第一話「一途な悪友と、見つかった美少女」
本州と九州を結ぶ、九州側の玄関口。
南波伊織はこの町に生まれ育った。
この国の都心部分と比べると、この町は落ち着いた繁栄を見せており、高層ビルのような背の高い建物はなく、時間に追われているような人々の往来もない。町自体の規模は小さいながらも、高校生が一般的に持つあらかたの目的を叶えるためには十分だ。
(朝からこの坂……キツ過ぎ)
登校二日目。早くも、自分の通学路に対して不満を抱えながら、なるべく無心で歩みを進め、地元でも有名な激坂を登っていた。
幼少の頃から今日に至るまでに、何度か利用したことのある道ではあったが、これから三年間、毎朝続くであろうこの苦行を、頭上や横目で満開のソメイヨシノに笑われている気分だった。
学校の正門まであとちょっとのところで、伊織の背中はズキンと押されたような衝撃を感じる。朝から元気な奴だなと呆れたが、新生活への緊張の糸を切るには十分だった。
「中学生じゃあるまいし、朝の挨拶は言葉から始めろよなー、司」
「振り向かずに俺だとわかるあたり、超能力だな」
「昨日は入学式出て、教室で自己紹介したくらいだろ。背中突っついてくる奴なんてこの学校じゃお前くらいだよ」
この地域が地元ではない生徒は公共交通機関を乗り継ぎ、バスに詰められた状態で学校の正門前までたどり着くはずなので、伊織にとってちょっかいを出してくるような友人と言えば、冬川司くらいしかいなかった。
振り向いた伊織は、朝から鬱陶しい剽軽な顔で横に並んできた司に呆れた視線を向けたが、当の本人は、登校の歩みと減らず口を止めるつもりはないらしい。
「まだ中学卒業して一か月も経ってねえだろ。伊織こそ進学したくらいで冷たくなっちゃってよ。高校デビューでも目指してんのか」
「そんな寒い言葉、久しぶりに聞いた」
「始まったばかりの青春だぞ。楽しもうぜ。学園祭、林間学校に修学旅行とか目白押しって言葉はこういう時に使うんだ」
「まだ、高校生活二日目だぞ。気楽に行かせてくれよ」
「相変わらずお前はマイペースというか、なんというと言うか。三年間なんてあっという間に過ぎるんだよ。生き急げ青年よ、今日が一番若いのだー」
「お前、人生何回目視点だよ、気持ち悪ぃな」
やれやれと軽く笑った伊織は朝から元気な悪友の背中に続き、突っ込みは受け付けないとばかりに、ふははと笑う司は力強い足をそのままに正門をくぐった。
下駄箱で上履きに履き替えると、一緒に慣れない廊下を端から端まで歩き、昨日集められたばかりの教室へと向かっていった。
教室に入ると全体的に未だ余所余所しい雰囲気を感じながらもいくつかの小集団が形成されていた。おそらく伊織や司と同様に進学前から顔なじみのある面々なのだろう。
伊織は真っすぐに自分の席に着いた。
徐々に話題を共有する輪が大きくなっていく様子を見ながら、司は中学時代と変わらず二人で始業前の暇を潰していた。
「伊織はこのクラスで誰が一番かわいいと思うんだ」
突拍子もなく口元を隠し、司は小声で探りを入れてくる。
「入学早々、浮かれ倒してやがるな。ここは不純異性交遊推奨の建屋じゃなくて勉学に励むところなんだよ。それにお前はそういうのは間にあってるだろ」
「不純とはかけ離れた人間が目の前にいることを忘れないでほしいな。それに、間にあってるって、彼女持ちみたいに言うなよ」
話の流れ的には司には彼女がいることになるが、華々しい高校生活を男女ともに連れ添いスタートするなんという虫の良い話は現実に転がっていない。大抵、義務教育で結び付いた学び舎カップルは進学と同時にそれぞれの進路に行く手を苛まれ、関係が自然消滅してしまうことも少なくない。司はその例に別の意味で漏れていた。
「まあ、人の恋路を邪魔するような趣味はないが、同じ学校になれたんだから、頑張ってみろよな。千夏さんならすぐに周りに見つかって、お前のライバルも増えるぞ」
