次は……です
あの男は、毎朝同じ車両にいた。
薄汚れたコート。
季節関係なく同じ服。
髪は固まり、
爪は黒く、
濡れた犬みたいな臭いがした。
誰も近寄らない。
でも、席が空くと必ず誰かの隣へ座る。
そしてガサガサと音を立てながら新聞を読む。
普通に読むんじゃない。
単語ごとに区切るみたいに、
変な読み方をする。
「……トウキョウ……デンシャ……シボウ……ミモト……フメイ……」
ガラガラの声。
車内に響く。
みんな聞こえてるはずなのに、
誰も反応しない。
僕は毎朝イライラしていた。
臭い。
うるさい。
気持ち悪い。
隣に来るな。
そう思っていた。
一度だけ、友達に写真を送ったことがある。
『またコイツいるw』
『臭そうw』
返信には笑いのスタンプ。
僕も笑った。
その日の夜、
通知が来た。
送った写真に、
知らないアカウントからコメント。
『みえてるんだ』
気味が悪くて、すぐ消した。
数日後。
帰宅ラッシュの時間帯。
電車が急停止した。
鈍いブレーキ音。
悲鳴。
車内アナウンス。
『人身事故のため——』
周囲がざわつく。
誰かが言った。
「さっきホームにいた浮浪者じゃね?」
僕は、なんとなく嫌な気分になった。
翌日から、
男は消えた。
車内は静かだった。
臭いもしない。
みんな少し安心していた。
僕も、正直ホッとしていた。
それから夏になった。
男のことなんて忘れていた。
その日も、いつもの帰りの電車。
疲れて、座席で少しうとうとしていた。
ガタン。
電車が揺れる。
その瞬間、
鼻につく臭いがした。
酸っぱいような、
湿った臭い。
目を開ける。
車両の奥に、
あのコートが見えた。
え。
生きてたのか。
そう思った。
でも、妙だった。
誰も男を見ていない。
女子高生は喋り続け、
サラリーマンはスマホを見ている。
男だけが、
世界から浮いていた。
男は座席の間を歩いてくる。
ゆっくり。
足を引きずる音。
ぐちゃ。
ぐちゃ。
……変な音だった。
逃げようとして、身体が止まる。
動けない。
喉だけが浅く鳴る。
金縛り。
いや、違う。
周囲の時間だけが、
妙に遅かった。
吊り革が、
同じ方向へ揺れている。
全て。
風もないのに。
車内広告を見る。
化粧品の広告だったはずなのに、
全部新聞記事に変わっていた。
『車内にて身元不明の男性が死亡』
『腐敗が進んでいた』
『乗客は異変に気づかず』
心臓が跳ねる。
男が近づく。
その顔を見てしまった。
顔が、
潰れていた。
骨が飛び出し、
目玉が斜めに垂れ、
口だけが裂けていた。
電車に轢かれた顔だった。
なのに、
男は新聞を読んでいた。
「……ショウネン……トナリ……スマホ……ワラウ……」
僕のことだった。
男が、
僕を見ていた。
「……キエテクレ……ソウ……オモッタ……」
違う。
そんなつもりじゃ。
ただ、
気持ち悪くて——
その瞬間。
車内の照明が一斉に消えた。
窓ガラスに、僕の顔が映る。
……違う。
僕じゃない。
顔半分が潰れている。
「ぁ……」
息が止まる。
周囲の乗客が、一斉にこちらを見た。
全員、
同じ顔だった。
無表情。
冷たい目。
そして、
ゆっくり席を立つ。
逃げ場がない。
男が耳元まで来る。
腐臭。
湿った息。
「……ツギ」
そこで目が覚めた。
朝だった。
いつもの通勤電車。
夢。
ただの悪夢。
安心した瞬間。
隣の女子高生が、舌打ちした。
小さく呟く。
「……臭っ」
胸が冷える。
周囲を見る。
空いている席があるのに、
誰も僕の隣へ座らない。
その時。
スマホに通知が来た。
知らないアカウント。
添付された画像。
——電車の中で眠る僕の写真だった。
その姿はあの浮浪者と同じ格好をしている。
そして、
コメントが一行。
『次は、あなたの番です』




