桜の咲く頃に
朝から今日は暖かった。
こんな日は決まって、あの場所に行きたくなる。
制服のままコンビニに寄って、三色団子を買う。
毎年、この時期になると同じことをしている自分に少し笑ってしまうけど、それでもやめられない。
土手の桜並木。
満開の花が風に揺られて、淡いピンク色の海が視界いっぱいに広がっていた。
花見客で賑わっている中、私は迷わず「あの木」へ向かった。
一番大きくて、一番古い桜。
看板には、この辺りで最も歴史がある桜だと書いてある。
でも、そんな説明よりも−−
見上げた瞬間、思わず声が漏れた。
「……すごい」
圧倒される。という言葉がぴったりだった。
枝いっぱいに咲き誇る花は、どこか、生きている。というより、燃えている。みたいで。
「あなたはここの桜が好きですか?」
すぐ近くから声がした。
振り向くと、いつの間にか一人のおじいさんが立っていた。
背筋の伸びた、静かな佇まいで、老紳士のイメージにピッタリだった。
「え、あ…はい。毎年来てて」
そう答えると、おじいさんはゆっくり桜を見上げる。
「実はこの桜、自身の命を燃やしながら何百年と花を咲き誇っているのです」
穏やかな声だった。
「それは時に、人を喜ばせました」
少しだけ、目がきらりと光った気がした。
「そんな生き方、素晴らしいと思いませんか」
私はどきりとして、言葉に詰まる。
「すごい…とは思います。でも、私には……」
想像もつかない。
そんな言葉を濁すように言うと、老紳士は小さく頷いた。
「貴女はまだ若い」
静かに、優しく孫に話しかけるように言う。
「ですが若いということは、たくさんの機会に恵まれるということです」
そして、私を見た。
「貴女にもそんな人生が送れるとしたら、どうしますか」
胸の奥がざわつく。
「えっと……」
答えが出ない。
するとおじいさんはふっと微笑んだ。
「……困らせてしまいましたね。では、桜を楽しんで」
それだけ言って、いつの間にか人混みの中へと消えていった。
私はそのあとも花見を続けた。
団子を食べて、写真を撮って。
でも−−
あの老紳士の言葉だけが、頭の中でずっと回り続けていた。
その夜、夢を見た。
満開の桜の下。
昼間と同じ場所に、あの老紳士が立っている。
「昼間の話、覚えておいでですか」
逃げ場のない問いだった。
私は少し考えて、答えた。
「……そんな人生も、いいかなって思います」
言葉にしてしまうと、妙にしっくりきた。
「今のまま、ぼんやり生きるよりは」
老紳士は、嬉しそうに目を細めた。
「やはり貴女なら、わかってくれると思いました」
優しく微笑む。
それが、終わりだった。
朝、目が覚める。
見慣れた天井じゃない。
視界いっぱいに広がるのは、淡い色。
地面一面に、桜の花びらが敷き詰められていた。
「……え?」
起き上がろうとする。
−−動かない。
腕も、足も。
指先さえも。
その代わりに、何かが「広がっている」感覚だった。
まるで身体の感覚が、どこまでも遠くに伸びているような。
地面の奥へ、空の方へ。
「……なに、これ……」
声が出ない。
なのに、意識だけははっきりしている。
そのとき。
頭の奥に、あの声が響いた。
「この桜は、代々−−魅入られた人の魂で、美しい花をつけていく」
冷たい理解が、ゆっくりと染み込んでくる。
「毎年桜を観にくる貴女なら、と」
視界の端で、人が見える。
笑っている。写真を撮っている。
−−私を、見上げている。
「私の役割は終わった」
ああ。
「これからは、毎年貴女が咲かせてください」
花が、揺れる。
風に乗って、ひとひら落ちる。
「美しい桜――期待していますよ」
遠ざかっていく気配。
待って。
待って。
「いや……そんなつもりは……」
声にならない。
私はただ−−
土手の桜は、今も美しく咲いている。
そして翌年も。
また翌年も。




