第四十三話「和栞さんとの指切り約束エクストラ」
彼女の言葉に一瞬、思考回路の繋がりが悪くなった。
バスを降りた伊織は、和栞から「ところであなたにとって今日はお出かけですか? それともデートですか?」と問いかけられたから。
舞い上がったわけでは無かったのだが、どこか話の本筋が見えないようで、兎にも角にも声のした方へ視線を向けると、彼女は優しい微笑みを讃えている。
「深く考えずにわたしとデートしましょうと言ったのは月待さんだったよね?」
今日の予定が立った日の事である。確かに彼女からそんな言葉をいただいてしまったので今朝、自分なりに身なりを整えて並んで歩く自分がいるのだ。
「覚えていてくれたのですね」
答えに満足したのかこれ以上の追求は辞めにしてくれて、彼女は前を見る。
途端に彼女が頬を緩めてハミングのように「ふふっ」と笑いだす。
「今日の月待さんはいつもより笑顔が多いね」
素直な言葉を口にすると、彼女は上目でこちらを見てくる。
「なんででしょうねぇ?」
「もしかして浮かれてる?」
「それはもう伊織君が想像していないくらいに」
「どのくらい?」
人たらしの彼女であるからして、誰といるときもこのような楽し気な表情を浮かべるのだろう。
最近、密に交友があるからと言っても、和栞と特別な関係を求めているような甲斐性は伊織にはない。
彼女自身が実際のところどう思っているのかと言う単純な疑問を解消するには、本人に直接聞いてみるのが一番早い。
てくてくと横に歩きながら明るい顔が青空を向いて考えている。
「両手では収まりきらないくらい? です」
和栞は臀部で軽く結んでいた両手を解くなり胸の前で器を作る。
確かに彼女の非力で小さな手では収まりが悪いのかもしれない。
「ううん。友人と出歩く機会もないので、わくわくしていますっ」
彼女は顔の前で手を重ねると、歩幅が先ほどまでの間隔よりも大きくなる。前髪が軽く跳ねる。
「楽しそうなら何よりだね」
「今日はとても新鮮な気分なのですよ」
「この前の街案内とは何が違うの?」
「今度は私から胸を張って伊織君の力になれそうなところですかね?」
伊織は和栞と二人で出歩くことは今回が初めての経験ではない。以前、引っ越してきた彼女に街案内をかねて二人で出歩いたことがある。
その時と違って彼女はどうも自分の役に立つことを主な目的としているらしい。
「ええ、頼りにしてますとも。母の日、明日だし」
「任せてください。素敵な家族仲のために私が一肌脱ごうではありませんか」
年頃の少女として容姿にそぐわない言葉を聞いた気がしたが、不要なツッコミはひっこめておく。
「月待さんは明日は、実家に帰るんでしょ?」
「ええ。始バスに乗っていちもくさんに帰ります」
舌足らずの言葉が聞こえてくる。
「今日はあんまり張り切りすぎることないようにね。寝坊したら大変だし」
「お気になさらずですよ。体力には自信があります」
「公園で直ぐに眠っちゃうからHP全回復だしな」
「安心して寝かせてくれる優しい殿方に見守られているので」
「MPも全回復だしな」
「魔法でも使えそうな気分です……で合ってますか?」
人差し指を立ててくるくると杖を使っている。
「合格だね」
「やったっ」
ピースを作っている手がこちらを向いていた。
◇◆◇◆
周囲の自然に心癒され、そのまま商業施設の出入り口へ足を運べば、シームレスに接続された中庭が出迎えてくれる。普段はリズムを刻んで地面から噴水が上がり、ショッピングを楽しむ人々の目を楽しませてくれる。
休日になるとこの場所は半野外のイベント会場となる。
今日も開店から間もないにも関わらず、スタッフと思しき人物たちが音楽機材をせっせと運んでいた。
伊織は、小休憩も兼ねて腰掛けて寛ぐことのできるテラス席に和栞を座らせる。
「フロアマップ取ってくるから待ってて」
「ありがとうございます。お願いします」
