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第四章前編 第24話

重苦しい沈黙。雅にとってはそれが永遠のように感じられた。やがて夏輝は一息吐くと淡々と告げた。


「……怖くねーって言えばウソになる」


「えっ……?」


「当たり前だろ。俺は無敵じゃない。死ぬ時は死ぬし。実際、オルカの頭領とやり合った時は、一回死にかけてるし」


 淡々と答える夏輝。一方の雅は布団を強く握りしめる。そんな雅の雰囲気も知らず夏輝は続ける。


「現場では、常に敵と恐怖心との戦いだ。敵は目の前にも自分の中にも居る。二対一だ」


「………」


「最初の頃は散々だったよ。人間、本気で怖ぇと体が動かなくなるんだ。一方的にボコられることもあったよ。後々、ソイツのプライドも骨もへし折るくらいボコボコに反撃したけど」


 昔を懐かしむような声色で話す夏輝だが、なぜそんな風に話せるのか、雅には理解できなかった。自分の命を他人の為に使う。文字だけ見れば美徳かもしれないが、遺された人達はどうなる。そう反論しようとした時、またも夏輝に遮られた。


「そりゃ……俺が死んで悲しむ人達も多少はいるだろうけど……俺がやらなきゃ誰かが死ぬ。もしそれが大事な人だったなら……そんな光景は見たくないから恐怖心を"殺して"やるしかねぇんだ……ただ……」


「ただ……?」


 雅が聞き返すと、夏輝は懇願する。


「ただ……もし俺が恐怖心に押し潰されそうになってたらその時は……黙って隣で手を握って欲しい。それだけで俺は……また立って前に進めるから」


 その言葉で思わず雅は夏輝の方を向く。依然として夏輝は自分に背を向けていた。雅は距離を詰めると夏輝の手を握る。夏輝も振り払わず、ただただ受け入れた。


「いつでも手くらい握ってあげるから……だから……逝かないで……」


「………」


 夏輝も雅の手を握り返すと、更に続けた。


「ボスに言われるんだ。"この仕事に慣れるな。人を傷つける事に戸惑いを持たなくなるな。もしそうなってしまったなら……お前はもう普通の人ではなくなる。いいな。殺意の"獣"にはなるんじゃないぞ"って。最初の頃は分からなかったけど、この仕事を続けてく内にわかるようになったよ。いつか殺意に、人を傷つける事に迷いがなくなるかもしれないっていう恐怖がな」


「獣……」


「それと同時にこうも言われるんだ。"恐怖を飼い慣らせ。恐れを抱くのは大事だが、飲まれるな。過度な恐れは敵を過大評価する。だが相手には恐怖を抱かせろ。"恐怖"とは"恐れ"とは、お前の番犬であり敵だという事をゆめゆめ忘れるな"って。でも、そう教えられても飲まれそうになることもある。力を振るう事に疑問を抱かなくなりそうな時もある。でもどんな時でも俺を人間で踏みとどまらせてくれたのは……ボスの教えと、雅がくれたお守りだ」


「私の……お守り……」


「そ。これを見るとさ、ちゃんと人間でいなければならないって踏みとどまれるんだよ。どんな時でもな。ま、一瞬のブレーキだな。それでもダメそうだったら……雅の声で引き上げてほしい」


 夏輝のこの独白は紛れもない本心であった。だが心のどこかで"いつかは道が別れる事になる"とも思っていた。いつまでも彼女は隣にいない。おそらく、これから彼女は多くの人々と関わり、学び、向き合うだろう。対する自分は?伯母の元で研鑽を積み、身を犠牲に誰かの為に動く。その為なら力による排除も辞さない。

 夏輝はこの仕事を始めてから自身の手は汚れていると悟っていた。なら自分が彼女の隣にいるメリットは?そんなものは"ない"。大した特技もなく、家柄も平凡。ましては仕事とはいえ他人に危害を加えているのだ。清廉潔白な彼女の隣に立つべきなのは同じく白く清い人物であるべきで、自分のような汚れた人間である必要はない。まるで姫と騎士のようででありながら現実では主人公と少し仲のいいモブ。その程度の関係性だと納得していた。


「ま、これは俺のバカみたいなワガママだから。気にしなくていい。俺達もいつまでも一緒にいれるわけじゃない。常に俺が守れるわけでもない。いつか別れはくるんだしな。俺達もそろそろ進路を決めなきゃなんねぇし。案外、ターニングポイントは近いのかもな」


 夏輝は布団を肩まで引き上げるとあっけらかんとした声色で告げる。


「ま、こんな事気にしてても意味ねぇし。明日も早いから寝ようぜ」


 やがて、繋いだ夏輝の手から力が抜け寝息が聞こえたが雅は手を離せずにいた。

 彼は隣にいて欲しいと言いつつも離れようとしている……?雅は夏輝の言葉の端々に引け目を感じているのではないかと思う節があった。それならば、夏輝が離れようとする理由も頷ける。あの時もそうだった。2人が中学から高校へ進学する際、夏輝は雅に告げずに別の高校へ進学しようとしていた。それを知ったのは白峰への願書締切3日程前。夏輝と進路の話になった時に知らされた。

 

 "あぁ。俺?別の公立高校行くつもり"


 "えっ……?な……なんで……?"


 "なんでって……私学は学費も洒落にならねぇじゃん?姉貴は学費半額免除貰えるくらい秀才だけど、俺アタマ良くねぇし。俺にそんなバカ高い金使うくらいなら、俺より優秀な華恋に投資した方がコスパいい"


 "なに……それ……なら私も同じところに……"


 "それはダメだ。あそこはあんまりいい噂聞かねぇし……何より雅は、やりたい事があるんだろ?雅のご両親も応援してたの知ってるし……なら尚更、俺のこと"なんか"気にするべきじゃない"


 "……!"


 その日、雅は荒れた。それはもう凄まじく。夏輝がドン引くくらいには。

雅としては夏輝が隣にいてくれればそれで良かった。だが一方で夏輝が自分の為に言っていることもわかっていた。将来のことを考えるのなら普通の公立よりも圧倒的に環境が整っている白峰の方がいい。それでも雅が夏輝と離れたくない理由はただ一つ"好きだから"であった。

結局、雅の気持ちを知っている夏輝の両親と栞達が結託し勝手に願書を提出したのだが。

 雅は更に夏輝に近づくと、背中に額を押し当てる。額から伝わる体温を感じながら、一言呟いた。


 (夏輝君は離れようとするけど……私は……離れるつもりはないからね。だって……私は……)


「夏輝君のこと……好きだもの……」


 消えそうな声でそう呟いた後、雅は意識を手放した。今の言葉は、ホテルの静寂に消えた……かと思われたが1人だけこの呟きを聞いていた者がいた。夏輝である。

 一瞬、息を詰まらせた夏輝は顔を片手で覆い、重いため息を吐くと一言。


「……それだけは……聞きたくなかったな……」


夏輝は自虐的に呟くと雅の手を離し、眠る為に目を瞑る。聞こえるのは雅の寝息だけ。

 静かにベッドに横たわる2人を月明かりだけが照らしていた。

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