第五十九話「優等生和栞さんの望むご褒美は?」
極甘回?お楽しみくださいませ!
テスト結果に満足げな顔を十分に堪能させてもらった後の事。
今日は急ぎで仕上げるような課題はないので、勉強は一旦脇に置いておいて、彼女がティータイムを勧めてくれた。試験を頑張ったご褒美らしい。
ソファーで寛ぎながら、準備してくれるのを待っていたが、何も手伝う余地がなさそうに、てきぱきと動いている彼女を見ていると少しだけ悔しい。
「昨日、久しぶりに焼いてみたんです」
彼女がお手製のクッキーと飲み物を準備してくれた。
和栞はラグの上に、ぺたんと座わり、運んできた盆を両手で胸の前に抱えている。
「すごい……。ありがとう」
目の前に並ぶ一枚一枚を眺める。
焼き目が均一なプレーンのクッキー。
形も綺麗に丸型で揃っていて、市販のものと遜色がない。
それどころか、手作りということを考えると素朴な温かみも感じた。
「クッキーって作るの大変じゃないの?」
率直な疑問が頭の中を駆け巡る。
仮にも試験期間中に彼女にはクッキーを焼く時間があったことになるので不思議でたまらないのだ。
「多分、伊織君が想像しているより、クッキーって簡単に作れますよ? 昨日、家に帰ってきて勉強しながら作ってみました。いい息抜きになります」
「わかる。テスト勉強しなきゃいけないのに、部屋の掃除を始めちゃったり、漫画読みだしたりね」
「そう。それです!」
和栞は笑顔を浮かべた。
「大変なのは、材料の分量を間違えないようしっかり計量することだけです」
「そうなの?」
「うん」
彼女の頷きと自分の想像している作り手の手間にはギャップがあるらしい。
「まずはね……生地を作って冷蔵庫で寝かせます。その生地を伸ばして型でくり抜いた後は、焼きあがるまで待つだけなので、実はそんなに手間はかからないんですよ?」
「手慣れてるなぁ。流石、なんでもできるね」
「女の子は小さい頃からお家でクッキー作ってると思いますよ?うちもそうでしたし」
「想像の女の子ってそんな感じだから夢が壊れなくて済んだよ」
ちょっと安心した。
そういえば、たまに母も作ってくれたが手伝うことはなかった。
食べる専門の伊織にとってクッキーを自ら焼くなんてことはまず、考えの範疇にない。
「でも、自分で作ると素材の分量に驚きますよ?バターとお砂糖なんて、どばぁー!です!」
「ドバァですか」
「ええ、どばぁです。なんと、クッキーの三分の二以上がバターとお砂糖です」
顔の目の前で三本指を立てた中の薬指を折って、力強いピースを作った彼女は、三本指と二本指を行ったり来たりして揺れており、楽しげにしている。
「え!?そんなに??」
「ね?びっくりするでしょう?」
彼女が教えてくれたクッキーの秘密に絶句してしまう。
普段、何気なく口に放り込んでいたものは、想像以上に甘ったるい糖分の塊らしい。
「でも、自分で作ると甘さを控えめにできたりして、お好みで作ることができるんです」
「ってことは、これも君のお好みの味ってこと?」
「そうです!甘さは控えめにしてあります。そうですねぇ、バターとお砂糖で、ぎりぎり三分の二くらいです!」
力強いピースを向けてくる。
「あんまり変わらないじゃん」
「あんまり変わりません!」
痛いところを突かれた和栞は、「えへへ」と笑っていた。
「どうぞ」
あまりに綺麗に並んでいたので、その一つですら手に取ることが憚られていたが、和栞の勧めに乗っておく。
「いただきます」
バスケットの中から一番手前のクッキーを手に取る。
一口で口に含んで租借した。
確かに、口の中に広がる甘味に不快感がない。
何枚も食べられそうな円やかで口当たりのいい甘味。優しい味。
感心していると、彼女からの視線に気が付いたが、一周目のサイクルは大切にしておきたい。
カップに注がれているコーヒーを皿ごと手に取る。
薫ってくる深い香りで、心が徐々に鎮まってゆくのがわかる。
玄妙な瞬間。
若干の空気を織り交ぜ、口で啜る。
この部屋で味わってきた苦味。
いつも勉強の傍らに居てくれた安心感がある。
「結構なお点前で」
「お茶会みたいですね」
彼女が笑う。
「今はティータイムでしょ?間違ってはないね」
「唯依さんが言ってましたけど、茶会では、結構なお点前でってあまり言わないらしいですよ?」
