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銀狼の飼い猫  作者: 厚狭川五和
第一部「はじまりの物語」
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8章 夢から覚めるための魔法

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 ゆらゆらと、周囲が揺れる。

 中にいる人間も荷物も、それに合わせて左右に揺れて、その環境に適応できない者のスパンッ、スパンッ、という苛立ちの音だけが俺の耳に届く。

 内側が木製だからこの音に壊されないか不安だ。

 この海の上を漂う大きな船を……。

「おい、うるさいぞ」

 俺が怒ると音の主はさらに不機嫌そうに音を立てつつあまりよくない顔色でこちらを見上げた。

「ぐらぐら、気持ち悪い」

 俺の猫だ。

 今は船に乗っていて当然のことに波に煽られて揺れる。

 この猫はその揺れに気持ち悪くなりイライラしていたのだ。

「あんまり尻尾は叩きつけるもんじゃないぞ。せっかく艶々してる毛並みがボサボサになったらどうするんだ」

「……………………」

「いい加減にしないとこうだからな」

「ギニャッ!」

 さすがに他の乗船者にも迷惑だ。

 エルがずっと床を尻尾で叩きつけているせいで腹を立てた人間がどうやって黙らせようかと物騒な話を企てているわけで、俺は自分の飼い猫をそんな連中に虐められたくない。

 とはいえ俺の飼い猫なら躾は当然の義務だ。

 言うことを聞かないエルの尻尾を乱暴に掴むと俺は口元に運んで息を吹き掛ける。

 当然、エルはビクッと跳ねた。

 握られてワンヒット、息でツーヒットだ。これで大人しくなる。

 せっかく綺麗だった毛並みは既に台無しになっている。

 叩きつけた際に床の木材に擦れて静電気が発生し整えられていた尻尾の毛先が浮いてしまって猫でありながら狼のようなボサボサした尻尾になっている。

 これじゃあ他の人間に見せられたものではない。

「ふにゃんっ……!」

 その尻尾に舌を這わせると大変そそられる声で鳴いた。

「お前は少しくらい遠慮しろ。他にたくさん人間がいるのにやらしい声だしてんじゃねえよ」

「さすがにそれは無茶だよ、ファング」

「あんだよ、シオン。お前も舐められたいのか?」

 遠慮しておく、と言ってシオンは小さな魔方陣を目の前に出現させて小声で誰かと話し始める。

 その向こう側にいるのはエトだろう。

 今回は理由が理由なので戦力になりそうなエトを誘っておいたが竜の姿であればわざわざ狭い船内に入る必要もないからと空路で目的地へ並走しているのだ。

 当然、人間どもにあまり姿を見せるなと言っていたが何人かには見られてしまっている。

 神様とか勘違いされてるなら別に害はなさそうだ。

「今のところ外に異変はないってさ。それより人前で変なことするのはやめたら?」

「毛繕いだ。エルが変な声で鳴いてるだけだ」

「いや、どう考えてもいかがわしいことしてるようにしか見えないんだよ」

 俺はエルの尻尾を掴んで舐めていて、それはつまり、座っていて腰付近にあるものを自分の口元に引っ張りあげているということで、そうなると身体の軽いエルは持ち上がるわけで……。

 改めて構図を確認するとたしかに勘違いは招きそうだ。

 尻尾を掴んで持ち上げられているということはスカートが捲れるどころの話ではない。

 エルは逆さの宙吊りでパンツが見せつけられている。

 まあ、エルが前側を押さえているから俺からしか見えてない。

 そこが逆にいかがわしく見える理由だ。他に見えないように卑猥なことをしているようにしか見えないとシオンが忠告する理由を疑う理由はない。

 とはいえ飼い主として止めるわけにはいかない。

「俺たち獣人にとって尻尾の毛並みは命に等しいんだ。特にエルの場合は俺と違って頭と尻尾以外はふさふさしてないんだからもっと気を使わなきゃいけないんだよ」

「ご主人の方がぼさぼさだもん」

「口答えするのか?」

「ほんとのことだもん。ご主人はぼさぼさ。エルよりみっとも…………にゃっ!?」

「ちょっとファング!」

 俺が怒られる理由はないね。

 エルと違って俺は全身が獣のように体毛で覆われているのだから気にかけないと虫が集まってきたり、汚れが残っていると臭いがキツくなるがちゃんと整えている。

 ぼさぼさと言われる筋合いはない。

 そもそも体毛の量が多いのだからそう見えてもおかしくないのだ。

 あとエルは頭を指で示してぼさぼさと言ってきたが頭は特別毛量が多いわけではなく、単にそういう形なだけである。

 そう、(たてがみ)という雌に見せつけるためにある自慢のものだ。

 まさか鬣を寝癖と勘違いしてくるような駄目猫を許すわけがないだろう。

 それに俺はエルの毛繕いをしてる。

 尻尾を舐める際に手が、いや口が滑って尻尾を食べちゃっても単なる事故だ。

 別にもぐもぐしてる分には問題ないだろ?

