第十話「秀才、初めての経験」
本日、物語の都合上、少々短めです。
その日の晩のこと。
伊織は自宅で眠気覚ましのエナジードリンクを啜りながら、この前何気なく購入した文庫本を片手に、活字の世界に潜り込んでいると、スマホから音声通話アプリの着信音が鳴った。
手に取って送り主を確認すると、そこには「月待和栞」という表記とともにお礼の文言がしたためられていた。
「今日は勉強を教えてくれてありがとうございました」
こちらから熱心に指導した覚えのない伊織ではあったが、プチ勉強会の出来事についてお礼の言葉を寄こしてきたのだろうと察した。
「俺は特に何もしていないけどね」
メッセージを送信するとすぐに和栞は既読を付け、返信を寄こしてきた。
「確かに冬川君から教わりましたけど、その先生は南波君でもあるので、一緒のことですよ」
連投してメッセージは続いてくる。
「友達に勉強を教わる経験はしたことがなかったので、楽しくて。ありがとうございます」
伊織は一瞬、字面を見るなり、深く意味は考えなかったが妙に気になる物言いだった。
「中学までの範囲は自分だけで理解できていたという意味で?」
茶化す意図は無かったが、和栞の学力も相当なものとの認識であった伊織は、彼女は教える側に立つことは多いが、教わる側に回る事はあまりないのだろうとの考えで、返信をした。
「そうかもしれません。ただ、私にとって初めての出来事だったので、今日の放課後は特別でしたよ」
友達同士で勉強を教え合うといった日常に「経験」と表現した和栞にさらに「特別」とまで表現されたのだから表示されたテキストを何度も目で追ってしまう。
彼女にとっては相当に珍しい出来事だったのだろう。
「そんなに深く考えなくても。どういたしまして。また皆でしよう」
「ええ、ぜひ。おやすみなさい」
「おやすみ」
感謝の言葉を素直に伝えてくる彼女には、細やかなところまで気を回すことのできるその純粋な心に関心する。
自分には些細なことだったので、何気ない出来事にまで丁寧に感謝を伝えられると、なんだかこそばゆい思いが湧き上がってきた。
(大したことしてないんだけどなぁ)
就寝の挨拶を交わして、やり取りを終えた。
伊織に眠気の到来はない。
そのまま携帯から文庫本に手を取りなおして、始まったばかりの静かな夜を楽しむのであった。
◇◆◇◆
金曜日の晩に、和栞からメッセージが届いた。
「こんばんは。明日は不都合なかったでしょうか?」
先週、高台で「この町を案内してください」とお願いされたが、こちらの予定を気にかけた和栞から、丁寧なメッセージが届いている。
「相変わらず暇してるから大丈夫だよ。何時からにしようか?」
「ありがとうございます。お昼過ぎ、お互い昼食を取った後で、午後一時に公園で待ち合わせでお願いします」
新学期が始まってもう少しで一か月が経過しようとしている中、クラスメイトで同い年の自分に対しても、和栞は敬意を忘れない丁寧な文面でやり取りを続けている。
「了解。何か要望はある? どういうところに行きたいとか」
彼女の好みを全くと言っていいほど知らないので、彼女が何を求めているのかつかみ切れていない。
なにか願いがあるのであれば、できることなら叶えてあげたいが。
「本屋さんを探しているので教えてほしいです。よく使っているところで構いませんよ」
「わかった」
確かに彼女の言い分も理解できる。この町には生活圏に取り揃えの良い本屋がない。
伊織もわざわざ遠くに出向いてまで、お目当てを探しに行くくらいであったから、例の本屋が丁度よいだろうと、目星をつけた。
「よろしくお願いしますね」
丁寧な文面が表示された携帯を片手に伊織は、部屋の明かりを消して、ベッドに横になる。
まさか、公園でバッタリ出くわしたクラス一の美少女と休日に出掛けるなんて、入学した頃の自分には考えられないことも起きるものだなと、布団の中で軽く笑うしかなかった。
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