第五十六話「敬語外しと秘めた想い」
物語のターニングポイントです。お楽しみください!
「えっ?」
和栞の顔が真顔に変わる。
「君はどうして、俺に敬語で喋ってくれるの?」
ずっと心残りだった気持ちを言葉にしてみたかった。
さっき発した言葉と何ら脈絡を変えず、二度目を彼女に聞いた。
「そういうものだと思ってたからですかね?」
うまく言葉が出てこない。
「君との間には何も、立場の上下なんてないと思ってるけど、合ってる?」
男友達とは、タメ口をやってきているのだ。それは同い年の友人という属性が筆頭だからであって、彼女との立場も変わらない。それに彼女から万が一、自分が敬われているという可能性を一旦否定したい。彼女ならやりかねない。
丁寧に言葉にして、和栞の答えを待った。
「ありがとうございます。私も、伊織君とは仲良しなお友達の一人です」
和栞は伊織の言葉に丁寧に耳を傾けて返答した。単に和栞自身がどのように思っているかを、伊織に伝えただけ。
「なら、俺と話すときは丁寧な言葉じゃなくていいから」
このまま、伝えておかなければずっと和栞に敬語で話されてしまう。そう思った伊織は、心のどこかで壁を感じてしまっていた。
――そして、その壁が今はただ、煩わしく感じてしまっていた――
「いいの?」
目の前の彼女が口を開く。その眼には不安が混じっているような気がした。
「いいよ、友達なんだし。無理にとは言わないけど、気を遣わずに喋ってほしい」
「うん。わかった。ありがとう!」
和栞は照れた表情で伊織の提案を飲み込んだ。
「なんだか、いきなりだと……照れちゃいますねっ」
話しながら目を合わせてくる彼女の笑顔が光る。
「同い年なんだから、気軽に話してほしいだけ。千夏さんともそんな感じでしょ?」
「唯依さんは、出会った時から敬語は禁止されちゃいました。なんで、なんで~って押されちゃって」
「千夏さんらしいね」
「ええ」
千夏唯依と出会った頃を思い出して、和栞は柔らかな表情をした。
「男性からそんなこと言われたのが初めてなので、ちょっと戸惑っています」
「心の声が駄々洩れしてる」
「せっかく仲良くなったのに、自分から距離を置いているようで。伊織君は私の心配を取ってくれました」
「何もそんなに複雑な話じゃないでしょ?」
「そうなのですが。最初に相手に許可されないと敬語って外しづらくないですか?」
「気持ちはわかるけども」
「あと、恥ずかしかった……です。今から敬語外していいですか? って、わざわざ聞くのも勇気がいるので、言ってくれるの待ちをしちゃってます」
「名前は素直に呼べるのに?」
「それとこれとは状況が違うじゃないですか!」
和栞の頬が膨らむ。
「羞恥心はおなかの中に忘れてきた君なのに?」
「私にだって、普通に恥ずかしいという感情はありますって」
くすくすと笑い始める彼女がとても愛おしく感じてしまった。
それと同時に、同じ時間を共有できている今この瞬間が幸せで。
「あとは、君の自主性にお任せしますので」
「ありがと。嬉しい!」
早々とこの状況を切り抜けなければ、心が持たない。
初めて彼女の本心に触れてしまったような目線に気が付く。
今、直視するには危険な気がした。瞳に吸い込まれてしまいそうな気がして。
今まで丁寧な口調を心掛けてくれていた和栞が発した新鮮な言葉遣いが、思いのほか伊織の心に響いた。
「君は、俺の雇用主って扱いにもなるのかも? 俺、勉強監視係だし」
「ではなおのこと、従業員は大切にしなければなりません!」
「上下の立場でいうところの、俺は下に当たるから、君はやっぱり敬語を外すべきだね」
「違いますって。大切な従業員にこそ敬語を使うべきですっ!」
彼女が話しやすくなればいいなと思って話題にしたのだが、論点が真逆でなんだか笑えてくる。
敬語を外したい伊織と、大切な従業員だからこそ丁寧に扱いたい和栞。
むっとしている彼女の顔を見ると、意地を張っている様子がちっとも威厳がなくて噴き出してしまいそうになる。風邪で休んでいたから心配していたけども、もう過ぎた話にして良さそうだ。
意地を張り合っていることに気が付いて、二人で笑った。
◇◆◇◆
「なら、俺と話すときは丁寧な言葉じゃなくていいから」
「いいの?」
あなたの言葉に驚いて、思わずこぼれ出たよ。嬉しかった。
次第に、今まで勇気が出なかった心の引っ掛かりが取れたような気がしたの。
目頭が熱くなってくる。目の前が少しだけ、潤んだ。
こんなに嬉しいと、涙が出てくるんだね。
(気づかれてないかな? 恥ずかしいなぁ……)
◇◆◇◆
一人で風邪をひいて寝込んでた時、部屋が静かで、なんだか怖くなった。
一人だけ、取り残されて、でも皆は普通の一日を過ごしてるはずなんだもん。
今起きたばかりなのに、一日が始まらなかった。悔しかった、寂しかった。
先生は優しいなぁ。
学校が終わったら家にすぐ来てくれるみたい。
心配してくれたけど、申し訳ないなぁ。きっと忙しいことも沢山あるのに。
食欲がないならみかんゼリーだって。
綺麗で可愛い。好き。
気に入って買ったあの時計。
静かだと音が響いて怖いなぁ。カチカチ、カチカチ。
目が覚めたら、朝の薬が効いたのかな。だいぶ楽になってた。
携帯見たら彼からメッセージが入ってた。
「風邪って聞いた。大丈夫?」
一人になんて簡単になれないんだね。
電話で話を最後まで聞いてくれて、「ありがとう」と言ってくれたあの時。安心した。
一緒に勉強しようって声をかけてくれた時、嬉しかった。
気を遣わずに喋ってほしいって。
嬉しいなぁ。
好き。
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