10章 正解など存在しない
――レクセルの店。
自分はエルを連れてレクセルの店へ……自分の次くらいにシオンと親しく接していた人間の元へと向かい、すべてを説明した。
本当は言いたくなかった。
人の生き死にに関して薄情な自分とは違い、情のあるレクセルは人一倍に悲しむだろうことは安易に想像できて、わざわざ悲しませるために報告するのは違うような気がして黙っているべきだと考えていた。
でも、いつかは知られてしまう。
知られてしまうというよりも、知らせるべき時が来てしまう。
今後の戦いのことを考えるならレクセルはほとんど部外者のようなもの。知るべきことを知って、後は蚊帳の外から傍観しているべき人間だ。
自分にとっては記憶を失って間もない頃に世話を焼いてくれた恩人のような人間。
大切な縁というやつだ。
いつもならレクセルの所へ来れば裏に遊びへ出てしまうエルも今回ばかりは大切な話だと分かっているから同じ室内で話を聞いている。
レクセルは……やはり悲しそうな顔をしていたが、どこか分かっていたかのような声色で話し始めた。
「そうなんだ。やっぱりシオンは……それを選んだんだ」
「? あいつから何か聞いてたのか?」
「聞いていたと言えるほど完全なことではないけどね。彼女はずっと誰かの意志を継いで生きてきた。だから今度、そういう場面が来たら相手に繋ぐ側になる、って」
彼女は他人の死を看取る五際に想いと一緒に魔力の全てを回収していく。
そうして集めた膨大な量の魔力を人を助けるために、今まで看取ってきた人々が願った通りに使おうと必死に生きてきた。
ただ、どれだけ続けようと終わりがない。
一人で救い続けるにも限界があって、その度に無力さを思い知らされていれば自然と終わりを探し始める。
そのために諸悪の根源を絶つことを目的に活動していたが、シオンは途中から気づいていたのだ。
膨大な魔力を持つだけの魔女に何ができるのだろう、と。
どれだけ魔力があってもできるのは魔法を使うことだけ。規模の大きな魔法を使おうと不幸になった人々を全員救うなんてことはできず、そのために力を使えば根本的な解決に余力がなくなる。
それほどまでにアンセムは既に多くの力を回収してしまっているということ。
シオンが持っていた資料の中には彼女が確認したアンセムの能力がいくつか記されていたが『魔物を使役する』力や『攻撃を必中させる』力など、厄介なものまで既に回収された後だと記録されていた。
故に、次へ託すことを決めていたのだろう。
自分ではどうにもならないから諦めるのではなく、次の支えに、想いを託すことも念頭に入れて生きた。
レクセルの言葉を聞いてシオンが資料を残した意味を理解できたような気がする。
「それにしてもアンセムの目的がよくわからない。他の世界と繋いで能力の発言を狙うより、自ら他の世界に侵攻して能力者を葬った方が回収は早そうだ」
「何か制限があるとか?」
「獣人という種族を世界か丸々消したのに? あるかもわからない他の世界と繋げて、異世界人を招いてるのに? それだけの力を使えたらもはや制限なんてあってないようなものじゃない?」
レクセルの言葉を聞いてたしかに、と考え直す。
まず世界から獣人という種族を滅ぼしただけなら単純に一網打尽にするような強力な力を保有しているという仮定が可能だ。それこそ特定の種族のみに効果を示す毒を蔓延させたか……。
この仮定はヴェルゼという毒を開発することが可能な女がアンセムに非協力的ということを考えると崩れる。そもそもが悪魔も他の世界と繋いでから現れた存在だ。
さらに獣人は滅ぼされたのではなく概念が存在しない。人としての獣は存在しないことにされている世界だ。
つまりアンセム自身が持つ力を用いて存在を概念ごと消されたことになる。
この時点では概念に干渉することができるエルは生まれていないことを考慮してもアンセム自身に『概念に干渉する』ことが可能な力があることを意味している。
次に他の世界への干渉については彼も研究者として仮定していただけの可能性は少なからず存在する。
だが、そこへ路を繋ぐのは話が変わってくる。
魔法の一つに『転移陣』というものがある。同じ世界の知っている場所へゲートを作り出し、くぐるだけで移動できるという魔法だ。
この魔法を使うには大量の魔力消費を必要とし、魔法に対する高度な知識と練度がなければ正確な座標を移動することができない。
