顔が留まることを知らない。
「念願叶ったんだよ?うかうかしてられるか!!うぉぉおおぉぉぉおおー!!!!っしゃああぁぁ!!!」
雨に再び出ていく司。
ずぶ濡れで喜びが溢れ出ている司の背中を見て、千夏は相合傘を諦めた。
(うわぁ……こんなに喜んでくれるの私も嬉しいかも……)
自分の肩で傘を安定に保ったまま、楽しそうな司を微笑ましく思い、彼にバレないように一枚シャッターを切った。
(多分一生忘れられないかな。この笑顔は……)
はしゃぎまわる司を、勇気を出した自分で迎えに行った。
「いったん落ち着いて! 家近いんだしさ、一回着替えに戻ったら?待っとくからさ」
千夏は冷静に傘の中でずぶ濡れになった司へ手持ちのタオルを渡しながら言う。
司の夏服の制服は、下から黒色の肌着が透けるほど雨に打たれてしまっていた。
「そうするわ!ははは!!ごめん!」
二人で元来た道を引き返す。
(今度は恥ずかしくない。ちゃんと歩けるんだ)
横で笑う司を見ながら、穏やかに笑えた千夏だった。
◇◆◇◆
「彼女を雨の中、待たせてられるかよ!」
にまっと笑った彼が玄関を開けてくれていたので従った。
後ろでバタンと音を立てて閉まるドア。
そそくさと靴を脱いだ彼が玄関で靴下まで脱ぐ。
「ごめん。五分で返ってくるから!」
「うん」
そう言い残すと床に通学カバンを置き、家の奥へ消えていった。
「あ、唯依ちゃんいらっしゃい」
「おはよ~。おじゃましてます」
リビングから顔を出した司の姉の理沙が千夏に挨拶をする。
大学に行くには朝早い時間だからメイクもしてないけど、本当に綺麗で自分も憧れる。そのスキンケア方法について今度よく聞いてみようと思った。
「司、いきなり帰ってくるんだもん。びっくりした」
「ちょっといろいろあってね。ごめんね、理沙ちゃん」
「いいよ、どうせ司がまた馬鹿やってたんでしょ? こっちこそごめんね、任せっきりで」
「ううん。いいの。また今度、遊びにいこうね」
司の家の玄関で理沙と談笑して、司の支度が済むのを待っていた。
玄関口には幼少の頃の家族写真が飾られている。
小さかった頃の彼の写真。今初めて見るわけでもなかったけど、さっきの笑顔に面影を感じてしんみりとする。
横には自分も映っている写真が一枚。友人と笑っている彼の顔。こんなに愛おしく眺められる日が来て本当に良かった。
玄関にまで響く司の足音がドタバタと聞こえている。
軽く理沙ちゃんからお説教を食らっているようだけど、今だけは少しだけ許してあげてほしいなあと思いながら、少し笑えた。
「ごめん。待たせた!行こ」
「はいはい」
ちゃんと笑えたかどうか、これからは気にしなくていいんだって考えると頬が急に痛くなった。多分普段と違う表情筋を使ったんだなぁって思うと、一番最初に感じた関係の変化を喜べた。
「置いていっていい?」
「どうぞ、どーぞ」
軽く承諾は得ておく。
『いってきます』
二人で司の家から再出発した。
多分帰りもこの家に来るんだから、私の赤色の傘は彼の家でお留守番。
お読みいただきありがとうございました。
(ようやく、この話が書けて私は嬉しいです)
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次話更新は明日を予定しております。




