第四十話「初デート?一瞬の闇」
週末の土曜日。時刻は八時半頃。
彼女曰くデートとしてよいとお言葉をいただいたので、今日はなんとなく身なりを整えて待ち合わせ場所へ向かった。
和栞との会話の中で「隣で並んで、ご一緒頂く方には迷惑をかけられない」といった言葉に納得することができた伊織は、美少女と並んで歩くに恥ずかしくないよう整えておく必要があるなと思ったからだ。
司からは「男は清潔感を大事に」と前々から聞かされていたので、普段の自堕落が表に出ないように隠すことで精一杯ながらも、最後の悪あがきくらいにはなったつもりでいる。恐らくあの美少女とともに歩いても、周りの人間がこちらに視線を向ける前に、彼女が注目を集めてしまうことは容易に想像がつくのだが、彼女に恥ずかしい思いをさせるわけにはいかなかった。
(早く着き過ぎたな……)
日照りは、既に春を感じさせないギラギラと音が聞こえてきそうなまでに強いものだったので、屋根のあるベンチは額に滲み始めそうな汗を落ち着けるにはありがたい存在だった。
今日買い物に出かける場所は司とも良く足を運ぶショッピングモールで、足で歩いて向かうにはこの町からは少々距離があった。
九州の玄関口であるこの町は到着間隔に不満の無いダイヤが用意された路線バスが地域に根付いている。和栞の家から近いバス停で待ち合わせということになり、集合時間には早い時間に伊織は待ち合わせの停留所に到着した。
このバス停は始発駅の一つ隣、住宅街に走る一本道に現れるので、このような早朝の時間からは他の客と一緒になることも少ない。
和栞との待ち合わせは九時丁度。
ただ一人ベンチに腰掛けながら、穏やかでのどかな朝の雰囲気に身を預けていた。
そよ風に吹かれながら、伊織は早く到着してしまったことをいいことに、視線を一点に落ち付け、ぼんやりと前を向いていると、遠くに足音が聞こえてきた。
コツコツと甲高い音を重ねながらこちらに近づいてくる。
足音の正体を確認できるだろう距離で、足音が速まるのに気が付いた次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
柔らかな感触が優しく目を包むと、聞き慣れた声が耳元に届いてきた。
「おはようございますっ」
少し弾んだような声色で、朝の挨拶を寄こしてきたが表情まで伺うことはできない。
すぐに待ち合わせ相手の手が自分の視界を後ろから、真っ暗にしたものだと気が付いたのだが、こちらにしかけてくる行動が想定と違っていて、内心驚いた。
どうやら、彼女は朝の挨拶を始めたいらしい。
「お嬢さんや、そういう時は可愛く、『だ~れだ?』って聞いてくるのが相場じゃないのかい?」
「では、やり直しますっ。このまま、伊織君は前を向いていてくださいね? 絶対こちらを見ちゃいけませんよ?」
「仰せのままに……」
自己紹介もないまま、こちらの意見通りに可愛くやり直すつもりでいるらしい小さな手がふわっと目元から退いていく。
一瞬塞がれていただけなのに、やけに目の前が眩しい。
こちらが光に慣れる前に再度、優しく視界を暗くする手が現れた。
「だ~れだ?」
「月待さんちの、和栞さん」
「ご名答ですっ」
目を覆っていた手が両肩へ引いていく。
肩に伝わる重みはおそらく彼女が体重を掛けているからだろうか。
伊織が上向く。
頭上でやけに嬉しそうにこちらを覗き込んでいる彼女の顔が映った。
ふわりと流れた黒髪で包まれてしまいそうなくらいに彼女との距離は近い。
和栞の顎下から眺めていた視線が咄嗟に途端に泳ぎだす。
(直視は危険だ……)
朝一番からこちらの気も知らないで無邪気な様子の和栞に危うく当てられそうになるが、我に返った伊織は第一声を探した。
「やけにはしゃいでいるご様子のお嬢さんはどちらへお出かけですか?」
「大切な友人と母の日の準備のためにお出かけです。お兄さんは?」
「自分もそんなところです」
「あらあら、奇遇ですね」
そろそろ役になり切るのに限界を迎えてきた。
「おはよう」
「おはようございますっ」
晴れやかな挨拶。和栞は爽やかな会釈をした。
更に自分と彼女の顔との距離が近づく。何やら甘い香りが漂ってきたので、どうにかなってしまいそうだった。
