第一話「一途な悪友と見つかった美少女(後編)」
ほぼ新品で書き始めのノートや先ほど折り目を付けたばかりの教科書を机の引き出しにしまい込んで、一息ついた伊織は親から持たされた弁当を広げながら、昼食の準備をしていた。
この学校の売店は戦場と名高いらしい。
低コストながらも、食べ盛りの男子高校生が腹を膨らませるには充分な戦利品を携えて、悪友である司は朝礼前の話を掘り返す。
「この席からじゃ全員の後頭部くらいしか拝めねえよ、バーカ」
「くじ運のねえ青春弱者め。アンテナは常に張っとけよ? 勿体ねえぞ?」
本日一回目のチャイムから程なくして教室に入ってきた担任――立花亜希が朝礼を終えるなり、茶目っ気たっぷりに席替えを敢行した。
「年の近いお姉さんだと思って気軽に接してね」と初日に自己紹介された時には、彼女のキャラクターなのか、男女問わずクラスから明るい言葉が飛び交っていた。
この春で教師歴は三年目。
自分たちが初めて受け持つクラスで初担任らしい。
休み時間にも生徒から引っ切り無しで声を掛けられる様子には、既に彼女の人気が伺える。
年は二十代半ばらしいが、同年代に類を見ず、生徒に向ける天真爛漫な笑顔は彼女の自己紹介の言葉が、嘘偽りのないものとして裏付けするに充分なものだった。
立花の人気の理由には、他の教師にはない青臭さが出てしまうことにもある。
大胆な持論「出席番号順はやっぱり可哀そう」という考えをもとに、くじ引きで早速このクラスの席次をシャッフルしてしまったので、伊織は皆目この席からクラス全員の後頭部を見る羽目になった。
「くじ運ばかりは操れないし、誰が悪いわけでもないので心外だな」
「気持ちの問題だよ、思いや願いは馳せておくに越したことはないぞ」
「なら司だって、千夏さんと近くの席になれなかったのはその思いとやらが足りてないからなんじゃないのか?」
「確かに……。くじ運は思いの強さに比例しないな!」
司は心得たように伊織の顔を軽く指さして「なるほどな」と示し、定位置を定めた椅子に深く腰掛け、特盛焼きそばパンの袋を破った。
「亜希ちゃんが担任って高校生活勝ち組スタートだな、俺たち」
具材を少したりともこぼさないと大きく口を広げパンにかぶりついた司が、嬉々として口をモグつきながらこちらに意見を求めてきた。
「飲み込んでから話せよ。行儀悪いぞ」
「生憎、食欲とおしゃべりな口は絶交中だからな~」
「ったくっ……まあ目の保養には持って来いだし、正面向いて話してくれるから人気先生をまじまじと見れるのは最後尾の役得でありがたいねえ」
「流石に生徒と教師は無理なんじゃないか?」
神妙な面持ちで、司は持参したコーヒーで洗い流し、喉元から低音の返答を寄越した。
「なんで狙っていること前提なんだよ。そんなに元からがっつく事が出来たら今頃、野郎じゃなくて順当に女子と笑顔で飯が食えてるはずだろ?」
苦い視線を伊織に向けられて、揶揄い過ぎたことに平謝りの司。
話をかわいい女の子とやらの話題に戻してきた。
「それにしても、月待さん。美人だよな……?? このクラスなら断トツだ」
目鼻の先で千夏と会話を弾ませるその容姿を見て、伊織にも思うところがある。
教室の真ん中、昼休みが始まるなり千夏を含む女子に囲まれ、昼食を取っている少女、月待和栞だ。
午前中は各教科初めての授業ということで、教師自身の簡単な自己紹介と年間の授業カリキュラムの説明が続いた。
授業に移る前に中学時代の学力把握として簡単な小テストが実施された科目もあったが、答案の説明の際には教師の目にも彼女の容姿が目立つのか、彼女が指名されることが多々あった。
そのたびに教師たちが今一番求めている最適な回答をして、彼女は自身の学力を教室内で存分に発揮した。