「意外と楽しそうで何よりだけどさ」

「楽しくはねえよ。ただ、気持ち的に重い空気でいるより軽い気持ちでいた方が気楽だろ?」

「まあ、ね」

 シオンが不安に思うのも当然だった。

 今回、俺たちが船に乗って別の大陸へ向かっている理由はある人物から誘われたことから始まったのである。

 それこそ会うべきだが警戒しなければいけないような相手に、な。


     1


「エクスウィルドからお誘い?」

 突然たずねてきたナハトの言葉に間違いがなければそう言われていたので復唱して問い返した。

 俺はエルに尻尾を噛まれていてそれどころではなかったが名前を聞いて少しだけ気になったのである。

 エクスウィルド、別大陸の港街だ。普通は呼ばれることもない。

 都市として栄えているからこそ、他の大陸の国とも貿易を行っているらしいがラプトとはこれといって繋がりもないため名前を聞くことすら珍しいくらいだ。

「ああ。何でも作品と呼ばれた者と話がしたい、と」

「俺のことを知ってる人間か。なら応じる理由が無いとは言わねえけど」

 あの男以外に俺のことを知ってるのは悪魔女くらいだ。

 その二人からの誘いならば全力でお断り願いたいところだが正式に国同士のやり取りで連絡を寄越してきてるなら違うと判断してもいい。

 今じゃ騎士団に指名手配されてるくらいだからな。

 そんな連中が目立つことはしないだろう。

 とはいえそうなってくると選択肢が限られてくるのも紛れもない事実。

 たとえば男と一緒に俺の研究をしていた何者かがいた、とかな。

「つまりエルも同伴は確定になるわけだ」

「そうだな。ついでに魔女と竜も連れてこいとの話だ。お前とは別の意味で話があるそうだ」

「…………」

 つまり、俺の想像通りなわけだ。

 シオンやエトはこの世界に存在しなかったはずの種族であるが故に俺とエルのように作られた者とは別に男の研究と関連している。

 疑うべきだが知っておいて損はない。

 何より世界を丸ごと喰らえる狼と何でも破壊できる猫でも十分なのに魔女と竜なんていたら十分だ。

 行ってみて嘘なら暴れて帰ってくればいい。

 こうして今に至る。

「うえ……ご主人のよだれでベトベト」

「気は紛れただろ? 吐いて胃の内容物ぶちまけるよりも大好きなご主人様に喰われる方がいいだろうが。それにかなり喜んでたくせに文句言えるのか?」

 まあ、さすがに口の中に入れるのはやりすぎたかもしれない。

 自慢じゃないが俺の口の中は消化を早めるために温度的にも高いらしいし尻尾を入れられたら腰が抜けるのも納得できる。

 かなり牙に擦れてたらしいしな。

 それより俺的にはエルが毛繕いをサボってることに不安がある。

 こいつは猫という習性なのか家の中でなくても平気な顔してしゃがもうとすることがあるから尻尾に砂やら色々と付着してて綺麗とは言えなかった。

 おかげで俺の口の中はじゃりじゃりしてる。

 でも上げておけとは言えないんだよな。

 喜んでいる時とかに尻尾を上げるけどスカートを持ち上げているという認識がないから外ではさせたくないんだよな。

「そういえばシオンも気持ち悪そうだな」

「なんかファングと居るようになってから魔力の流れに敏感になってるんだけど負の魔力が多いというか……」

「エルもそれ分かる。なんか臭い」

 お前の語彙力だと勘違いされかねないぞ。

 兎に角この船の中に何かしらの悪い魔力の流れがあるってことだな。

 たしかに変な空気はある気がする。

「船の中で急に始めるような非常識な連中じゃ知らねえのも無理はないよな」

「あん?」

「おお怖い、睨まんでくれませんかね~?」

 明らかに悪意と憎悪の込められた挑発だ。

 単に俺とエルのやってたことを疎んだ人間なら憎悪までは持たないはずで、この男の感情を読み取るならばもっと深く根に持ったことがあるはずだ。

 でも言葉に気になることはある。

 俺たちが知らないことを何か隠している?

「なあ、そこの兄さん」

「何だよ絡みに来たのか?」

「ちょっと話に付き合ってくれませんかね~」

 ちょうどエルが吐き出してしまいそうだったから甲板に出るつもりだったしそこで話をしようと誘った。

 まあ、最初から話したくないなら挑発しないだろうとは思っていたが当たりだ。

 エルの世話はシオンに頼んで俺は男から話を聞く。

「さっきの話、詳しく聞かせろ」

「聞かせてくださいだろ? それに情報には対価が伴うものだと知った方がいい」

「何がほしい」

 上から目線なのは諦めるとして要求に答えれば情報が手に入るなら、と俺は尋ねた。

 しかし、男が示したのは俺が唯一答えられないものだ。

「猫だ。あの猫が欲しい」

「……っ!」

「お前がいい感じに躾てるんだろ? かなり大人しいしご主人様には反抗しない。それにお前の調教がちゃんと行き届いてるのか感度も良さそうじゃないか」

 なるほど、エルを俺が抱えた性奴隷と勘違いしたのか。

 それなら説得すれば済みそうな話だが……。

「言っておくがこの船には俺の仲間が数十人単位で乗ってる。ちょうどあの大陸からおさらばするところだったのさ」

 説得じゃ解決しそうにない。

 この船に乗ってる人間の数を全部合わせても男の言う「数十人」には及ばない。

 つまり、まだどこかに潜んでる奴もいる。

 俺たちが乗った船はどうやら悪党の詰め合わせられた最悪な船だったらしいな。

「お前の持つ情報はそれだけか? ならわざわざエルを売る必要はないな」

「本当にそう思うのか?」

「勘違いするな。あれは俺の猫だ。誰かに譲り渡す()()じゃない。俺の()()だ」

 あまり騒ぎにすると隠れてる仲間が出てきてしまう。

 だから俺も怒りを最小限に溢した。他の仲間とやらに悟られないように小さく怒りを見せた。

 それでも十分、この男には伝わったはずだ。

「じゃあ俺との賭けに勝ったら答えてやろう」

「ちっ。シオン、エルに誰も近づかせるな。あと自分等の身が危ないと思ったら遠慮なくエトを呼べ。この船には()()()()()だ」

「……分かった!」

「へえ、()()()にも仲間がいたんだ」

 できればこんな風に使いたくはなかったけどな。

 エトは本当の意味で切り札なのだから盗賊団ごときのために呼びたくはない。

 ただ警戒しておくに越したことはないのだ。

 俺のエルを狙ってきたからにはそれなりの準備がある。相手の力量が読めない時は手の内を明かさずに警戒だけしておくのがベストだろう。

 それより賭けの内容だ。

「この船には俺の仲間が三十七人乗ってる。それぞれどこにいるか言い当てられたら情報はくれてやるし船が停泊するまで手出ししない」

「停泊した後も俺たちには手出ししないのが条件だ。断るなら乗らない」

 今の条件では船が港に到着した瞬間に戦いの火蓋が切り落とされる。

 無期限であることが最低条件だ。

「まあ、別にいいぜ? どうせ答えられないだろうしなここからは質問なしだ。変に探られても困るからな」

 探るつもりなんかない。

 俺は目を閉じて嗅覚と聴覚に集中する。

 この位置から移動してはいけないなら視覚は頼りにならないのだから他で補うしかない。

 甲板には十四人分の気配がある。三人は俺たちの気配だとして……。

「そこの樽に五人……左から二つ目を除いた全部だ。あと帆の支柱の内側に二人、認識阻害魔法でエルとシオンに近づいてるのが四人だ。何かあれば強引にって考えか?」

「さすがに上手くいかないか。いま指摘された十一人は姿を現して俺の元に来い。反則だと言われたら面倒になる」

 既にお前はルールなんて無いことを証明しただろう。

 何が反則だ。俺が気がつかなければエルとシオンを人質にして脅すつもりだったんだろうが。

 でもな、お前は少し見誤ってる。

 シオンもエルもたったの四人で捕まえられるような普通の女じゃないんだぞ。

 さて、二人の無事が確保できたことだし俺は集中だ。

 あとは船内に居るとして二十六人だが……。

 最初に居た場所には十七人いたはずだが動けそうにない者を除くと十四人だけであとは個室に隠れていた可能性がある。

 ダメだ、この場所は潮の香りが強いし風の音もあって集中しても感じられる気配に限りがある。

「どうした? 諦めるのか?」

「うるせえ。まず俺たちのいた大部屋に十四人だ。二人の老人はただの観光客で残り一人はお前らに雇われた誤魔化し用の人員だから仲間じゃない」

「へえ、さすが自分の奴隷のためならそこまで頭を回転させられるのか」

 だから奴隷じゃない、俺の猫だ。

 完全に手に入れるつもりで話をしているみたいだな。

「なあ、ルールの確認いいか?」

「なんだ?」

「俺は動いたら反則になるけどエルは動いちゃダメなのか?」

「バカなのか? その奴隷が人数確認したら意味ねぇだろうが」

「いや、確認はさせない俺の側にいてほしいだけだ」

 たしかに奴隷だと思われてるなら忠実に情報を伝える可能性を否定できない限りは許可が下りないだろう。

 しかし、俺の側にいる分には意味はない。

 ただ俺が寂しいから呼んだだけにしか見えないはずだからな。

「分かった。そこの女が動かなければ問題ない」

「エル、こっちに来い」

「!」

 賢いお前なら察してくれるよな。

「何してんだ!」

 そりゃあ驚くよな。

 ピンチといえばピンチの状況で俺は急にエルと深いキスをし始めたんだからな。

 ちゃんとシオンも驚いてくれている。これで打ち合わせていたようには思われないだろう。

 あくまで作戦なんだよ、これも。

「エル、ちゃんと舌も使え」

「こいつら気でも狂ったのか?」

 これにはちゃんと意味がある。

 それはしっかり回答をした上で証明してやろう。

「残り十人はそれぞれ個室だ。内訳としては振られた番号の1から順に6までが一人ずつ。それぞれお前らが出航前に拐ってきた女と盛ってるんだろうな。腰を打ち付ける音と女の喘ぎ声、しっかり聞こえてるぞ」