そして、これが魔法ということはアンセムが他の世界から魔女を移住させてから普及された技術ということに他ならない。
他の世界の住人を連れて来るに辺り、アンセムはそれを可能にする力を……もしくはいくつかの力を複合して可能にしていたと考えられる。
そこまで可能なら、どうしてレクセルの言うように自ら赴いて力を奪おうとしなかったのだろうか。
「効率、だろうな」
「他の世界に渡って一つ一つ潰していく手間を惜しんだってことかい?」
「そうだ。複数の世界を全部回るにしてもどの程度の広さかもわからないような場所を探し回るより、自分が知っている世界に呼び出して回収した方が早い。それにこの世界で他の世界と路を作れるのがアンセムだけなら、奴が別の世界に渡った後に維持できる奴がいない。再び路を繋ぐにしてもこっちの世界から向こうに繋ぐのとは逆だから可能かわからない。保険もかけてたんだろ」
今の時点で確実に言えることはアンセムが限りなく脅威であるということだけだ。
自分なんかに、止められるのだろうか……。
不安を感じ取ったのか離れた位置で座っていたエルが近くに来る。
彼女の視線だけで心配されているのが伝わってくる。
「最後までエルも一緒に戦う」
「心強いな。お前が居てくれるなら」
「ファング……君の選択はある意味、正しかったと思う」
急にレクセルが分けのわからないことを言い始めるから呆けた顔をしてしまう。
どの選択のことを言っているのだろう。
自分から選んできたことなんて数えるほどしか無い。レクセルが知ってるものに限るならもっと少なくなる。
自分は選んだのではなく、選ばされてきた。
あからさまに答えになり得ない選択肢を隣に配置されて常に反対を選ぶように仕向けられてきたのだ。
それのどこが正しいのだろう。
「君は『悪食』と言われても無闇矢鱈に人を殺さなかったし、力の回収をしてこなかった」
「まあ、たしかに力を持ってるやつを食って奪おうとしてこなかったな。それは知らなかったからってのが大きいぞ?」
「それで良かったんだよ」
首を傾げているとレクセルは理由を説明し始めた。
そもそもアンセムがなぜ、他の世界から能力者を集めて殺すだけではなく、自分やエルのような存在を作り出す必要があったのか。
獣人という概念を滅ぼして、自分やエルが化け物と呼ばれる世界にしたのか。
「結論から言うと君を道具として使う予定だったんだろう」
「道具? なんの?」
「力を回収するための道具さ。アンセムが効率よく力を回収するために面倒な戦いを繰り返す必要はあると思う?」
自分は首を左右に振る。
世界を丸ごと焦土に変える程度の力を有していれば一度に全ての能力を回収することができるかもしれない。それをしないのはアンセムが慢心していないということに他ならない。
例えば常時発動可能な反撃能力を持つ者が居たら?
能力によって攻撃を仕掛けることを契機に奪える者が居たら?
そういう危険因子の確認を一つ一つ行うまでは大胆な攻撃は仕掛けられない。
ここまで考えて「道具」という言葉の意味を理解した。
要するに捨て駒ということだ。
「俺が一人ひとり食っていって最後に俺を殺して回収するつもりだった、ってことか」
「そう考えると君にも他人の能力を回収する術を持たせた辻褄が合うと思わない?」
道具を使っての回収ならば一括するより時間が掛かるのは明白だが、それと引き換えにリスクを背負う必要がなくなる。
仮に反撃や、逆に奪われることがあっても使い捨ての道具だ。
アンセムが施設で繁殖を狙っていた理由も筋が通る。
同じ規格の量産品を作ることができれば能力を回収した瞬間に殺して力を集め、廃棄すればいい。獣人という概念が存在しない世界では化け物扱いを受けて孤立するから受け入れてくれる人間の元へと帰って来る。
使い捨てだからこそ他人に殺されても、能力を奪われても「食った力を体現する」ことが可能だとは考えつかないし他には何も持ってないのだから問題ない。
自分はエルの方を見る。
どうしても手を付けられないような能力を持って帰ってきた場合はアンセムが対抗手段を持たないという概念を破壊させて殺せばいい。
しかし、彼の中で誤算が発生した。
自分がアンセムに完全な服従をしなかったこと。
繁殖を甘んじて受け入れなかったこと。
