幕間「帰宅中のあれこれ」
美月が去ったあとの管理所は、先ほどまでの賑やかさが嘘のように、いつもの落ち着いた雰囲気を取り戻していた。
来徒の声と、書類をめくる音。
各部署を行き来する、職員たちの足音。
その中で。
総務管理課の受付に立つ写仝だけが、微動だにしていなかった。
「…………」
受付台には、美月が置いていった決済札。
『それに、ここ好きだし……』
『まとめて全部聞いちゃったら、皆さんとちょくちょく会えないじゃないですか』
その言葉が、妙に残っている。
「……あらやだ。こっちも情緒の葬儀中かしら」
横から聞こえた声に、写仝はゆっくり顔を向けた。
種族支援課の縁が、書類を胸元へ抱えたまま立っている。
「既に埋葬まで済んでおります」
「済んでる顔じゃないのよねぇ〜」
「顔はありません」
「……あらぁ〜?」
縁の狐耳が、ぴくりと動いた。
何かを嗅ぎ取るように鼻先を上げる。
「なぁんか……写仝さんから“縁”の気配がプンプンするんだけどぉ」
「……気のせいでしょう」
「縁結びの妖狐なめないでちょうだいねぇ?」
「…………」
写仝は答えない。
無表情どころか、そもそも表情のない影の輪郭を、縁は楽しげに見つめた。
しばらくして。
「んふっ♡まぁこれ以上詰めるのは野暮ってもんだからぁ、私は失礼するわねぇ〜」
「そうしていただけると助かります」
縁は意味ありげに尻尾を揺らし、そのまま種族支援課へ戻っていく。
その横で。
ザザッ……ブゥン……。
写仝の肩から頭部にかけて、輪郭が一瞬だけ大きく乱れた。
「…………勤務中ですよ」
誰に言うでもなく呟き、受付台へ視線を落とす。
写仝は人知れず、何かと戦いつづけるのであった。
一方その頃。
美月、ジャジー、鳳の三人は、拠点へ続く道を歩いていた。
先ほどまで続いていた吸血を巡る小競り合いも、ようやく少し静まっている。
その沈黙を破ったのは鳳だった。
「ジャジー殿、先ほどはすまなかったでござる」 「……別に」
ジャジーは前を向いたまま、ぶっきらぼうに答える。
美月はその横顔を覗き込み、少し笑った。
「でも、隠してコンプラ守ってくれたでしょ?ありがとね」
「……まぁな」
しかし。
どうにもジャジーの顔が晴れない。
眉間には薄く皺が寄り、口元も不機嫌に曲がっている。
「ジャジー、なんでそんなむすくれてるの?」 「……なんでもねぇ」
「拙者の補給で美月殿との触れ合いが中断されたからであろう」
「そうなの?」
美月が首を傾げると、ジャジーは鼻を鳴らした。
「それもあるが、大きくは違ぇ」
その視線が、鳳へ向く。
先ほどまで顔色を悪くしていた鳳は、今ではすっかり血色を取り戻していた。
肌には艶が戻り、妖力も安定している。
そこまではいい。
問題は、その顔だった。
初対面なら絶対に気づかない程度。
だが、今では毎日顔を合わせるジャジーには分かる。
目元が、ほんの少し柔らかい。
口元も、わずかに緩んでいる。
明らかに満たされている。
ジャジーのこめかみに、ぴきりと筋が浮かんだ。
「クッソムカつくくれぇ鳳の顔が満たされてんだよ!」
「妖力を補給できたのでござる。当然顔面にも表れよう」
「じゃあお前の今の心境、代弁してやろうか」
ジャジーの口元がヒクつく。
「美月に合法的に触れられた。血が美味かった。自分のもんだって周りに誇示出来た」
「……誇示などしておらぬ」
「してただろ!つーか他のは否定しねぇのかよ」 「……前二点については一切否定せぬ」
「ちょっと待って!誇示ってなに!?」
美月が二人の間へ顔を突っ込む。
ジャジーは鳳を親指で指した。
「そりゃ綺麗なもん持ってたら自慢してぇだろ。こいつ丁寧に血ぃ飲んでると見せかけて、すげぇ悪ぃ顔周りに向けてたぞ」
「拙者は最低限節度を守るため、周囲を確認していただけでござる」
「節度守りてぇやつは管理所から出てきて美月に見惚れるやつを、あんな顔で見ねぇんだよ」
「私が気づかないとこで何の所有欲爆発させてんの!?」
美月が2人を見る。
鳳はわずかに視線を逸らした。
「……」
「鳳?」
「美月の所有欲だろ」
「私は物じゃありません!」
「チッ……だから見えねぇようにしたんだよ……」 「え」
美月の動きが止まった。
「……待って……ジャジーが羽根広げてたのって……」
ジャジーは当然のような顔で口を開く。
「鳳が美月に対して、自分のもんだって顔してんのが気に食わなかったからだ」
まさかのNOT気遣い宣言。
「コンプラ保護じゃなかった!」
「でもよ、結果的には守れてたんだろ」
「動機がコンプラから一番遠い!」
鳳が咳払いをする。
「拙者にそのような意図はない」
「言ってろ」
「お主は先ほどから――」
「はい! そこまで!」
また始まりそうになった二人の間へ、美月が両手を突き出した。
「帰宅するまで喧嘩禁止!さっきから全然進まない!」
「俺は歩いてる」
「拙者も歩いているでござる」
「そういう意味じゃない!」
三人の声が、道の向こうへ遠ざかっていく。
やがて、その姿も見えなくなる。
誰もいなくなった道端。
そこは以前、美月が鼻緒の切れた男と出会った場所。
風が吹き、道脇に生えた草がさわさわと揺れる。
―――ただ。
その一角。
まるで何かがそこへ座っているかのように。
草が不自然なほど深く、地面へ押しつけられていた。
幕間「帰宅中のあれこれ」- 完 -
→第5章 深まる関係編 - 第1話
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