第三十話「信用の二文字。二つ目の契り」(第一章完結)
二人のエピソードの中でも、和栞さんらしさが出てて、作者は非常に好きな回です。
「まさか家にまでお邪魔するとは思ってなかったよ」
「仲良くしてくださいって言ったはずですよ?」
「それはそうだけど……」
「ちゃんと言葉にしてくださらなければ、伝わってきません」
彼女が外から入ってくる陽気を纏い、優雅に紅茶を口にしながら言うものだから、それだけで絵になっていたのだが、いきなり夫婦さながらな言葉を掛けてきたので、内心ドキッとした伊織である。
「こういうシチュエーションは女性側としては色々危ないでしょ?」
「はい?」
首を傾げてくる和栞は少しばかり理解が足りていないようなので伊織は呆れ交じりで続ける。
「男を簡単に部屋に入れてしまう乙女がいることを勝手に心配したんだよ」
「心配ですか?」
「そう。この年頃の男なんて普通、邪な気持ちしか持ち合わせていないことをしっかりと理解するべき。いつか襲われて危ない目に合うのは自分なんだし。いくら仲良くしたいとは思っていても危険に遭ってからじゃ遅いでしょ?」
「伊織君も例に漏れず、そんな男の子ですか?」
彼女はこちらを見て好奇の目で見てくる。
「ちょっと違うな。そんな度胸はない」
「では、良いじゃないですか」
視線を手元に戻した和栞は紅茶の香りを楽しむように鼻の前でカップを揺すっていた。
「そうじゃなくて。誰これかまわず男を招くと今後、その身が危ないぞ?」
それもそうだ。普通なら好意的に思われていると勘違いして舞い上がった男は、こんな幼気な少女など簡単にちょっかいが出せる。
「私はちゃんと選んで、伊織君を招待しましたよ」
手元の橙色から視線をそらさない彼女がこちらにさらりと言葉を投げる。
「はい?」
言っている意味が理解できていない伊織だった。
「伊織君は真摯な方だと信用してお招きしたのですよ? 話していれば十分伝わってきます」
和栞なら誰にでもやりかねない行動だと割り切っていた伊織だった。
確かに今、彼女の口から”信用”の二文字が出たことには驚いた。
「それはありがたい話だけど……もう少し用心するべきだ」
「忠告、ありがたく受け取っておきますよ」
ふふっと笑う和栞に対して伊織は「この子は本当にわかってくれたのか?」と呆れが混じる伊織だった。
「少しでも伊織君の心を晴らすために、私と一つ約束しませんか?」
「約束って?」
「伊織君が私の事を襲ったりしないという意思表示の約束です!」
閃き顔が妙に眩しい。日当たり良すぎやしないかと思ったが、多分違う。
「元から襲いはしないんだが、それでどう俺の心が軽くなるの?」
「私の身を心配をしてくれるあたり、伊織君にも思うところがありますよね? 自分の心配は本当に私に届いているのかって」
「ああ」
「私は先ほどのありがたいご忠告でそれ十分理解をしたつもりです。そして、今この瞬間から、私は男の子をお部屋に招き入れるということは危ないことだと認識します!」
「伝わってくれるならそれでいいのだが……」
「すると、どうでしょう? 伊織君には少し、もやもやが生まれるはずです」
「モヤモヤですか」
「ええ、もやもやです。私には目の前の男性に注意を払うべきだと伝えてしまったので、不本意ながら伊織君は私から警戒をされてしまいます。伊織君は邪な気持ちを持ち合わせているわけではないのに……です」
間髪入れず、諭すように伊織に問いかける和栞。
「確かに心外だな」
「でも、この約束は、私に危害を加えるつもりはないと伊織君が私に意思表示することになるので、伊織君がここにいると感じてしまう私や自分への罪悪感をなくすのに効果がありませんか?」
「つまり、安心してくれと言いたいのね?」
「そんなところです」
「その約束を破ったらどうなる?」
「拳万と針を千本ゆっくり、ゆーっくり飲ませます。約束なのでっ」
「ゆっくり?」
「ええ、顎を掴んで、優しくあーんして一本一本、丁寧にです」
「本当にやってきそうな顔してるな」
「私は約束は破りませんので、効力は絶大です!」
彼女はそう笑顔で言ってくるなり、左手の小指を立ててこちらに向けてくる。
前にもこんなことがあったのだが、どうやら彼女の自分ルールや決まりごとは、相手と指切りで約束を取り付けるらしい。
「俺としても、身の潔白を証明できるのであれば、従いましょう」
伊織も郷に入っては郷に従えで、和栞の作法に続けて左手の薬指を立てて見せた。
