プロローグ
初めまして。初投稿作品です。15万字程度の書き溜めがあります。毎日、少しだけ皆様を幸せな気分に出来たら幸いです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
「あなたを私のうたた寝監視係さんに任命しましょう!」
その美少女——月待和栞は、先週に引き続き、無防備で愛らしい寝顔を晒していたのだが、目を虚ろに開け、こちらに意識を向けた開口一番で、俺——南波伊織に職責をもたらす、「うたた寝監視係」とやらの辞令を発出してきた。漆黒の髪は太陽光を反射するまでに艶やかで腰まで流れる長髪を風にたなびかせ、彼女はこちらに「よろしくお願いしますね」と穏やかな笑顔を振りまいている。
この場所で新学期早々、今日で数えること三度目の和栞との再会をした伊織にとって、この先何が待ち構えているのか、彼女が口にした役職の響きからも、全く想像ができなかった。
「二度あることは三度ある」ということわざがある。
そう、それは三度目までの話をしているのであって、先人たちは、その先の行く末について、教訓を提示してくれはしない。
ただ一つ、今の自分にわかることと言えば、なぜか美少女のお眼鏡に叶ってしまって、よろしくお願いされてしまったことだけである。
まだ、春の陽ざしが暖かに感じられるようになったばかりの季節。
——遡ること一週間前
◇◆◇◆
四月二週目の土曜日、休日。
ここからの景色は空の青と、海の青とが、遠くで重なりを見せるほど、清々しく開けており、この町で一番と言っても差し支えないほど、見晴らしの良い絶景だ。
まだあどけない寝顔をみせるその少女は、長椅子にちょこんともたれて安らかに瞳を閉じ、呼吸を一定にしている。春から進学した高校の同じクラスの生徒である和栞は、誰の目へも好意的な印象を与えており、人当たりも良く、端正な顔立ちの少女だ。
目の前の微睡みに飲まれてしまっている少女への周りからの美貌に関する評価は、自分も異論がない。
瞼には長く整った睫毛を備え、鼻立ちも高く、触れれば傷つけてしまいそうなまでに柔らかな肌は日頃の手入れを怠っていないのであろう、同じ人間として比べるにはおこがましいような色白を携えている。
小柄な肩幅は自身の長髪に包まれ、守られるほど華奢で、均整の取れた黒髪は、胸の膨らみに沿うように流れている。毛先は枝毛一つない状態を保っており、先ほどからそよ風にいい様にされ靡いているが、纏まるように彼女の胸元に返ってくる。髪は女の命だとはよく言ったものだ。
容姿で人に好意を持つというのはある種、失礼極まりないことだと自論があるが、和栞が普段から意識して研鑽している外見は努力の成果だろうと素直に見惚れるほど美しくある。
今後の将来が心配になるような無防備な状態を露にする和栞を、どうこうするつもりは持ち合わせておらず、また接点ができて日も浅い中で、伊織はただただ観察するのみしかできなかった。無論、異性の身体をまじまじと見つめることについて、若干のためらいを伊織は感じている。だが、心地よい陽気で、純真無垢な眠り姫から目を離すことにも、いささか年相応、勿体ないような気がして素直な男心に従わない手はなかった。
この世界に生きる小動物に感心の念を抱くほど目の前の少女も小さな身体つきで頼りない。友人たちが異性を寄せ付けない下世話な話題の中で、このような光景を目の当たりにし、邪な気持ちを感じることにも理解が及んだ。
ぼんやりと過ごしていると、目の前の小動物は夢の世界から帰ってきたようだった。軽く閉じていた瞼が一瞬、外界から瞳を遠ざけるように守ったあと、朧気ながらも、意識をこちらに向け、薄紅色の唇が開いた。
「おはよう……ございます?」
「もう昼過ぎだけれど?」
寝起きの和栞は瞼がまだ重いようで、時刻違いの挨拶を交わしてきた。
「またお会い出来ましたね、南波君。今日は気持ち良くて、いつの間にかうたた寝しちゃったみたいです」
和栞の華奢な身体が長椅子から離れると、その身を目いっぱいに、空に近づこうと背伸びした。
「華の女子高生なのに、人が近づく気配にも気が付かないのは、非常に頂けないな」
たまたま通りかかった……と言えば嘘になるが、伊織は和栞に率直な意見を浴びせた。
この公園は、地域憩いの場として愛されている。
歩けるようになったばかりの赤子を馬の遊具に乗せ、幸せをカメラで切り取り我が子の成長を思い出とする家族。緑の絨毯で広大に設計された平坦な地面を駆け友人たちとボールを取り合うわんぱく小僧たち。どんな需要をも満たすことができ、ポテンシャルに溢れている。
