「休二話(本編後日譚):使い込まれたレシピ本」
本編のちょっと先。連載始まってまだ半月です。
面白いと思ってくだされば、一気読み間に合います!よろしくお願いいたします。
伊織は、マンションの一室で、腰掛けたソファの先の丈の低いテーブルに置かれている本に目をやる。本からは様々な色の付箋が飛び出しており、使用者が何度もページを開いているような使い込みを感じた。
「これ、見てもいい?」
「ん? どうぞ?」
持ち主に許可を取ったうえで、何気なく手に取って中を確認する。
メイン食材を大見出しに章ごとの記載があるようだ。
様々な種類の料理を手軽に短時間で作ることができるように、素材ごとに取り上げ、紹介されたページが並んでいる。ところどころに可愛らしい丸みのある文字のメモもつけられていた。
下ごしらえや味付けを、紹介されるパターンに従って変更するだけで、同じ材料を使用しているはずなのに全くの別物に作り替えることができるらしい。料理と言えば、自分は完成品の名前から出す性分なので、料理を作り慣れた人向きのレシピ本なのだろうと、うかがい知ることができた。
ぱらぱらとめくるなり、所々には紙のページが一度濡れてふやけては、乾いたような跡が散見される。それどころか、とある一ページは黒色のシミのようなものもつけられており、文字を読むことができない。何かが垂れたような跡だ。
キッチンから二人分のコーヒーを持ちこちらにやってきた和栞が、伊織が手に取る本に目をやる。
和栞はテーブルに丁寧にコップを置き、ふわっと甘い香りを漂わせながら横に腰掛けた。
「ありがとう」
「どういたしまして。濃いめです」
伊織が開いているページを見るなり、自分の粗相に恥ずかしそうに和栞は口を開いた。
「そのページ、味付けしているときにお醤油を落としてしまったのですよね」
苦い顔が恥ずかしそうに横で笑う。
「随分使い込んだんだな。この本も幸せもんだよ」
一体、この本の兄弟たちの何冊が同じようにボロボロになるまで配膳のお供にされ、読まれたのだろうか。目の前の一冊はその中でもさぞ、和栞に手にしてもらえて、幸せな個体であったに違いない。
「覚えてますか? 初めてのお出かけの日のこと」
「ああ、覚えてるよ。本屋に行った日ね」
「この本は、あの日に買ったものなのですよ。おかげさまで、得意なことの一つに料理と答えるようになってしまいました」
当時を思い出しているのだろうか、本に視線をやった和栞が意識を遠く、思いを馳せている。
横でコーヒーを冷ましながら、穏やかな笑みを浮かべている和栞を眺めた。
出会って間もない頃、引っ越してきて日が浅かった和栞を連れて、伊織はこの町の道案内をしたことがある。
その日、目的地とした書店で買い込んだ記憶のある本の中の一冊が、目の前にある使い古しのレシピ本であるらしい。
確か、和栞はもっとレパートリーを増やしたいとの旨で購入したはずで、その宣言通りに彼女の腕にも磨きがかかったようだ。
だが、伊織にとっては、本がなくとも元から不自由なく料理ができる彼女に感心した覚えが今も記憶に強くあった。
「元から料理は得意だったでしょ? 俺にとっちゃ初めて和栞さんが作ってくれた弁当を食べた時から、胃袋を鷲掴みにされてたんだけどねぇ」
「光栄なお話ですね。あの時は初めて家族以外にふるまったので緊張していたのですが、結果良好だったということですかね?」
いつにもなく丁寧な口調でこちらに話しかけてくるものだから、彼女と出会った高校一年生の春を想起する。和栞と歩んだ時間は照れがすぐに出てしまうような短いものではないのに、昔を思い出して笑顔を直視することができなかった。
「男の人に弁当を作るなんて好みもわかりませんし、準備に色々手間取りましたよ?」
「例えば?」
「そもそも何がお好きかだなんて想像の範疇ですし。お聞きしたら、カレーが好きだとおっしゃるものですから、頭を抱えました」
「ごめんって」
「いえいえ、謝らなくてもいいのです。ウインナー一つにしても、それまで焼いて、弁当に詰めるくらいのことしかしませんでしたので、初めてのタコさんウインナーです」
「初めてをいただき過ぎたな」
「一番苦労したのですから」
薄らと笑みを浮かべ和栞は続ける。
「最初なんて切りすぎて足が十本、イカさんウインナーになるところでした」
「綺麗で可愛いタコばっかりだったよ?」
「伊織君には提供しなかったのですよ。幻のイカさんウインナーはその日の私の晩御飯でした」
ふふっと笑う和栞を妙にいとおしく感じる伊織であった。
当時を思い出しても、まだお互いのことを何も知らなかったとはいえ、あのころから変わらず人懐っこい和栞を傍らに置いている自分にまだ慣れない日々が続いていた。
けれども、彼女の方からも同じ気持ちを一心に受けるようになった今では、これが二人にとっての日常と落ち着きつつある。
紆余曲折ありながらも、お互いの距離を少しずつ縮めていった二人であった。
「また今度、弁当作ってほしい」
「あらあら、甘えんぼさんだことで。やっと言ってくれましたね?」
「特権は行使したい。外で食べる和栞さんの飯は格別にうまいんだなぁ、これが」
「腕によりをかけて準備しますよ! 楽しみにしておいてください!」
包容力のある視線でこちらを見つめてくる和栞に安心と居心地の良さを覚えた。
「何か要望はありますか?」
「だし巻き卵とウインナー、お願いします」
「伊織君の好きな唐揚げは仲間外れですか?」
伊織に何か足りてないものがありますよねと柔らかな視線を向ける和栞がいたずらに問いかける。
「だって油物は、和栞さんが準備するのも片づけるのも大変でしょ」
今だからわかる。油物料理は片づけが大変でおいそれとお願いできる代物ではないことに。
「遠慮しなくていいのですよ?」
どうやらしっかり準備してくれることに、伊織は感謝を表して顔の前で手を合わせて「よろしくお願いします」と和栞を拝むと「はい、喜んで」と返事をしてくれた。
頭が上がらない伊織であった。
「全く、どうしたって神様はこんな不釣り合いな少女を俺に寄こしたのか、わからなくなるよ」
神様のくだりに深い意味は無かった。感謝の言葉を濁して伝えたかったから発したまで。
「神様じゃなく私たちが決めたことですよ?」
「嬉しいこと言ってくれるな、全く」
和栞が真剣な顔で答えた後、顔を伏せ自身の言葉を恥ずかしがっては顔を赤くするのを目前に、まだ熱いコーヒーをちびちびと啜る伊織であった。
かく言う、この二度目の春は、彼らにとってはまだ先の話である——
二人の二回目の春はまだ先?? ふむふむ。
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