第71話 昇天
軍勢は右大臣の先導で、庭園建物の前庭やその外まわりに集結していました。病棟や文庫の中も調べてみましたが、もちろん、誰もいません。その裏手にはあの竹林を背後に控えた壮々たる庭園が広がっています。摘発隊の五人は気晴らしに散策などもさせてもらえましたが、薬草などとんと興味のない五人にとってはその造作に感動するばかりの「単なる庭園」でした。それもやはり京の『趣味嗜好』とは異なる風情だったので、あまりそこを眺めていたいとも思わなかったのです。そんな庭園にも見渡す限り、人影はありません。
右大臣がさてどうするか、と考えていると、北の方から大勢が押し寄せてくるような音が響いてきました。やはり企んでおったか、と右大臣は意を決しました。
「火矢を放て!」
この建物が村の要であると踏んでいました。まずは警告代わりにと右大臣が建物を指して命令を飛ばすと、一斉に何十本もの火矢が飛んで行きました。屋根や壁に刺さり、じわりと燃え広がっていきます。しかし、一際高層の『文庫』と呼ばれる建物は、まるで何かに守られているかのように刺さる手前でふらふらと火矢は落ちていき、先端の炎すら勢いを失っていきます。他に刺さった火矢も、大きく燃え広がることはなく、くすぶっていきます。
右大臣はもう驚きませんでした。何せ、自分は既に『化け物』を見ているのですから。そいつの仕業に違いないと、容易に思うことができました。
「現れおったな」
右大臣は建物の前庭の入口前に陣取って、村人の迎撃を待ち受けました。大勢が迫ってくるような空気が押し寄せてきますが、村人の姿はまだ見えません。
すると・・・
何かピカピカしたものがそこらじゅうから大量に飛んできました。それに打たれた兵たちは顔を抑えて倒れたり、うずくまったりしていきます。右大臣にもいくつか当たりました。痛すぎる! 何じゃこれは⁉︎
地面に落ちたものを拾い上げようとして、指先が切れるような痛みに思わず取り落としました。自分の顔や手のあちこちにも少なからず傷がついているようです。
・・・黄金⁉︎
それも一つ一つが全体がトゲで覆われたように鋭く加工されたものでした。それが大量に降り注いできます。もう兵たちもそれを除けるのに必死で次の矢をつがえる間もありません。そして右大臣もそんな様子を確かめるのが精一杯なほど黄金の礫は止みません。一体、誰がどこから飛ばしているのか・・・そんなことを確かめる隙間もなくますますその勢いは増し、もう黄金の大雨にただただうずくまって降られているしかなす術がなくなりました。
一体、どれほどの黄金を隠し持っておるのだ・・・。
普通なら、我を忘れた兵たちが「黄金、黄金」と我先に拾い集めて大混乱になりそうなほどに黄金が一面に降り積もっていきます。連れてきたのはほとんど農民上がりの兵たちばかりなのですから、堪えることなどできるはずもありません。が、幸いなことにも手で拾えるような代物ではないようです。下手をすると草鞋の裏まで突き通って足の踏み場もなくなりそうです。全ての兵をひしめくようにこの場に集めていたので、全滅状態。様子がわからないので、隊の展開のしようもありませんでした。状況によって兵があちこちに散っていけば制圧できないはずもないと思っていたのです。しかし、散る前にこんなことが・・・。
やがて、金色の雨が止みました。兵たちはしばらく様子を伺ったあと、ふわ〜〜と天を仰いで大きな息をつきました。やっと止まった!
