第四十七話「君と。君の手と。」
本日は連続投稿7話させていただきます。3話目です。お楽しみください!
「私たち、どんな風に見られているのでしょうかね?」
半ば強引に彼女の腹ごなしに付き合うことになった伊織は、前に歩く和栞に振り返られるなり問いかけられた。
「周囲の目を気にするなと言ったのは月待さんだよね?」
今日一日を通して、彼女と行動するうちに、思い至った最適解。
朝の早い段階で「周囲の目は気にしない」という心持になったからこそ、これまで死線を潜り抜け、助かってきた場面も多い。
でなければ、美少女に餌付けした段階で既にオーバーヒートしている。
「どちらの月待ですか?」
彼女は何やら含みのある質問を続ける。
話の筋道としては目の前にいる和栞の話をしているので、彼女の質問内容は辻褄が合っていない。月待と苗字を持つ人間の名前は二名、知っているが。
「今、美鈴さんは関係ないでしょ?」
「あら、母のことは名前で呼んでくれるのに、私の事は名前で呼んでくれないのですね。残念です」
しゅんとする彼女。
何か気に障ることをしただろうかと心配になる。
誰に何を咎められるわけでもないが、名前呼びには抵抗もある。
何せ、男が下の名前で女性を呼ぶなど「モノ」として取り扱っているみたいで気が引けた。
決して彼女は自分のものではないから。親しい友人の一人だから。
でも、それ以上に日頃感じていた違和感を伊織は持ち合わせていた。
どう考えても、顔を見て相手と話しているのだから、わざわざ苗字で会話に登場させることに隔たりを感じていた。人を記号のように呼ぶことについて。
「じゃあ、『君』って呼ぶのはどうだろうか?」
「へ?」
「二人でいるときは、月待さんのことを『君』と呼ぶのはどうだろうか?」
顔から火が出そうというのはこのことを言うのかと思った。
もちろん相手の心証を確かめてから。彼女が納得してくれてから。
「もちろん、君が嫌ならやめるけども。と、……こんな感じで」
和栞は不意に受けた言葉に、一瞬驚きを浮かべたようだった。
振り向いた身体は硬直しており、口走ってしまったかと焦りが混ざり鼓動が早りかけたその時だった。
和栞はじっくりと頷くと、顔が上がる頃には既に笑顔になっている。
「一段と仲良くなった気がします!」
記号としての苗字呼びよりも彼女は「君」と呼ばれることの方が好みらしくて良かった。
何より彼女の機嫌が直ってきたことに安堵する自分もいた。
やはり彼女は笑っている姿が良く似合う。そんなすっきりと晴れた気分がした。
歩きながら彼女が小さく笑っている。何がそんなに楽しいのだろうか。
「多分、彼氏彼女ですよ。わたしたち」
彼女は、彼女が始めた問いかけの答えに自分自身でたどり着いた。
「付き合っている男女と思われていますよ」
冷静に考えたまでの話、伊織の目にも周りの男女はそのように見えるし、自分たちもお互いに一張羅を決め込んでいる。周囲の目を客観的に想像するのであれば、見違うことなくカップルに見えているはず。
「どう見られようと気にしない」
確かに朝、周りの目を気にするなと諭してきたのは彼女なのだが、それは負の感情に対しての心構えを説いていただけで、このような若干の冗談交じりを含むスキンシップについて対処する方法は教わっていない。
口から素っ気なく出てきた「気にしない」の言葉は、天真爛漫な少女を迎え撃つには手札が足りていない自覚があった。
和栞にそのことは悟られまいと平然を装っていた伊織を前に、和栞は伊織を一瞥して前を向くと、周囲の喧騒に掻き消されることの無い陽気な声で、啖呵を切った。
「では、手でも繋いでみますか?」
次の瞬間には前を向いていた彼女がこちらに悪戯っぽく微笑みかけていた。
◇◆◇◆
彼女のペースに乗っけられて押されてばかりではいられない。
こちらも気分が良かったので、ここはひとつ、この疑似デートに当てられて舞い上がった年頃の男の行動へ、幼気な少女がどのように反応するか、その時の顔が見てみたいと思った。
「いいよ?」
まさか承諾を得られるとは彼女は思っていなかったのだろう。
