第二十四話「もぐもぐ、ごっくん」
このエピソードとやり取り、二人らしくてめちゃ好きです。お楽しみください。
ピクニックの夜。
伊織は母親に「お昼はどうしたの?」と聞かれたが、友達と外で食べたとの曖昧な答えでお茶を濁し、自室に籠る。
母――南波由香にありのまま今日起きたピクニックの顛末を話してしまうと、あれこれ勘違いを招き、暴走した母に気おされるに違いない。
伊織の色恋に興味津々な由香は、高校に入ってからは「気になる子はいないの~?」と事情を詮索したがるので、その度に「残念だったな」と軽くあしらうことが南波家の家族の会話として定着しつつあった。
仮にこちらから異性との交流を失言してしまうような事があれば、由香が騒ぎ立て、弁明にも聞く耳を持たれず、終いにはいちいち進捗に首を突っ込まれるような、面倒で穏やかではない日々が始まりそうなことくらい想像に容易い。
友人と外で食べたという言葉も嘘はついていないし事実だから返答としては問題ない。
伊織は、和栞からの一食は降って湧いた幸運に近いので、由香が目の中心となる余計な嵐に巻き込まれなくていい様に、危険牌として川に切るのは取っておく。ただそれだけの考えであった。
部屋に戻るなり、功労者ご本人には感謝の言葉を伝えておくことにした。
「今日はありがとう。おいしかった」
和栞に向けてメッセージを送信する。
アプリケーションを閉じて携帯をホーム画面に戻した次の瞬間には、彼女からの返信がきた。
「お粗末様でした。ご満足いただけたなら何よりですよ」
親指をこちらに立てた猫のスタンプが後に続く。
彼女はこの猫のキャラクターのスタンプを多用するようだ。この前のやり取りからもわかる。
「後片付けとか大変じゃなかった? 任せきりで申し訳ない」
「いえ、片づけは弁当箱を洗った程度です。もう終わりましたので、お気になさらずですよ!」
「そうなのか。ありがとう」
「お料理上手はお片づけ上手らしいですよ?」
「ほう」
「料理しながら同時に後片付けするのが面倒に感じないコツなんです」
どうやら彼女は手際よく料理ができるらしい。
伊織もたまに料理はするが、使ったフライパンや皿などの後片付けは、流し台にそっと隠しておく。
母、由香から「水くらいは浸けといてよ」との教育には素直に従っているが、食した後でそれを片づける気が全く起こらない。手際や手順の工夫が必要なのかと少し反省した。
「後片付けは良かったのですが……」
「ん?」
「残ったミニトマトの処理に困っています」
しょぼんとした猫がこちらを見ている。
「トマト?」
「私、トマト苦手なんですよね」
「え、サンドイッチにも入ってたじゃん。おいしかったよ?」
「伊織君は気付いていないかもしれませんが、トマトには手をつけてませんよ、私」
「全然気が付かなかった。なんかごめん 笑」
全くの初耳だった。まさか、欲望のままに食らっている間は気が付かなかったが、和栞はトマトが食べられないらしい。
「おいしそうに食べてらっしゃいましたし、眺めていて嬉しかったですよ。残されても私は食べられませんので、丸ごとすべて食べてもらえて良かったです」
メッセージにしては長文で返ってきた。
それほどまでに夢中で食べていたことを思い出して、気恥ずかしい思いが湧いてくる。
その字並びを見るなり、なんとなく、話した方が早いかと、彼女に通話を入れてみることにした。
文面でやり取りができるくらい彼女も暇なことが伺えるので、休日と言うこともあり、迷惑は掛からないだろう。
和栞とのメッセージ画面のアイコンに触れ、音声通話を開始する。
「はい、月待です」
携帯から和栞の声がする。
「こんばんは」
「こんばんは。いきなりのお電話でしたね」
「暇してるかなと思って」
「初めてのお電話嬉しいです。今日は、伊織君とおはようから、こんにちは、こんばんはまで、ですね!」
少し、声色を華やかに和栞は挨拶をしてきた。
今日一日を通して、一番聞いた声はいつもより近くに聞こえる。
携帯に耳を付け、話を聞くと、顔は見えていないのに、その表情が鮮明に伝わってくるような感覚がした。
和栞の会話中の表情は話題に沿うようにコロコロと変わる。
きっと今も、電話口の向こうで笑ってくれているような、そんな穏やかな時間が流れているような気がした。
「トマトの何が苦手なの?」
「ぶちゅって中身が飛び出して、いきなり口の中が酸っぱくなるのが、どうも受け付けません。ぐにゅぐにゅっていう触感も苦手です」
完璧超人に見えた和栞にも、苦手はあるらしい。
それもなんともありきたりで、可愛らしい擬音を伴いながら白状するものだったから少し笑えて来る。
「そんな調子で、よく今日の弁当に入れようと思ったな」
