第四十二話「美少女の可愛いらしいちょっかい」
短めですが、和栞さんらしいお茶目なエピソードです。
二人が乗車したバスは、目的地に到着しようとしていた。
時刻は九時四十分過ぎ。
片側二車線を有するこの大通りには、バスが停車することを前提に、歩行者専用区域を切り欠くように整備された停留所が点在しており、乗客と周囲の安全を第一に考えた緩やかな速度でバスは停車位置へそろそろと進んでいく。
市内の中心地となるこの場所は、近くに県内唯一の天守閣を持つ城が鎮座している。
その脇には、近くを流れる二級河川に沿うように再開発が進み、文化や芸術の発信を目的とした大型複合施設がある。本日の目的地だった。
車内アナウンスで、バスが完全に停車してから席を立つ旨がこちらの耳に届いて来ていたのだが、横に座っていた美少女には聴こえていないご様子で。
今か今かと楽しそうな笑顔を向け、華奢な脚に力を入れるタイミングを伺っているようだった。
車中で知ったことだが、この町に引っ越してきたばかりの彼女は、今日の買い物で初めてこの付近を散策すると教えてくれた。
このまま下車しようとするバスに数分揺られるとするならば、彼女が実家に帰省するために使用している駅があるので、完全に見知らぬ場所という訳ではないだろうが、彼女曰く「はやく実家に帰りたいじゃないですか」との事らしい。
「伊織君。バスが止まるまでに席を立っては危ないですよ」
横から何やら嬉々共々の声が聞こえてきたのだが、今の彼女の口から出る言葉にどうも説得力がない。
やれやれと軽くため息を吐いて相手の矛盾を指摘するのは、無粋な気がしてしまったのでこちらも軽い注意に留めておく。楽しそうにしている子供を見守る親の気持ちはこのようなものだろうか。
「ちゃんと聞こえてたなら、おとなしく待ってましょうね。すっころぶよ」
あくまで、和栞の安全を気にかけて車内アナウンスの受け売り言葉を買うことにした。
「ころんでも支えてくれそうなお方が隣にいるではありませんか」
身体の右側からは、左右にゆらゆらとした優しい波が伝わってくる。
車体は今まさに停止しようとしているので、前後に揺れを感じることはあれど、物理法則がそうさせているわけではない。
和栞が華奢な身体をぴたっと寄せてきて、こちらへ意図を示すかのように作り出している柔らかな波だった。
乗車中に伊織が適度な距離感を保っていた二人の隙間は無くなり、今は柔らかな感触と人肌に温められふわふわと波打っている。
以前から時たま感じていた甘く心を跳ねさせてしまうような香りはいつにも増して鼻孔を擽っては引いていく。
ようやく獲得し始めた平常心が一気に忘れ去られた。
脈が次第に速くなっていることに気が付いた。この反応は誰に責められようかとも思う。
不快と形容するはずもなく普段よりも香気を放つ存在は、次第にぐいぐいと力が入っていくように強くなる。そろそろ口を開かねば彼女のペースに飲み込まれていくのは必至だった。
「支えることくらい造作もないだろうね」
目を離せばどこかに消えてしまいそうなくらい儚げな少女なので物理的に支えることくらい、今の伊織にもできる自信はある。
自分の口から出た言葉に嘘はない。
「あらあら。頼もしいことで…」
先ほどまで、ゆらゆらと優しい波を感じていたのだが次第に強くなっていく。
ぐいぐいと彼女の身体からちょっかいを受ける。
先ほどから人目も憚らず、彼女は楽しそうに身体を寄せてきていた。
丁度バスが停留所に停車し、下車を始める他の乗客がちらほらと現れ始めたころで我に返った伊織は悪戯に口角を上げている和栞に反発するように全身に力を籠める。
「体力は取っておけよ? アドバイザーが疲れてしまってはこっちも困るからな」
なおもぐいぐいと力を寄せる和栞だったが、伊織の身体は彼女の力では動じなくなってしまった。
女性の身体は驚くほどに柔らかいらしい。
今は反発の強いクッションを身体に押し付けられているようなそんな気分だった。
負けじと奮闘していたか弱い乙女は、伊織の言葉に従うように揺れが収まっていく。
その表情は何か使命を思い出したかのように納得している様子だった。
「はいっ。作戦開始ですっ」
車内の乗客も数人がこの停留所で下車するようだった。
伊織は周りの人の流れが落ち着いたころを見計らって席を立つ。
その背中を追うようにして和栞もついていく。
運転席の横に取り付けられた機械にICカードをかざし、「ピピッ」っと音が鳴る。
同時に、ここまで安全運転で目的地まで連れてきてくれたバスの運転手へ向けて「ありがとうございました」と軽く感謝を伝えると、相手からも同じ言葉が返ってきた。
後ろからも彼女の同じ言葉を聞きながら段を降り、地に足を付ける。
ひょこっと静かに降車してくる彼女を見やる。
美少女はバスから降りてくるときでさえも絵になるらしい。暖かくなってきた風を全身に包みながら、こちらに華やかに歩いてくる。
(これが今日一日横にいるってだけでも頼もしい限りだな……)
目がぼんやりと彼女を捕らえて、そんなことを思った。
「どうしましたか? 伊織君」
こちらの様子に気が付いた彼女が声を掛けてくる。
「なんでもない。とりあえず渡ろうか」
伊織が横断歩道の方を指さし、和栞に軽く合図すると「こくり」と返事をした和栞が横に並ぶ。
広い車道を挟んだ向こう側に見えている黄色と赤色を基調とした建物へ向かう為に、まずはゆっくり横断信号まで歩きだす。
まだ、市内の中心部も賑わう時間ではないので道が空いており、定刻よりも早く到着したバスは道程に余裕があるようだ。まだ次の停留所へは発車せず停留所で一息ついている。
この頃まだ、伊織にも同じような心の余裕があったのだが、横に連れている女性の天性ともいえる才能を忘れかけていた。
早速、エンジンがかかった和栞の口から出てきた言葉に足元をとられそうになる。
彼女は屈託のない笑顔でこちらに問いかけてきた。
「ところであなたにとって今日はお出かけですか? それともデートですか?」と――
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