第九話「和栞、唯依に捕まる」
四人が醸す空気感が結構好きです。
週末が明けた翌週、半ばのこと。伊織たちは多忙を極めていた。
進学校とあれば、通常授業に加え、その課題というもの自体、レベルが高い。
無論、他教科の課題量に忖度をしない量を、各教科で張り合うように宿題として出題されるものだから、それを消化するだけでも時間がかかり、慣れない生活には厳しい。まして、部活動と掛け持ちで着手せねばならぬ生徒にとっては、悲鳴の日々だ。
最近では、部活動が開始するまでの間、教室に残り、結託して課題消化に勤しむ輪もできてきた。
教師曰く、自分の力で考えてみることが何より大切なことだと、口を酸っぱく言われる。
伊織も答案づくりに精を出しては、理解が及んでいない範囲に関して、教科書をぱらぱらとめくり、渾身を奮って取り組む必要があった。
この日、宿題を終わらせてから下校する事にした伊織は、放課後を告げるチャイムが鳴るなり、自席で数学の宿題と対峙していた。
「伊織が数学からやるなら俺もそうしよっと」
司はこちらがまだ教室に残っていることに気が付いたらしく、他の部活動に所属する生徒と同じよう、宿題を進めるために、教材片手に近寄ってきた。
「雑談になると進まないから、邪魔はしてくんなよ」
冷たくあるようだが、伊織のいうことももっともで、この日は数学のほかに、明日の朝、昇降口で提出する英文法の課題が控えている。
教師曰く、正門をくぐって、教室に入る前に提出でセーフ、それ以外はアウトらしい。
「わかってるって。俺だって、部活終わってから家で宿題やるなんて、リスキーだからここでケリを付けておきたいんだよ。寝落ちでもしたら、明日の朝の俺が半泣きになる」
「厳しかったもんな、授業中。流石にびっくりした」
「宿題やってきてないくらいで、狙い撃ちだったもんな。ああはなりたくないな」
本日の日中のとある授業のこと。野球部に所属する生徒が、宿題を忘れて授業に参加したが、担当教師から事情聴取の末、特別解答権を与えられた。授業中のほぼすべての問題に対してご指名を受け、回答を求められていた。詰められる姿に妙に哀愁が漂っており、気を引き締めなければと身震いがしてくる。
「この学校の文武両道の闇を見た気がする」
やるべきことと、やらないといけないことの履き違えは時として、自身に大きな損害をもたらす。
その後者に失敗しなくていい様に、司も今のうちにという思いが強いようだ。
◇◆◇◆
教室は静まり返って、筆記具がプリントの上を走る音が各所から聞こえている。
そのうちチラホラとわからない問題を教え合う会話が聞こえてくるようになるのが、このクラスの日常となっていた。
ふと、視線の先で、同じように宿題を消化している和栞の姿が目に映る。
普段通り、髪を後ろで束ねた凛々しい姿は、週末に見た姿とは違い、真剣な様子で問題と向き合っている。
(今日は白色……)
最近気が付いたことだが、彼女は登校する際に、いつもその黒髪を束ねているが、毎日の髪留めの種類が違う。
今日は純白のレース生地を基調とした、大きめのもので髪を束ねている。
華美でない限り、教師たちも生徒の気飾りを放任しているが、自己主張できる要素は学校生活の中ではそう多くはない。眉やスカート丈を弄ろうものなら生活指導係の教師が血相を変えて聴取に来る。
記憶を遡ってみると、桜が咲いていたころには、その色に合わせるような髪留めを愛用していたのを思い出した伊織は、時々で校則内のおしゃれを楽しんでいる優等生を眺めて、その美意識の高さたるや、到底真似できないなと感服した。
手元の進みがおろそかになりながらも、おおよその課題をこなせた伊織は、横の空き机で課題に取り組んでいる司から、視線を感じた。
「伊織、ここ、教えてぇ」
「そんな、猫なで声で話しかけてきても、なにも出てこないぞ」
「学年十本指の秀才様ぁ」
「三本指になったくらいで秀才と呼んでくれ、恥ずかしい」
振り返り考査と名前の付いた、中学までの学力を問われるテストで、あらかたのクラス内の学力順位が露呈してしまった。そのことを司から持ち出され、不快な思いが伊織の顔に混じる。
「そこを何とかお願いしますよ、これなんだけど」
司が指を差し、問題を示してくる。
「ったく。これは公式に当てはめるだけじゃダメで、ちょっとした工夫がいるな」
