第六話「射貫きたいのは、マトか千夏か」
激動の新学期第一週目にどこか余所余所しく感じていたクラスの雰囲気は、一週間という短い時間経過ではあったが、伊織に聞こえてくる笑い声には賑わいが出てきた。
中学時代とは違って、様々な学区から通学しているので、各々普段の行動圏が違うこともあり、他愛もない土日ですらお互いにとっては未だ見ぬ土地での知らない出来事なのだから、その興味関心は高いものだった。声色もホームルームが近づくにつれ、大きくなってゆき、クラスの雰囲気は朝から明るかった。
そんな中、どこか浮かない顔を浮かべ、見飽きた顔は寄ってきた。
「体験入部とやらに参加した土日だった」
結局、南波伊織の親友、冬川司は弓道部への入部を決めたらしい。
「それで?」
「参加したら一直線に座学へ連行されましたとさ。心得を叩き込まれて、矢にすら触らせてもらえなかった」
珍しくトホホとしょぼくれた司が、残念そうに報告を寄こしてきた。
「郷に入っては郷に従えだな」
「そうだけどさ。しかもまだ、運動部なのか、文化部なのかですらもわかんねぇ」
「武道だし、運動部じゃないの?」
「実際、突っ立って矢を射るだけなんだから、俺の中でモヤモヤしてんだよな。陸上部で走り回ってきた身としては、筋トレとか、走り込みとかの練習メニューがあってこそ運動部だと思ってるし」
「でも、弓持って構えるにも、体幹とか筋力は必要なわけだろ。やっぱお前は既に恵まれてるだけで、弓道部は運動部だな」
「どういうことだよ」
司は本気で伊織が言った言葉に理解が及んでいない。
「お前は運動部出身だから、もう既に身体は出来てるけど、そうじゃない奴は今からが大変だよなって話だよ」
「あー、スタートダッシュ決めちゃってんのか、俺。そうだろ、そうなんだろ?」
自分の身体能力は高いと評価するものの、決して過信していないところが司の憎めないところである。だが、直ぐにこちらの誉め言葉を茶化そうとしてくるので、呆れを通り越して少し笑えてきた。
「ハイハイ、少しでも慰めた俺がバカでしたよ、だ」
司は、始めたばかりの部活動に思いを馳せているところがあるらしく、物珍しい体験を今は楽しそうに語ってくれるのだった。
◇◆◇◆
「ところで、伊織は土日、何してたんだ」
「本買いに行って、街をふらふらして、昨日は家でダラダラしてって感じだったな」
「中学の時と変わってねえなぁ。きこもりの自宅警備員め」
土曜日にたまたま和栞と会ったというと、目の前の鬱陶しい顔が更に輝き、暴走を始めることが容易に想像できたので、伏せておくのが吉だなと、高台での出来事は司には黙っておくことにした。
「うるせえ、街をふらふらしてはいるんだから、人様の警備も一役買ってるわけだ。引きこもってた訳じゃねえよ」
確かにインドアな趣味を好む傾向にあるが、そう区分されるわりには、土日は出掛けることもしばしばある。アウトドアしたその先で読書や映画など、インドア趣味しているのだから、強く否定はできないが、引きこもりという言葉にはいささか反論しておきたい。
「悪い悪い。俺もこれからは、弓道場に缶詰め。引きこもるような生活になるわけだし、人のこと言えたもんじゃねえけどな」
司は「ははっ」と笑い飛ばしている。
「よくもまあ、土日を潰してまで部活に勤しめるな。俺には考えられねえわ」
この学校の弓道部は部員数も大所帯で、また人気の部活動ということもあり、学校が休みの日でも積極的な活動が行われている。これから先、司と休みの体たらくをともにする時間もこの土日の話を聞く限り、減るはずだ。
「やるなら全力で、一番取りに行くってのが男だ」
一番になると威勢が良かった司だが、伊織には疑問が浮かぶ。
「弓道の場合はどうやったら、その一番になれるんだ?」
「俺も良くわかんねえ。取りあえず、矢が的に当たれば良いらしい」
「それ大丈夫か?この四年間でたったの一人も射止められてないのに」
伊織は司を小馬鹿にしながら、視線の先を、悪友の意中のお相手である千夏唯衣に向けるのであった。
「馬鹿野郎、矢の話だ。人の話じゃねえよ」
司が、伊織の横腹に突きを入れてきた。「痛えなあ」と軽くあしらっていると、遠くから様子に気が付いたのか、千夏がこちらへ寄ってきた。
「どうかしたの?生暖かい視線感じたんですけど」
話しかけてきた千夏は警戒を滲ませているのか、余所余所しく敬語で接してきた。
「いや、こっちの話だ、気にしないでくれ、千夏さんよう」
千夏の登場に免じて、さっきの冗談を司は許してくれるらしい。
「ならいいけど。南波君おはよう、ついでに冬川も」
「おはよう」
「ついでってなんだよ、相変わらず扱い酷いなぁ」
千夏唯衣とは司と同様に伊織にも小学校からの付き合いがある。学区が一緒で近所に住んでいるということもあり気軽に話す友人の一人である。