保険だったエルを連れ出してしまったこと。
自分は繁殖を拒んだからアンセムの手元には量産品の道具が一つも残らず、服従していないから帰って来ることもなく、それを壊すための最終手段だった『破壊』の力も持ち逃げされた。
この時点でアンセムは自ら時間を掛けて回収するほかなくなったのである。
さすがにこのことはエルに伝えられない。
自分を殺すための手段だったと知れば落ち込むはずだ。
「じゃあ俺がたいして力の回収をできてない状況をお前はいい選択と言ったのか」
「君が利用されたままじゃなくて良かったって意味だ」
「………」
アンセムに服従を示さず、力の回収も行わず、そんな自分の選択が良かったと彼は言ってくれている。
その言葉が胸を苦しくさせた。
自分がその選択をしたお陰でエルは、自分を殺すことをしなくて済んだ。
でも、その選択で救われたのはエルだけで、他は…………。
「ファングは居るか!」
レクセルの店の扉が勢いよく開かれる。
外には「休み」を示す看板が提げられていたはずなのに入ってきた男は白装束に身を包んだ騎士だった。
「何かあったのか?」
「情報共有だ」
自分は騎士が口にした情報を聞いて席を立ち上がった。
ただの情報共有だけで済まされてはいけないことが発生したのに、こんなところで座って話し込んでいていいはずがない。
「ルインズで大規模な地割れが発生して民間人にも死傷者が出ている……! 団長が知らせるべきだと」
「そうか、ナハトが……」
ちらとレクセルに視線を向けると頷きが返ってくる。
行きたいのなら行ってこい、と。
自分はエルを掴み上げると担いで情報共有に来ていた騎士と共に本部へと向かう。
仮にナハト本人が情報共有を部下に命じたのであればティナとウォーグにも何かしらの被害があったからに違いない。
それを自分の耳で聞いて確かめる。
知らない方が幸せなのかもしれない。
だが、今さら自分達が立ち止まってもいられない。他の人間のことを足を止める理由にしてはいけない。
騎士団本部前に到着し、一緒に来ていた騎士が扉を開けようとする。
しかし、扉からわずかに中が見える程度だけ開いた瞬間、その騎士は何の前触れもなく倒れた。
嫌な予感がして扉から離れてエルを地面に下ろす。
騎士からは呼吸も心音も聞こえず、遠目に見る限り痙攣さえしていない。
つまり、既に死んでいる。
「エル、吸い込みすぎるなよ」
「ん。体に入ったのすぐ破壊して無害化する」
「そうしてくれ。俺は抗体をすぐに作り出せるけどエルはそういう訳にもいかないだろ?」
冷静を装ってみたが自分の呼吸はいつもより早くなっていた。
ほんの少し吸ってしまっただけで死に至る毒で満たされた建物。その中に居る人間が無事なはずがないと分かっているから、それを確かめに行かなければならないことに恐怖を、絶望を感じてしまっている。
エルが隣に来てそっと手を握る。
そんなことで安心できることは無かったが、それでも止まっていた足を進み出せるようにする程度の勇気は分けられたような気がした。
建物の中は静かだった。
つい先程まで普通に仕事していた騎士たちが、急に意識を失ったかのように無造作に倒れている。
誰一人として血すら吐いていない。
本当に、静かに命という電源を切られたかのように転がっている。
呼吸が浅くなる。人間という生き物の死をそれほど経験していないからか、動かなくなった彼らの虚ろな視線が自分に向けられているような気がして苦しい。
「ご主人、後でちゃんと埋葬してあげればいい。いま、それどころちがう」
「わ、わかってる……」
胸を押さえながらナハトが居る部屋に向かう。
自分の頭に浮かんでいる嫌な予感は、予感のままで終わってはくれない。もう現実として起きているのかもしれない。
それを早いところ確かめて終わらせるために動かなければならない。
いつもより重く感じる扉を押す。
ナハトは机に突っ伏していた。前には一人の部下が居て彼から報告を受けている間にこの自体が発生したと見れば分かる。
唐突に、違和感に気がつく間もなく全滅したのだ。
「ヴェルゼが犯人?」
「ちがう。あの女の匂いがしない。あいつは毒を生成することができるが、その場に居る人間に効力を発揮することはできても現場に赴かずに全員を殺すなんてできない」
そう、ヴェルゼは現場に来ていない。
