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第二話「帰路。和栞の後ろ姿」

 時に、同じクラスの美少女、月待和栞の発見を冬川司から聞いたその日の午後も半ば。午前とは打って変わって静かで穏やかな空気が教室を漂っていた。


 伊織の席からは、頭を上下にコクリコクリと動かしそれに負けてしまいそうな者がちらほらと見えている。


 今は授業という形態ではなく、ホームルームの延長上であり、壇上には担任の立花亜希が立っているのだから、教室内に安心感が漂うことは不思議なことではない。彼女の声色は早くも自クラスへの慈しみに溢れ、優しいものであり、その様子で問いかけを続けるから尚更、睡魔に飲まれる生徒にも伊織は理解が出来たのであった。


「この学校の先生たちは私の目から見ても優しくて、頼りになる先生ばかりです。今日は疲れた人も多いだろうけれど、少しずつでいいので高校生活に慣れていきましょうね」


 温かく柔らかい声を掛けながら亜希がほほ笑み、全体へ丁寧な言葉をかける。彼女が生徒たちからも人気があるのは、どこか上下の立場でなく、横並びで生徒目線の言葉に感じてしまうからなのだろうと伊織は思った。


 年下相手にも、平等に接しようとする亜希の姿勢は、自分のクラスの生徒の心を既にわしづかみにしたようだった。


 校庭側の窓は、そのいくつかが開いており、外から新鮮な空気が爽やかに流入してくる。より一層穏やかな時が流れていた。


 亜希の事務的な説明の後で、伊織は学校生活に必要な連絡書類やら、来週執り行われる健康診断の詳細が書かれたプリント、学年主任が作成したありがたいお言葉が並ぶ学年通信と書かれた読み物などの配布物を受けとり、それらに軽く目を通していた。


帰りの時間が近くなったころ、生徒会が作成し配布された部活動一覧表をクラス全体へ配るなり、亜希は生徒たちに持論を交えて、生徒一人一人と目を合わせるように話を始めた。


「この学校は私の母校にあたりますが、昔から文武両道で部活動も盛んな学校です。何か興味のある部活動に所属して過ごす事も、高校生活をより豊かにしてくれると思いますので、この機会に興味のある事に打ち込む三年間にするのもオススメですよ。上級生たちは後輩ができることを楽しみに準備しているので、部活動見学も積極的に参加してみてください。わからないことは遠慮せずに先輩たちに聞きましょうね」


 この学校は新学期二日目の放課後から各部活動への勧誘合戦が始まるようだ。


 皆、心に決めている部活動があるのか、まだ迷いがあるのか、先ほどまで前に真っすぐ、彼女を向いていた顔たちが、お互い顔を見合わせるなり、ざわざわと活気に変わっていく。


「私は茶道部の副顧問をしています。部活動の見学期間はお茶菓子を用意して待っていますので興味がある人は、文化部棟へ立ち寄ってくださいね」


 生徒たち、とりわけ男子生徒から嬉々ともどもの声が上がる。亜希の勧誘はそれなりの成功を収めているようだった。


 タイミングを図ったかのようにチャイムが鳴り響き、この日は下校の時間となった。




◇◆◇◆




「伊織はどうするんだ、部活動」


鞄を肩口で抱えた司が、部活動一覧を片手に、伊織の方に寄ってきた。


「今のところ特にやりたいこともないかな」


 帰りの身支度をしながら伊織は問いかけに答える。伊織にとって放課後に身体を動かすといった習慣がなく、内心考えあぐねていた。


「亜希ちゃんも言ってたけど、悪くないぞ、部活動。俺はとりあえず、気になるところを見学しに行こうと思ってる」


「陸上、続けるのか?」


 司の運動神経は悪い方ではなく、むしろ学校選抜の長距離リレー選手に選ばれるほどの体力を有している。


 本人曰く、何も考えずに走ることがストレス発散にはちょうど良いらしい。基礎体力は自他ともに定評があり、高校でもいい線で戦っていくのだろうと伊織は勝手に思っていた。


「陸上でもいいけど、どうせなら違うこともやってみたいし、弓道部が気になってるんだよな」


「これまた、大きな心変わりだな」


「姉貴の大会とか見に行ってたから、興味あるんだよな。また走りたくなったら、お前を置き去りにしてでも毎朝この激坂を全力ダッシュで登校してやる」


「流石に恥ずかしいから、声は掛けてくれるなよ」


 基礎体力に差があるとは言え、よくやるよなと思いながら、伊織は笑い飛ばした。


「なんというか、単純に惹かれるんだよな、弓道。とりあえず、顔だけ出しに行ってみようと思って」


「いいんじゃないか?お前は黙ってりゃ、それなりに見られるようになると思うけどな」


「さらっと酷いことを言ってくれるなあ」


 からっと笑って反論してくる司を伊織は、品定めするかのような眼差しで見つめていた。


「前に、ギャップが大切とかなんとか、言ってなかったか。集中力も鍛えられるって聞くし、俺も落ち着いたお前を見てみたいもんだよ。案外、あの人の心もそのうち射止められるかもしれないぞ」


