第九十三話「『友達』として最後の待ち合わせ」
関門海峡花火大会の日。
例年、県内外から約百万人が集まる、西日本最大級の人出が見込まれる花火大会であり、本州の下関側と九州の門司側から同時に花火が打ち上がる。
祭りの当日は、交通規制が行われるほか、公共交通機関も打ち上げ時刻が近づくにつれ大混雑する――それが地元の夏の風物詩だ。
あらかじめ、彼女には連絡を済ませておき、混雑が予想される十七時の一時間前。
十六時に門司港駅で待ち合わせとした。
皆、考えることは同じなのだろう。
打ち上げまで三時間以上も前だというのに、あっという間に街は賑わってきた。
彼女に「次回会った時に聞いてほしいことがある」と言った手前、家に迎えに行くなんてことはできなかった。
それどころか、野球観戦に二人で行ったあと、彼女に会うことすらなかった。
この約二週間は夏休みで登校義務もないので、教室で顔を合わせるようなことはもちろんなかったし、会いたい気持ちを押さえつけ、お互いに集中するべき夏休みの課題があったからだ。
彼女曰く、メッセージで「お互いに夏休みの宿題を花火大会までに終わらせておきましょう!」とのこと。
彼女の顔を今見ると、勉強どころではないと思っていたので、願ったり叶ったりだったが、思いのほか、この二週間を長く感じた。
そのたびに「メッセージくらい入れてもいいのではないだろうか」と思ったが、カメラロールの彼女の写真を眺めながら雑念を振り払い、宿題消化に邁進した。
正直、そんな短期間でお手軽に片付く量ではなかったので、一瞬たりとも時間を無駄にできなかった。
でも、彼女との花火大会を思えば、微塵も苦ではなかった。
考えを一度纏めてしまえば、迷うこともない。
今日は彼女に伝えるべき言葉がある。
こういう時に、自分がどんな心境になるのだろうかと考えることはあったが、近くで長年の恋煩いが成就した悪友もいる。
今は思いのほか清々しい気分だった。
(当たって砕けろ。でも、月待さんはきっと……)
特に準備してきたものは何もなかった。
けれど、今の自分にできる本心で彼女と向き合えば、彼女は受け止めてくれる。そんな信頼さえあった。
バスと電車を乗り継げば移動は簡単だが、一人で駅構内、改札近くの壁際に立っていると、「やっぱり迎えに行った方が良かったんじゃないか」という考えが過る。
北九州市内を今日、浴衣で出歩くということは不自然なことではない。
けれど、着慣れないものを羽織り、履きなれない下駄を履くはずの彼女のことを思うと、少し心配になる。
でも、きっと――。
そんな心配をよそに、彼女は笑顔で何でもないようにしてくれるんだろう。
電車が入線するたび……。
車両から次々と人が出てくる。
その波を落ち着くまで眺めるたび……。
緊張と期待が胸を祭囃子のように叩いたが、彼女は現れない。
待つこと、三度目の波。
一際、人目を惹く彼女が改札から出てきた。
手を軽く上げてみる。
人混みの中、彼女はまだ気づかない。
今度は、彼女にわかるように手を高く掲げて振ってみる。
見渡していた彼女の視線がこちらを捕らえ、目を見開く。
気づいたと言わんばかりに口角を上げ、遠くから指をこちらに差した。
周囲の人の往来に気を付けながら、早足で――。
(そんなに急がなくていいよ? ……なんて、流石に伝わらないか)
(でも、その気持ち……わかるなぁ。なんて、思いながら)
構内は花火への期待に胸膨らませている待ち合わせの挨拶や、笑い声で溢れているというのに。
喧騒に包まれ、賑わいで心は今にも沸騰しそうなのに。
耳は、彼女の下駄の音だけを探していた。
転んでしまわないかと肝を冷やしたけれど。
『かたっ、かたっ、かたっ、かたっ。かた、かた……』
とびきりの笑顔が、目の前に現れた。
「お待たせしました! お久しぶりです! 伊織くんっ!」
彼女は息を弾ませながら、髪飾りを揺らして明るく元気な挨拶をしてくれた。
「久しぶり……」
頭の中で、彼女の声掛けに反応しなければという思いと、視覚から伝わってくる驚きがせめぎ合う。
「宿題! 終わりましたかっ?」
彼女はこちらを覗き込むように聞いてくる。
「もちろん。もう、心置きなく遊びたい放題」
「わぁ! 頑張りましたねっ! 私もですっ!」
「えらい」
「ふふっ」
和栞は手の甲で口元を押さえ、得意げに笑った。
「今日も君が可愛い」
「ありがとうっ!」
和栞の装いに、伊織は息を飲む。
浴衣の袖口を、両手とも四本の指と手の平で持った彼女が、両腕を広げて披露してくれた。
全体を白の清楚で涼やかな印象で纏めた綿の浴衣は、差し込む陽の光に淡く溶けている。
優しい向日葵の華が上から下まで、一笑、二笑、と微笑むように咲いており、描かれた花弁や葉は色彩が豊かで、濃淡が宿る水彩画テイスト。
今から二人で花火を見るというのに、すでに花咲く彼女の浴衣姿が目に焼き付いた。
こげ茶の兵児帯の下に、さりげなくオリーブ色の帯。
後ろで柔らかくふんわりと束ねれた帯には、可愛らしさと隙があって、今すぐに彼女を抱きしめてしまいたいとさえ思わせた。
足元で鳴る下駄の鼻緒は白。
そこから覗く指先も劣らぬほどの純白。
底には厚みがあるようで、彼女との視線がいつもより近かった。
綺麗な黒の長髪はローシニヨンで、髪飾りが刺さる。
見慣れない彼女のヘアスタイルに心を鷲掴みにされた。
「きつかったりしたら教えてね? 着物着たことないから言ってくれないとわかんないよ?」
「大丈夫だよ? おしゃれに我慢はつきものですが、お洒落した甲斐はもうあったので!」
にっと笑ってくれる和栞を見て、その「もうあった」の意味が自分のことだとわかると、伊織は少し恥ずかしい気分になった。
外はこんなに暑いというのに、清々しい彼女から、目が離せない。
今日――俺から告白すると決めた君から、目が離せない。
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第三章完結直前です。是非二人の恋の行方を見届けてください!
(和栞さん可愛すぎて作者はモウ、ムリ……)