だが騎士団本部は確実に毒で満たされていて、それも一瞬にして建物全域に発生していると考えられる。
可能性があるとすればヴェルゼが毒を作り、アンセムがそれを騎士団本部を対象に充満させたか、そもそもアンセムはもうヴェルゼを殺して力を手に入れた後か。
自分はナハトが掴んでいた報告書を彼の指の間から取る。
それはルインズに派遣されていた騎士が転送で異常を知らせるために送った報告書であり、その中身から自分達が知りたい情報のみを探す。
ルインズは遺跡を中心に崩落。家屋を含む国の大部分が崩れ、生存者の有無は不明。口の外側で野営していた当人は調査するために入ろうとしたが足場もないため調査を断念した、とある。
「エル……あいつら、助けてやれなかった……!」
「無事かも? まだ、決まってない」
「信じたい、けど……」
アンセムは効率的で確実な手段を使った。
ティナが時を操る力を持っていたとしても止めるには歌が必要であり、ルインズの住民の魂を循環させるのと違い、崩落する足場でそれを行うことは不可能だ。
地面が崩れ、それと一緒に自分達が落ちて、後から落ちてくる瓦礫もある。その音に飲まれて声など届かない。
アンセムは、ティナがそれを成し得ないと知っていた。
魂の循環は一度に全員に声を届かせる必要はない。
今回は全てを一度にどうにかしなければならず、アンセムはそれを利用したのだ。
「もし魔法による拡声が有効でも、そんな間はなかったはずだ」
「ファング……」
「エル、レクセルの所に……。戻らないと」
ルインズを壊滅させ、その少し後にラプタで騎士団の全滅。
この早さで行動しているならアンセムは残りの力に関して目星が付いているか、そもそも回収が終わってしまったのか。
いずれにしても邪魔になる自分をこのまま生かしておくとは考えにくい。
それに自分と関わりのある者が次々に消されているような気がする。
今、自分が守れる範囲内で関わりのある者は……。
「エト!」
窓から身を乗り出して叫ぶ。
どこに居ようと声を聞きつけて姿を現す。そう言ったエトが、同じく彼女が守ると言った街の中に居る自分の声を聞き流すはずがない。
たとえ街中に着陸できずとも、その姿を、影を、自分に見えるようにしてくれるはずだと……。
自分は窓から外へ飛び出して空に何度も名前を叫んだ。
たまたま遠くに居て時間が掛かってるだけだと、何度も……。
エルが自分の服を引っ張る。
それに気づいて視線を落とすと首を左右に振った。
牙が軋むような音を立てている。大粒の涙がポタポタと落ちていく。
自分の心は壊れかけていた。
「これ以上、俺から大切なもん奪わないでくれよ……」
「ご主人……エルは、ちゃんと居るよ? ご主人、置いてかない。ここに居る」
「ファング、いた……!」
ふと聞こえた声の方を見る。
傷だらけのノルンが地面を這うようにしながらこちらに寄ってきていた。
すぐに駆け寄り傷の状態を確認する。
何かに貫かれたような穴が胸に空いている。彼女が来た道を見ると赤い絨毯が敷かれたようになっていて、今から止血した所で助かりそうにもないことがわかってしまう。
ノルンは虚ろな瞳でこちらを見ると頬を撫でてきた。
「ねことにげて……?」
「ノルン」
「ノルンね、もうむり。ファングとねこのてだすけ、できそうない」
「気持ちだけでいい。お前も散々、振り回されてきたんだ。ゆっくり休め」
ノルンは最期に微笑むとそのままくたっとして動かなくなってしまう。
自分はノルンの遺体を近くの壁に寄りかかるように眠らせてエルの側に戻る。
完全にノルンが動かなくなった辺りで何者かの視線を感じていたが、ここまで生きた人間の気配を感じられない状況で自分達に意識を向ける存在には一つしか心当たりがない。
「アンセムッ!」
「完全に気配を消していたつもりだったが気づかれてしまったか」
アンセムは少し離れた位置に降り立つと自分の様子を見て楽しげに笑う。
この状況を作ったのはアンセムだ。
ルインズを壊滅させたのも。
騎士団を全滅させたのも。
エトやノルンを殺したのも……全てこの男が犯人だ。
今すぐに殺して償わせなければ、自分の心が保たない。
しかし……。
「おいエル!」
アンセムに飛び掛かろうとした自分を猫が横から突き飛ばした。
自分は問題ないが突き飛ばした張本人が地面を転がるようなことがあればそれなりの怪我をすると考え、服を掴んでそれを回避する。