「なんていうの?」
和栞はクッキーを一つ手に取り手を添えて、丁寧に食べる。所作が落ち着いている。
紅茶をいつものように、香りから楽しんで、一口飲む。それだけで絵になる。
上目の彼女と目が合う。
「大変美味しゅうございました」
綺麗なお手本が出来上がった。
「へぇ。勉強になりました」
朗らかに微笑む和栞は静かに頷いた。
「美味しくて、眠たくなってきた」
最早、ソファーにこのまま包まれてひと眠りいただいてしまいたい気分になる。
「良かったです。ゆっくりしてくださいね。頑張ったんですから」
柔らかな笑みに自堕落を助長された。
「ご褒美にしては文句ないよ。ありがとう」
「良かったぁ」
でも、これは自分に向けられたご褒美なので彼女は働き詰めなことが気になった。
「君は何か自分にご褒美とかないの?」
伊織は和栞に聞いてみる。
物持ちの良い美少女だから、望むものが全く想像もつかない。
「ご褒美……? 考えたこともなかったですね……」
「確かに、ご褒美を目的にして動くような君じゃないしね」
コーヒーをもうひと口。苦味の奥。酸味がちょうどいい。
「伊織君は、ご褒美とかないんですか?」
「うーん。恥ずかしいけど、お小遣いアップとか?」
「即物的ですね。理にかなってて伊織君らしいです」
「中学からそうだし、だいぶ不純だけど、頑張る気にはなるかな」
彼女から零れる笑みが恥ずかしいけど、嬉しい。
「で、君は?」
「う~ん。そうですね。お母さんに……かぁ。撫でてもらう……? とか?」
なんとなく、想像できてしまうのは彼女の育ちの良さを感じているからだろうか。きっと母親に大切にされているのが伝わってくる。思わずこちらも口角が上がる。
「可愛らしいね。今度、実家に帰ったらそうしてもらうといい」
ちょっと恥ずかしいことを言ってしまった自覚があったので、半笑いでクッキーに手を伸ばす。
静寂に包まれ、羞恥が湧く。
「今がいい……」
和栞は声にならない声を漏らした。
「親御さん居ないけど……」
「今がいい。って言ったら……?」
言葉の裏を読むのは苦手だが、今の言葉はどう考えても、「今」という言葉を大切にすればよい言葉だと思った。
直ぐに視線を逸らしてしまった彼女が俯いている。
彼女は床に座っているし、自分はソファーに腰かけているので、目前には遮るものはない。
右手を伸ばして、到達するには近くも遠いような気がした。
求めてくれているはずなのに、後ろめたさを感じる。
でも、彼女の言葉に蓋をしてしまうのは簡単なだけで、彼女の本意に寄り添えていない気がした。寧ろ、体のいいお膳立てなのかもしれない。
この際、自分の気持ちなんてどうでもいい。
彼女自身のご褒美を叶えてあげる為、だったから。
ふいにしてはならない言葉に気恥ずかしさを混ぜて応え報いる。
「失礼します……」
俯いたままの和栞の頭部に、伊織が優しく手を伸ばす。
これまで見ているだけだった漆黒の毛髪は手の平に柔らかな反応を返した。
華奢な身体が一瞬、力が籠ったように揺れ、肩が上がったが、直ぐに弛緩する。
一巡目。旋毛から額まで垂れる黒糸をなぞる。流れの行き先に自信はなかった。
二巡目。ゆっくり撫でる。質感はまるで絹糸のように繊細で柔らかい。
三巡目。絹糸の下から体温を感じる。陽気に照らされた線の一本一本は凝らして見ると紫紺に輝いていた。
四巡目。彼女から預けられた時間が嬉しくなった。
五巡目。彼女の功労を称えようと思うと力が入って指先が屈曲する。なるべく優しく透いてあげたかった。
六巡目。手を離すのが心惜しかった。
「頑張った感じがする。ありがとう」
少し頬を赤らめて彼女はこちらを見てくるので直視できない。
手のひらや指先には感触が残る。
「こんなことで良かったの?」
自信がなく、口から洩れてしまった本音は、今から取り消すことはできなかった。
「ご褒美にしては文句ないですよ?」
か細い声が妙に愛おしい。
「ならいいんだけど」
深入りしては火傷してしまいそうだった。
伊織は、少し震える手でコーヒーカップを迎えに行った。
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きゃ~/////ってな回をお届けできました。
次回更新は明日を予定しております。




