第四十四話「和栞さんは名前で呼ばれたい」
和栞と席に腰掛けて、パンフレットを広げている。
互いによく確認できるように、机の上には縦向きに冊子を置き、身体の向きを変え、見やすい態勢になるように工夫する。最初から横並びに座れば良かったと若干後悔したが、長居するわけでもない。
「まずはプレゼント探しのために雑貨屋さんを中心に回ってみましょうか?」
和栞がパンフレットの上で指をなぞりながらつぶやく。
「エプロンって何屋に売ってるの?」
率直な疑問だった。料理だけではなく家事全般に使用されるイメージがあるのだが、そもそも衣服の一種であるから、目当ての品がどのような店舗やコーナーに並んでいるのかですら想像に足りてない。
「最近では機能性だけじゃなく、デザインが凝っているものも多いので、服を取り扱う雑貨屋さんであれば、どこへ行っても困らないと思います」
なおも、マップから目を逸らさない彼女の横顔を見ながら軽く「ふむふむ」と頷く。
伊織は、目の前の和栞の言葉に素直に従っておくことにした。
「月待さんはお母さんにどのようなものを考えてるの?」
「母は既に簡素なものを愛用しているので、今回は柔らかめのナチュラルなデザインを探そうと思っています。そうですね……。洋服に近いものと言った方が良いでしょうか? 伊織君はどうしますか?」
ちらりとこちらを見てきた彼女が気に掛けてくれた。
「想像できないし、お店に行ってから決めようかな」
「わかりました」
先程までは、家事姿と言えば質素で淡白な布っぺらを纏うとばかりに思っていたので、百聞は一見に如かずだ。そんな気分で和栞と二人、席を立つ。
◇◆◇◆
フロアマップには地下一階から地上六階までの記載があり、それより上の十四階までは別の用途として使用されている。映画館が入ったり、会社のオフィスや大学までが入っていたりと複合施設の名前に恥じない。欲張りにもほどがあるラインナップだ。
大体の店舗が一、二階に集中しているので、目的さえしっかりしていれば迷うことはなかった。あらかじめ和栞にも地図を確認してもらっているので、二人は方角も迷うことなく、目的の店舗に到着した。
店内に足を踏み入れると、生活雑貨を中心に様々な家具や食器などが並んでいる。日常生活の場面ごとにコーナー分けがされているのだが、おそらくチェーン店ではないのだろう。オーナーの趣味によって取り揃えられた品々が並ぶセレクトショップのような作りになっている。
家具コーナーを二人で通り過ぎると、キッチン用品が並ぶ一角が見えてきた。
どこの異国の地ともわからないようなデザイン性を重視された食器が並ぶ中に突然、台所用品を取り扱う場所に不釣り合いな衣装掛け用のラックが現れた。
「ありました。ちょっと探してみましょう」
どうやら今回お目当てのもの達が数多く取り揃えられている。
ラックに掛かっている分は商品の見本。試着できるようになっていた。
丁寧な所作で和栞は一着ずつをゆっくり確認していく。
まさか、普通の服のようにラック掛けされている中から選ぶなど、思ってもみなかったのでここは本当に雑貨屋だったかと脳内が混乱し始めた。
伊織は、和栞が吟味する様子を後ろから付いて行き眺める。
女性の感性は彼女に任せておけばいいと思っていたが、なにせ想定よりも種類があるものだから、母親へどのようなものがいいかと少しくらいはこちらの頭でも考えておく必要がある。
きびきびと確認していく彼女の姿を見ていると、恐らくお目当ての系統のものが頭の中に明確に想像できているような気がする。
「これとか、ぴったりだと思うなぁ……」
誰に聞かせるわけでもない言葉が和栞の口から洩れてくる。
普段は対面したときに丁寧な言葉遣いの彼女。敬語交じりのですます口調。
だが、流石に独り言ともなれば頭に想起している通りの言葉が出てきてしまっている。
本人は気が付いていないようだが眼差しは真剣で、つい心の声が漏れてしまったような。
視線を手に取ったものに伊織が視線を移すと、淡い黄色を基調としたゆったりとした着こなしができるチュニック型のものだった。
あらかじめ彼女から聞いていたように、とても家事に使用する見た目ではなかったので、ファッションに疎い自分は「そのまま外出もできるのでは?」と感じてしまうほど。
「伊織君、どうですかね?」
彼女は母親のプレゼント目的の探しものだったが、自身の胸の前で纏ったように見せ、こちらに意見を求めてくる。
身体に当てがったままふりふりとこちらに見せびらかして言葉を待っているようだ。
「ごめん、何を基準に返答すればいいのか考えあぐねているのだけれども」
今回お互いに目標にしているものは、自身の母親たちへの贈り物を見つける事なので当然、和栞が着用した姿を伊織に見せられたとしても、和栞の母が使用する姿とは結び付かない。
「私を私の母だと思って、可愛く見えるか意見をください」
何やらとんでもない言葉が聞こえた気がした。
目の前の幼気な少女は「可愛い」と言ったか?
