15 団円
PCの画面から目を離し、僕はミシェルの前に立った。彼はぞんざいな口調で言った。
「横井翔、よくやった。褒めてつかわす」
「有難き幸せ……なんて言うと思った? 色々聞きたいことがあるけど、先ずは一発殴らせろ」
拳を握る僕に向かって、ミシェルは肩を竦めた。
「俺がお前に殴られる理由は見当たらないが……、ふっ、甘いな!」
僕の渾身の正拳突きは、ミシェルの軽く避けられてしまった。……自分の運動神経の無さを恨む。
「何をいきり立っているのだ、横井翔。無事妹をオデロンとドロテの魔の手から救い出せたのだ。万々歳じゃないか。その作戦を思いついた俺を讃えこそすれ、殴る理由はないだろう」
「いやいや、そもそも君がもっと家族と頻繁に連絡とっていたら、リリアーヌさんがスマホに閉じ込められたり、今回みたいに危ない目にあったりすることもなかったんだから」
「うむ……」ミシェルはしばし口を止めてから、言った。「確かにそうかもしれん。だが横井翔、折角親元から離れ、王族としての厳しい規律からも解放されたのだ。多少は羽目を外して自由になりたいと思うのは自然だろう。だから入念に偽名まで使って、正体を隠していたのだ」
……やはりそういうことか。思わずため息が出た。
「もういいよ。生徒会長と話していると本当に疲れる。そんな事より、さっきドロテに向かって、スマホから出る方法を知っている、と言っていたね。本当?」
「ああ、知っている。なにせ、俺も最初この世界に来た時に同じ現象に巻き込まれたからな」
「じゃあ、もしかして生徒会室でスマホ持ち込み禁止、っていうのは?」
「二度とあんな目に遭うのはごめんだからな」
セキュリティーの為ではなかったらしい。あの規則さえなければ、リリアーヌさんはもっと早く兄を見つけられていただろうに。いくら自分の身を護るためとはいえ、自分勝手に規則を作ってしまうこの男はやはり暴君だ。将来の王様らしいが、国の行く末が心配になってきた。オデロンのクーデターを阻止したのはもしかして失敗だったのでは? そんな考えが一瞬だけ脳裏によぎった。
「とにかく、早くリリアーヌさんを出してあげてよ」
「無論だ」
それから、ミシェルは僕のスマホをいじりだした。彼によると、救出方法は、カメラアプリを立ち上げ、上下を逆さにして、手動露光調整でISO値を128に設定し、フラッシュONの状態でシャッターを切る、というものだった。
――って、わかるか! そんなチートコード!
「俺も抜け出すのに相当苦労した。ホストの親父さんと一緒に一週間ぐらい悩んでたからな」
と、ミシェルは言いながら準備を進めていく。ホストの親父さんというのは、ミシェルのホームステイ先、この神社の神主だという。こんなさびれた神社に神主居たんだ、と初めて知った。
準備が整った。ミシェルは鳥居にスマホカメラを向けるとシャッターを切る。スマホから光が発せられ、次の瞬間、それまで誰もいなかった鳥居の前にリリアーヌさんが立っていた。
「あっ、あたし……」
自身の両手を見つめるリリアーヌさんに向かって、誰よりも先にミシェルが駆け寄り、抱きついた。
「おおっ、我が愛しの妹よ。会いたかったぞ!」
「ちょ、ちょっとお兄様……。暑苦しいわ」
リリアーヌさんは腕を伸ばして、ミシェルを押しのけた。ミシェルの顔が悲愴に歪む。
「もしかして兄の事が嫌いになってしまったのかい?」
「違います、お兄様。でも昔はこんな強引に、あたしとハグしなかったじゃない」
人は環境で変わるのだ、と僕は心の中で呟いた。
「それよりも、お兄様。ドロテが……」
ミシェルは神妙な面持ちで答えた。「父も母も本当に信頼していたのだが、こんなことになってしまうとは残念だ。国を混乱に陥れた罪は償ってもらう必要はあるが、彼女の誤解を解き、二度とこういう悲劇が起こらないよう、話し合う機会を設けようと思う。父と母、それにリリアーヌも交えて」
「はい、お兄様」
リリアーヌさんは鼻をすすった。
「おい、横井翔」
突然、ミシェルがこちらへ振り返った。リリアーヌさんも僕を見て、「あっ」と小さく声を漏らした。
「俺は今すぐ王国へ戻る。両親のことも心配だし、オデロンを捕らえたとはいえ、まだ王国には奴の手下どもがのさばっているからな、一刻も早く混乱を終わらせねばならない。だからこのスマホ、貰っていくぞ」
「えっ?」僕は面食らった。
「えっ、じゃないだろ」ミシェルは不快そうに顔をしかめた。「この場で傭兵たちとオデロンとドロテも解放するつもりか? 奴らを王国に連れていくまで、この中にいてくれた方が安全だろ」
「それはもちろんわかるけど……。そうじゃなくて、リリアーヌさんも帰るの?」
ミシェルはさも当然のように言った。「当たり前だろう」
覚悟はしていた。しかし改めて口に出して言われると、胸がぎゅっと締め付けられるように痛かった。
僕の背中が強く押された。
振り返ると、ソンジュン、幸司、結城さんが立っていた。
「ちゃんと、挨拶しときなよ」幸司が言った。
「悔いは残すな」と、ソンジュン。
「頑張ってください、先輩」結城さんが拳を握る。
僕は意を決して、リリアーヌさんのもとに近づく。彼女も僕に近づいてきた。
「リリアーヌさん……。いろいろあったけど、お兄さんとも会えて、国も救えて、良かったね」
リリアーヌさんは首を振った。「大変なのはこれから。お兄様の言う通り、完全に国の混乱が収まったわけじゃないから。でも、あたしたちを救ってくれたのはカケルよ。いろいろありがとう」
「違う、ここにいる皆のおかげだよ。僕なんて、結局リリアーヌさんに何ができたのか……」
「そんなことないわ、カケルが居たから、皆の力を借りられたのよ。それに……」リリアーヌさんは下を向いた。「カケルと居たから、楽しかった」
「僕も、楽しかったよ……」
声が震える。油断したら涙腺が崩壊しそうだ。でもリリアーヌさんたちの前で、そんな姿見せるわけにもいかない。
「リリアーヌ、行くぞ」
ミシェルの声がした。彼は鳥居の前で両手を掲げていた。オデロンたちが来た時のように、鳥居が白く光っている。異世界転送装置を起動させたのだ。
「すぐ行くわ」
と、リリアーヌさんは答え、再び僕を見た。「じゃあカケル、本当にありがとう。あたし行かなきゃ」
最後のチャンスだぞ、横井翔! もっと彼女にかける言葉はないのか? 自問自答する。
リリアーヌさんが背中を向けた時、僕は叫んだ。
「リ、リリアーヌさん!」
彼女は動きを止めて、振り返った。
震える顎に必死に抗いながら、僕は言う。
「も、もし、王国の情勢が落ち着いたら……、またこっちの世界に来てくれないかな」
リリアーヌさんは息を呑み、その目が大きく見開かれた。
「その時は、スマホの中からじゃなくて、ちゃんとこっちの世界を案内して、リリアーヌさんに実際の料理を食べもらって、実際の服を着てほしいんだ。……ど、どうかな?」
「カケル……」リリアーヌさんは僕のすぐ目の前まで戻ってくると、にこりと笑ってくれた。「ええ、もちろん。その時はよろしくお願いね」
「うん、任せてよ」
そして僕は、差し出されたリリアーヌさんの手を握った。
それは、とても柔らかくて、温かかった。
最後まで私の拙文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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