第四十五話「薬指で撫でられた見本たち」
本日は連続投稿7話させていただきます。お楽しみに!
雑貨屋で母の日のプレゼント探しをしていた伊織は、近くで愛らしい少女が思わず唸ってしまう一品に出会えたその後、本日の目的を遂行するため考えを巡らせていた。
エプロンにどのような機能があれば十分なのか、料理の場面を考えてみる。
水撥ねや油飛びは想像できるが、他の場面については想定が思うように進まない。
自分が台所にいる瞬間と言えば精々、カップ麺にお湯を注ぐか、インスタントコーヒーを淹れるかのどちらかとなるので、料理していると定義すること自体おこがましく、口にするだけで彼女に説教される場面を先に思い浮かべてしまい、口を噤んだ。
当分の間、自分はこれらのアイテムに自分でお世話になることは無いのだろうなと思いながら、試着用のラックに手を伸ばし、ぺらぺらと一枚ずつを捲って観察する。
手が速まってきたところで、後ろから和栞に声を掛けられた。
「ちゃんと丁寧に見て決めましょうね」
和栞は今回、選択のテーマに見栄えを取り入れていたので、実に年頃の少女らしいところに目が行くなと感心していた。
「うーん」
一度進んだ手が戻ったり、行ったり来たりを始めだしてしまう。
経験や考えなしに、熟考の航海に出てしまうには今の伊織には早過ぎた。
「伊織君のお母様はどのような人ですか?」
和栞から聞こえてきた言葉に自分が思い浮かべている印象を重ねていく。
「そそっかしくて、我が家の中心って感じ」
「パワフルなお母様?なのですね……」
「そうだね。嵐の中心であることに変わりはないかも。何なら掃除機」
アレ――母である由香に巻き込まれたら嵐が通り過ぎるまで我が家に静けさは戻ってこない。
少しでも隙を見せれば、満面の笑みでこちらをイジって楽しんでいるか、由香自身が気が済むまで根掘り葉掘り詮索してくる。放任主義の反動とでも言うのだろうか。
普段は意見してこず、こちらの好きなようにさせてくれる分、スイッチが入ってしまうと止められない。話を吸い込み尽くすまで吸引力の変わらない掃除機になってしまう。
「ふふっ。今からそんな調子では明日はどうなることやらと思ってしまいますよ」
背後から鳥のさえずりのような音が漏れる。
「何も、今お母様と対面している訳ではないのですから、素直な気持ちを持って考えてみてくださいね?プレゼント選びで大切なことは思いやりを表現することだと思います」
優しい言葉が添えられてくる。
「思いやりねぇ……」
心の声が漏れてしまったが、それが一番難しいことなのではないだろうかと感じてしまい、視点を一点にしたまま手が止まってしまう。
相手が実際に使っているところを想像することは意外に難しい。
けれども、彼女に「母の日にプレゼントを贈ってみては?」と提案されたあの日から、時折何がいいか考える自分もいたので、和栞の言葉を参考に、今回は台所に立っている由香の姿を想像してみる。
「普段使ってるものは……使いづらそうな感じがするかも」
由香がたまに両手をミンチ肉や小麦粉まみれにして、リビングにいる自分のことを呼んでは、「助けて!」とずり下がってきた肩口を直すように指示してくるのを思い返した。
肩掛けを直せと言わんばかりに、キッチンからズカズカと歩いて来て、こちらへ視線を刺してきては、屈んでいる光景が脳内に浮かぶ。
更に思い返してみると、料理中に何度か装用の乱れを不器用に解消しようとしている姿が思い出された。
「それなら使っていて使用感が安定するものがいいのではないかと思いますね」
「どんなものが使いやすいの?」
ここは有識者に意見を聞くのが手っ取り早い。
「そうですね……。恐らくですけれども、お母様はこのようなたすき掛けの肩掛けタイプのものを愛用していて、肩口がずれてきてしまうのかな?と……」
彼女が見せてくれるものに視線が移ると、彼女の名推理は狂いなく真相に辿り着いている。
全身を覆い隠すことができ、背中側で肩掛け用の紐がバツを作っている一般的なものだ。
「そうそう、こんなやつ」
「ですからここは思い切って普通の服と変わらないようなものを使用してみるのもお勧めしたいですね。このようなタイプだと、ずり落ちてくる心配はありませんでしょうし」
「なるほどね。でも汚れた場合はどうするの?」
「普通の服と変わらずお洗濯してしまえば大丈夫ですよ。生地もしっかりしているので、紐状のタイプのものよりも弛んだりすることなく長い間、使えそうです」
衣服と似たようなタイプのものと言えば、正しく彼女が脇に抱えている型のものと似たようなものだ。
「じゃあ、これじゃない?」
「え?」
和栞が抱えているものを指さす伊織。
彼女に機能性を重視した考え方は無かったが、結果的に見栄えを重視して選んだものが今の自分には最適な回答を指示している。
「確かに、使いやすくもあると感じますっ!」