「っ!」

「あとは7と8の個室に二人ずつ。この二部屋はお仲間さん同士で盛ってるな。他の六つの部屋と違って互いに遠慮があるように感じる。お前の盗賊団は随分と欲求不満な奴が多いみたいだな」

 この八部屋の人間は二人ずつなのか一人の部屋があるのか見分けが付かなかった上に入ってもいないから人がいない可能性もあった、

 何より、中からの音は廊下を通った時にしっかり遮断されていたし防音性に優れてる。甲板からじゃなおさら分からない。

 これはエルのおかげだな。

「あんな悩んでたのに急に……もしかして出鱈目なイカサマを!」

「どうしてそう思うんだ? 俺はエルを呼んでキスはしたが他になにもしてない」

「舌を使えとか言ってたよな? お前ら耳がいいから自分達にしか聞こえないように口を重ねてたんだろ!」

「お頭、それはありえねえっす。認識阻害を解除したから傍聴強化に魔力を回してやしたが言葉なんて発してないっす。こいつらぺちゃくちゃとディープなキスをしてただけっす」

「はぁぁっ!?」

 そう、俺たちは濃密なキスを交わしただけでなにもしてない。

 見ていたなら分かるはずだ。

 互いに求め合うように舌を絡め唾液を交換するかのような激しいキスをしていたのだから話している余裕なんてないことくらいは。

「あと二人残ってるぞ! ははっ、数え間違えたな?」

「シオン」

「はいはい、分かってますよ~」

 そう言ってシオンは目を閉じて念じ始める。

 すると彼女の後ろ側、船の外側ですよ大きな水飛沫が上がり、それに打ち上げられた魚のように二人の男が甲板に投げ出される。

 武装してる明らかにこいつらの仲間と思われる男だ。

「勝負は船に乗ってる仲間の人数を当てること。この二人は海に潜ってたからカウントできないよね? 明らかにルール違反してると思うけど」

「俺は女も動くなと言ったはずだ! お前が動いた時点で負けたのはお前らの方だ!」

「負け犬ほどよく吠える」

「なんだと?」

「最初からイカサマをしてたのはお前だ。その上で負けてきゃんきゃん吠えるな。耳が痛くなる。お前は相手の力量も考えずに行動して負けたんだ」

 反則してまで負ける勝負ほど惨めなものはない。

 男は甲板に膝を突いて負けを理解する。これ以上は足掻くだけ恥をかくだけだと。

「どういう、理屈だったんだ?」

「甲板の上と大部屋は素直に俺の嗅覚と聴覚だ。甲板は潮の香りと一緒に男の臭いがしてたからな。大部屋の無関係な人間については会話を聞いていて判断した。老人二人は盗賊団に入るには動きが鈍いし残り一人もちらちらと俺に視線を向けていて不自然だった。会話もギクシャクした世間話だった」

 それこそ獣を相手にするのが悪かったの一言。

 ここまでは人間相手だったら勝算の方が大きい作戦としては悪くないものだったと言える。

 後の半分についてはもはや読みが甘かったとしか言えない。

「途中でエルとキスをしたのはエルの体液……まあ今回は唾液を接種するのが目的だったんだ」

「なんで唾液を?」

「エルは物理的にも概念的にも()()()()()()が得意な猫なんだ。それこそ法則を破壊できるくらいにな」

「ああなるほどね~。急に熱烈なキスし始めたから最期に~ってしたんだと思ってたよ」

 まあ一番驚いていたのはシオンだったからな。

「そして俺は()()()()()が力だ。どんな形でも接種されたものを自分の力として取り込むことができるんだ」

「じゃあ唾液から破壊の力を?」

「最初は交尾とかした方が緊迫感あって騙せるかと思ったけど盗賊団相手にそんな方法とったら商品になるかもしれないのに汚すなって攻撃されると思って唾液にしたんだ。かなり妥協してたから意味があるか不安だったけどな」