問題は作成者の意図を汲み取ればそう難しいものではない。
目の前の司にとっての難敵もその類のもので、基本を理解した後に少しの応用を利かせれば容易い旨を伝えると、司の筆が進み始めた。
「ありがとよ、心の友よ。これで明日の平穏は保たれたぜ」
満足げな司を横目に、他の教科に取り掛かろうとしたとき、向こうから千夏が和栞を伴ってこちらにやってきた。
「南波君なら、この問題わかるでしょ? 教えてほしいんだけど、いい?」
千夏が先ほど司が止まっていた問題を指さしている。どうやら和栞と宿題を進めていたらしい。二人ともお手上げのようで、こちらに助けを求めてきたようだ。
「その問題だったら、さっき司に教えたばっかりだから。司、試しに教えてみたらどうだ?」
「冬川、頼んだ~」
千夏と和栞はこちらへ来るなり、空き机を伊織や司と対面になるようにくっつけると、司へ教えを乞うてきた。
「千夏はともかく、月待さんもお手上げなのは珍しいね」
「ともかくって何よ、いじわる~」
「私も理解が追いついてなくて……。お願いします」
先ほどまで野郎二人で味気なく消化していたが、花々を加えたプチ勉強会が始まった。
数分前に得た受け売りをここぞとばかりに披露している司は、どうやら人へ教えられるくらいには理解が進んだようで、二人とも説明に聞き入っている。
当の司も、千夏への助け舟を出せている状況はご満悦な様子で、得意げに教える様子を暖かく見守る伊織であった。
程なくすると二人の空白だった解答欄は司先生の熱心な指導の下、模範的な解答が出来上がった。可憐な花二人は安堵の様子を浮かべていた。
「冬川ありがとう、助かったよ、やるじゃん」
「どういたしまして。まあ、俺も伊織に教えてもらったばっかりだから、テストで正答が出せるかはその時の運ってところだなー」
「冬川君、ありがとうございました」
司に晴れやかな笑顔を向けている和栞は、こちらにも律儀に頭を下げてきた。
「月待さんの願いとあっては、放っておけねえ。何なりと今後とも御贔屓にしてやってください」
司が胸に手を当て、軽口を叩くと「調子のいいやつめ」と千夏から軽いはたきが飛ぶ。
「冬川に和栞ちゃんは渡さないよ」
「月待さんが困ってなけりゃいいけどな」
いつもの調子で和栞の華奢な身体を寄せて、頭を撫でている千夏は、私のものと言わんばかりのしたり顔をこちらに向けてくる。
「唯依さんが仲良くしてくださって私は嬉しいですよ。知り合いもいなかったので、お友達になれて、学校生活が毎日楽しいです」
頭を撫でられ好きなようにされる和栞は、色白の頬を少し赤らめて話すなり、千夏に好き放題にされている。
「月待さんがそういうなら。良かったな千夏」
呆れた笑いを浮かべながら二人を見ている司も、愛らしいその光景に表情を緩めていた。
「そういえば伊織は、月待さんと仲がいいんだな」
こちらに向き直った司が、早速、勉強会から脱線した話を広げ始めた。
妙に鋭く、ドキッとした。
確かに司や千夏に知られていない交流が彼女とはある。隠すまでもない、清らかな交流だ。
でも、今、その内容について話すにも、惜しい気がした。
「なにっ? 南波君にものんちゃんは渡さないよ!」
正直、思考が停止しかけていたので、千夏の独占欲に感謝した。
同時に、言葉に籠った疑問から千夏へ何も伝わっていないことも理解する。
今付けたであろうあだ名呼びで、和栞の座っていた椅子の同じ座面に背後から座るなり、千夏は胸の中の和栞をぎゅっと力強く抱いて見せると、誰にも渡さないという気持ちの表れなのか、和栞のうなじに顔をうずめるように捉えて離さない。
和栞は完全に千夏におもちゃにされ、胸の中でおろおろしていた。
「唯依さんっ? わかったから……ねっ?」
なおも、徐々に力を込めて抱き寄せる千夏の腕を、和栞はぺちぺちとなだめて、降参を表明する。
伊織と司は、いつもの千夏の悪い癖が始まったと和栞に憐みの視線をやる。
「月待さん……そうなった千夏は誰にも止められないから、残念……」
「そんなぁ……」
救いの手を求めて、愛らしく嘆く和栞は、助けてもらえないと悟った。
千夏にされるがままでその腕を振りほどくこともできず、小さく縮こまり頬を染めていくのみだった。
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