表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

110/117

第百話「子猫(和栞さん)を愛でる」

甘々回。お楽しみくださいませ。


 この子の寝顔は幾度となく見てきた。


 子猫は今、自分の膝の上で寝息を立て始めている。


 和栞さんの「すぅすぅ」と本当に呼吸が出来ているのかわからない、小さな身体の浮き沈み。



 撫でている手は彼女の意識が無い今でも、止める気になれない。


 触れていたい。

 まさか自分がこんなことを思うなんて、まだ自分自身が素直に飲み込めていない感情だ。




 和栞さんは呑気にお昼寝中。

 なんて可愛い生き物なんだろうか。




 手入れを怠っていない一本一本はとてもしなやかで、触り心地が抜群に良い。

 垂れた黒髪の錦糸は手からするすると離れていくものだから、本当に織物に使えそうな高級品に思う。



 ふと、彼女の表情を見る。


 寝ている今でも、微笑みが漏れているので、気持ちよさそうに、幸せそうに寝る子なんだなぁとしみじみ思う。


 確か、初めて見た寝顔もこんな感じだった。




 長い睫毛に気品と愛らしさを覚え、頬に視線をやる。



 触れなくてもわかる。

 きっと綿のように柔らかい感触なんだろうなと思いながら、頭を優しく撫で続ける。


 

 以前、自分に降った幸運を生んだ瑞々しい唇は、今日も血色が良い。




 今なら彼女に、どんなちょっかいだって出せるのだが……。

 触れ合ってみたい、奪ってみたいと思う唇に、一方的に手出しができるのだが……。



 心の準備もなければ、彼女の意識が無いまま済ませてしまうのは、もっと嫌だ。



 キスすればこの眠り姫は夢の中から帰ってきてくれるのだろうか、なんてありきたりなことを考えながら手は勝手に動く――頭を撫でることに全くと言っていいほど飽きがこない。

 あんなの物語の世界の話だし、何より相手を慮らない行動が性に合ってなくて嫌いだ。



 初めて唇を重ねるのであれば、その後の和栞さんの表情も見てみたい。



 少しくらい恥ずかしそうにしてくれるのだろうか。

 笑ってくれるのか、もしかしたらまだ知らない彼女の表情を窺うことができるかもしれない。



 そのときまでのお楽しみにしておこう。

 そして、心構えは進めておこう……なんて。





 やっぱり……少しくらい、彼女には内緒で……頬くらいには触れてみてもいいだろうか。



 繊細な場所を本人の許可なしに触れるわけでは無いから、許してくれるだろう。




 和栞の寝息を視覚と聴覚で確認する伊織。



 お姫様であり、子猫ちゃんはぐっすりお昼寝中だ。



 撫でる手をそっと止めて、さっき往復していた位置の少し下。




 和栞さんの頬に中指の腹で「ちょん」と触れてみる。





 確かに一瞬、体温を感じたはずの指に、全くと言っていいほど触覚が無い。

 もう一度……触れたと感じるまで彼女の頬に、指を沈めてみる。



 驚いた。


 柔らかで滑らかなあまり、先ほどは触覚が無かったようだ。

 自分の身体のどの部位を探してみてもこんなに柔らかい場所は無いだろうと思った。



 何も繊細で大事な部分でなくたって、彼女の頬は充分に「繊細」だった。



 右手の中指が彼女の頬の感触を覚える。

 自分の他の指が、この感触を覚えられないことを、少し勿体なく思った。



 次は左手の小指の側面で優しく彼女の頬をなぞってみる。

 爪が当たって彼女の頬を傷つけないように、彼女を起こしてしまわないように、そっと。



 肌がきめ細やかで、撫で心地も極上だった。

 女性の肌は根本から男のそれとは質感が違うように思う。



 彼女の頬を左手で包むように添えて、親指の腹で優しく撫でる。

 表面はおろか横顔の全てが綿のよう。



 自分の手で包み込める小顔もまた、異性の身体を感じてしまい、妙に愛おしい存在に思う。

 すると、彼女が薄目を開けた。



「あっ……」


 調子に乗り過ぎた罪悪感がふつふつと湧いてくる。

 逃げるように左手が彼女の顔から浮く。



「もう……おしまい……?」


 和栞さんは左手にすりすりと頬を擦りつけてくる。




 何も言わないでおく。

 親指で彼女が起きていることを理解したうえで、撫でる。




「それ……すき」


 伊織の頬に穏やかな笑みが出る。


「わたしだけ……ごめんね……」


 小声で謝ってくる和栞さん。

 何を謝ることがあろうか。



「いいの。いいの」


「……いいのかにゃぁ……」




 和栞さんは、寝る前の記憶を思い出したらしい。


「あと……さんぷんだけ、あまえさせてもらうにゃぁ……」


「ラーメンみたい」


「にゃん」



 そういうと、彼女は虚ろだった目をゆっくり開けて。

 とろっとした視線でこちらを見ている。



「あまりに気持ちよさそうに寝てたけど、最近ちゃんと寝れてる? 大丈夫?」

「大丈夫だにゃ。ぐっすりだにゃあ」


 話しにくそうなので、もう一度頭を撫でる。

 さっきまで、ものの数分、撫でていたはずの手の感覚より、更に触り心地が良い。


 経験し覚えたはずの感覚は、既に本物に劣ってしまうことがわかって驚愕した。


「ならいいんだけど」

「にゃぁ」



「和栞さんは夏休み何したい?」

「にゃ~……、にゃ・にゃにゃ、にゃー↑にゃ、にゃにゃにゃ↑にゃにゃー↑」


「えっ?」

「にゃーしか話せない魔法にかかったにゃん」




 困った。


 和栞さんは、にゃーしか話してくれない。



 仕方ない。

 このまま読み解いてみよう。



「じゃあ、もう一回」

「にゃ・にゃにゃ」



「う~ん?」

「にゃ・なび」


 少しヒントを出してくれるのが、優しい和栞さんらしいなと思う。


「花火?」

「にゃーにゃー」


 和栞さんは笑顔で頷いてくれる。



「にゃー↑にゃ」


 和栞さんは顔の前で手をグーにして何かを引っ掻いている。


 泳いでいるみたい……。


「プール?」


「ふふっ!! にゃーにゃー」



 和栞さんは驚いたように頷いてくれる。一瞬人間に戻ったのは突っ込まないでおく。



「にゃにゃにゃ↑にゃにゃー↑」


 これは難問だ。


「にゃにゃにゃ↑にゃにゃー↑」


 和栞さんは顔の前で、棒を構えて、目を瞑って振り下ろしている。


「はははっ、スイカわり」


「正解っ」


 魔法が溶けたらしい。


「全部やろうとすると大変かもよ?」

「まだ、二週間もあるにゃんっ」


「確かに……」


「わたしは、すーぱー夏休みと命名するにゃん」


 得意げに話してくれる和栞さんの語尾は、まだ「にゃん」だった。


お読みいただきありがとうございました。

気に入っていただけたらブックマーク登録をお願いします。また評価にて作品の応援をお願いします。

応援がモチベーションになります。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