第四話「髪を下ろした美少女」
その少女の装いは、春らしく華やかな印象を感じさせる白色のワンピース。
柔らかい雰囲気とプリーツがあしらわれた足元は全体的に清涼感を印象付けている。
次第に距離が近づくにつれ、自分と比べ、極端な幼子ではなく自分と近い年代である少女であると認識できたのだから伊織は内心ほっと胸をなでおろした。
だが、立ち居振る舞いに関してだけ印象をとらえるのであれば、なんとも言えない近寄りがたさを醸し出しており、安易に触れてはならないような繊細で情緒を纏う姿にも見えた。
華奢な背丈のその少女はこちらに気配を感じたのか、ひらりと振り返る。その顔は警戒を含んでいたものの、すぐに目線の先が人畜無害であると認識できるなり、ふわりと和らいだ表情に驚きと少しばかりの安堵を混ぜこちらを伺ってきた。
伊織もその顔には、見覚えがあった。
「びっくりしました。南波君、こんにちは。こんな場所で会えるなんて」
笑顔を振りまいてくれたのは、この一週間、クラスの中心にいた月待和栞だった。
「こんにちは。こっちも驚いたよ」
「散歩していたらこの場所へたどり着きました。南波君は買い物の帰りですか?」
手に持っていた書店の小さな袋に目を落とした和栞が、柔らかに問いかけてくる。
伊織は、和栞の声色に、若干の違和感を持ったがその答えが探せないでいた。
「本屋に行った帰りに、暇だったから」
「小さな袋ですね。大きさからして文庫本ですか? 良い趣味をお持ちなのですね」
「確かに小説も買ったけど、漫画の新刊が出たからついでに気になるものを買っただけだよ」
「今時、活字に興味を示せるだけで十分な感性をお持ちだと思いますよ」
「そりゃどうも、ありがとう」
にこやかながら、落ち着いて微笑み、彼女は称賛の言葉を投げかけてくるのだから、普段褒められ慣れていないこともあり、なんだか伊織は居心地が悪かった。
学校で和栞と多く話を交わすことは無い一週間だったが、授業中に聞こえてくる声から彼女はハキハキと喋る印象があった。
先ほどからの和栞の落ち着いてゆったりとした雰囲気で話す様子には、違和感と形容するより、今の彼女が素なのだと言い表すことの方がしっくりくるのだなと、会話をしていて伊織は感じた。
この一週間でクラスの人気者になってしまった彼女は、周りから引く手数多の引っ張りだこ状態になっていたので、面と向かってゆっくり話す機会などもなかった。
この新生活初週に根付いた彼女のイメージと言えば、誰もが見惚れてしまうほどの美少女で、勉強もそれなりにでき、周りから慕われては明るく真摯な性格であること。
和栞は、男女問わず人当たりもよく、魅力あふれる人間たらしの素養を見せていた。もう少し、年齢を重ねれば、「魔性の女」とも噂されるに違いないが、年相応のあどけなさを残しており、現在の彼女は小悪魔見習いと言ったところで成長途中。
和栞が、今は目の前で休日に羽を伸ばしている姿と言えば、伊織にとって眼福の限りではあるのだが、いつもより活気に満ちているというよりは休息にすべてを費やしていると言った様子で、会話の速度もゆったりとした雰囲気を醸し出し、こちらに真っすぐに意識を向けて、丁寧な口調で話しかけてきている。
普段と人格が違うとか、接し方が違うとかそういう話ではなく、今は気を張り詰めていないらしい。
そんな彼女の自然体を今、初めて垣間見た気がした。
それに、先ほどから普通に接してはいるが、和栞と言葉を交わした事が無かった伊織にとって、そもそも彼女が自分の名前を憶えていることに対して、妙な驚きがある。どうやら勉強ができる上で、記憶力も侮れないらしい。これも新しい発見だった。
伊織は自分に神が与えた凡のパラメータ配分はやはり基準から逸脱せず、何の特別も与えられなかったことに軽い悲しみを抱きながら、今度は伊織から能動的に接してみることにした。誰一人としてぞんざいに扱うことなく、尊重を心得ているような和栞である。きっと避けられることもなく、普通に会話が出来るくらいの人格者であることくらい、想像ができた。