薬草庭園の舞台上に移動していたタケがフーっと深い息をつきました。ますます『人』から離れて感覚が広がっていく中で、かぐやと気力を合わせて炎を鎮め、黄金を刃物に変えてばら撒いたのです。小屋の地面の下の黄金も、滝壺に沈めた黄金も全てを使い尽くしたつもりです。後片付けぐらいは人々にお願いしてもいいんじゃない・・・? 二人でそう話し合っていました。
建物やあたりを捜索し終わった兵たちは全員、前庭の方に戻っていたのでタケがそこに現れたことに気づく者はいません。
大勢の村人たちが北から続々と現れてきました。軍勢など呑み込まれてしまいそうな、とんでもない人数です。その群衆と、さらにその最前列の顔を見て、右大臣は驚愕しました。
行方知れずのはずの石貝の中納言と・・・先遣隊に送り出した顔ぶれが揃ってこちらに向かってきます。まるで村人を守るかのようにその身にたすき掛けをして抜き身を構え、横一列の陣形を取っています。
「うぬれ、寝返りおったな!」 右大臣は奥歯を噛み締めて唸りました。
後ろの村人たちも手に手に斧や棍棒や、刃物をくくりつけた竹の棒や狩猟用の弓矢などを構えています。戦うための持ち方に手慣れた感じは微塵もありません。が、右大臣は本気で歯向かうつもりだと判断しました。
「ええい! 構わん! 矢を放て!」
右大臣は鎧で守られた部分以外は血だらけになりながら、村人たちの方を指して背後の兵たちに命令しました。しかし兵たちも起き上がるのも辛そうです。何せトゲトゲの黄金だらけで地面に手をつくこともできないのです。それでもあちこちで何十人か、もそもそと動き出しますが、実行するのに大分手間取りそうな―――。
「ならぬわ!」 帝が護衛を何人か数珠繋ぎのように引きずりながら右大臣に近寄ってきました。「ならぬ!」 兵たちに向かって両手を突き出して押し留めます。何とか矢をつがえた者は引ききれずに戸惑いました。
「何ゆえ民に弓を引く⁉︎」 帝が右大臣に詰め寄ります。
「帝様・・・」
庭園で呆然とつぶやいたのはかぐやでした。
「陛下、お御足はご無事で?」 右大臣が皮肉っぽく聞きます。
「何? 私の足が?」
足元を見回します。何だか得体の知れないキラキラ、トゲトゲしたものが大量にそこらを埋め尽くしています。草履の裏をのぞいてみると、びっしりとそれがへばりついていました。厚めの草履なので突き通らずに済んだようです。そういえばえらく地面がボコボコするな、とは感じていましたが。見れば引きずってきた護衛たちの着物にもひっつき虫のようにそれがそこら中にへばりついてキンキラしています。
「チクチク致しまする・・・」 護衛たちは何とか帝に窮状を訴えました。
「何ぞ、これは?」 帝は訳がわからず問いかけます。
「黄金におじゃります。やつらはこのように加工して武器として先んじて我らを襲うたのでおじゃりまする。何を許せましょうや」 自信たっぷりに言います。「ご覧なされませ」たたみかけるようにあたりを示します。「兵たちも負傷し、この私めもこれこの通り」 傷だらけで血も流れている自分の顔をことさらに帝の方に向けます。「これほどまでに大量の黄金を隠し持っておったのでおじゃりまするぞ!」
村人たちは右大臣たちの出方を伺って遠巻きに眺めています。
あたりには夕闇が迫っています。そろそろ松明でも焚かなければなりません。
しばらく帝と右大臣の睨み合いが続きました。
その時―――。
雲の切れ目から、巨大な満月が現れ出てきました。
タケは月を見上げていました。
月から迎えが出立したようです。
もう、何も地上に思いを残すことはありませんでした。
(共に帰りましょう。私たちには月がふさわしい)
かぐやが語りかけていました。
帝も右大臣も、軍隊も村人も、中納言も先遣隊たちも、突然出現した巨大な月に思わず目を奪われていました。
見たこともないような月明かりがあたりを明るく照らします。真昼に戻ったかと見紛うような。
争うことも忘れて見上げていると、
月の面の真ん中あたりに、小さく、黒い、米粒のような影が現れました。
それが、見ているうちに小豆粒ほどになり、
やがて、一粒ではなく、幾つもに分かれ始め・・・
大きくなる、というよりは、月から立ち出でてこちらに近づいてくるようです。
それは、人の形になり、やがて寄り集まって一つの船のような形になり・・・
かすかに音曲も響いてきます。
やがて・・・
近づくにつれ、大型の帆掛け船として姿を現したそれには、
帆柱を取り囲むように多くの人が乗っています。
手に手に、楽器を奏でているようです。
今やそれがはっきりと見えるまでになっていました。
まるで天空の神々のように、一人一人が羽衣を身に纏い、ゆらめかせています。
帆掛け船は銀色に輝く帆に背後の月光を満々と孕んで、
悠々と進んで来ます。
村の上空、ちょうど斜めに見上げられるような所で、それは進行を止めました。
何となく眠気を誘うような、耳に心地の良い音曲が響き渡っています。
物語の通りの、巨大な、月よりの船。
月光と同じ金色に輝く巨大な船体をゆったりと空中に浮かべて、
それは何事かを待ち受けているようです。
ほどなく庭園の建物の向こう側から、
『かぐや姫』が屋根の上方高く昇ってきました。そして、
真っ直ぐに、帆掛け船へと空中を、
人々のほど高い頭上を渡っていきます。
十二単の袂や袴の裾をなびかせ、輝く光跡を残しながら。
その袂をすり抜けて、何かが人々の間にはらはらと落ちていきました。
しかし、月光と帆掛け船と姫自身の輝きに紛れて、人々は誰もそれには気がつきませんでした。
その落ちたものが、誰かの頭に当たる前にふわっと姿を消したからかもしれません。
あれが月からの迎えなんか・・・?