供給過多なほど、展開され広々とした憩いの場を入り口から無心で歩いていくと、生命力にあふれる木々と、四方を煉瓦に囲まれながら花壇で力強く咲く色とりどりの花々がある。
それを横目にさらに進むと無機質にあしらわれた階段が突然現れる。しつこいくらいに続く段を上っていくと、海に面した町を一望できる高台が遠くに見える。
公園自体に魅力あふれる寄り道が多いせいか、人々はこの高台へと足を運ぶ人間は少なく、自身の身体へ翌日のいたぶりを嫌としない物好きだけに用意された安らぎの場所だ。階段下の広場に比べて高台まではシンプルな道が続いている。
高台には、休憩用の建屋が併設されており、柵の前には長椅子が用意されている。そこから望む景色こそが、たった今、伊織の目に映る光景という訳だった。
喧騒とはかけ離れ、高台の中にポツンと現れるこの場所は、伊織にとって今月初旬に、お気に入りになったばかりの場所だ。今日は休日ということもあり、先週同様、手持無沙汰でもう一度足を運んだに過ぎなかった。
ぼんやり散歩した終着点で、先週出会った珍客がスヤスヤと寝ていたわけであるからして、伊織が和栞に浴びせた「頂けない」との率直な意見は、今日の青空同様に曇り一つない言葉であった。
「華の女子高生とは? 私たちにどのようなイメージを抱いているのか理解しかねますけれど、心配には及びませんね。大丈夫です」
今にも、「えっへん」と聞こえてきそうな自信を胸に、和栞は何か言いたいことがあるらしい。
「私にはまだ、この町はどんな人であふれているのか、詳細には想像ができません。ですが、少なくともここへは害意を持った方はたどり着けない、そんな秘密の場所だと思うのですよ。なので、身の心配には及びません」
先ほどまで、無抵抗にそよ風に撫でられていた黒髪を、小さな手が透きながら、和栞は満足げにこちらに視線を向ける。どうやら徐々に頭の回転が戻ってきたらしい。
無防備極まりない寝顔を見られたことへの恥じらいは、とうに消えたようだった。
「それにしては、寝込みを襲われても文句は言えない顔だったよ」
「そういう南波君は、襲ってこないのですね」
さらりとこちらの痛いところを突いてくる彼女にしたり顔を向けられるが、負けてられない。
「そんな人はこの場所にたどり着けないのではなかったのでしたっけ」
バツが悪いのか柔らかな頬が張りをもって膨らみ、整えられた眉を細めこちらを睨んできている。どうやら和栞の感情は表情に出やすいらしい。
「揚げ足取りは女の子に嫌われますよ。そんな論理的な答えは、私のような華の女子高生相手にヒジョウニイタダケナイですねぇ」
寝起き一番で伊織から浴びせられた言葉を和栞はそっくりそのまま伊織にお返しした。
「誤解がないように弁明させていただいてもよろしいか。一時の感情に流されて、お縄を頂戴するような軽薄な認識を改めたかっただけだ。揚げ足取りの趣味はない」
和栞は安堵したかのような柔らかい表情を見せた。
「少しばかり、貶めるようなことを言ってしまいました。ごめんなさい。それにしても、私が目を開けた時にはこちらを堂々とこちらを伺ってらっしゃったので。つい、からかってみました」
穏やかな謝罪を受けた後、頭を上げた彼女は、堪えきれない笑みを浮かべながらも、先ほどのこちらから入れた弁明の痛いところを可愛らしくストレートに突いてきた。
「それは男のサガ。鑑賞するには悪くなかったよ」
寝顔を見られた恥ずかしさがぶり返したらしい和栞は、その頬を薄っすらと赤く染めて俯いた。
「南波君を魅了できていたのであれば本望ですね。お褒めに預かり光栄です」
多少の羞恥をにじませながら、和栞は春風にさらりと流すように会話を区切り、景色を望める柵に向かって歩き始めた。柵に肘を掛け、体重を預けた和栞は、遠くの方を見つめ、空と海の境目を探すようにぼんやりと眺めていた。
今日は四月二週目の週末だが、日陰であれば、風はまだ少し冷たく感じる。自然からの小さな刺激をも素直に感じ取れる静けさが周囲には漂っていた。
「南波君は優しい人なのですね」
こちらに振り向いた和栞はこちらの表情を伺い、口元を緩めた。
(ん? 何が……だ?)
真意はわからないといった様子で伊織は首をかしげたが、和栞に朗らかに見つめられている。
「話についていけてないようですが、南波君は十分に優しい方ですよ。その優しさを持って、これからもまっすぐに育ってくださいね。まっすぐですよ」
ふふっと、笑いかけてくる美少女に悪い気はしていなかった。
「育つって。小中学生じゃあるまいし、さっきから何を言ってるかわからないな」
「わからなくていいのですよっ」
口元に手を寄せ鈴を転がすように笑う和栞は、妙に嬉しそうに笑顔を浮かべるので、伊織は心の中で、「女心わからん」と疑問符を浮かべるだけだった。