序章 転生編 - 最終話「もう何かのフラグが立った気がする」
「現在の隠世は、昔とはかなり異なります」
「昔?」
「元々、この国の隠世には、この土地に由来する幽霊、妖怪、神などが主に暮らしていました」
前方に広がる街に視線を向けたまま、思い返す様子で管理人は続けた。
「しかし、人間界で国を跨いだ往来が増えるにつれ、人ならざる者達の世界でも移住が増えました」
通りの向こうを、大きな翼を畳んだ人影が歩いていく。
「現在では、悪魔、天使、精霊、人魚、吸血鬼など、国外由来の種族も珍しくありません」
「隠世にも外国人枠があるんだ」
「外国人ではありません」
「分かってます!」
その時、ふと向かいのカフェに座る異種族の男女が目に入った。
美月の視線の先を確認すると、管理人は先回りするように口を開いた。
「さらには、異種族間で伴侶となる者も増えました」
「妖怪も恋愛するんだ!?」
驚愕の事実だった。
「はい。そのため、最近では複数の種族的特徴を持つ者も多いです」
「ハーフってこと?」
「七種混合まで確認されています」
「犬の予防接種みたい」
そして、管理人が足を止めた。
「なお、もう一点、事前に説明しておく必要があります」
「もう何かのフラグが立った気がする!」
「現在、隠世では女性妖の数が少ない傾向にあります」
確かに、ざっと見渡しただけでも、全体の10分の1ほどしか確認できない。
「加えて、人間界の文化の影響により、生涯独身を選択する女性妖も増加しました」
「そこまで現代化してるの!?」
「はい。結果、伴侶を求める男性妖と、伴侶契約を希望する女性妖の比率に、大きな偏りが生じています」
嫌な方向へ話が進んでいる。
「そのため現在では、一人の女性妖が複数の男性妖と伴侶契約を結ぶ、多伴侶形態が一般化しつつあります」
「…………はい?」
「多伴侶です」
「聞こえてます!」
美月は両手を前に広げ、一度管理人の話を止めた。
「ちょっと待ってください……今処理に時間がかかってます」
「どのくらいかかりますか」
「今すぐシャットダウンしたいです」
「何度でも起動させます」
「休ませて!」
数拍おき、美月はこめかみを押さえながら口を開く。
「……つまり、一人の女性に旦那さんが二人とか三人とかいるってこと?」
「まったく珍しくありません」
「妖怪社会思ったより攻めてる!」
「妖少化への対応という側面もあります」
「ちゃんとした社会政策だった!」
「ただし、すべての者が多伴侶制度を好意的に受け入れているわけではありません」
そこで初めて、管理人の声音が少しだけ低くなった。
「独占を望む者もいます。他者との契約を快く思わない者、既契約者から伴侶を奪おうとする者もおられます」
「急に怖いこと言わないでください」
「ですので、契約相手は慎重に選んでください」
「私はもう静かに暮らしたいんで選ぶ予定ないです!」
「そうですか」
美月は力強く言った。
「人間の人生、結構疲れました。死んじゃったものは仕方ないし、帰れないなら帰れないで諦めます」
「切り替えが早いですね」
「不幸には慣れてるので」
一瞬。
管理人が、美月をじっと見た。
「……そうですか」
「?」
「いえ」
また歩き出す。
心なしか、管理人の進むペースが、ほんの少しだけ緩くなった気がした。
「こちらです」
街を抜け、少し離れた場所まで歩いたところで、管理人が止まった。
美月は目を丸くして、目の前に置かれているものへと視線を留めた。
そこには、小さな平屋があった。
古い日本家屋に近い。
縁側。
小さな庭。
その奥には、畑として使えそうな土地まである。
「暫定居住地です」
「これ、私が住んでいいんですか?」
「はい」
「家賃は?」
「一定期間免除されます」
「神制度」
「妖制度です」
「細かい」
管理人は家の鍵を差し出した。
「生活に必要な最低限の物資は内部に揃っています。畑も自由に使用してください」
「畑ぇ……!」
美月の顔が、ぱっと明るくなる。
人間だった頃、忙しい生活の中で何度思っただろう。
いつか仕事に追われなくていい生活がしたい。
自分で野菜を育てて。
好きな料理を作って。
晴れた日は洗濯物を干して。
夜になったら、静かに眠る。
「……スローライフだぁ……」
ぽつりと零れた言葉に、管理人が首を傾げる。
「何ですか?」
「私、ここでスローライフします」
「はぁ……」
「畑を耕して、ご飯作って、のんびり暮らします!」
鍵を両手で握りしめ、ガッツポーズをする。
死んだ。
人間ですらなかった。
妖として知らない世界へ放り込まれた。
今日一日だけで、人生何回分だというほど色々あった。
しかし。
「第二の人生くらい、平和でもいいよね」
美月は笑う。
この時の彼女は、まだ知らない。
自分がこの家へ足を踏み入れた瞬間から。
誰も住んでいなかった家の空気が、わずかに変わったことを。
庭の隅に萎れていた草が、ゆっくりと葉を持ち上げたことを。
土の中で眠っていた小さな虫達が、まるで春が来たように動き始めたことを。
―――そして。
遠く離れた森のどこか。
「…………あ?」
一人の男が、不意に顔を上げた。
風に混じった、今まで嗅いだことのない匂い。
甘い。
濃い。
なのに、どこか懐かしい。
「……なんだよ、この匂い」
黒い翼が、ゆっくりと開いた。
まだ美月は知らない。
念願のスローライフが始まるまで、あと少し。
そして。
それが終わるまで、一日も残されていないことを。
序章 転生編 - 最終話
「もう何かのフラグが立った気がする」-完-
→第1章 夜の来訪者編 - 第1話
「人間→妖→果てはちんちくりんな据え膳」へ
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