初めてこの施設に足を運ぶとどのような店舗が軒を連ねているか把握するのは正直難しい。
外観が異質で洒落た形をしているので、その内部も例外なく特徴的な構造となっており、入り組んでいる。伊織はもちろん何度も利用している商業施設だったが、心配は和栞の方だった。
初めて訪れる彼女にも、大まかにどのような店があるのか知ってもらっていた方が都合がいい。
それに、ふらふらと幼気な少女を共だって歩くには自分の記憶も心もとない気がしたのだ。
伊織は案内所でスタンドに刺さっている無数の冊子の中から一部を手に取り和栞が待っているテラスへ向き直る。
営業開始から十分程度。若者の往来が増えてきた。
恐らく同じ年代くらいの男性二人組とすれ違うと「さっきの子、可愛かったな」などとひそひそ話が聞こえてくる横を通り、直線上の和栞の待つテラス席へ戻っていく。
(早速目立ってんな、美少女…)
施設のフロアパンフレットを手に取り戻ってきた伊織を和栞が見つめている。
考え事をしながらどこか上の空で席に着こうとする伊織はその視線に気が付かない。
木製の椅子が「ギィ」と鳴く。
パンフレットを差し出してきた伊織を目で追った和栞が心配そうに口を開いた。
「ありがとうございます。体調でも悪いのですか?」
取りに行くときにも感謝を伝えられた伊織だったが、差し出したものを目にするなりもう一度感謝が飛んでくる。
ふと我に返った伊織が和栞を見る。
背筋を正した彼女がこちらの顔色を窺っていた。
通行人の話に必要以上に考えを巡らせていた。何も目の前の少女の顔を歪ませるような事は起きていない。健康優良だ。
「いや、考え事をしてただけだから。ごめん」
「いつもの伊織君らしくない言い草ですね。私に話せない事ですか?」
なおも誤解を解くことができなかったのか、彼女は眉を顰めてこちらを見つめている。
「本当に注目されているなんて思ってなかったから正直面食らったというか」
席に座りながら彼女から目を逸らすように声を掛ける。
後ろめたい気持ちは無かったのだが、彼女に面と向かって話すと気恥ずかしいような、ちっぽけな話だから、自分でも羞恥の気持ちが強かった。
「何の話ですか?」
主語を伝え忘れた伊織は、話についてこられていない和栞を見ながら半笑いで白状する。
「美少女は思ってたより周りから目立ってしまうって意味だよ」
彼女の表情が徐々に柔らかく綻ぶ。
「私と一緒にいて目立ってしまうのはお嫌いですか?」
首を傾げる彼女の肌は太陽に優しく照らされて白い。
どこで何をしていても彼女は環境を味方にして輝いている。今日はそんな彼女の横を歩くのだ。
少しくらいは卑屈になってしまう自分がいたって仕方がない。
「穏やかに過ごしたいなとは思ってる」
恐らく彼女が聞きたい言葉でないような気がした。
「穏やかではないですか?」
これまで彼女とは、静寂に包まれるような時間を共有してきた。
今の彼女自身に非は全くない。
どちらかと言えば、先ほど出くわした無意識に向けられている他人からの目を想像して、勝手に胸騒ぎを感じていた。
「無駄に反感を買いたくはないと思ってる」
「誰から反感を買ってしまうというのですか?」
「周囲」
妬み嫉み、別に自分が手に入れているわけでもないのに、選べるような境遇にいるわけでは無いのに、彼女を傍に置いているだけで、集めてしまいそうな周囲の目。
「月待さんに俺は釣り合ってないなと自信をなくしそうだ」
我ながら弱弱しい言葉が出てしまったなと思った。
誰に何を直接言われている訳でもないのに湧いてくるこの感情は一体何なのだろうか。誰の目からも彼女は魅力的に映るだろうと思っているから、自然と近くに居る取り巻きにも視線が移るだろう。それが人間の性なのではないかと思う。
彼女に迷惑を掛けないように今朝は家の玄関を出たのだが、周囲の目に触れることで湧き上がっていく申し訳なさが心を支配しつつあった。