肩に掛かる程度の長さの明るい茶髪で、女性らしい柔らかでふくよかな身体は各所に健康的な肉付きがある。ほかの女子に比べて、彼女は、伊織や司がそれほど目線を下げずに会話ができるくらい長身でプロポーションが良い。
仲のいい女子生徒に抱き着いている姿を昔から伊織は良く見かけていた。
体格差から、千夏は標的にした友人たちを後ろから包み込んで離さず、されるがままになっている友人たちは、彼女の明け透けな性格にまんざらでもない様子だった。
そんな彼女は、高校生となった今も相変わらずの無敵状態で、このクラスのどの女子生徒も孤立させず、人見知りしていた生徒たちの初めましての挨拶から友達づくりまで架け橋になっている。
先週は伊織から伺える限りでは、和栞と話す姿を良く見かけており、早速、千夏は新学期の標的を見つけたようで少し不憫な思いをさせるなと思っていた。
心を許した友人には若干の毒舌を交えながら接する癖のある性格だが、棘を向けるような鋭さではなく、彼女なりのコミュニケーションとでもいうべきだろう、不快感はない。
一見、今も司に対して雑な扱いに見えるが、二人の間には旧友ならではという空気が流れており、年月を重ねるたびに互いに気の置けない仲となって落ち着いた。千夏は司からの告白を機に当人ことを呼び捨てにするようになったが、深い意味は無いらしい。
「冬川は土曜日に学校に来てたの見たけど、部活動?」
「ああ、弓道部に入部することにした」
「え! 弓道? 似合わないなー」
驚いた様子の千夏は人目も憚らず、大きな声を出すものだから周囲から視線がチラリと集まる。司はそっと俯きがちに両手を前に差しだし、クラス中に「それぞれの会話にお戻りください」と場を沈ませつつ、苦笑いを浮かべた。
「そんなに驚かなくてもいいだろ。やりたいようにやらせてくれよ」
「いや、陸上やらないのかなって思っただけだよ。大会の成績良かったじゃん」
「どっかの誰かさんからも似たようなこと言われた」
「南波君も?ビックリだよね」
「確かに、千夏さんと似たような反応したね」
伊織は千夏と顔を見合わせるなり、二人に思わず笑みがこぼれる。
「そういえば理沙ちゃんも弓道部だったんだよね?」
小さい頃から、千夏は冬川家に遊びに行くことがあったので、司の姉、理沙とは姉妹のように仲が良い。今でもたまに二人で買い物に出かけることがある。
「そうそう。試合を観に行ってたけど、普段だらしない姉貴が静かに射法八節をこなしてて、妙に記憶に残ってるんだよな」
「な、なに?しゃほう?はっせつ?」
「弓を射るときの基本の八つの動作のこと。土日で顧問に叩き込まれたよ、全部座学だったけど」
「まだ矢に触れなかったことを根に持ってんのか。さらっと学んだことが出てくるなら意味があったんじゃないか、その座学ってやつは」
不服そうな司に、薄ら笑いを伴いながら、軽くなだめておく伊織であった。
「千夏こそ、何かやらないのかよ」
「私は、立花先生のところの茶道部に体験入部させてもらったよ」
「まさかお前、本当に茶菓子目的で行ったわけじゃないだろうな」
「そ、そんなことはないよ。ちょっと気になってお邪魔してみたの、悪い?」
ムスッとした表情の千夏は、せめてもの抵抗の意志を司に向けたが、探りを入れるような司の表情に、直ぐに視線を逸らした。
長年の付き合いだからわかるが、千夏が何か隠そうとしている様子で視線を泳がせているので、図星だなと笑いを堪える。
「何でもいいが、亜希ちゃんに迷惑かけるなよ」
「そっちこそ、不純な動機で茶室に近づいてこないでよね」
「不純な動機って。何があるんだか」
「立花先生は部活動の時は、着物姿なんだよ。そりゃもう、大和撫子って感じで、悪い虫が付いてきそうなくらい綺麗でさ、とても男子には見せられないよ」
「ちょっと悪い虫になってこようと思うんだが、伊織もどうだ?」
「司、そういうところだぞ」
間髪入れずに伊織からツッコミを食らってしまった司は、お前は味方でいてくれよと顔に書いてあるような寂し気な空気を醸しながら、千夏からの冷ややかな呆れ顔にも耐えなければならなくなってしまった。
「本気で言ってるわけじゃねえよ、信じてくれよ」
「はいはい。冬川にも春が来ますように。お祈りしてますよ」
冷ややかな目を向けていた千夏であったが、彼女なりに司の扱いにも慣れているので、さらっと距離を取り、受け流しながら、伊織と顔を見合わせて呆れた思いを共有した後、静かになった司をしり目に笑顔を浮かべた。
意中の相手が目の前にいるのだから、司も彼女の機嫌を損ねないようにすればいいものの、三人で話していると、笑いの糸口は逃さないように回収していく癖がある。
(この三年間も厳しい戦いになりそうだな……)
伊織は、女子の輪に戻っていく千夏の背中を眺めながらしみじみと思った。
今回は司の一人負けで朝のチャイムが教室に響いた。
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