モデルが申し分ない容姿をしているので、こと、トータルバランス的に見た可愛いという評価基準に関して、異論はない。恐らく、彼女が聞きたいのは今の自分に対してではなく、現在検討中の黄色の御召し物についてのみ。
傾げる顔は、伊織に意見を求めている。
マネキンの責務として、彼女は不合格だ。主役である衣類をそっちのけで、彼女へ視線の先が奪われてしまうのだから。
ポカンとした表情で思考が追いついていない伊織に対して、和栞はイメージを想起させたいのか母親の情報を開示してきた。
「私の母は、私にそっくりで大人な顔立ちを想像してもらえれば大丈夫です」
そんな母親がいてたまるかと思ったが、当人は至極真っ当な物言いだったので、華の女子高生の横に並べても張り合える母親の顔が見てみたくなった。
確か愛娘は目前の少女以外にもう一人いると聞いたことがあるような。
少々引っかかる言葉を切り出してきたので穏やかな店内で窘めるように伊織は思うところを口にした。
「どちらかと言えばそっくりなのは月待さんでしょ」
この世に生を受けた順番はもちろん和栞の母親の方が先だ。軽く突っ込みを入れておく。
「あら? どちらも月待なのですが?」
彼女はわざとらしくこちらに返答を寄こす。
確かにどちらも月待だ。彼女の正論が突き刺さってくる。
「どちらかと言えば月待家では和栞さんがお母様に似ているのではないでしょうか?」
「ふふっ。私の母は美鈴と言います」
言葉の脈絡が理解できなかったが、言い直せということなのだろうか。
「どちらかと言えば月待家では和栞さんが美鈴さんに似ているのではないでしょうか?」
何やら少しずつ上機嫌になってくる和栞を伊織は怪訝そうな目で見つめだす。
何がそんな笑顔を作り出すのかわからなかったが、ぱぁっと開けた笑みを向けて、「どうですか?」と見せびらかしてくる姿がなんだか眩しく感じた。
(正解を踏むまでは許してもらえそうにないな……)
頭で司にこの時どのようなやり取りをすれば魔性の乙女たちは満足してくれるのか、助けを求めそうになったが、生憎相談相手としてはふさわしくない人物の一人だろうとも思った。
「そうだなぁ。若々しく見えるかも? 黄色には元気なイメージがあるからかな」
「例えば何をイメージしているのですか?」
目線でこちらを試しているのがわかる。
「ご期待に沿えるかありませんが……」
「が……?」
期待が入り混じる濡れた目線が向けられてくる。
「太陽? 向日葵……?みたいな?」
まるで、こちらが想像した植物のように彼女の表情が明るく花開く。
「イメージとぴったりですね! ありがとうございますっ」
和栞は先ほどより強く握りしめた試着用のエプロンをまじまじと見つめると、大切に抱きかかえて、肌触りや生地の感触を確かめている。
各部の詳細な意匠について、ポケットに手を差し入れる。使用感を確かめたり、縫い目など注意深く観察している。エプロンもさぞ恥ずかしがっている事だろう。
「あれ……。これはお母様のプレゼントを選んでるんだよね?」
「もちろんその通りですよ?母の日プレゼントです」
今もなお、彼女は最終チェックに夢中で手元に視線を落としたまま笑顔で答える。
「何やらご機嫌なことで」
「なぜでしょうねぇ?」
和栞は嬉しそうに、こちらをちらっと見て、再び視線を手持ちの黄味に移すと、丁寧に皺を伸ばし見本をラックへ掛けなおす。
近くの棚から包装された真新しい品を手に取った。
生地の彩度が高くなったような気がする。数多くの客に、精選の友にされ、少し色褪せた見本には頭が上がらない気分がした。
「私はこれに決めます」
和栞は嬉しそうに目を細め、慈悲深く品物を見つめる。
彼女の敬慕の先が良くわかる光景だった。プレゼントを贈った時の事でも考えているのであろうか。未来の幸福へ向けてその瞬間へ思いを馳せているような。
「喜んでもらえるといいね」
「はいっ。こちらばかり……、すみません」
「気にすることないよ」
誰かのために何かを思って準備する経験は、これまでの伊織には少なかった。
ただ、前向きに自分事のように贈り物選びに躍起になっていた彼女の姿は新鮮に映ったのだ。
その様子を見ているこちらとしても、放置されたとか陳腐な感想を持っている訳でもない。
まずは本日の目的その一が達成出来たようで、彼女の笑顔と少しばかりの遠慮が混ざりあった顔は見ていて微笑ましく感じてしまう。
こちらに不満に思う様子が無いと理解したらしい和栞が、「ごほんっ」と喉を鳴らすと、状況を改めて整理する。
「順番は前後してしまいましたが、伊織君のプレゼント探しへ作戦は変更されるのですっ」
彼女は今日一日、演じておきたい役柄があるみたいだ。バスの中からしきりに敬礼のポーズを取っては役を崩さない。
普段、柔らかな表情をしていることが多い彼女が、真剣な眼差しを向けるものだから、気合と役柄への入り込みは十分な様子。
多分、ここまで自分のプレゼント探しを放置してしまっていたことは、既にこの瞬間には忘れてしまっている。
「ふむ。頼りにしておりますとも」
やれやれと思ったが、軽く腰に手を当て、「さがしてみるかぁ」と心を新たにする自分がいた。
私はピュアな二人にキュンキュンが止まりません。
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