その上で牙を剥き出しにして怒鳴った。
「邪魔すんな!」
「ご主人は冷静じゃない! そんな状態で戦ったらダメ!」
「どうやら愛玩動物の方が利口なようだ」
「俺は道具じゃなくて血の通った生き物だ! 心のある者だ! それがどうして大切な奴らの死を嘆かずに居られるって言うんだよ!」
エルは苦しそうな顔をする。
自分が掴み上げているから苦しいのではない。
大切な者を失った気持ちは自分と同じくらいあるからこその苦しみ。
それをわかった上で彼女は止めることを選んだ。アンセムの言う通り、エルが正しくて自分が間違っている。
でも、それはただ物として見た場合だ。
自分の手に取った本の中にいる登場人物たちに向ける答えだ。
この場で心を殺してしまったら何も残らない。
アンセムが遠くでにやりと口元を歪めるのが見えた。
咄嗟にエルを抱きしめる形で首や胸という急所を覆い隠す。
こういう時は勘に逆らってはならない。彼の考えが、攻撃手段が明確にわかっていた訳では無いが、こちらがエルの急所を守るために覆い隠そうとした腕を何かが引き裂いた。
「ご主人!」
「しかた、ねえだろ……! あいつの狙いがお前なんだから!」
「察しが良いな。だが、状況は好転したかな?」
アンセムが高々と手を挙げる。
完全に自分の心を壊すつもりだ。目の前で何もかも奪われて最後に守ろうとしたものも簡単に、たったの一つ力を使っただけで奪われてしまえば獣の心など安易に砕ける、と。
手段がわからない以上は足掻く方法も思い浮かばず自分はエルを抱え込むように地面にうずくまる。
彼の狙いがエルに集中しているなら、これが正しい。
自分は急速再生がある。もしかしたら諦めてくれるかもしれない。
「おい……」
再生したばかりの腕が切断される。
「それで終いか?」
足首を切られ立ち上がることがてきなくなる。
「みっともない」
逃げられなくなった体を無数の斬撃が切り刻もうとしてくる。
「獣なら潔く死ね。無様だぞ」
地面にしがみつくための筋肉をあらかた削り取られてしまう。
このままではまずいとわかっている。
でも、これしか方法がない。戦う術が無いのだから守り続けるしか無い。
懐でエルが寂しそうな顔をしたのが見えた。
「どけ」
アンセムが自分の腹部を強く蹴り上げた。
たかが人間の蹴りで自分の体が持ち上がるはずもなかったが何度も切られて身体のパーツの大部分を欠損している状態では、それもままならなかった。
無様に地面を転がされながら視界の隅にエルを捉える。
彼女は最後まで自分に心配するような視線を向けていた。
「ようやく役目を果たす時だ」
「やめ、ろ……っ!」
手を伸ばすが届かない。
次の瞬間、エルの腹部を貫くように槍が降ってきた。
自分は体を再生させながら、それを引きずるようにしてエルの側へ行く。
なぜか急所は避けられている。
「死を悼む時間はくれてやる。君が殺されに来てくれなければ意味がない」
そう言ってアンセムは一度、姿を消す。
自分の頭にはもう彼を追うことなどよりエルのことしか無かった。
「死ぬな、エル……!」
「ごしゅ、じ……いえ、かえろ?」
静かに頷いてエルを抱えたまま家へ帰る。
ほぼ全てを失った自分には周囲の凄惨な状況など目に入る余地がない。
―ファングの家、
家に着いた後、エルをベッドに寝かせて可能な限りの止血と手当を施した。
延命にもならないことは分かりきっている。
アンセムは死を前にした会話を許しても生存を許していない。心臓を貫かれてはいないが、手当した所で生き残れるような雑な攻撃をしてはいないだろう。
エルはぼんやりとした視界に女々しくも涙を流し続ける自分を映していた。
「ご主人……」
「なんだよ」
「最期くらい…ペットじゃなくて、ファングに愛された女の子でいたい」
「エル…」
これまでも十分に愛してきたつもりだ。
いや、ちがう。愛されたかどうかではなくて、隣で泣いているだけではなく、もっと寄り添って居てほしいと……そう言いたいのだ。
最期なのだから。
もう二度と声を聞くことができない。
触れ合うこともできない。
その姿を瞳に映すこともできない。
だからこそ、最期くらい満足行くまで五感で自分を感じていたい、と。
自分はエルの手を握る。
きっと、エルも理解してくれているはずだ。