「馬鹿野郎。こちとら既に三回フラれてるんだぞ。簡単にホームラン打てるなら苦労はしてねえよ。野球ならチェンジだが、待つってことも悪くないと思ってるだけだ」
小学校からの付き合いである司は、これまた小中で馴染みの千夏唯衣に対して小六、中二、中三と、バッターボックスに立ってはいるものの空振り三振に終わっている。
伊織に対して、千夏のことをどこがどう好きだと伝えてくることもしばしばあったが、司は有り余った熱量を抑えられずに打席に立ち告白すると、千夏から軽くあしらわれるように断りを向けられ玉砕して帰ってくるのであった。かといって難しいところが、お互いを意識し変な距離を取ることもなく、仲良い友人を二人は普通にやってきているのだから、伊織の考えの及ぶところに二人の関係性はないようで司には憐みと労いを掛けるほかなかったのだ。
「司はその性格に似合わず、一途で女々しいよな。お前が女子だったら何かが始まる予感がしてもおかしくない」
「これ、告白されてるのか」
「残念だったな。野郎に惹かれる感性は生憎持ち合わせていないんだ」
「今の時代、そんな考えじゃ古いぜ、伊織さんよう」
「とやかく言うつもりはないけど、俺の趣向も尊重されてしかるべきだとは思ってるんだが、まったく暮らしづらい世の中になってしまったもんだ」
伊織はため息を吐き、あきれ顔で窓の外へと視線を向け、恋煩いの友人へ同情の念を持つ。
目と鼻の先でほかの女子と笑顔で話している千夏の姿が、青春とは残酷なものだといわんばかりに司への同情を後押しした。
「気楽にやるよ。俺たちの高校生活は始まったばかりだぜ」
司も伊織の視線の変わった先に、病の元凶がいることを悟ったらしく、前向きな視線でこちらを見てくる。
「はいはい。冬川司先生の次回作にご期待ください。っと」
「縁起でもねえフラグ立ててるんじゃねえよ。全く……」
「二度あることは三度あるが、四回目はどうなるか人生の教訓にさせてもらうから応援するよ」
からっと笑って机に肘をついて、軽く拳を差し出す伊織に、司は「こっちの気も知らないで」と言わん顔で、拳強めに同情への感謝をコツンと返した。
「本人からも、たまに聞かされるけど、千夏は白馬の王子様を待ってるんだよな、語弊なく言い表すなら、面食いって訳だ」
「それなら司も悪くないのにな」
確かに容姿に関していうならば、司は整っていないわけではない。自頭のよさそうな落ち着いた雰囲気の顔立ちで、「清潔感」を合言葉に毎日寝ぐせ一つなく、毛先は毎日徹底して遊ばせる趣向がある。
口を開かなければ千夏が求める王子様にも遠からずではあるのだが、爽やかと形容するには口数が多く、お調子者という言葉を欲しいままにしているので、外見からくる好意的なイメージのすべてを恋愛では台無しにしていた。だが、性格に幸いしてか、いつも明るく中学時代は告白を受けることも多少なりともあったようで、その度に感謝と謝罪の意をうら若き少女たちに向けてきたことを伊織は知っている。
すべて「好きな人がいるんだ」という素直で失礼のない返答に決めているようで、振られた後の彼女たちとも告白を機に、より一層の敬意をもって接するようにしているらしい。
ただ一つ同情してしまう事と言えば、月日が経つにつれ、人懐っこい好意に相対して軽薄な印象を与えてしまうのか、意中の千夏に振り向いてもらえないことくらいだ。
「そりゃどうも。もっと真面目にコクるべきだったかもしれないけど、今じゃあいつの執事みたいな関係だ」
「執事ってなんだよ」
「相談程度の役回りで、関係は一向に変化しちゃいない」
「優良物件相手に、千夏さんも罪な少女だな」
「うは、滲みでちゃうか、優良物件感……」
「そういうところだぞ、司」
褒められると顔を緩ませて直ぐに調子に乗るので、褒めたことを後悔するように、伊織はあきれ顔で頬杖をついた。