目を見開いて固まってしまっている。
それからみるみるうちに頬を染めながら、今にも消えそうな声でこちらを伺う。
「迎えに来てくれないと……ヤです」
下方から声が聞こえる。
でも、普段より随分近い高さから。
そうだ、今日は彼女が選んだヒールが身長を底上げしているからだ。
こちらから消えそうな声の先を覗き込むと、彼女は顔を上ずらせている。
瞳は若干、波打っているように見えた。
こちらの一挙手一投足を待っているような。
これ以上、彼女から仕掛けてくる意思は感じられない。
ここまで言われては、自分の言葉にも責任がある。
もう誤魔化して後戻りするようなことはできない気がした。
「はぐれるなよ?」
小さな手を大切に掬い取るように捕まえた。
自分でもベタな言葉が出たなと思っている。恥ずかしい気持ちで心が満ちていく。
知っている人の目に留まる可能性も否定できないが、何を今更と思う自分もいた。
「あなたがちゃんと握ってくだされば、問題ないでしょう?」
くすくすと口元に右手を軽く当て、笑っている和栞。
彼女の手は自分の手のひらで包み隠せるくらい小さい。
力加減もわからない。
そっと花弁を散らしてしまわないように、損なわせてしまわないように、触れるだけ。
感覚が伝わってくると、きめ細かい綿に触れているようで。
手を握っているという実感は薄かった。
「もっと……強く握っても大丈夫ですから」
言葉と同時にきゅっと掴まれた華奢な色白の手からは、はぐれまいとした意志を感じる。
自分の体温とは違う柔らかなものが手の中で微かに動く。
ひんやりとした温度が右手から伝わってくる。それでもこちらの熱は一向に冷めやらない。
心臓から遠いのに、右の指先がトクトクと波打ち、脈動を鋭敏に知覚した。
焦りを孕んだ感情が指先から彼女に伝わってしまわないように、そんなことを考えながら、彼女の力加減に合わせるように握り直す。
「……温かいですね。ここちよいです」
こんな時に、気の利いた言葉の一つでも出てくれば良かったが生憎、昼食を取っていない身体から脳へ十分なエネルギーを供給できていない。
もし栄養が足りていたとしても的確に返答できる自信もなかったのだが。
こちらとしてもひんやりとした手は心地よい。
だが、それを言葉にするのも、水を差すようで何か違った。
「遠慮なくどうぞ」
口にした言葉はそんな感じだったか。この瞬間の出来事なのに記憶も曖昧になってしまう。
唇が覚え込んでいた動きをして、声帯が震えただけ。
普段通り接することが出来ているだろうか。
今にも汗が噴きそうな手で彼女を不快な思いにさせないだろうか。
「遠慮はしませんとも。行きましょう?」
こちらの気も知らないで、彼女は繋がりを強く、握り返す。
「お好きなところへどうぞ」
彼女の手を引いて、能動的にこの笑顔を拐って歩くことができればどんなに良かったことか。
目的もなく歩くことが出来ればどれだけ良かったことか。
「お花を買う前に行きたいところができました!」
「どこ?」
「秘密です!」
可愛らしく顔の前で人差し指を立てた笑顔がこちらを向いている。
「秘密かぁ……なら仕方ないな」
「ええ、秘密。あっちです!」
成り行きに身を任せ、手を引かれる方へ歩き出す。
心なしか、歩幅が狭くなった気がした。
先ほどまで気を遣って歩いていたはずだったが、彼女の歩みに気づかされる。
ほんの少し跳ねた足取りが手を介し、真横から伝わってくる。
意識が繋いだ手に吸い込まれていく。
ついさっきまでひんやりと心地よかった手が、次第に同じ体温を感じるまでに温まりつつあった。
今は、柔らかで繊細な感覚が手の先に確かにある。
(帰ったら爪切ろ……)
ぼんやり思考が虚ろになった頭で、そんなことを考えていた。
少しでも、短い方が彼女を傷つけなくていいと思ったから。
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なぁぁぁ、、、もっとやれ。もっとやれ。(作者は溶けています)
本日は連投企画日です!
次回、本日の16:00 更新予定です!二人は今、手を繋いでいる!




