14 最後の戦い
ドロテは、腰を抜かして地面にへたり込んでいたオデロンを睨みつけた。
「ぶざまだな、オデロン」
「助けに来るのが遅いぞ、ドロテ」
オデロンは立ち上がり、王者のローブについた埃を払った。
「なにやってるんですか、ドロテさん。気でも迷ったんですか?」
ドロテはナイフをリリアーヌさんの喉元に突き立てたまま、僕を見上げた。
「気の迷い? いいや、私は最初からこうするつもりだったさ」
ドロテの声は、今までに聞いたことないような、悪意に満ちたものだった。
「その通り、わしとドロテは最初から手を結んだ、同士だったのだ」
そう言いながら近づくオデロンに向かって、ドロテは鼻で笑った。
「私の指示通りにしか動けん貴様が、私の同士だと? 図々しい」
「これは、どういうこと。ばあや。教えて」
「本当に鈍い姫様だな」ドロテは呆れたように肩を竦めた。「最初のクーデターの時から、全ては私の筋書き通りだったって事さ」
スマホを見つめていた全員が息を呑んだ。
すべての黒幕はドロテだったのだ。
「ばあや、どうしてこんなことを……?」
「私をそんなふうに呼ぶな。虫唾が走る!」ドロテは恐ろしい剣幕で怒鳴った。「いいだろう、教えてやるよ。私がオデロンを唆してクーデターを起こした理由は、王家へ復讐するためさ。王国内で一二を争う魔力を持つこの私が、要職にも就けず、小娘の世話を押し付けられたんだ。なんという屈辱!」
「それは、お父様がばあやを信頼していたから。だからあたしの……」
「信頼? 違うね。あの国王は私の力を恐れたのさ。だから閑職へ追いやった!」
「そんな……そんなことないのに……」
リリアーヌさんの目に涙が浮かぶ。最も信頼していた人物に裏切られたのだから。
「さあ、リリアーヌ王女。大人しくわしらに従ってもらおうか」オデロンが醜悪な笑みを浮かべる。
「ど、どうするの」結城さんも今にも泣きそうな声で言った。「早くリリアーヌちゃんを助けないと」
「助けろって……、幸司! 何とかしろ」
ソンジュンが幸司に詰め寄ったが、幸司はぶるぶると首を振った。
「そんなこと言われても、こんなの想定外もいい所だ!」
「リリアーヌさん」
僕は両手でスマホを強く握りしめたまま声をかけた。
リリアーヌさんは顔を上げた。「カケル……。あたしどうすれば……」
「翔、危ない、後ろだ!」
突然、幸司の叫び声がした。驚いて振り返ると、全身甲冑姿の兵士が、僕めがけて大剣を振り下ろそうとしていた。
カメラで捕らえ損ねた兵士が残っていたのだ。今まで隠れて様子を窺っていたのだろう。
逃げなきゃと、頭ではわかっていても、全く体が動かなかった。
恐怖で体が震えるばかりだった。
「先輩!」結城さんの絶叫が聞こえる。
大剣が僕の頭上へ振り下ろされる様が、スローモーションのように見えた。しかし相変わらず体だけは動かなかった。
死ぬ直前は時間が長く感じられるという話を聞いたことがあるが、これのことかもしれない。
――ごめんなさいリリアーヌさん。僕は君を護れなかった。
その時、辺りが一瞬白く輝いた。
すると次の瞬間には、兵士の姿が忽然と消えていた。
夢かと思った。
兵士が消えたことが? あるいは、兵士に襲われたこと自体が?
「何朝っぱらから騒いでるんだ、ゲーム研究部?」
その声で、現実に引き戻された。
僕はゆっくりと首を声のした方へ動かした。
そこには、耳にしただけで不快な気分が沸き上がってくる声の持ち主、生徒会会長のマイケルが、スマホを片手に立っていた。
寝ぐせで乱れた金髪に甚平姿のマイケルがこちらへ近づいてくる。
「ど、どうして会長がここに?」
マイケルは不快感を露に言った。「それはこっちの台詞だ、ゲーム研究部。朝っぱらから人の家の前で騒ぎやがって」
「人の家の前……? まさかこの神社」
「ああ、俺のホームステイ先だ」
知らなかった。僕の家の目と鼻の先にマイケルが住んでいたなんて。
「そ、そんな事より、さっきの兵士はどうなった?」
ソンジュンがマイケルに問う。
「ああ……、あいつか?」
マイケルは手に持っていた、僕と同じ機種のスマホの画面をこちらに向けてきた。
「本当に厄介だな、この世界のスマホってやつは」
「ちょちょちょちょ、ちょっと待って。えっと……」
僕は頭を抱えて状況を整理する。リリアーヌさんには学校中の留学生の顔をこっそりと見てもらって、彼女のお兄さんかどうか確認してもらった。
しかし、一人だけ漏れていた。会うためにはいつもスマホを取り上げる人物、生徒会長だ。待て、ショッピングモールの時、リリアーヌさんは生徒会長の姿を見ていなかったか? いや、リリアーヌさんはゴスロリショップに目を奪われて、僕たちのやり取りに一切気づいていなかった!