「ちゃんと結んでくれるまで、この契約は成立しませんよ?」
ラグの上でぺたんと座っている和栞は、どうやらその場から動く気がないらしく、二人で小指を立て合うといった奇妙な光景である。
おもむろに伊織が全身に力を入れ、和栞の方に向きなおすと指を迎えに行き、小さな約束を取り付けた。
和栞は満足げな笑みでこちらに向けて、小指を折り返すと、軽く手を揺すって、こちらもその揺れに身を任せている。
「ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます!ゆびきった!」
強烈な契約を楽しそうに結ぶ和栞の顔を伊織は眺めた。
「はい、これで契約成立ですので、伊織君はこの部屋で今日は遠慮なくゆっくりしていただいて結構ですよ」
そう言ってこちらを見る和栞の顔は非常に晴れやかなものだった。
「なんというか、月待さんはおこちゃまっぽいところあるよね」
「私は今、馬鹿にされているのでしょうか?」
「約束事を指切りでって」
「いいじゃないですか、何か不満なことでもありますか?」
そういうなり、彼女は結んだ小指に力を入れて、ちょっかいを掛けてくる。
彼女の小指はあまりに小さくて繊細で、こちらが力を入れると折ってしまいそうなまでの非力なものだったので、仕返しする気にもなれず、されるがままの伊織だった。
「いえいえ、何でもないです」
「約束は神様と親と小指に誓うのが一番効果的なのですよ」
「へいへい」
なおもゆらゆらと揺さぶってくる和栞は誇らしげにこちらに笑顔を向けていた。
◇◆◇◆
「ちゃんと勉強道具は持参いただけましたか?」
「それがなけりゃ始まらないだろう?」
「そうですね。一息ついたら始めましょうか、勉強会」
「ああ、そうしようか」
「あそこで構いませんか?」
和栞は対面の食事テーブルを指さして問いかけてきたので、頷きで返した。
「部屋から教材を持ってきますので、お先にどうぞ。絶対に中を覗いちゃだめですよ?」
「自分の羽毛で編み物など……」
「勝手に鶴に恩を売らないでください」
「誰も鶴だなんて言ってないけど」
「じゃあなんだというのですか? 完全に昔話にされるところでしたよね?」
「いや……。天使?」
とっさに出た苦し紛れの言い訳であったが、ぽかんとした表情を和栞が向けるなり、ふんふんとご納得いただけたのか、上機嫌になる。
「合格にしてあげますけど、掃除してないので覗いちゃだめですからね」
「心配しなくても、乙女の秘密の花園に踏み入れる勇気はないよ」
「ふふっ」
和栞は伊織に窘めの一声かけて、自室へと入っていった。
おそらく、寝室も兼ねた和栞の部屋は、チラリと扉が開くときに見えたのだが、目線を逸らしてしまうほど、これぞ「女の子の部屋」のようだ。華やかさがリビングとは違い、可愛らしい雰囲気が漏れ出ていて、直視するには危険だった。
筆記用具とともに数冊の教科書やノートを抱えて戻ってきた和栞は、先にテーブルにいる伊織の目の前の椅子に腰かけた。
距離は公園の長椅子に座っているときより遠いものだったが、対面で和栞とともに座っている今の光景を非常に新鮮に感じる伊織である。
真正面で対峙するにはこちらが少し恥ずかしさを覚えてしまうような整った容姿で、眼福以外の何物でもない。柔らかそうな頬にもハリがあり、ツヤもある。おそらく化粧などしていないのであろうが、彼女の持つ素材の良さがこちらにまで否応なしに伝わってくる。
「伊織君は今日は何のお勉強ですか?」
「そうだな、数学かな。参考書の問題を解いてみる」
「なるほど、それなら最初は私も数学にしようと思います」
「別に合わせなくても、やりたいことやればいいじゃないか」
「いえ、無理にってわけじゃなくて。一緒に勉強するのだから雰囲気を大切にしたいじゃないですか、一体感というか」
「共に強大な敵に立ち向かっていく冒険者的な?」
「そうですね。わからないところがあったら助けてください」
「よかろう」
伊織と和栞は静かに勉強会を始めた――
お読みいただきありがとうございました!
第一章完結話です。次話より新章スタートします!
お家に招かれるようになってしまった伊織くん。まだ斜に構えてしまっています……これから和栞さんはエンジン全開になるので、そんな態度取ってられないけどねっ!!
これを機に作品評価で応援していただけると嬉しいです。(*‘ω‘ *)