『かぐや姫』が昇天しよる・・・
とうとう、物語は終わるんか・・・?
村人たちは息を呑んで見つめていました。
竹職人のおじいとおばあは、
ついぞお役目が終わったのかという一抹の寂しさと、
やれやれ、これでもう黄金も出なくてすむ、という安堵のようなものを感じていました。
あれは・・・
確かに、『かぐや姫』様・・・?
もしかして、
『我が身の半分』と言われたお方の所へ行かれるのか・・・?
自分は一体、今、何を見ているのだろう?
中納言は一生、心の奥底に残りそうな疑問を抱えてしまったような気がしていました。
今、初めて会ったばかりの姫が天を翔けてゆく・・・
『里へ帰る』というのは、一体、どこへ帰るというのじゃ・・・
もう、二度と逢えぬのか?
あのような姫が暮らした村・・・
何という、不思議の村であることよ!
帝は、この村に何だか手を出し難いものを感じていました。
化け物め、正体現しおったな?
そう喉の奥でうなったのは、右大臣でした。
この村もああいう化け物の息がかかっておるに違いない!
じゃからこそ、陛下をたぶらかして手を出させまいと―――。
『かぐや姫』のために場所をあけられた船の舳先に、
タケは舞い降りました。
改めて、高みから村を眺めます。
少しばかり焼け焦げてしまった病棟の建物と、
遊び場のように毎日通っていた文庫の高き楼閣。
それを越えて薬草庭園の全体から、
その向こうに広がる竹林まで、
遥かに見渡せます。
タケは背後の帆を透かして見通せる村の隅々までも見渡しました。
おとうとおかあとタケルと暮らした実家も、
タケルと二人の家も。
そして、
二人してはまった滝の水の冷たさ・・・
初めて二人で遠出した、
丘の麓の桜吹雪までが、
タケのまわりに蘇っていました。
そして、そこには、
横笛を口元に構えて
微笑むタケルが・・・
歳を重ねても、タケにとっては変わることのない
美しい笑顔・・・
タケは目を伏せました。
心を残すものは何もない、と。
そして、眼下には、トゲトゲした黄金のきらめきの中に大勢の人々が。
平和な人も、争う人も、
皆、同じ一粒の『人』・・・
その人々の中に、今、この場に、
タケルがいなくてよかった・・・
タケはそう思いました。
もし、いたら、
今しも着せかけられようとしている
『天の羽衣』を、
いまだ素直に着る気持ちになれないでいたかも知れない。
残さぬはずの心を、
残していたかも知れない。
『天の羽衣』は、
地上の記憶の全てを忘れさせ、
喜びも悲しみもなかったことにされるのだから・・・。
タケの肩口に半透明の白布が舞い、
全てが消え去る直前、
タケの目の端に、
炎が燃え上がるのが映りました。
文庫の楼閣が炎に包まれていました。
しかし、
それは、もうタケには関係ないことでした。
無表情のタケは、
船上の人々の方に向き直りました。
『月』の人々は、包み込むように物語の『かぐや姫』を迎え入れました。
右大臣でした。
人々が帆掛け船に気を取られている間に、
何とか地面の黄金を蹴散らして歩くと、
立てる兵らを叩き起こして、
高層の建物に再び火矢を放たせたのです。
そして兵の一矢を取ると、自らも火矢を放ちました。
『かぐや姫』の力の消えた楼閣はひとたまりもありませんでした。
それを見た村人たちは、十一人の新参者を先頭に、
一気に軍勢になだれ込んで来ました。
黄金の雨は承知していたので足元は草鞋を幾重にもして固めています。
帝は一気に勃発した混乱に頭を抱えてうずくまるばかりです。その心は絶望感に打ちひしがれていました。
そんな地上の騒乱をよそに、
帆掛け船は相変わらずのんびりした音曲を響かせながら、
帆柱を軸にゆっくりと回転し、舳先を月へと向けました。
人々の頭上に巨大な船底を露わにしながら。
そして今度は月光に引き込まれるかのように帆を膨らませ、
満月を目指してゆったりと昇天していきました。