(このままでは非常にまずい……)
手を伸ばせは彼女に触れられるくらいだったが、そんな勇気もなければ、いざそのような事態に陥ってしまうと、自分でもその先、自分自身を制御できるかどうか怪しい。
彼女が何気なく、スキンシップの代わりで目元を隠してきたことをいいことに、こちらが理性を違えるような行動に出て、彼女に嫌われるようなことがない様にしたかった。
それにしても一方的にされるがままなのがどうも納得がいかない。
彼女の人ったらしな性格はいつも存分に発揮されるものだから、美少女風体の容姿と相まって、最近では破壊力に耐え切れなくなりそうだった。
(人間たらしの化け物め……)
年頃の男子高校生には厳しい戦いが強いられているので、この状況から逃げ出すように伊織は立ち上がって和栞の方を振り返った。
(わぁお……)
今まで彼女が頭上で話していたものだからその全身を伺い知ることはできなかった。
ここまで、防戦一方だった伊織にとって、目に飛び込んできた美少女の本日のファッションは、舞い上がりを助長してしまうほどには完成されたものだった。
肩口の空いたトップスは、和栞の色白の肌を上品に際立たせており、全体的に柔らかい印象を与えるスカートとの調和のとれた出で立ち。
「伊織君、どうでしょうか?」
こちらの視線に気が付いたのか、彼女は少しの不安を滲ませながら、こちらに両手を軽く広げて全体を見せてくる。
以前、彼女からどのような恰好が良いかと尋ねられた際には、咄嗟に出てきた「清楚系」というオーダーだったのだが、こちらの想定を超える彼女の着こなしに、正直に感服してしまう。
自分磨きにも抜かりの無い和栞であるからして、今日のデートまがいの待ち合わせには、伊織の心にも、過去一番の目の保養として期待を持っていた。
現実の彼女はいつでもこちらの浅はかな心の準備の上を来る。
「似合ってるね」
褒めの言葉がありきたりなものしか出てこない自分に嫌気がさしそうなくらいだった。
「伊織君の好みで居られていますか?」
彼女の目を真っすぐに見ると、なおも不安がぬぐい切れない様子でこちらを見るので、真剣に言葉を探してみることにする。
「そうだな。似合うとは思ってたけど、落ち着きがあっていいと思う」
伊織の言葉を聞くなり、先ほどの不安げな表情は、ぱっと変わって笑みを見せる。
彼女が妙に愛おしく感じてしまった。
彼女なりに考えた上での今日のコーディネートは、共だって歩く自分に高評価を得ることができたからであろうか、非常に満足げな様子だった。
「伊織君からそういってもらえるのであれば、頑張った甲斐がありましたっ」
なおも、胸をなでおろした彼女が、今度はこちらにピースサインを向けている。
清楚系の注文の割には、いつもの明るいポジティブな和栞が戻ってきたので、伊織にとって外見の印象から来る上品な雰囲気は、活発的な明るい笑顔に上書きされ、逐次処理するには情報過多だった。
「伊織君も、今日はおめかしさんですね?」
いつもより身長が高く感じる彼女が、悪戯にこちらを眺めている。
足元のヒールが高めなのだろう。普段は身長差があって、見下ろす形になってしまいがちな彼女との視線の高さが、今日は直ぐ近くにあるような気がして余計に意識してしまう。
伊織はその気恥ずかしさを悟られないように、落ち着いて言葉を返す。
「迷惑を掛けなくていい様にと思っただけだよ」
「迷惑だなんて、そんな」
胸の前でフリフリと両手を振り何やらこちらの言葉を否定してきたので、彼女の目にもこちらの身だしなみが平均点を取れているようで、安心した。
「正直、こうもマネキン出来る人が相手だと、緊張してくる」
「ただ、街を歩くだけでしょう? いつもの和栞ちゃんだと思って気軽に接してくださいね?」
「了解した」
輝きを増している彼女の目を直視できずに、快晴の青空の方を向いてしまう。
和栞はその伊織の様子を見るなり「ふふっ」と小さく笑いを漏らした。
長い一日。デート開始です!作者も乗りに乗って二人を見守ります!
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次回更新は8/26 8:00を予定しています。よろしくお願いします!