 俺の力は接種したものが生物として、性別として、個人として確証付けるのに確実であればあるほど取り込める効果も時間も協力になる。

 それこそ唾液は最低ライン。

 エルの血液や交尾によって最中に分泌された真新しい体液の方が確実ではあった。

「俺はその力で聴覚の限界(ルール)を壊して個室にいるそれぞれを当てたわけだ。ちなみに海に隠れてた連中にはシオンが初めから気づいてたぞ」

「エルちゃんがすっきりしてる時に何かいるのが見えてたからね」

「…………こんな連中に敵うわけねえよな」

「ん、意外と素直に諦めてくれるんだな」

「そんだけ力量差があったら諦めもつくよ。それにエクスウィルドに向かう前に金になりそうな女を見つけたから欲しくなっただけだし命まで賭けねえよ」

 それが理由で生半可だったわけだ。

「これで情報はくれるんだな?」

「ちゃんと教えてやるし協力もしてやるよ。必要になるかは分からないけどな」

 その時、エルが俺に向かって手を伸ばしていた。

 今まで気分を悪くしていたが甲板に出て風に涼んだことで回復してきたから慰めてほしいのだろう。

「ご主人、抱っこ」

「! 旦那! しばらくそのままにしてくれないか!」

「え?」

 なんだ急に……。

 俺は男と見ているものに視線を行ったり来たりさせてようやく理解した。

 ああ、このおねだりしてる猫がいいのか。

「ご主人?」

「たしかにこの構図、癒しだな」

「すまない、こんな尊いものを奴隷にしようなんて……」

 可愛いものは腐った心も浄化できるんだな。

 小さい子供が手を伸ばし抱っこを要求している構図は何とも見ていて癒されるものだ。

 まあ、エルは経験済みの大人なんですけどね。

「ご主人、抱っこしてくれない。意地悪」

 やがて俺と盗賊だった男が意気投合してエルを観察することにしてしまったせいでエルは拗ねた。

 耳を伏せて尻尾がストレスで揺れ始めるとそれはそれで俺たちは癒されるわけだ。

「はいはい、まだまだエルはお子様でいらっしゃいますね」

「むう、ご主人さいていなの! エル、ご主人好きだけど人前でなんていや! さいていご主人なんかこう!」

「おい胸毛むしるな! 貧相になるだろうが!」

 もともと毛深い生き物が禿げたらどうなるか知らないだろ。

 それはもうみっともない姿で恥を晒すわけで……。

「いや、癒し分けてもらって悪いな。そろそろお前らが欲しがってた情報だな?」

 空気を読んでいるのかいないのか男は唐突に話を切り出してきた。

「まあ狂暴な猫が暴れててもいいなら続けてくれ」

 胸毛むしるのはいいけど、いや良くはないけど静かにしてくれるなら諦めるしかない。

 今はここまでして俺たちが手に入れようとした情報だ。

 無意味ではないと信じたいが……。

「この海域は船が沈没しやすいんだ」

「…………は?」

「それだけかよみたいなリアクションすんなよ!」

 いや、だって俺たちの努力からしたら「それだけ」の情報に近しい。

 沈没しやすいだけだったら別に船なんだから沈没することもあるよな程度で終わる。別に絶対知っておきたいとかいう情報ではないのだから賭けに乗る必要もなかった。

 しかし、それでは不穏な魔力の説明がつかない。

 あれが呪いとかそういう方面の空気を俺たちが感じ取っていただけなら解決のしようもない。

 何よりエルは魔力専門の番猫だ。

 異なった力では嗅ぎ分けられない。

「お、お頭……!」

「どうした、何か気づいたことがあるのか?」

 声を発したのはシオンに打ち上げられた二人だ。

 さすがに長時間も海に潜り続けられるだけの体力と魔力があっても衝撃には耐えられなかったようだが俺たちの茶番が終わるまでの間に目が覚めたらしい。

 しかも二人から告げられた言葉は耳を疑うようなものでもう一度聞き直さなければいけないほどだった。

「海に、魔物が……ッ!」

 世間知らずな俺はついついこんな質問をしてしまう。

「そんなに珍しいのか?」

「元は地上から魔物が発生したんだ! だから海から魔物が現れることはほとんど……」

「まさか沈没する理由ってそいつらなのか?」

 だとしたら討伐しないと諸とも海の藻屑だ。

「チッ! シオンは今すぐ船の耐久力を魔法で強化しろ! お前らはなるべく船に乗ってる人間を甲板に集めろ!」

「俺もお前を手伝う!」

「てめえは人を助けろ。なに、混乱する人間を俺じゃ助けられないからお前に任せてるんだ。そこはいい返事を聞かせてもらいたいところなんだけどね」

 これで伝わるだろう。

 お前らが盗賊という悪党で、俺の大切な猫を狙って、その猫を賭けた勝負でいくつもイカサマをして……それでも、同じ人間なら改心したと言えば信じる。

 俺は本当の悪魔を知ってるから。


 ──船底部。

 まさかとは思ったが本当に船底を食い破られるなんてことがあるとは、な。

 エルと一緒に駆けつけた時には船底に穴が空いていてそこから続々とトカゲのような姿をした魔物が乗り込んできているところだった。

 聞いた話だとリザードマンとか言われてるのか?

 ただ知能がない魔物なら良かったのに武器を扱う知能があるというのが面倒なところだ。

「船は内部の空気で水に浮くようにしてるから重くなると沈むんだっけ?」

「そうなの?」

「なんかの本で読んだから合ってると思う。つまり穴が塞げなければ沈むのは確定だし、こいつらを始末するか追い出すかできないと船の沈没さ加速していく」

 エルはいつもは愛らしく丸い目を少し鋭くすると侵入してきたトカゲに向けた。

「こいつら、倒せばいいんだね」

「どうせ元気が有り余ってるわけだし暴れていいんだぞ」

 船を壊さない程度に。

 エルが器用じゃなくても俺がカバーしてやれば済む話だ。

 俺はなるべく倒したトカゲを喰うようにして船の総重量を軽くしつつ戦うことを心がけ、エルは倒すことに専心する。

 そして、俺はエルが暴れて傷つけた船体を回収した魔力で修復していく。

 ずっと一緒にいる二人だからこそ連携も容易く、互いに気心がしれているから遠慮しないで自分の担当すべき作業を着実にこなしていける。

「にゃっ……!」

「俺の猫を狙おうなんざ百年早いんだよ」

「グルッ!?」

 さすがに数が数なだけにエルが複数を相手にしていると隙間から弓を構えているトカゲがいるため俺が対応しなければいけなくなる。

 とはいえ破壊の力がなくても俺自身の腕力で軽く気絶させられるレベルの魔物だ。

 たまに危ないと思うことがあっても互いに怪我することなく減らせている。

「ご主人! 水が多くて動きにくい!」

「さすがに倒してるだけじゃ浸水してる分だけ沈むよな……!」

 このままでは意味がない。

 どうする?

 エル一人に任せて穴を塞ごうにもひっきりなしに入ってきてるのを一人で相手させるのは危険だし俺が喰うのを止めると重量ばかりが増していく。

 船底の修復はどう足掻いても間に合わない。

 ここまでして諦めるしかないのだろうか。

「ファング!」

 シオンから音声通信が入る。

 船に対する強化魔法は使い続けているだろうにシオンは相変わらず器用な魔女だ。

「ちょうどよかった! こっちは片付けても延々と出てくるし船が沈み始めてる。何かいい案はないか?」

「こっちも全員甲板に集め終わったんだけどエトちゃんに連絡したら背中に乗せられる人数だって!」

「……頼めそうか?」

「お願いしてみる!」

 それなら人員的な被害は最小限になる。

 でもエトは俺以外の人間を背中に乗せるのは平気なのだろうか。

 重さ的には俺の方が論外だ。それは当然だが竜としての誇りがあるなら下等な生物がどうとか言って背中に乗せるのを嫌がるんじゃないかと思っていた。

 まあ、乗せられる人数という言葉からして気にしないのか。

「エル退くぞ! 上がったら階段を壊せ!」

「にゃっ!」

 ガラガラガラッ!

 おお、仕事が早いことで。

 言った側からエルは足元を全力で踏み抜いて階段と近くの床を瓦礫にして船底に落とした。

 これでしばらくは上がってこないだろう。

 少なくとも水が上がりきるまでの猶予ができれば全員がエトの背中に乗るまでの時間くらいは稼げる。

「エル、ありがとうな。今日もお前がいたから生き残れる」

「ご主人……」

 俺はエルの頑張りを労うように抱えあげると少しでも早くと甲板へと向かう。

 到着する頃には盗賊団の男たちも含め全員が乗った後であり俺たちは最後だった。

「待たせた!」

「ふっ、貴方のためならいくらでも待つさ。これで全員か?」

「うん! エトちゃんお願い!」

 こんな時でも主張を忘れないエトは落ち着いてると思う。

 そのお陰で全員が混乱せずに脱出に従うことができたのだろうと考えると感謝しかない。

「エトもありがとな。おかげで全員無事だ」

「感謝されるまでもない。私は竜として人間を見守ってきたのだから危機とあらば救うのが当然だろう?」

「お前らしいよ」

 その後はエクスウィルド港に到着するまで各々休息を取っていて、エトの背中から下りられたのは日が落ちた後だった。


     2


 ──エクスウィルド港、宿にて。

「シオン、入るぞ」

 俺は扉を軽く叩いて確認してからシオンの寝ている部屋へ入った。

 エルは同部屋でもよかったがあまり複数の女と同じ部屋で寝ていると別大陸にまで俺の悪評が付く可能性があったのでシオンとエトは別部屋にしたのだ。

 いつもならごねるかと思ったが今回はすんなり折れてくれたのである。

「んぅ……ファング?」

「悪いな休んでるときに」

 シオンは目を擦っていたが首を左右にゆらゆらと振って気にしないでと微笑む。

 この前の一件で互いに全てを打ち明けたわけだから遠慮も多少はなくなったし幼馴染みにも似た親しみやすさを得られたように思う。

 それがあってかシオンもあまり俺を意識してない。

 一応、好きではいるとのことだな一心不乱になってエルと競い合うのは止めたとのことだ。

「わざわざ夜中に来たってことはお昼の?」

「ん、そうだな」

「いいよ、遠慮しないで横に座っても」

 さすがにそこは遠慮しないと、と思っていたベッドの上に誘われて俺はシオンの横に座る。

 相変わらず甘く誘われる匂いのする魔女だ。

「私とエルちゃんが魔力を、しかも負の魔力を感知したのに原因が分からなかったもんね」

「俺らが行った時には船底に穴が空いてた。だから何か魔力を寄せるものか似た別の何かがあったんじゃないかと思う。あのトカゲが船を襲うようになったのはわりと最近らしいんだ」

