第三十八話「和栞さんに自分が与えられるもの」
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彼女の出したクイズの答えはわからずじまいだったのだが、今日の集合は本人たっての希望であり、おふざけを続けるわけにもいかない。
二人は来たる中間考査に向けて、勉学に勤しまなければならない身なので、ここは気持ちを入れなおしてテスト対策に取り掛かることにした。
連休前と違い、手元には今回のテスト範囲が書かれたプリントがある。
教科書のページ数やら、参考書のページ数やらの指定があり、その案内書類に目を通すだけで今回の出題範囲が一目瞭然。迷うことは無い。
ここまで丁寧に指定されているだけあって、思い当たる作戦があった。
「月待さんはこのプリントを見てどう思う?」
筆記用具の準備をしていた和栞は、手を止め、伊織が指さす先に視線を落とす。
「そうですね。中学校の時に比べて詳細に試験範囲が規定されています」
「そのほかは?」
「ご丁寧に、ページ数まで書かれていることが気になりますね」
「そうなんだよなぁ……」
伊織たちは高校に進学して初めての定期テストに挑む。
もちろん、今回のような出題範囲の書かれているプリントを受け取ることも初めてだ。
「中学校の時と比べて、単元で範囲を指定しているようなものではないよな。なんというか、ページ数まで指定されていると、出題の最後の方が予想しやすい」
「と、言いますと?」
和栞は不思議そうに伊織を見つめる。
「例えば、この数学。実際に参考書のページをめくってみよう」
二人はプリントに掛かれた、テスト範囲の最後のページに向かって参考所をぺらぺらとめくり始めた。
「中途半端なところで終わっていますね?」
どうやら勘は正しいようだった。
「そうだよね。しかも割と最近習った範囲だし。ということは、最終ページは絶対に試験に出ることにならない?」
「確かに言われてみればそうですね。もっと大まかに指定して出題すればいいはずなのに、この問題まで出しますと言われているような気がします」
「だよなぁ……」
文系科目には指定ページで単元がキリ良く終わる教科もあるが、理系科目は授業が進むほど、細やかな知識の違いが生まれてしまう。それを逆手に取ると、問題単位で使用する公式まで見えてくる。
「テストは要領だと思っていましたが、出題者の意図を読むってことですね?」
「そう。各教科の癖もまだつかみ切れてないから、十分戦える作戦になりうると思う」
授業中に「ここ、テストに出るぞー」と言いたがりの教師なら苦労はしないのだが、割とドライに淡々と授業を進める教師もいるので、一筋縄ではいかない。
「伊織君って、ずる賢いですね」
なぜか遠い目で彼女はこちらを見てくる。
「ズルは余計。あくまでも一つの攻め方を示しただけだよ」
「私はすべての内容を満遍なく学習することが大切だと思いますが……。賛成できる内容ではありますね。意識して勉強を進めることにします」
彼女であればそのような悪知恵を使うまでもなく、テストに挑めそうなのだが、賛同を得られたのは正直な話、心強かった。
二人は黙々と手を動かした。
◇◆◇◆
集中して各々の勉強を進め、数時間。
伊織は答案を作成しながら時折、コーヒーを飲む和栞の顔が渋いものになるのを、視界に入れた。
目の保養を交えながらだったので、本当に集中できていたかと追及されると怪しいが。
「お疲れのようですね?」
彼女が話しかけてきた。
「ん? ああ……」
時刻は午後七時前――
辺りは徐々に暗くなってきた。窓から入ってくる光量は心もとないものになってきている。
和栞が部屋の照明を点ける。
「ありがとう」
「いえいえ」
「伊織君のおうちは、門限とかありますか?」
「長居し過ぎた? ごめん」
「いえいえ、そうではありません。今日はこちらがお願いしたことです」
「それならいいけど……」
「倒れるまでご一緒すると、昨日言いましたよね? 今はこちらから、伊織君の立場を心配しているのですよ?」
疲れて頭が回っていない伊織に和栞の言葉が染み入ってくる。
彼女が不意に飛ばしてくる言葉は、全て本当に素直な気持ちで言っているものと思えるから恐ろしいものだった。
「うちは夕飯までにって感じ。特に時間を指定されている訳じゃないし、遅くなる時は連絡を入れるようにしてるけど……。しいて言うなら、補導されない時間であれば問題ないかな」
「男の子ですね。羨ましいです。私はすぐ帰って来なさいって親が口を酸っぱく言ってきてました」
彼女は頬をぷくっと膨らませて、不貞腐れた表情を浮かべている。妙に愛らしい。美人の表情は何をやっても崩れないみたいだ。
「こんな美少女が深夜までフラフラしていたら危ないと思うし、ご両親の教育の賜物だね」
「うちの両親は過保護なのですよ」
風船のように膨らんでいた彼女はもう一度、頬に空気を入れなおすとはち切れんばかりだった。
この子の親なら誰でも間違いなく過保護にでもなるだろう。
放っておいては悪い虫が寄ってたかるか、この華奢な身体が一瞬に連れ去られてしまいそうな不運な境遇を持ち合わせている。
美人とは利益とは表裏一体で、不利益をも被る可能性を秘めている、尊い存在らしい。
願わくば、和栞が健やかたれと思う伊織だが、美女の生まれながらの境遇の前に、周りの人間が抱く心労を本人へ教えておく必要があった。
「そうか? じゃあ月待さんの妹さんが夜遅くに帰ってきたらどう思う?」