たわいもない朝にはあいさつ程度の会話だったが、暇を潰すにはちょうど良く、校舎には朝礼の開始を告げるチャイムが鳴った。
◆◇◆◇
「で、誰が一番かわいい」
鬱陶しいその顔は午前の授業を終え、傍にあった空席の机から椅子を寄せて近づいてくる。
ほぼ新品書き始めのノートや先ほど折り目を付けたばかりの教科書を机の引き出しにしまい込んで一息ついた伊織は、親から持たされた弁当を広げながら昼食の準備をしていた。
この学校の売店は戦場と名高いらしい。低コストながらも、食べ盛りの男子高校生が腹を膨らませるには充分な戦利品を携えて、悪友である司は朝礼前の話を掘り返してきた。
「この席からじゃ全員の後頭部くらいしか拝めねえよ、バーカ」
「くじ運のねえ青春弱者め。アンテナは常に張っとけよ、勿体ねえぞ」
本日一回目のチャイムから程なくして入ってきた担任である立花亜希が朝礼を終えるなり、茶目っ気たっぷりに席替えを敢行した。立花はこの学校で三回目の春を迎え、伊織たちが初めての自分が受け持つ生徒たちということになるらしい。
「年の近いお姉さんだと思って気軽に接してね」と初日に自己紹介された時には、彼女のキャラクターなのか、男女問わずクラスから明るい言葉が飛び交っていた。
休み時間にも生徒から引っ切り無しで声を掛けられる様子には、彼女の人気が伺える。年は二十代半ばらしいが、同年代に類を見ず、生徒に向ける天真爛漫な笑顔は自身の自己紹介の言葉が、嘘偽りのないものとして裏付けするに充分なものだった。
彼女が人気の理由には他の教師にはない青臭さが出てしまうことにもある。
大胆な持論「出席番号順はやっぱり可哀そう」という考えをもとに、くじ引きで早速このクラスの席次をシャッフルしてしまったので、伊織は皆目この席からクラス全員の後頭部を見る羽目になった。
「くじ運ばかりは操れないし、誰が悪いわけでもないので心外だな」
「気持ちの問題だよ、思いや願いは馳せておくに越したことはないぞ」
「なら司だって、千夏さんと近くの席になれなかったのはその思いとやらが足りてないからなんじゃないのか」
「確かに……。くじ運は思いの強さに比例しないな」
心得たように伊織の顔を軽く指さして、「なるほどな」と示し、定位置を定めた椅子に深く腰掛け、特盛焼きそばパンの袋を破った。
「それにしても亜希ちゃんが担任って高校生活勝ち組スタートだな、俺たち」
具材を少したりともこぼさないと大きく口を広げパンにかぶりついた司が、嬉々として口をモグつきながらこちらに意見を求めてきた。
「飲み込んでから話せよ。行儀悪いぞ」
「生憎、食欲とおしゃべりな口は絶交中だからな~」
「そうだなぁ。まあ、目の保養には持って来いだし、正面向いて話してくれるから、人気先生をまじまじと見れるのは最後尾の役得でありがたいねえ」
「流石に、生徒と教師は無理なんじゃないか」
神妙な面持ちで、司は持参したコーヒーで洗い流した喉元から低音の返答を寄こした。
「なんで狙っていること前提なんだよ。そんなに元からがっつく事が出来たら今頃、野郎じゃなくて順当に女子と笑顔で飯が食えてるはずだろ」
苦い視線を伊織に向けられて、揶揄い過ぎたことに平謝りを交えながら司は話をかわいい女の子とやらの話題に戻してきた。
「それにしても月待さん。美人だよな、このクラスなら断トツだ」
目鼻の先で千夏と会話を弾ませるその容姿を見て、伊織にも思うところがある。
教室の真ん中、昼休みが始まるなり千夏を含む女子に囲まれ、昼食を取っている少女、月待和栞だ。
午前中は各教科初めての授業ということで、教師自身の簡単な自己紹介と年間の授業カリキュラムの説明が続いた。授業に移る前に中学時代の学力把握として簡単な小テストが実施された科目もあったが、解答案の説明の際には教師の目にも容姿が目立つのか指名されることが多々あった。