「たしかに疑うべきだね」

 そう、魔力に関してはシオンが専門家だ。

 魔法として扱うこともそうだが魔物についてや装置に魔力を与えて稼働させる技術なんかもシオンに聞いておけばだいたい知っていたりする。

 だから難しい話は二人で考える。

 この世界に存在する本の内容を粗方は理解した俺とこの世界における魔法の専門家で話しておけば解決策や原因探求はちゃんと終結する。

 結論が出ない無駄話にはならない。

「まだ結論は出せないけど宝石とか、長く何かしらの形を留めるものには魔力を込めやすいから、そういうものが積み込まれてたのかもしれないね。例えば指輪なんか一番扱いやすいかな」

「そうなると海底を調べても見つからないよな」

「まず不可能だろうね。それにあの魔物たちが自分達の魔力にしようと食べちゃってるかもしれないし、そうなると魔力から得られる情報も変わるから難しいかな」

「シオンでもか?」

 申し訳なさそうに頷きが返される。

 いくら専門家といえど変化したものを戻して正確に読み取ることは不可能らしい。

 俺も喰ったあとの魔力が誰のものかなんて把握してないし当然か。

「でも誰かが意図的に積み込んだのは間違いないから出航前に確認してもらおうよ!」

「そうだな。それで何事もなければ良いし、結局のところ沈むことがあれば乗ってる人間の中に黒幕がいることになる」

「…………ところで、さ。ファングって、その……身体は全部オオカミみたいな感じなの?」

「ん?」

 急な質問だな。

 そんなこと考えたこともなかったけど今思えばどうなのだろう。

 カタチとしてはヒトだが中身で、見た目で考えたらヒトではないように思える。

 ん?

 まず全部ってどこまでの範囲だ?

「いや、顔もそんなんだからキスも大変だけど下半身もアレなら大変なんじゃないかな~、って」

「ばっ!」

「べ、別に好きな人に聞いちゃダメな話じゃないでしょ!? そ、それに私はあんまよく見たことないし」

 そりゃあ見せたくないものだから見せないだろ。

 でも何回か見られそうになった否、見られていたような気がするけど気が動転していてまったく気にしている余裕がなかったのだろうか。

「見た目こんなんだし、そうなんじゃねえの?」

「へ、へえ……」

「なんだよ、なんか文句あんのかよ」

「いや、なんでもないよ!」

「何でもない?」

 俺はシオンを押し倒して逃げ場を無くすように覆い被さる。

 そんなに顔を真っ赤にして一体何を考えていたのか白状してくださいませんかね。

 そもそも俺の活動理念が興味本意なのは知ってるはずだ。

 何でもないは通用しない。

「何でもないにしては妙に緊張してないか?」

「そそ、それはファングが押し倒してきたからだよ!」

「そうか? たしかに心拍数が倍くらいには跳ね上がったけど話してる時もそれなりに早かったぞ?」

「寝起きだから、ファングに粗相しないようにって緊張してたんだよ! ほんとだよ!」

 それにしてはやけに目を逸らす。

 俺たちは既に互いにどう想っているかは伝えてるわけだし別に粗相しないように気を付けなくても粗相をするなら粗相をしても問題なかったはずだ。

 別にエルは寝てるしエトも起きてくることはないはずだからな。

 やっぱり何か隠している。

「そんなに緊張してるならほぐしてやろうか?」

「い、いいよそんな!」

「遠慮すんなよ。俺とお前の仲だろ?」

「だ、だめっ!」

 何がダメなんだよ。

 俺はシオンが身に付けていたものを脱がせて仰向けだったのをうつ伏せにさせて腰の辺りに跨がる。

 別にこれからしようとしていることはどっちでもいいけどシオンにとってはどっちでもダメなことなんだろうな。

 俺は背中や肩やらに痛くない程度に指を押し当てていく。

「どう、だ。少しは、気持ちいいか?」

「あの……えっと、うん。気持ちいいけど」

「何で残念そうなんだよ。今日はずっと気を張らせてたしお前の場合はエルと違って胸があるから肩も凝るだろ? たまには俺から癒しを提供してやろうと思ったのに」

 マッサージなんて今日が初めてだ。

 でもまあ、常に胸に重量物を背負ってるやつはすぐに肩が凝ると本で読んだし気を張り詰めすぎてた奴には少しくらいゆっくりしてもらわないとな。

 本当はあの話も朝にしようかと悩んだくらいだ。

「ねえ、脱がす必要あった?」

「あるだろ。服越しで効果があるか分からないし体温を少しくらいは感じてた方が暖まる感じがしていいだろ?」

「いや、たしかにそうだけどさ」

 何が言いたいんだよ。

 俺は一度指で押すのを止めて文句ありげなシオンの顔を見る。

「直接さわられるとファングにやらしいことされてる気分になってちっとも落ち着かないよ」

「やらしいことされてるつもりでいればいいだろ! 服脱がされて指だけで責められてるつもりでいればいいんだよ! 俺はマッサージしてるだけだけどな!? お前は勝手にやらしいことされてると感じてろ!」

「ちょっと力入れすぎだよ!?」

 ああもう意識しないようにしてたのに。

 何であえて俺が気にしないようにしてたことを口にして意識を変な方向にもっていこうとするんですかね、アホなんですか、エロいことしか頭にないんですかこの魔女は。

「それにファング、私の下着越しに腰に乗ってるけど熱いんだもん」

 あー、なんもきこえないー。

 そりゃパンツなんてただの薄い布切れなんだから体温ダイレクトに伝わるだろうが!

 俺の体温が熱い?

 当たり前だ! こちとらお前のことを女として見てるんだから服脱がせた時点で鼻息だって荒くなるしパンツ挟んでるとは女の腰の上に乗ってたら緊張も興奮もするわ!

 そんなこと言うならこのまま始めようか!?

 ミッドナイト大歓迎だよこちとら!

「なんか懐かしいな」

「は?」

「あ……いや、たぶん夢で見たのと似てて懐かしいな~、って」

 記憶の食い違いか?

 もしかして、シオンが元いた世界の記憶がたまに戻ったりしているのか?