「心配です! 危ないです!」
割れた風船は、普段柔らかな目をしているのに、今は目を見開いて必死でこちらに妹の身を案じていることを伝えた。
咄嗟に頭に思い浮かんだ言葉が口から出てきたのだろうと思った。
「そうですね? 危ないですよね?」
「妹が危険な目に遭うことを想像してしまって、気が気じゃありません!」
いつにない剣幕でこちらを捲し立ててきたので、自分が言わんとしていることも伝わったのだろうかなと笑えた。
「はい、異論は認めないので、論破です。対戦ありがとうございました」
「言い負かされてしまいました……」
珍しくこれ以上、彼女はこちらに反論することもなかった。
決して彼女は感情を表に出さないという訳ではないが、学校では穏やかな表情を周囲に向けていることの方が多い。でも、こうして二人でいるときには、特に素直な感情を自分に向けてくれるので、居心地が良かった。
彼女と最初に出会ったときは当人の容姿が邪魔をして、どこか話しかけづらいような印象を抱いてしまったが、単にそれは自分の人見知りな性格に災いしてしまったのだろう。
気さくな司と話しているときもそうだが、自分はいくらか、人と会話をすることを楽しんでいる人間なのだと、彼女と接するうちに感じるようになってきた。
会話をしていると彼女に尊敬できる部分も多く、少し抜けたお茶目な様子も会話に彩があってコロコロと変わる表情が見られるのも楽しい。今は完全に言いくるめられてしまい、力なく萎んでしまった風船のような彼女も愛らしかった。
おそらく今のやり取りが何か思うところがあるのか、今の彼女は押し黙っている。
一人で考え事をしているように見えたので、こちらは黙って微笑ましくその顔を眺めておくことにした。
一呼吸おいてから伊織は和栞に問いかける。
「一人暮らしには慣れてきた?」
一瞬、反応に出遅れた和栞は声のする方へ視線を向けた。
「はい。以前、伊織君が言っていたように、この町も何をするにしても困ることはありません。今のところは毎日楽しいですよ?」
こちらへ向く彼女の表情を見ている限り、不安の色は読み取れない。
きっと、彼女にも穏やかな日常として、この町の生活が落ち着いてきたのだろう。
努力家である彼女が何か悩み事を抱えていないか少しばかり心配を寄せていたのだが、先ほどまでの口角を下げ、苦虫を嚙みつぶしたような顔から一転して、晴れやかな表情をこちらに向けながら伝えてくれた。
「安心したよ。抱え込みそうな性格してるから」
「そんなことないですよ。私はダメになってしまう前に誰かに頼りますから御心配なさらずです」
伊織は和栞の顔を見ながら、穏やかに頷きで返す。
「不安がないのも、この町を一番最初に案内してくれた大先輩がサポートしてくれたおかげですね!」
ニヤッとした表情をこちらに向けてくるので、自分のことを言っているのがわかる。
「もう少し敬ってくれてもいいぞ?」
「敬意は忘れないように心がけられたらなと思っています。いつもありがとうございます」
落ち着き払った和栞は黒髪を揺らして軽い会釈をしている。
「無理やり言わせたみたいで申し訳なさが湧いてきた」
「私の口からお世辞を出させる方が難しいと思いますよ?」
頭を上げた和栞は涼しい顔で発する。
「嘘をつかない主義だったね?」
「よく、誰も傷つけない嘘ならついてもいい……という話は聞きますが、相手に対して不誠実だと感じてしまってどうも好きになれません」
時には優しい嘘も必要だと思うのだが、彼女はそれですらも嫌っているらしい。
これからの行動は改めなければと思う伊織であった――和栞に誤解を与えないように。
「こんな少女に褒められたら誰でも嬉しいと思うし、深く考えなくてもいいんじゃない?」
「そういう伊織君も、私から褒められることは嬉しいですか?」
「嫌なものじゃない」
「では、たくさん伊織君のことを褒められるように、これからも良いところをたくさん探します」
なんとも彼女らしいお言葉だが、少々むず痒さを感じてきてしまっている。
「申し訳ありませんでした。勘弁してください」
「勘弁してあげません。伊織君のことを伸ばしたいのでたくさん褒めます」
神様がいるならここで懺悔しておきたい――
これで彼女からお褒めの言葉を毎日浴びせられてしまうのであれば、すくすくと天まで伸びていってしまう。
「竹かヒマワリか何かか? 俺は……」
「伊織君は例えが可愛いですよね。嫌いじゃないですよ」
「おだてても何も出てこないよ?」
「いえ、もう貰ってますから」
優しい微笑みの裏が伊織にはわからなかった。
「好きにしてくれ」
言い合いになると確実にこちらが丸め込まれてしまう。
言葉の応酬をここら辺にして伊織は席を立って、もう薄明り程度の外の景色を見ながら背伸びした。
街を走る車には明かりが灯り始めている――
勉強の合間の会話にしては弾んでしまったので、彼女の本来の目的とは逸れるのを申し訳なく思ってしまった。
尚更、彼女から勉強監視の役目を仰せつかっているからして、責務に反しているようなこのひと時は、先ほど彼女に言われた「与えられているものがある」と言う言葉の意味に即した状況に到底、思えなかったのだ。
(何を彼女に与えているというのだろうか? 記憶にない……)
今はそんなことをぼんやりと考えながら、勉強監視の役得を胸に、ここはひとつ彼女に聞いてみたい事があった――
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