このままではだめだと。
自分は名残惜しい小さな手から離れるとエルに背中を向ける。
「ファング……?」
「…………終わらせてくる」
エルピスは一瞬だけ驚いたような表情をすると、すぐに寂しそうな顔に戻る。ただの「終わらせてくる」という言葉に、それ以外の意味を見つけてしまったのだ。
自分の覚悟が半端なまま戦いに向かうのであれば奪われた者達の人生が終わるだけ。
ただ、エルはそれを許さない。
エルは震える手を伸ばして自分を止める。
否、終わらせることを止めた訳ではない。
「待って……?」
「エル…」
「んーん。名残惜しいとか、思ってない。ファング、終わらせに行くならエルも一緒に行く」
すぐに意図を理解する。
エルはもう歩くことさえできない。そんな体で敵の前に連れていけばかえって敵にエルの能力『破壊』の力を与えてしまう。
自分は歯を食いしばりながら涙をボロボロと流す。
覚悟を決められずにいた事。
戦いを終わらせることはいずれにしても確定していた。
今の歪んだ世界を終わらせることも偏りはあるが歪んでいると知る者が全て居なくなるのであれば問題ない。
ただ、二人の思い出を終わらせる覚悟がなかった。
自分達が守ることができなかった大切な人達を救うために、エルを喰らい、最後の望みに賭けるという覚悟が……。
「最期に、ファングの体温……忘れないようにして?」
「お前さ、俺が…お前のこと思い出して泣きたくなったらどうするんだよ…!」
「そうしたら……女の子冥利に尽きる、ってこと。してやったり、だね」
エルを力強く抱きしめる。もう間もなく息絶えてしまうであろう小さな体が折れてしまいそうなほど強く、抱きしめる。
その状態で彼女の首筋に深々と犬歯を突き立てた。
二人で終わらせるために。
すべてが終わっても忘れられないだろう。
最期にエルが見せた笑顔を。
既に失われつつあるエルの体温を。
知りたくなかった"肉"の味を…。
――ラプタから離れた平原。
街に残っていた匂いを辿るとアンセムは岩の上に座って待っていた。
その表情を見る限り思い通りの結果にはなっていないらしい。
彼の計画ではエルを殺して「破壊」の力を回収し、その力を使って楽に自分を仕留めるはずだった。
だが、エルは自分が喰ったためアンセムに力は渡らない。
仮に「破壊」の力が無い状態で自分を殺すのであれば肉体の再生をできないような状況に追い込むか、それ以前に一撃で完全に葬るしかない。
アンセムはそれで自分の心を殺しておきたかったのだ。
この世界に絶望したならば自ら死を選ぶ。守るべき者の一つも存在しない世界に生きている理由がない、と自分が自ら殺されに来ると考えていたのだろう。
エルもそれはわかっていた。
目の前で、アンセムの手によって殺されてしまえば「破壊」の力が彼に渡るだけでなく、本当の意味で自分がすべてを失い生きる理由が消えてしまう、と。
否、理由は今も存在しないようなものだ。
エルまで失ってこの世界に生きる理由は無い。
「君はどうしようもない化け物だな」
「黙れ」
「喰ったのか? あんなに大切にしていた者を」
立ち上がったアンセムが片足を上げ、その足で地面を強く踏みつける。
嫌な気配を感じ取り勢いよく前に転がると先程まで立っていた場所からトゲが突き出していた。
突き上げというより貫通が目的の攻撃。
今の自分にできることは一つでも多くアンセムの攻撃手段を確認して記憶。それらを目的に不必要だと判断すれば破壊し、必要なものを残しながら彼の優位を削る。
求められるのは所見では絶対に直撃しないこと。
そして、自分の目的をアンセムに悟られないこと。
後者はほとんど心配していない。
自分がこの場に現れる際に「破壊」の力を持っていて、アンセムが保有していない時点で彼からの評価は化け物止まりになる。復讐のためなら愛した者の肉すら喰らう獣だと思ってくれてるのなら勝機はある。
あまり避けすぎると冷静だと勘付かれる。
程よく攻撃を受けつつ、死なない程度に成す術が無いように見せかけながらアンセムの攻撃手段を一つずつ潰していく。
「点でダメなら弾幕が必要なようだ……!」
アンセムが空に向けて指を示す。
目で追わない。わざと気になる動作を含ませてこちらの意識を散らすことも目的に含まれているはずだ。
自分はアンセムに攻撃するべく距離を詰める。
バチッ!