自室から一階のリビングにいる家族には、きっとこの会話は聞こえてはいないのだろうが、内容を聞かれてはなるまいと、小声で和栞に喋りかけた。
それは単に、気の持ちようの話だった。
どこか二人だけで話していたくなるような——
「彩りが必要だと思ったので。それに、トマトはサンドイッチにも必要な具材でしょう?」
瑞々しい赤色を弁当箱に差すのであれば、自ら主役を張ることができるような適役はその野菜しかない。
「確かに、ピクニックって感じがしたよ」
「小さい頃に嫌いになって以来、進んで口を付けることもありませんでした。なので、一人暮らしを始めてからトマトを自分で買ったのは、今回が初めてでしたよ」
公園で談笑をしているときに彼女が語った「他人のことを思って行動する」という言葉に恥じない行為である。
自分が食べられないような苦手なものでも、和栞は伊織のためを思って弁当に忍ばせたことになる。
何気なく頂いてしまったトマト一つにとっても、彼女なりにこちらを思って用意してくれたものであると自分にも伝わってきた。
「ミートソースとかピザとかもダメなの?」
「いえ、火が入ったものは平気で食べられます。生のものが苦手なんです」
本人には、火が入っているか、入っていないかは食べる際の重要な判断要素なのだろう。
だが、「あまり変わらないのでは?」と思う話だった。
彼女は頭ごなしにトマトが嫌いと言っているわけでもないみたいだ。
「今残ってるのはミニトマトだけ?」
「ええ、そうです」
「いくつ残ってるの?」
「三粒です」
「おいしかったよ?」
「気が引けますね」
「甘かったよ?」
「はい……」
「農家のおじさんを信じて」
若干の沈黙を挟んで、和栞は押しに負けてしまった。
「うーん。そこまで言うならチャレンジしてみますけれども」
「それがいい」
電話口の向こうから音がする。
瓶が揺れるような音を伴って「バサッ」と言った音が聞こえる。
冷蔵庫の扉を開けた音――
続いて「バリバリ」と言ったような、軽く薄いプラスチック容器が擦れたり、潰れるような音が聞こえてくる。
「用意できました……」
「無理はするなよ」
意を決した和栞が報告を終えると、ふーっと深呼吸を一つ置く。
和栞は小さな赤い悪魔に戦いを挑んだ。
それから間もなく――
「んっーーーーーっっっ!」
喉から絞り出たような、助けを求めるような声がこちらに届いてくる。
「お味はいかがですか?」
和栞からの応答はない。
鼻から抜けるような笑いを堪えて、伊織は現場からの応答を待つ。
「んー? んん。」
段々と落ち着きが出てきた和栞は言葉なしに、音声だけを寄こす。
口に物を入れたまま喋るような彼女ではないのでこちらからも急かすことはない。
和栞が電話口に戻ってきた。飲み込んだらしい。
「酸っぱくないです。甘くて思ってたのと違いました」
「やったじゃん」
「あと二粒も食べられそうな気がしてきました!」
「克服じゃん」
拍子抜けしたような和栞の声色が、残る二粒を前に、誇らし気なものに変わっていった。
「普通のトマトもいけますかね?」
勇敢なのか無謀なのか。
早くも知った口を利いてくるが、品種改良と言う農家の努力の賜物に支えられたありったけの糖分が彼女の克服を後押ししただけで、そうは問屋が卸さない。
「それは調子に乗りすぎだな、ゆっくりでいいんじゃないか?」
「またの機会にしておいてあげます」
この子は、書店に足を運んだ時と言い、トマトと言い、仮想敵を作るのが好きなようだ。
伊織は何に追われているんだかと呆れ交じりに笑うのであった。
「伊織君からまた初めてを教えてもらいました」
「聞こえない。もう一回言って」
「ん? 伊織君からまた初めてを教えてもらいました?」
「なんかいいな」
「もうっ!」
「その意味が分かるので?」
「知りませんっ!!!!」
ブチっと電話が切られてしまった。
流石にやり過ぎを反省する伊織であった。
直ぐに和栞から「ぷんぷん」という猫のスタンプが送られてくる。
「揶揄い過ぎたのを謝っておきます。すみませんでした」
誠心誠意でしたためたメッセージを送るなり、ジト目の猫がこちらを向く。
「悪かったって」
和栞はジト目猫の連投を受ける。
「克服に免じて許してあげます。もぐもぐ。」
次に手を付けたらしい。
「えらい」
「こういうのは勢いです!」
「その様子だと大丈夫だな」
「近いうちに普通のトマトにも挑戦してみようと思います」
「強敵だぞ、気を付けろよ?」
「必ず帰って来てみせます。もぐもぐ。」
文面から察するに、さっきまでの機嫌を損ねた彼女は、もうそこにはいないようだった――
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