そのたびに教師たちが今一番求めている最適な回答をして、和栞は自身の学力を教室内で存分に発揮した。周囲のクラスメイトからは、その優秀な姿に、続く別教科の授業でも期待と関心のまなざしを集め始めるほどだ。
だが残念なことに、午前の間、伊織の席からは彼女のことで得られる情報量は極めて少ないものだった。
長い黒髪を後ろで束ね、淡い桃色のシュシュで纏めて凛としている姿は何度か目に留まるものがあり印象に残っているが、顔立ちや表情まで確認することはできなかった。だが、彼女が教師に回答を求められ自席から立ち上がるたびに、黒髪は纏まりを左右にしなやかに揺らし、周囲に華やぎを振りまいていた姿が第一印象として頭にこびり付いている。
教室の後ろの席から全体を見ていると、解答後に着席してもなお、男女問わず視線を集めているのは薄々気が付いてはいたが、その容姿に注意が向けられていたことは想像に足りてなかった。
授業の合間にも、周囲に分け隔てなく接し、称賛の言葉を向けられている彼女は、真摯に受け答えに応じているようだった。
初めて表情をゆっくりと確認できたのは、女子たちで小さく机を囲み昼食を取っている今の瞬間だったが、早くもクラスの中心で笑顔を振りまく存在となって休み時間と同様に質問攻めにされている。
称賛を集めすぎたのか和栞は色白な頬を赤らめ、小さく縮こまっている様子だったが、かといって迷惑に感じているような素振りはなく、淡い微笑みを浮かべている。
その姿に午前中、永続的に当てられてしまったのか、司もすぐに話題にしたがるところを見るなり、クラス中の好意を集めていることは間違いなさそうだなといった感想を伊織は持った。
「授業中にみんな露骨に見惚れ過ぎじゃね、とは思ったけど……」
「けど?」
「今、初めて顔を拝んでるけど、美少女という認識に間違いはないな」
「だよなー」
「それでいて、優秀ときたら基本性能の反則が過ぎている気がするんだが」
「世の中、そう上手く平等にはなんねえって。バランス調整ってのは、現実に発生しないし、神様も悪戯する人選を間違えてるよな」
「そんなもんなのかねえ」
美少女を遠くで眺めながら取る昼食は気分がいい。かといって今の伊織には彼女に対し、能動的な感情を持ち合わせているわけもなく、眺めるだけに留まっていた。悲しいかな、青春弱者の言葉が似合っている。
昼食をすべて平らげた司は、先ほどまでうわの空で考え込んでいた顔を真っすぐに伊織に向け直し、痛いところを突いてきた。
「伊織は昔からやけに自分は女子には無干渉ですってオーラを出すよな」
「何か勘違いしているようだな。容姿が良いから積極的に関わりを持ちに行こうとするのは、否定はしないけど、下心丸出しに見えて、性に合ってないだけだよ」
「外見を褒めるというのは正当な評価だと思うぞ。あれだけの美少女は一日にしてならずってことわざ知らないのか。日頃から気を遣ってないと実現できない繊細な美なんだよ」
「美少女の影の努力はあの様子を見ればわかるが、知ったような口を利いてるな。そのことわざとやらの出どころはどこだ、履修したことないぞ」
「うちの姉貴だよ。毎日風呂上りに色んな液体使って格闘しては顔にパック貼って化け物になってるからな。口癖のように女の子たるもの……とやらを聞かされて育ってきたから少しはわかってるつもりなんだが」
自身の姉の露な姿を思い出したのか、司は苦笑いを浮かべながら昼食の後片付けをしている。
「その姉貴とやらは、他の女の子へはよそ見するなとも教えてなかったか」
「だからこうして、千夏に振られ続けてるんだよ、ちくしょーが」
自棄になった司は残っていたコーヒーを勢いよく飲み干した。
伊織は美の追求や恋煩いは大変なんだなと遠い目をしていたが、手元に視線を落としなおし、最後に取っておいただし巻き卵を口に放り込んだ。
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