「その夢はどんな夢なんだ?」

「んー、よく思い出せないんだけど私に狼の使い魔がいて、彼は正直で胸が大好きなちょっと躾のなってない狼だったけど頼れる存在だったんだ」

「おいおい、俺をそんな狼と一緒にしないでくれよ」

「ほんと胸に対する熱意は変態並みだったけど頼れるしすごくカッコよかったんだよ。でも、何でなのか途中からいなくなっちゃった」

「…………随分と寂しそうに語るじゃねえか」

 好きと言われていたからこそ今さらのようにそんな話をされると嫉妬してしまう。

「でも、勘違いだよ。ファングはファングだし……似ていたけど本当の狼だったから」

「そう、か。あまり無理はするなよ。お前はいつも背負いすぎる癖があるからな」

 俺はシオンの上からよけると無防備な尻を叩いて特大ブーメランもいいところな言葉を捨てて部屋を出る。

 背負いすぎるのは俺も同じだ。

 エルも俺のことになると自分の力量を考えずに無理をしてしまう。

 たぶん背負いすぎちゃう者同士寄り添い合って生きてる。誰か一人でも欠けると恐ろしいほどに不足が見えてしまうほど補いあってるんだ。

 だから、シオンには無理をさせたくない。

「ご主人、寝れない?」

「起こしちまったな。んーん、小便してきただけだ」

「ほんと? 臭いしないけど」

「んなもん嗅ぐな! ほらさっさと寝るぞ!」

 えー、と抱えられたエルはまだ臭いを嗅いでいたがあえて臭いものを嗅ごうとするような猫を一々躾てやるのは面倒だ。

 別に臭いがしないなら関係ないしな。

 明日は呼び出した張本人に会う日だ。少しでも休んでおこう。


 ──翌日。

「なんか……普通の民家に住んでるんだな」

 港で話を聞いて回ると他の大陸から客を呼ぶような変人は一人しかいないと案内されたのがここだ。

 普通に他の家と何も変わらない。

 人間離れした研究をしているなら趣味とかも変わってくると思っていたのに普通すぎて驚かざるを得ない。

 この扉の奥にいる。

 俺たちが知りたいことを何か一つでも答えられそうな人間が。

「失礼するぞ」

「おお、しっかり来てくれたのじゃな」

 一応、相手がどんな人物か分からないからと丁寧に入ったが正解だったらしい。

 出迎えてくれたのはいい感じに年をくった老人だ。

「…………じいさんが俺たちを?」

「その出で立ち、お主がフェンリルじゃな。そうとも、わしが主らを呼んだ。ラフトという」

 握手まではする余裕がない。

 だから俺たちはそれぞれ名乗るだけ名乗り本題に入ろうとしていた。

 そう、焦っていたんだ。

「なんで俺たちを呼んだんだ?」

「…………あやつの企てを止めるために他ならない」

「あやつ?」

「アンセム……主らにはマスターと呼ばせていただろう。あの男がアンセムじゃ」

 俺たちを作り、世界のあり方を変えた男……アンセムという名は初めて聞いた。

 でも嘘か疑う必要はなさそうだな。

 嘘か本当かは匂いが示す。嘘なら気がつかれたくないという焦燥と汗の匂いがするものだがラフトという老人からはまったくそういう匂いがしない。

 つまり、この老人は本当に関係者だったということか。

「アンセムの企てって?」

「まあ、そう焦らずとも時間はあるだろうお嬢さん。まずはあやつが何を始めたか、それを知ってから聞いた方が理解はしやすいじゃろうな」

「…………聞こう、ファング」

 シオンに促されずともそのつもりだ。

 俺たちを作ったアンセムが何を研究していたのか、それがどのように変化して今の状況を作ったのか。

 知る権利があるからじゃない。

 知らないと奴を止めるにも何をしたらいいか分からなくなる。

「あやつがわしを含めた数人に声をかけて始めたことが今回の発端じゃ。最初の目標は世界を繋げ数多の種族が共存する楽園を築くことじゃった」

「楽園……」

「無論、何の力も無くして為せることではない。あやつは何かしらの力を持っていてわしらが頼まれていたのは別の世界から連れてこられた種族がどういうものか調べることじゃ」

 異世界から渡ってきた誰かが手の付けられない存在では共存どころかこの世界に生きる人間が絶滅する。

 アンセムの言葉を信じる理由も分かる。

 説得力というか、最初は本当にそれが目的だったとでと言うのだろうか。

「計画は良好、魔女やエルフといった種族もすぐに環境に適応し、この世界の住人とも仲良くしていた。ヒトに近しい者以外にも竜や悪魔すら招いていた」

「…………」

「しかしな、わしらが気がついた頃には遅かったのじゃ。アンセムはせっかく繋いだ世界との路を破壊し、この世界にいた住人を研究に使うと言い出した」

「獣人が、この世界にいなくなった理由か?」

「わしらは知らんかったんじゃ! まさかアンセムにそのような力があるなど誰が予想できようか!」

 たぶん世界中に生活していた獣人を一ヶ所に集められるほどの力だ。

 かなり条件も厳しいはずで一回のみの切り札的な力だったか使用後に自分の身体にそれなりの不具合を与えかねない危険な力だったか……いずれにしてもぽんぽん使えるものじゃない。

 故に俺たちが野放しにされているんだ。

「それで、アンセムは()()()()つもりだ?」

「……………………神だ。他の世界から異種族を連れてきたのも、フェンリルやキャスパリーグのような元々獣人という種族があったにも関わらず滅ぼして作り直したのも理由もそれだ。過酷な環境、状況に変化を与え力の発現を促すために、な」

「じゃあエトとシオンが異世界人で、エルとご主人は人工生物なの?」

「……そういうことじゃ」

 エルは特に信じたくないよな。

 殺されるために作られたなんて聞いて正気を保っていられる人間の方がおかしい。

 やはり真実を知るのは酷だったのだ。

「アンセムは【奪い去る者(ラバーズ)】の力を持ってる。おそらく力を保有してる人間を殺して奪う力だ。違うか?」

「それをどこで……!」

「答えろ」

「あ、ああ……アンセムは殺すことが近道だと言っていた。力の差を誇示することで相応しい人間として力を継承することができる、と」

 動揺したということは現場も知ってるな。

 俺の同胞だったかもしれない何かの山を見た上で、自分も逆らえばアンセムに同じようにされるかもしれないと分かっていながら俺たちに話をしたんだ。

 ラフトは信じてもいい。

 この老人の話は信憑性があるしリアクションに嘘がないならばラバーズの力も偽物ではない。

 あれは無知な俺への警告のつもりだったのか。

「ちなみに奴を殺せば世界は元通りに…………いや、ラフトが最初に望んでいたような世界に戻せるのか?」

「それは……分からない。しかしアンセムは【運命転化の女神(スクルド)】を恐れていた。彼女の力があれば……あるいは」

「協力すれば可能性がありそうだな」

 たしかに俺たちを優先せずにティナを先に狙った理由を考えると俺を確実に殺すためというよりも利用したい理由があったからの方がしっくりくる。

 彼女の力もまた代償が伴うほど強力なものだ。

「ラフト、お前を信じる。でも力を貸すというより俺もそういう未来が見てみたいって思っただけだ」

「それでいいんじゃ。元よりわしは主らが支え合い幸せを分かち合い生きる世界を望んだ。それが叶うのであれば……この老い先短い人間が、そんな未来を見させてもらえるなら主らのやり方で構わん」