「釣り合いだなんて、そんな言葉を使うものではないですよ!」
和栞はあからさまに頬を膨らませ、怒った表情を伊織に見せる。
いつもより語気を強くして、こちらを咎めてくる。
ああ、怒られると思った。
言葉を選ばずに声にしてしまった。
だから釣り合っていないなどと言う、比較を表す失礼な言葉が出てしまった。
「人間誰しも、たった一人のかけがえないその人自身です」
目を真っすぐにこちらに向けてくる。
目を逸らすような余地がない気がした。
いつもは笑顔が大半の彼女の顔は、今は真顔でこちらを捕らえて離さない。
彼女の視線が鋭くなっていく。
彼女の頬に張りが出る。
呼吸を落ち着け「すぅ」と空気を吸う。
口が開く。
「私は伊織君が劣っているなんて、一度も思ったことはありません」
あまりにあっけない言葉だったが、心が軽くなるようなそんな気分がした。
「それとも伊織君は私からの言葉よりも、良く知らない周囲の人からの評価を気にするのですか?」
先程見せた真剣な表情から、困ったように眉が下がっていく。
「それで勝手に落ち込んでいては勿体ないですよ。一度きりの人生でしょう?」
思った。ああ、またこの人は――
自然と口が開いていた。
「なんか悪かった」
「なんか。が、余計だと思いますよ」
不満な気持ちは直ぐに言葉に現れた。
彼女はこちらを待っていてくれている。説得力のある視線や言葉はこちらを見捨ててはくれない。
和栞はじっと待っていた。伊織の心変わりをじっと見つめて待っていた。
「悪かった」
頭を下げた。
頭の上でふうと一息つく和栞。
「私と約束できますか。自信を持ってください! あなたが思っているより、もっと素敵な方だと私が保証します」
「ポジティブな気分になれそうだ」
「自信の無い伊織君とは今日でお別れです。もっとポジティブに!ですっ」
彼女は右腕で頬杖をつく。
左手の小指を差し出してくる。
「善処する」
膝の上から左手を伸ばし、小指を立てた刹那。
和栞は、はっと気が付いたように小指を左頬横にひっこめる。
「私の前でだけじゃなく、家族、友人、知らない人みんなの前でも、そうであってくださいね?」
なおも上品にこちらを見つめ、釘を刺してきた。
「拳万も針千本も御免だからね」
こちらが自信なく差し出した手を有無を言わさず、彼女から拾ってくるように指が絡んできた。
「これで文句は言わせません」
笑みが返ってくる。
「強引だ……」
ふふと彼女は満足そうにこちらに目を向けてくる。
「伊織君の知らない女心です」
周囲の目を気にする伊織は、もうそこには居なかった。
おいそれと彼女の言葉に従って今すぐに改善されるような事でもない気がしたが、彼女が時折口にする「一度きりの人生」と言う言葉に習うのであれば、その通りだった。考えなくてもいい杞憂に終わるような話は、負の感情ほど想起しない事に越したことは無いし、最近彼女から影響を受けていることも自覚することがある。
バスの中での会話だってそうだ。
彼女に「前向きに生きとけ」と言った。
ポジティブを絵にかいたような少女へ向けてのアドバイス。
口から素直に出た前向きな自分の一言である。
和栞から影響を受けて出た前向きな言葉。
恐らく彼女と逆の立場であっても、彼女の口から出てきたに違いないと思える言葉。
和栞の愚直なまでの明るさには底が知れないので、伊織はまだ想定外の言葉が出てくる可能性すら考えていた。
ああ、またこの人は――
彼女は今を後悔しない生き方を選び続けている。
俺は彼女に影響されている――
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私も、和栞の生き方、考え方が好きです。見習わなきゃね。
次回更新は 8/29 8:00を予定しています。
糖度上昇。もりもり。あまあまのちょっと前くらいでお送りします!