周囲のクラスメイトからは、その優秀な姿に、続く別教科の授業でも期待と関心のまなざしを集め始めるほどだ。
だが残念なことに、午前の間……。
伊織の席から、和栞のことで得られる情報量は、極めて少ないものだった。
長い黒髪を後ろで束ね、淡い桃色のシュシュで纏めて凛としている姿。
何度か目に留まるものがあり印象に残っているが、顔立ちや表情まで確認することはできなかった。
彼女が教師に回答を求められ自席から立ち上がるたびに、黒髪は纏まりを左右にしなやかに揺らし、周囲に華やぎを振りまいていた姿が第一印象として頭にこびり付いているが、その程度。
教室の後ろの席から全体を見ていると、回答後に着席してもなお、男女問わず視線を集めているのは薄々気が付いてはいたが、その容姿に注意が向けられていたことは想像に足りてなかった。
授業の合間の休み時間には周囲に分け隔てなく接し、称賛の言葉を向けられている彼女は、真摯に受け答えに応じているようだった。
初めて表情をゆっくりと確認できたのは、女子たちで小さく机を囲み昼食を取っている今の瞬間。
早くもクラスの中心で笑顔を振りまく存在となって休み時間と同様に質問攻めにされているようだ。
称賛を集めすぎたのか和栞は色白な頬を赤らめ、小さく縮こまっている様子。
かといって迷惑に感じているような素振りはなく、淡い微笑みを浮かべている。
その姿に午前中、永続的に当てられてしまったのか、司もすぐに話題にしたがるところを見るなり、クラス中の好意を集めていることは間違いなさそうだなといった感想を伊織は持った。
「授業中にみんな露骨に見惚れ過ぎじゃね、とは思ったけど……」
「けど?」
「今、初めて顔を拝んでるけど、美少女という認識に間違いはないな」
「だよなー」
「それでいて、優秀ときたら基本性能の反則が過ぎている気がするんだが」
「世の中、そう上手く平等にはなんねえって。バランス調整ってのは、現実に発生しないし、神様も悪戯する人選を間違えてるよな」
「そんなもんなのかねえ」
美少女を遠くで眺めながら取る昼食は気分がいい。
今の伊織には和栞に対し、能動的な感情を持ち合わせているわけもなく、眺めるだけに留まっていた。
悲しいかな、青春弱者の言葉が似合っている。
昼食をすべて平らげた司は、先ほどまでうわの空で考え込んでいた顔を真っすぐに伊織に向け直し、痛いところを突く。
「伊織は昔からやけに自分は女子には無干渉ですってオーラを出すよな?」
「何か勘違いしているようだな。容姿が良いから積極的に関わりを持ちに行こうとするのは、否定はしないけど、下心丸出しに見えて、性に合ってないだけだ」
「外見を褒めるというのは正当な評価だと思うぞ。あれだけの美少女は一日にしてならずってことわざ知らないのか? 日頃から気を遣ってないと実現できない繊細な美なんだよ」
「美少女の影の努力はあの様子を見ればわかるが、知ったような口を利いてるな。そのことわざとやらの出どころはどこだ? 履修したことないぞ」
「うちの姉貴だよ。毎日風呂上りに色んな液体使って格闘しては顔にパック貼って化け物になってるからな。口癖のように女の子たるもの……とやらを聞かされて育ってきたから少しはわかってるつもりなんだが」
自身の姉の露な姿を思い出したのか、司は苦笑いを浮かべながら昼食の後片付けをしている。
「その姉貴とやらは、他の女の子へはよそ見するなとも教えてなかったか?」
「だからこうして、千夏に振られ続けてるんだよ、ちくしょーが」
自棄になった司は残っていたコーヒーを勢いよく飲み干した。
伊織は美の追求や恋煩いは大変なんだなと遠い目をしていたが、手元に視線を落としなおし、最後に食べるために取っておいただし巻き卵を口に放り込んだ。