「そういうわけだ。帰るぞ」

「おお、忘れるところじゃった! そこの魔女さんは少し時間をいただきたいのじゃが……」

「わたし、ですか?」

 俺は目配せで「聞いてやれ」と伝える。

 俺の嗅覚は裏切りの臭いを嗅ぎ分けられなかったことがないので今回も同じだ。

 一対一で話したいことなのだろう。

「分かりました」

「どうする? 待ってた方がいいか」

「ううん、ファングやエルちゃんは魔力で追えるからいいよ。だから隠れないでね?」

 なんで隠れる必要があるんだよ。

 まあ、それはいいがシオンを置いていくにしてもエルとエトを連れてどこへ行けばいいのやら……。

 と悩んでいるとちょうど街の方でぼや騒ぎが起こる。

「ちょっと行ってみるぞ」

「私はなるべく姿を隠していてもいいか?」

「エト、恥ずかしがってる」

「そいうわけじゃない! 私が悪目立ちしたら彼に迷惑がかかるだろう?」

 そこは別に全力で否定しなくてもいいんだけどな。

 まあ、どう足掻いてもエトの姿は俺らより目立ちやすいから公に暴れさせるのはよくないだろうな。

「俺は別に気にしねえけど動きにくくなるもんな。それでいいぞ?」

「感謝する」

 さて、現場に向かうか。


 ──エクスウィルド商業地区。

 何を騒いでいるのかと駆けつけた俺はそこで異様なものを目にする。

「なんで、道のど真ん中に階段があるんだ?」

「ん、あんた余所者か?」

 まあ、とテキトーに返事して俺はその訳がわからない状況の説明を聞く。

 要点を抜粋すると突然道が崩落して階段が出来上がったのだという。

「つまり謎だよな」

「ご主人! 下からいい匂いする! 行くの!」

「あ、おい! 勝手に行くな!」

 まずい、エルが勝手に行動するなんて……。

 もしかして猫を誘うような何かが奥にあるのか?

「ちっ! 行くぞ!」

「まったく貴方の猫は落ち着きがないんだな」

 普段はそんなことないんだけどな。

 こうなったら探しに行くしかないわけだし早めに見つけて突然出来上がった階段の謎も解いてやる。


     3


 入ってみたはいいが俺に分かることは多くない。

 入り口はそのまま商業地区の道と同じ石を砕いたものを繋げたものだったが降りた先は別だ。

 材質が地上で使われているものとは違うし魔力の臭いも強い。

 おそらく、人工物ではない。

「私から見てもこの地下空洞は異様だ。長い歴史の中でも見たことがない構造だ」

「壊せそうか?」

「いや、止めた方がいいと思う。ここを構築している壁そのものが形を作っている。つまりへたに壊そうとすると私や貴方を生き埋めにするかもしれない」

 それは壁が生きているという意味か?

 たしかに触れていて気持ち悪くなるというか、無機物を触っているような感覚がない。

 もしかして空洞そのものが何かの生物?

 なおさらエルの捜索を急がなければ俺たちも脱出はできなくなるかもしれない。

「スイッチが二つ?」

「試されているのかな。でも私は地下空洞の中にあるものは何も触れない方がいいと思うよ」

 エトの意見には賛成だ。

 この空洞が意思を持ったものなら居るだけで危険であり、かといって無闇に用意されているものに手を出すのはそれなりの危険を伴う。

 つまり、戻るしかない。

 でも一本道でここまで脇道や猫だけが通れそうな小さな隙間もなかった。

 エルは既に取り込まれてしまったのか?

 いいや、俺の鼻はちゃんとエルの匂いを捉えている。消えていないということはまだ無事なはずだ。

「ごめんね~遅くなったよ!」

「シオン……」

「ねえ深刻な顔するのやめようよ。ほら、そんな大した話じゃなかったよ。ファングとかエルちゃんは作られた存在だけど子供とか作れるって確証を得てきたし」

 そんなどうでもいいことを?

 いや、何か他にも話していたのは遅れたことから分かる。

 問い詰めるのは止めよう。

「状況は何となく分かってる。ついてきて」

「おい! エトは触らない方がいいって……!?」

 襲われるどころか逆に離れていってる?

「どんな生物にも弱いところがある。ファングも喉触られると気持ちいいでしょ?」

「気持ちい……くねえよ! 猫か俺は! そこ、そこだ……もっと強く……っ!」

「ファング、顔が堕落しきっているぞ」

「はっ! 魅了の魔法を使うなんてひきょん……!」

「ね? この地形そのものに憑依した魔物も同じだよ」

 くっ、こんな屈辱があってたまるか!

 何で俺がシオンごときに躾られてちんちんしてるんだ?

「俺は犬じゃない俺は犬じゃない俺は犬じゃない……」

「おい、シオン殿。彼がおかしくなってしまったけどいいのかい?」

「ああ大丈夫だよエトちゃん。嬉しいだけだから」

 誰がだ!

 ダメだ、エルがいないせいでシオンが俺に対してやりたい放題になってる。

 早くエルを見つけないと……。

「でもまあ、さすがは魔女だよな。頼りになる」

「それは誉めてくれてるのかな? そりゃあシオンちゃんはあなたを導く愛の魔女ですから~」

「痛いこと言うのはやめろ」

 たしかに導いてくれているけどな。

 シオンが開いてくれた道は奥までしっかり続いているしエルの匂いもしている。

 しばらく歩いていると奥に光が見え、俺は駆け出す。

 開けている空間があるのは間違いないしエルの匂いは間違いなくこの先にある。この先にいる。

「エル!」

「あのバカファング!」

 何か言っていた気がする。

 でも俺に優先順位を求めるな。大切は大切で全て守らなければいけないんだ。

 そうだ、この光の中にエルが…………?

「う……おぉぉぉぉぉ!?」

「崖になってるのに飛び降りるバカがいるの!?」

 地面とキスするコンマ何秒か前。

 シオンが《浮遊魔法(レビテーション)》を使ってギリギリのところで俺の身体を浮かせてくれる。

 でも、何で崖に?

「ファング、シオン殿……ここは早く退かないとまずいかもしれない」

「どうして……?」

「先客がいる。私よりも太古の竜だ」

 ばかなと顔をあげた俺は唖然とする。

 竜化したエトよりも数倍はあるだろう巨大な竜が眠っているのだ。

「待て! でもあそこにエルがいるぞ!」

「そんな……!」

「俺が連れて戻る! ずらかる準備をしておけ!」

 エルの場所までそんなに距離はないんだ。竜を起こさずに連れてこれる。

 しかし、それは大誤算だった。

 竜は寝ていなくてエルが人質だったら?

 俺がエルの前に到着すると同時に地下空洞は大きく振動し竜が目覚めた。

「エル……おい、エル! 逃げるから起きろ……!」

「ダメだよファング! この辺りにあるの全部マタタビだからエルちゃんを連れ出さないと起きないよ!」

 つまり?

 この辺り一面にある草は人間でいう酒と同じであり、その中に埋もれていたエルはでろんでろんに酔いつぶれているという意味であり……。

 え、なにこのピンチ。

 ふざけるなよ。

「グォォォォォッ!」

「こんちくしょうがっ! 俺がてめぇごときに踏み潰せると思うなよ!」

 重い、痛い、潰れる。

 でも俺はこんなことでエルと心中したくないんだよ。

 くそ、このままじゃエルも目を覚まさないし逃げることもできない。

「エトちゃん、助けに行ってあげて」

「シオン殿?」

「あの竜を倒さないと元の道を戻っても出られない。私もここからサポートするから」

「はやくしろ! さすがにもたねえよ!」

 助けでも何でもいい。

 考えるより先に行動してくれ。

 俺の身体じゃ竜の体重を永遠に支えてるなんて無理だ。

「私の番に手を出すなっ!」

「グォォォォォッ……!」

「私の魔法、どこまで通用するか試せるいい機会だよね!」

 俺を踏み潰そうとしていた竜を竜化したエトが全力の体当たりで転ばせ、シオンがそのがら空きになった腹部に無数の光の矢を放つ

「くっ!」

 しかし、魔法のダメージを受けてもなお元気をあり余した竜はエトを翼で叩いて壁まで弾き飛ばした。

 こんなのを、倒せと?