地面を蹴った足に激痛が走る。後ろを確認するために立ち止まる猶予は無いため視線のみで状況を確認すると、右足が何かで焼き切られたように消し飛んでいた。
何かが弾けるような音と焦げたような匂い。
雷を指定した座標に落とした。狙いはそれなりに正確だ。
弾幕という発言から察するに一回の落雷で終わるはずがない。
自分はアンセムへの攻撃を中断して地面に伏せる。姿勢を低くし地面を滑る自分の頭上を何かが勢いよく通過し、アンセムはそれを回避するために地面を蹴って飛翔する。
落雷の衝撃で砕けた地面の一部が矢のように飛んできたらしい。
形状の変化はなし。自らの力で砕くのではなく攻撃の一環として砕いた地面を対象にしていることから投射物を生成する力ではないことを察する。
おそらく物体の動きに指向性を持たせる力とティナの「時を操る」力を合わせたものだ。加速を妨害すれば攻め時も増えるが「時を操る」力はこれからに必要なものだから破壊したくない。
消し飛んだ右足を再生し、飛翔したアンセムに視線を向ける。
自分が攻撃を回避したことを認識した直後に投射物を回避できる速度での跳躍。そのまま空に浮かんでいるのかと思ったが緩やかに降りてきている。
つまり飛び続けることが可能な力ではなく一時的な跳躍の強化。
落下速度が遅いのは重力の抑制をしているからだろうか。
時間としてはほんの数秒足らずでもこれだけの情報量だ。
逆を言えば組み合わせ次第では回避不可能な状況に陥る可能性も十分に考慮しなければならない。
それよりも落下する以外に選択肢のない今を逃す手はない。
再びアンセムと距離を詰めるため地面を蹴って走り始める。彼が元々座っていた岩を蹴り跳び上がる。大きく口を開いてアンセムを喰おうとした。
しかし、横から何かが風を切る音が聞こえた。
脳や心臓を破壊されれば再生力があっても即死するため、すぐに自分の胸の前に手を翳した。
案の定、風切り音はエルを貫いたものと同じ槍で、心臓を狙って飛んできていたが翳していた手を貫き、胸に届く前に止まる。
「化け物め……!」
自分を作っておいて化け物呼ばわりとは本当に救われない。
アンセムは殺すことよりも攻撃を回避することを優先し、咄嗟に持っていた指輪を後方に投げ捨てる。
投射物に指向性を持たせる力は進行方向に関係なく発動できるらしくアンセムが投げ捨てた指輪が一瞬だけ停止すると折り返して彼の背中めがけて飛んできた。
アンセムは苦しそうな声を出しつつも指輪が当たった衝撃で落下の軌道を変えて自分の頭上から退避。横への移動する力が強い状態なら問題ないと判断したのか速度を抑制するのも止めて自分より先に着地した。
自分は遅れて着地すると槍を掌から引き抜く。
この槍は前回も視覚に捉えることができない位置で発生し、アンセムの狙い通りに貫いていた。可能性として考えられるのは体の部位を指定して死角から一直線に飛んでくるというもの。
この力は要らない。
ノルンを、エルを、殺した力なんて必要ない。誰かを傷つけるためにしか使われない力を残す必要など無い。
自分は槍の柄を強く握って砕いた。本来なら何の意味もない行動だが、エルの力がある状態ならば意味がある。
「やはり力を壊すか……!」
「…………」
「死を悼む時間など与えるのではなかったな。いつも君達は思い通りにならなくて腹立たしい限りだ!」
アンセムは猛攻を仕掛けてくる。
彼は戦闘が長引けばそれだけ自分に力を破壊されていくことを理解している。
ヴェルゼの毒を自分に使っても抗体を作り出して死に追いやることはできない。
エトの力を使い神経毒を取り込ませようとしても、自分がそれを摂取することによって力を奪われる可能性があるから試せない。
ティナの力で時間を停止させたり加速させたりするにしても効果が発動した瞬間にエルの力で一部くらいは破壊できる。停止は完全なものではなく遅延程度になる。加速はそもそも傷の再生すら早めるから意味がない。
つまりアンセムは焦っていた。
自分が気付ける程度のことを彼が気づかないはずがない。
何ができるかよりも先に、何をしたら敗北するかを考えているうちに手の内がそんなに万全ではないことに気が付き、次第にそれは余裕を奪っていく。
攻撃を繰り返す度に力を破壊して使えなくするか、対策を講じられる。
そして、彼は焦りから今まで選択しなかった行動を取る。
周囲に散らばった瓦礫を同時に投射物として使った上で地面を踏みつけ、地面からの棘による攻撃。決め手に欠けると分かっているから自らの体を加速し、こちらの体を貫くために先程砕かれた槍の穂先を構えて特攻。
回避可能な場所を封じた上での不確実性を無くすための力に頼らない攻撃。
正しくはあるが、取るべきではない選択だった。
「…………ッ!」