先ほど幼気な少女にエプロンはあれだけ恥ずかしい思いをさせられたのだ。機能性についても折り紙付きである。
「じゃあ、俺もそれにしよ。なんとなくだけど、使いやすそうなイメージにも合う」
驚いた顔をしてこちらを見る彼女の顔が次第に綻び始める。
「ちゃんと自分で決められましたね。偉いです」
こちらを映す瞳は煌めいており、表情は満足気だ。
「色も何種類かあるみたいです」
先ほど手に取ったから、当人は陳列棚の場所が良くわかっている。
小走りの和栞に連れられて棚を覗く。
「お好きな色をどうぞ」
まるで店員のような言い草である。勝手に来店した客自身がお連、れ様へ向けてスムーズに案内しているものだから店の商売繁盛も良いところだろう。
その中にやけに目を引く色合いがある。呼びかけられているような。吸い込まれるような。
「赤色にする」
「その心は一体何ですか?」
和栞が笑顔でこちらへ聞いてくる。
「可愛い、元気と言うよりかは、うちの掃除機はパワーだな。パワー」
「んふふっ」
左から美しく澄んだ鈴のような笑い声が店内へと消えていった。
「これで本日の目的は達成ですねっ。良かったです。お母様に喜んでもらえると良いですね」
「俺の母親は由香と言う」
「お母様……、由香さんもお腹を痛めて伊織君を産んだ幸せを噛みしめてくれると思います。うんうん。きっとそうですね」
勢いのままに自らの言葉に納得してしまった和栞がしみじみと頷いている。
由香に選んだものが似合うかはさておいて、少しでも使いやすくあれば、自分が顎で使われる頻度も少なくなるだろう。副産物としては申し分ない。
「伊織君もこちらの商品に辿り着くとは、お目が高いですね?」
口元に上品に手を当てた和栞が気品たっぷりに貴婦人を演じている。
「いやはや。ご謙遜を……。ありがとうございました」
軽く一礼をして本日の功労者に労いを示しておく。
和栞がいなければ、今日と言う日もプレゼントを贈るという行為にも繋がらなかったので、幾分このやり取りに満足している伊織は素直になれた。
「お安い御用です」
和栞とやり取りする会話の中でこの顔を何度か見た。えっへんと誇らしげにしている小さな身体を頼もしく感じてしまう。
「まさか一緒のものを選ぶとは思いもしませんでしたね」
抱えている商品の違うところと言えばそのカラーのみ。
「これが万能すぎるのでは?」
感覚的に選んでいった和栞と、理論で選んでいった伊織の意見が一致したのは、商品が優れているからに違いない。
「実は波長が合うのではないですかね?」
「光栄なことだな」
「前世でお会いしてたりします?」
「俺は人生一回目だな」
「ふふっ。私も一回目です」
「そうは思えないんだけどなぁ」
和栞から多くを学ぶ機会があるので、いつもの年齢相応の無邪気さと、つり合いが取れていない芯の強さを感じている。とても今世だけを過ごしてきた少女に思えない。
「どういう意味です?」
「なんでもないよ」
苦笑いで和栞に返答する。自分が口にしてしまうと語弊が生まれそうだから。
「ええ? 気になるじゃないですか。隠し事とはいただけないですねぇ」
「もうちょっと仲良くなったら教えてやる」
いつかこんなやり取りしたなと思った。遠い日のように感じるが、ほんの一か月前の事だと思い出すと、人生に何が起こるかわからないなとしみじみとした気分になってくる。
横を見ると不服そうな顔がこちらをジト目で睨んでいる。
「その言葉、忘れないでくださいよ?もっと仲良くする自信がありますので」
「誰にでもそんな言葉使うもんじゃありません」
「あら。伊織君にしか使ってませんけども?」
このままでは負けず嫌いが折れてくれなさそうなので、こちらが大人になって引いておく。
この程度では赤面しないようになったのは大きな成長だった。
いちいち彼女の言葉を汲み取っていると今頃きっと身が持ってない。抱えている品のように今様色に頬が染まってしまう。
「さっ。会計しようかなぁ」
「話を逸らしましたね。まったく……もう」
白い肌の頬が萎んできたのを横目に陳列棚から見本の横を通り、レジへと向かって歩いていく。
その後を少し置いて行かれた和栞が付いてくる。
「それにしても、可愛そうなもんだね」
「何がですか?」
「こんなに種類があるっていうのに選ばれたものが一種類っていうのは」
「それもそうですね。ふふっ」
後ろから弾む声が返ってくる。顔を見なくても笑顔なのがわかった。
キイキイと金属が擦れる音が静かな店内に響く。
「ありがとね……」
こちらに向けられるでもない小さな声が聞こえてきた。
ふと後ろを振り返り、伊織は和栞の歩調に合わせる。
まるで別れの挨拶をしているかのように、ラックに掛けられている見本たちが微かに揺れていた。
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本日は連投企画日です!
次回、本日の13:30 更新予定です!二人は、お昼ごはんにするそうです。




