第74話 お天道様
軍勢は村の南の山並みを越えて、北へと向かっていました。できるだけ、来たときと同じ景色を探しながら進んでいるつもりです。帝も、輿よりも自ら馬に乗ることを望まれました。右大臣は何となく往路よりは早く進んでいるような気がしています。『黄金』という目的を達成して気分も軽くなっているからでしょうか。これからの宮中での詮議が楽しみでした。一体、いかほどの税収が見込まれるであろうか?
いずれにしても、あの村の田畑を測量しに再度人員を送り込まねばならないことにはなるでしょう。朝廷の直轄地として、どの荘園にも帰属させない───。
それが右大臣の目論見でした。
何日かの行軍の末、右大臣は戦利品を携えて、意気揚々と羅城門をくぐりました。人々に迎えられながら、帝の輿を中心に堂々と行列が朱雀大路を進んでいる時───
突然、足の下の地面が震えたかと思うと、ドーン!と奥底から突き上げるような衝撃が襲って来ました。
地面が大揺れに揺れ出しました。あたりの建物が軒並みに崩れていきます。人々も立っていることができずに地面に伏し転がり、隊列の馬たちはいななき立ち上がり、人々を蹴散らし始めました。帝の輿を担いでいる者たちも総崩れに倒れ込んで、輿の下敷きになる者も出ました。宮中である朱雀門の方からも建物が崩れたような土煙が湧き上がっています。揺れはいつまでも収まりません。それでも右大臣は帝を従者たちに任せ、あたりの阿鼻叫喚を掻き分けつつ、揺れる中をよろけながら、屋根瓦をバラバラと落としながら傾いていく朱雀門に向かって右に左に転びつつ走っていきました。
朱雀門に辿り着く頃、揺れはようやく収まりました。朱雀門の大屋根が地面に沈んで行く手を阻んでいます。その向こうから女房たちと思われる悲鳴や、男たちの叫び声が切れ切れに聞こえています。
右大臣はただ呆然と立ち尽くしました。なす術もなく後ろを見やると、大路に大きな地割れが走っていました。
もう、「村をどうする」どころではありませんでした。『京』が全滅したのかも知れない。何か災いしたのだろうか・・・? 陰陽師は何をしている? この凶事は占われていたのか?
そんなことを思ってただ固まっているしかないのです。
───時は仁和三年(887年)七月、
のちに言う『南海トラフ沿いの巨大地震』と推定されるものが発生、
マグニチュード8クラスの大地震であった。
* * * *
それは『地の星』からの人々へのメッセージでした。地上に住む人々にはこんな形でしかその気持ちを伝える方法がないのです。確かに、喜びや上機嫌を伝えたいときは花々を豊かに咲かせたり気候を穏やかにしてみたりするのですが・・・。
しかし、一面、こういうメッセージのせいで多くの魂たちが生きることを止められたりもしてしまいます。それは『月』が与えている『罰』と同じようなものになってしまうのかも知れませんが・・・
この『無念』と『不安』を伝えるためには、どうしようもないのです。
それを理解してくれるかどうかは、人々に任せるしかないのですが───。
* * * *
『村』では文庫の建物の修理が行われていました。幸いなことに燃えたのは上層階だけで、その部分の蔵書は大抵、誰かが書き写して家に持っている物が大半でした。確かに、失われてしまったものも少なくはないのですが。そして、皆が頻繁に読みに来るようなものは一階に集めてありました。『竹取の姫の物語』の挿絵の入っている本はかぐや姫が持ち出したこともあり、まだ竹職人のおじいの家に置いてあったので無事でした。が、タケ自身の手による最初の『原本』が見つかりません。本自体は多数の者たちが写本して手元に置いてあるので、内容自体が失われてしまった訳ではありませんが・・・
それでも、『タケの自筆』は言わば、物語の『水源』なのですから村の宝の一つではあったのです。
今でも若い者たちが次々と写本したがるので一階に置いていたのに・・・焼失したとはどうも考えにくいのです。
あの一団が持ち去ったのか・・・? 文庫の錠前が開けられた形跡はないのに。
そして、あの『姫のお題』の五品も、『物語発現』の証拠として文庫の一つの棚に並べて名札をつけて保管することになりました。いまだにそれぞれの輝きを失っていません。特に、あの『蓬莱の玉の枝』が本当に『生もの』ならば、いつまでその姿を留めてくれるかも興味のあるところでした。いつか、あの白い玉のような実が落ちる日が来るのか。しかし、水に差していいのかどうかはわかりません。そこらに接木してみて万が一『玉の枝』だらけになっても困ります。さらに、『火鼠の皮衣』や『燕の子安貝』はその色艶を増したようにさえ思えます。
とにかく、『京』が何か言ってくるのか、この地がどうにかされるのか・・・
それだけが村に残された漠然とした不安でした。
『村』は大地震があったことなど知りもしませんでした。
『お天道様』に保護されているなどということも。まるで、別の次元にでもあるかのように。
確かに、『お天道様が見ている』というのは村の生き方の作法の核心でもあるのですが。
『お天道様』は囲まれる山々で、大地の揺れを堰き止めたのです。
そして、人々に渡した五つの品がその守りを増幅してくれました。
どうやら人々にはその品々を大切にしてもらえそうです。
村の『お守り』とならんことを───。
仁和地震について・・・以下、ウィキペディア 引用
『本地震の信頼度の高い根本史料とされる『日本三代実録』には、京都において諸司の舎屋や民家の多くが潰れ死者も出し、五畿七道諸国が同日大きく揺れ官舎が倒壊、津波による多数の溺死者を出したとする記録がある。余震は8月末ごろまで記録されている。
特に摂津において津波の被害が甚大であったとされ、京都では長い地震動があったなど近畿地方の震害が著しい。はるか後世に編纂された史料であるが、淡路島の洲本藩士が編纂した郷土史である『味地草』には仁和三年七月の地震により海に突出していた砂嘴が津波で失われたことが記される。一方で、土佐における津波や大地の沈降・隆起など記録が確認されておらず、高知県には白鳳地震についての口碑に残る言い伝えはいくつか存在するが、仁和地震によるものが確認されていない。』