ここまでタイミングを合わせていたのであれば何かしらの考えがあると理解していた自分はアンセムを受け止め、そのまま肩に噛みついた。
指定した部位を確実に貫く力が無いのであればアンセムがどこを狙っているかわかった時点で自分の腕力でどうにかできてしまうのだ。
アンセムから跳躍の補助に使われた力が失われて勢いよく自分と共に慣性に従って地面を滑る。
彼は敗北を悟っているから抵抗しなかった。
自分に噛みつかれた時点で何一つ力を振るうことなどできない。戦ういみが消えてしまったのだ。
「己の安全よりも、僕の命が欲しいとは」
「お前の命なんか欲しくねえよ」
「ならば何を理由に……いや、答えなくていい。理解した」
アンセムは自分の開発者だ。考えていることを丸っきり理解できないようであれば自分を隔離して研究していた意味が無かったことになる。
もし彼を喰い殺したとしても何も残らない。
大切なものを全て失ったこの世界に行き続けることに何の意味も見出だせない。
あるのは苦しい思い出だけ。
だからこそ、思い出に別れを告げることを決めたのだ。
物理的な事象も、概念的な事象にも干渉できる「破壊」の力とアンセムがティナから奪ってしまった「時を操る」力がある。それ以外にも必要な力があるとしてもアンセムは揃えている。
すべてを、無かったことにすればいい。
誰も苦しむ必要のない世界に戻してやればいい。
それが、エルの望んだ最後のわがまま。
「お前は、何がしたかったんだよ」
「初めから持って生まれると多くのものを欲してしまう。贅沢を知れば欲深くなるものなんだ。手に入れても満たされない気持ちがより一層強くなってしまう」
それを聞いてアンセムがただの人間だと思い出す。
ちょっと特殊な力を持って生まれてしまったがために欲してしまった。知りたいと思ってしまった。その結果がこれだ。
もっと早い段階で誰かがぶん殴って止めてやればよかったのだ。
少し考えてからアンセムの顔を覗き込む。
「お前さ、欲しがんなよ。一人で全部もらってもつまらねえだろ」
「それは嫌というほど今回の件で理解した。力ばかり集めても人の心はわかるものではないし、彼らが持っているものが何一つ手に入らない人生だった」
「…………別に自分のモンにしなくたって誰かが持ってりゃ良いじゃねえか」
理責めするなよ、とアンセムは溜め息を吐く。
そんな彼を見ていて思うことがある。
今の彼だったら同じ過ちを繰り返すのだろうか、と。
彼にとっての過ちは欲しいものを他人に集めさせて奪おうとしたことだ。手に入らないものもあることを、理解していなかった。
それを知っている今なら……。
「頼みがある」
「この期に及んで?」
「エルとの約束だからな」
アンセムは少しの間、驚いたように口を開けたまま固まっていたが、すぐに肯定の言葉を返してくれた。
頼んだ内容はシンプルだ。
彼の記憶を完全に残してやれる保証はないが、覚えていられなくても同じ道を辿ろうとした時に違和感を覚える程度にはしておく。
それは再発防止以外にも理由があって、それが彼に頼んだ内容。
この世界においてアンセムが繋いだ世界の関わりは決して悪いものではない。絆と呼べるものを結べた者達も居る。
その縁を、切るべきではない。
自分はアンセムから奪った力を複合行使してエルの願いを実現する。
この世界を、自分とエルが存在しなかった状態へ。
こんな苦しい思いをするくらいなら、知らない方が良かった。
それも、今日で終わりだ。
――レクセルの店。
「頼まれてた薬、持ってきたよ〜」
「すまない、少し忙しいからそこで座って待っててほしい」
行くよ、とシオンは後ろに続いて入ってきた使い魔の狼を誘導して窓側にある席に腰掛ける。
レクセルは接客のすべてを終えるとシオンが持ってきた薬の入っている木箱を店の裏に運び、その後で表に戻って来る。
彼女は窓から裏庭を見ていた。
寂しそうな顔をしていたから声を掛けてもいいのか迷って、レクセルも立ち尽くして裏庭を見る。
そこにはレクセルが育てている希少な品種の蝶が飛んでいる。
「あ、あれは育てるの大変だった品種だぞ。止めないと」
「そのままにしてあげて」
「シオン……?」
シオンは窓の外を眺めたままレクセルを止めた。
彼は止められてから気付いたがシオンの隣に居る使い魔もまた、寂しげな表情で外を眺めているのだ。
何も思い当たる節など無い。
「何でかな。この子、あまり深く考え込んだりしないはずなんだけど寂しいって気持ちがたくさん流れてくるの」
「…………行かせてあげたら?」
「ペロ? 気になるなら行ってきていいよ?」
使い魔は返事をしない。
彼が猫の元へ向かわないのには理由があるように見えたがシオンはそれ以上の追及はしなかった。
言葉にしようもない気持ちを詮索するべきではない。