 軽く冗談交じりに言ったつもりだったが、「その手があったか、相棒」と口にするなり深く考え込む姿の司を目の前に、不純な動機で勧めてしまったことを、弓道に関わる全ての人間に対して謝罪の念を抱きながら反省する伊織であった。


◆◇◆◇


 伊織はそそくさと教室を後にした。


 下駄箱で上履きに履き替え、昇降口を出ると、活気に満ちた勧誘が始まっている。それぞれ、どの部活動であるか認識しやすいようにユニフォームや道着に着替え、元気ハツラツと上級生たちがビラ配りに精を出していた。


 正門を出るまでに、無理やり押し付けられたに近いビラたちが腕の中で束となった。ビラを目前に差し出され続け、断るわけにもいかない上級生の圧力混じりの笑顔を向けられるのだから、伊織はここをやり過ごすためには流れに逆らわないことに決め、されるがままになっていたのであった。


 ようやく正門にたどり着き正門を出る。


激坂の麓までは時間にして約十分程度と言ったところ。その道を、往路とは対照的に重力に引っ張られるのに身を任せ歩いていると、遠く前の方で、優雅な黒の長髪が目に入った。


 今日のクラス中の話題を搔っ(さら)っていった、月待和栞(つきまち のどか)である。


 彼女もまた、伊織と同じように真っすぐに帰宅することを選んだようだった。


 大抵の生徒はまだ学校に残って思い思いの部活動を見学しているはずなので、今この瞬間に帰宅途中の生徒を見かけることの方が珍しい。まして、一日中視界に紛れこんできた綺麗な長髪を忘れるほど、時間も経っていないので、すぐにその持ち主が和栞であると認識できた。


 だが生憎、自分には用事の持ち合わせもなく女性に話しかけるようなコミュニケーション能力もなければ、お近づきになりたいといったような甲斐性も持ち合わせているわけではないので、伊織は走ってその少女に追いつくようなこともせず、無干渉を決め込んでいる。


 和栞は、鞄の持ち手を自身の背後、腰のあたりで、両手で軽く握り、桜を見上げながら穏やかに歩みを進めていた。


 頭の高い位置で漆黒の長髪を結ぶシュシュと同じ色をした木々を、時折前がおろそかになりそうなくらい見上げながら歩く姿は、まるで絵画を切り取ったかのような美しい印象を与えてくるのだから、クラス中が見惚れるのもよくわかる。


「ごちそうさまです」と感謝がよぎるくらいには、目の保養と化していたが、伊織にはこの光景に少しばかりの違和感があった。


 彼女は昨日の入学式の後、簡単な自己紹介の時に、聞きなれない名前の学校を出身と語っていた。周りの生徒たちの口からもその学校の名前を聞くことはなかったので、「この学校には知り合いもいないので、仲良くしてくれると嬉しいです」と続いた控えめな挨拶にしては、彼女が一躍、時の人となる前に、記憶に残るものがあった。


 その引っ掛かりこそが今の違和感を生み出すものの正体である。


この学校へは遠方出身の生徒は公共交通機関を乗り継ぐはずなので、知らない学校出身の彼女が徒歩で帰っている様子を見せている今の状況には違和感があった。


(バスで通学しているわけではないのか? まあ、いろいろあるか)


その背景を詮索するほどでも無かった伊織は、和栞を思考の中心から逸らした。


 激坂の(ふもと)に出ると、道は丁字路となっており、伊織が目的地としている方角へは、彼女の姿はなかった。


 何気なく振り返って他方の道を確認してみると、西日に照らされながら、ポニーテールをふわりと揺らしてゆっくりと歩く姿が見えた。その光景はあまりに穏やかで、早朝から蓄積されてきた身体や精神的な疲れは晴れやかな空へと消えていくような感じがした。



◆◇◆◇



 翌朝からの、学校で過ごす時間はそう長く感じはしなかった。


 新しい取り巻きの中で過ごす始まったばかりの新生活は、初週でありながら変化が立て続けに起こる。その流れに身を任せるほかなく、入学からの五日間は一瞬で過ぎ去っていった。


 慣れない激坂を上り登校。始まったばかりの授業に耳を傾けながらも、人並みに新しい出会いも増え、友人と呼べる気の合う仲間もできてきた。


 深い関わりこそないものの、クラスの女子たちとも言葉を交わす機会もあり、実に凡な高校生活が一旦の休息、週末を迎えた。

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