 エルを、庇いながら勝てというのか?

「冗談は……大きさだけにしてくれよな」

「グルッ!?」

「腹が柔らかくて助かった」

 エトはよく竜を転ばせてくれた。

 シオンもよく腹を割いてくれた。

 これだけ傷口が開いていれば俺の牙が通らないはずもない。ただの肉塊にするまで数分もかけない。

「エト、竜の核はどこだ?」

「ど、胴体と首の付け根だ……!」

 ああそうかい。

 ならあと少し食い破ればいけるな。

 小さいからって萎縮して怯えてた俺がそんなに潰したくなるほど憎たらしかったのか?

 俺はお前がこの地下空洞を作った理由も知らないし知ろうとも思わない。

 まあ、強いていうなら喧嘩を売る相手が違うんだよな。

 ブチッ!

「……倒した、のか?」

「複雑な気分だ。エルを傷付けようとしてエトを翼で乱暴に叩き飛ばしたとはいえ、こいつがここに産まれたのは無関係だったはずだろ?」

「私から感謝させてほしい。彼の太古の竜に対し粗悪な言動を慎んでくれたことに」

「腹立っても魔物とは違うからな。この竜も閉じ込められていたのかもしれないし、俺はそんな奴を殺したことを誇るつもりも忘れるつもりもないってだけだ」

 さて、エルは…………呑気な女だよな~。

 いくらマタタビででろんでろんに酔ってるからって液体みたいにぐねぐねになって恥ずかしげもなくへそや胸やら晒しながら寝てるんだから豪胆なものだ。

 これで地上へ出られるな。

「シオン、地上に戻るぞ。シオ……ン?」

 崖の上に立っていたシオンがぐらりと倒れて落ちた。

 冗談だと、言ってくれ。

 俺はエルをその場に残し駆けつけるが強く頭を打ってしまったからか意識ははっきりしていないし背中に大穴が開いている。

「おい、誰がこんなことを!」

「夢からは必ず覚めるものだよ」

「…………アンセムっ!」

 いいかげん俺の頭も事態に追いついてきたぞ。

 エクスウィルドに呼ばれたまではラフトの考えだったはずだが商業地区の地下空洞が作成されたのはアンセムの作戦で、エルを誘い出した。

 俺が薄情で自力で戻ってこない限り助けないと言って入ってこなければエルを、入ってきたなら孤立したタイミングを狙って俺たちの誰かを狙う予定だったのだろう。

 まんまと俺たちは引っ掛かった。

 あの竜は魔物と違って一人一人の力量だけでは勝てない。

 そうなると助太刀という形でみんなが参戦していくが魔女として魔法で援護をするシオンだけが遠くにいることになるのは定石だった。

 俺は……目の前のことしか見えていなかったのか?

「さてと、もう手遅れだと分かっているだろう? 今日ここで皆殺しにはできないだろうから逃げてもいいよ」

「そんなこと……!」

「残念だけどもう少しで【死者を囲う夜会(ワルプルギスの夜)】の力は僕のものになる。もし彼女の力を得たら僕相手に君は勝てるのかい?」

 勝てる勝てないの問題じゃないだろ。

 倫理の問題だ。

 今まで楽しくやってきた仲間を、殺されたまま置いていくことが正しいわけがない。ちゃんと手当てして、連れ帰って……またしょうもない冗談を言い合って…………。

 無理だ。

 分かってる、シオンは助からない。

 あのシオンが瀕死の重傷を抵抗もなしに受けるのはおかしな話だ。

 完全な不意打ちをされている。

 だから、シオンは……。

「…………ッ!」

 俺はシオンの肩に噛みついた。

「何をしているんだい?」

「お前になんか殺させねえ。シオンをお前みてえな最低の男に殺させたくねえんだよ!」

「そうはさせな……!」

「無粋な男だな。私がいることを忘れてもらっては困る」

 エト、お前には感謝するよ。

 俺の行動に何の意味があるのか理解したアンセムが絶命させる攻撃でもしようとしてきたんだろうがエトの尾による打撃で壁に打ち付けられている。

 おそらく動けるまではしばらくかかるだろう。

 俺はそれを確認してからシオンの肩から牙を抜く。

 あの男が止まらないようだったらこのまま俺の牙にかけて殺してしまうつもりだった。

 シオンを奴に与えるくらいなら俺の側で死なせてやりたかった。

「ファン……グ…………」

「お前は何で落ち着いてるんだよ、ばか。ラフトから何を聞かされたら……そんな顔でいられるんだよ」

 幸せそうなのだ。

 俺にはとても理解できない。

「やっと、一緒に……なれるね…………?」

「俺はずっと一緒だっただろ? そんなこと言うなよ」

「むう……先に、一人でいった……くせに」

 もしかして、あの夢を見てるのか?

 シオンの言っていた使い魔とやらに俺を重ねて夢でも見てるのか?

「こんどこそ、や………そく……はなれな………で…………」

「……………………ッ!」

 ああ、離さない。

 お前が()()()()()()()()ずっと、抱きしめていてやる。

「ファング……シオン殿は……」

「ったく、俺を置いてくなんて信じられないよ。俺が死ぬまで看取ってくれてもよかったのに、な」

「大丈夫か?」

「地上に戻るぞ。このままじゃ地下空洞ごと閉じ込められる」


     4


「ごめんなさい! エルの……エルのせいでシオンがっ!」

 地上に戻った俺はその辺の宿に泊まりエルが目を覚ますのを待っていた。

 そして、何が起きていたのかを伝えるとシオンの死が自分の招いたことだと考えたらしく泣いて詫びられている。

 でも、エルのせいじゃないんだ。

 ラフトに後から聞いた。

 シオンが夢を見るようになっていたのは自分に近づいている死が近いから。元いた世界の住人として魂が帰還する未来が確定したからだ、と。

 つまりシオンは遠からず死ぬ運命だったらしい。

 理由は分からない。あいつにではなく俺に殺されたのかもしれないし自ら命を絶ったのかもしれない。

 どちらにしろシオンは帰らなければいけなかったのだ。

「シオンがお前に手紙を書いてたんだぞ。行動がどんな結果を招くのか。それを考えたところで想像が一致するのはわずかな確率で些細なことで変わる」

「些細なことで変わったなら、エルがバカじゃなかったら!」

「いい加減にしろ!」

 俺は飼い猫の頬を叩いた。

 ごめんな、俺の力じゃ抑えていても痛かっただろう。

「お前が死ぬ可能性もあった。二人とも死んでしまう可能性だってあった」

「ご主人……」

「俺だって辛いさ。あいつと笑って飯を食うのが楽しかったのに二度とその時間は訪れない。しかもあいつ俺をどっかのバカ犬と勘違いして死にやがった」

 そうだ、悲しんでばかりもいられない。

 ラフトは言っていた。邪魔をするアンセムという男さえ居なければ望んでいた未来を掴むことができると。

「終わらせよう。俺たちが」

「…………うん」

「それから、またシオンに会えたらぶん殴って思いっきり抱き締めてやればいいんだ」

 そうだね、とエルは弱々しく頷く。

 まだ悲しみは癒えない。

 しかし、ここで立ち止まることがシオンの死を有意義にすることはないのだから歩み続けるしかないのだ。


 ──悪夢からは覚めなければいけない。


       8章「夢から覚めるための魔法」fin

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