まずは単純に彼女の素性に興味が湧いてきたからという理由だけで、バッタリ出会ったいい機会であるこのタイミングを利用して、お近づきの挨拶を始めることにした。
「月待さんはその……散歩って?」
周りの生徒からも好意のある女子高生が休日に友人と街へ繰り出すわけでもなく、おひとり様でお散歩とはこれ如何にといった様子で、伊織は問いかけた。
「進学と同時にこの辺りに引っ越してきたので、まだこの辺りをよく知らなくて。暖かくて気持ちもよかったので、桜を見ながら探索していたのです」
やはり、伊織が以前抱いた違和感にさほど狂いはなく、和栞はこの町が地元の人間ではないらしい。
「そうか。うちの高校は学外から通う生徒も多いから、この町自体に馴染みがないっていうのは不思議な話じゃないけど……。確かに、学校が終わって家に帰っても良く知らない町で過ごさなければならないっていうのは、大変な話だね」
伊織にとっては慣れ親しんだ町。
だからこそ、唯一の生活の変化は進学したという点だけなのに、この一週間は妙な疲れを感じていた。
休みの日でもいつもの時間に目が覚めるような伊織でも今日は起床時間にも響いてしまったくらいだったので、見えない疲れが出ていたと寝覚めで感じていた。尚更、和栞がよくも知らない町での私生活すらも、ままならないことについては容易に想像ができる。
「そう、何も知らないし大変なのですよね。今だって、たまたま公園の下の方から高台が見えたので気軽に上ってきたのですが、まさかこんなに長い階段が続いているなんて思ってなくて、疲れて景色を眺めながら休憩していたところでした」
口から出てくる話題に合わせるように、和栞は階段が長い驚きや呆れの感情を、表情をコロコロと変えながら、説明してくる。
最後に想定よりも疲れましたよと言わんばかりに、舌を出して茶目っ気ある笑みを浮かべ、視線を向けて来た和栞に、心の奥の方で、「コイツ可愛いな」という率直な感想を抱いた。だが、言葉にするには出会って間もないので色々な勘違いを招いてしまいそうで、語弊を生まないためにも今は出掛けの言葉を仕舞い込むようにその視線から顔を逸らす伊織であった。
彼女はまだこの町は詳しくないといった様子だったが、伊織も思っていることそのままに、話した方が、彼女も心持ちが晴れやかになるだろうなとの考えで話を続けた。
「心配しなくても、この街は大抵のことは困らないよ。規模は小さいけど、必要なものは纏まっていて使い勝手が良いし、住みやすいと思ってる」
たわいもない話だったが和栞に目線を向けると、どこか思い当たるところもあるのか、うんうんと頷いて話を聞いていた。
「少し安心しました。街で見かける人も、困っていると助けてくれる人もいて、悪い場所じゃないなと思ってましたので」
「なにかあったの?」
「いや、大したことではないのですが。バス停でどのバスに乗れば良いのか、わからなかったのを、親切で優しいお兄さんに助けてもらいました」
どうやら話に聞く、美女特権というやつを、和栞も持ち合わせているようだった。
そして、もうひとつわかったことは困り顔をしている美少女を放っておくほど、この町の男たちも捨てたようなものじゃないらしいということだ。
周りも見惚れるほどの和栞を正面に会話をしているだけで、場が明るくなる。彼女の魅力が渋滞を起こす中、こんな美少女の困り顔に手を差し伸べない男など、居ようか。
いや、いたとしても「どうしたのだろうか」とこちらが思考の世界を支配され、目を捕らえて離さないはずだ。彼女たちのような美女に罪はないと言え、容姿端麗とは恐ろしいものだ。
ふと、伊織は和栞が自分の容姿にどのような印象を抱いているのか気になって、彼女の考えを試してみたくなってしまった。
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