「マイケル、まさか君、リリアーヌさんの……」
「リリアーヌだと!」マイケルが突然僕に詰め寄ってきた。「どうしてお前が、俺の妹の事を知っているんだ!」
僕は自身のスマホをマイケルに突きつけた。生徒会長は顔をぐっと画面に近づけると、目尻と口の端がだらりと垂れ下がった。
「おお、麗しき我が妹よ……」
生徒会長の変わりように、部活メンバーたちは一様に目を点にしていた。
「ゴホンッ」
僕が咳払いすると、ようやくマイケルは顔を上げ、表情を引き締めた。
「な、なるほど。事情は大体理解した。俺の知らない間にこんなことになっていたとはな……」
「君に言いたいことは山のようにあるけど、今はそれどころじゃない」
「どうすればリリアーヌちゃんを助けられるのか……」
結城さんが涙目で、リリアーヌさんの兄ミシェルを見つめた。彼は結城さんの顔を見返すと、それから、「あと少しだったっていうのによ」と言って、悔しそうに地面を蹴るソンジュン、「俺がもっとしっかりと計画を立てていれば……」と頭を抱える幸司へと視線を移していき、最後に僕のところで止まった。
「おい、横井翔。このアプリを作ったのはお前か?」
僕は答えた。「設計やデザインは皆に助けてもらったけど、プログラムを作り上げたのは僕だ」
「なるほど」ミシェルは考え込むように顎を引いた後、だしぬけに言った。「……お前、五分でこのアプリを改造できるか?」
「はっ?」僕は耳を疑った。「そんな短期間で改造なんてできるわけないでしょ。何がしたいの?」
「もちろん、妹を助けるためだ」ミシェルの顔は真剣だった。「俺が今から時間を稼ぐ。その間にお前はこのアプリにVRチャットアバターの乱入機能を実装しろ」
「VRチャットのアバターを……あっ、その手があった!」
僕は思わず両手を叩いた。
「どういうことだ?」
と言って詰め寄るソンジュンに、僕は答えた。
「つまり、僕たちのVRアバターをこのゲームに送り込んで、リリアーヌさんを助けるんだ!」
現在、スマホの中は、リリアーヌさん一人に対して相手はオデロンとドロテ。しかし、僕らのアバターがゲームの中へ乱入できれば、逆転は十分できる。
「そんなことできるのか?」
幸司からの質問に、僕は、以前リリアーヌさんと『寝室ゲーム』でパーティーをしたことを思い出しながら、答えた。
「VRチャットに、別アプリでアバターを使用できるAPIが用意されているんだよ」
ミシェルが早口で言った。「現時点で考えられる手はこれしかない。やってくれるな横井翔?」
出来る出来ないを考えている時間はない。やるしかないのだ。僕は頷いた。
「生徒会長の指示に従うなんて癪だけど……、今は君を信じる」
「お前が俺の事をどれだけ嫌おうと勝手だが、信頼には応えよう。さあ、そのスマホを貸せ」
僕はミシェルにスマホを託すと、持参していたノートPCを起動させた。いざという時のために、開発ツールもデータも全てここにコピーしておいて正解だった。
「本当にやれそうか、翔?」
僕の隣で幸司が言った。
「前にVRチャットの機能を使ったことあるから。できるとは思う。……五分は厳しいけど」
「頼むぜ部長」ソンジュンが僕の肩を叩く。「俺たちは、いつでも『魔界迷宮』に行けるように、準備しておくからよ」
僕は『魔界迷宮』のプロジェクトファイルをゲーム開発ツールに読み込ませる。
少し離れたところで、ミシェルがスマホに向かって喋り出していた。
「久しいな、オデロンにドロテ」
「その声は、ミシェル王子。わざわざわしの前に姿を現してくれるとは、探す手間が省けましたぞ!」
「お、お兄様。どうしてここに!」
「大切な妹に傷一つつけてみろ。貴様ら、ただでは済まさんぞ」
「どうなるかは、王子次第。リリアーヌ王女の命が惜しければ、大人しくわしに従ってもらおうか」
「大人しく従うのはオデロン、貴様の方だ。臣下の分際で、この俺に指図するとは無礼にもほどがあるだろう」
「これは王子。しばらく見ないうちに随分と言葉遣いが悪くなったものだ。こちらの世界で随分と悪い影響を受けたようですな。これではご両親もお嘆きだろう」
確かに生徒会長、こっちの世界であれやこれやと影響受けたんだろうな……、と思ったところで、僕は首を振った。いけないいけない、人に話に耳を傾けている場合ではない。今は僕のすべきことに集中しなければ。
以前リリアーヌさんとパーティーをするために作ったプログラムを参考に、『魔界迷宮』の改造に取りかかる。
時間はない。急がないと……。
しかし、うまくキーボードで文字が打てない。
それもそのはず、手が震えていた。僕のプログラムでリリアーヌさんの命運が決まる、と考えたら、一気に体中が緊張してきた。
「そんな事、どうでもいい」ドロテの声が聞こえた。「今の王子に選択の余地がないことはわかっているだろう。先ずは私たちをこのスマホの中から解放するのだ」
「ドロテ、お前も身分をわきまえろ」
「黙れ、忌々しいガキめ。さっさと私の言う通りにしろ。お前ならここから出る術を知っているのだろう」
「まあ、知らないわけでもない」
「では教えろ!」
「教えてほしければ、先に妹を解放しろ」
「ミシェル、まだ現状が理解できていないようだな……」
「お、お兄様!」リリアーヌさんの悲痛な声が聞こえてきた。
「や、や、や、や、やめろドロテ。妹にそんなことしないでくれ!」
これまで高圧的だったミシェルが、急に慌てふためいた声に変わった。
雲行きが怪しくなってきたぞ。早く改造を完了させないと……。でも焦れば焦るほど余計手が震えて、キーボードがまともに叩けなくなっていく。
「おい、まずいぞ、翔」ソンジュンの声がした。「生徒会長、本当に妹に弱いんだな。ドロテがお姫様の腕をほんの少し抓っただけで、急にうろたえ出したぞ。あの様子じゃあ、そんなに持たない。急げ」
「わかってるって」
……あっ、また打ち間違えた。
心臓が耳に聞こえるほどバクバクと激しく脈打っている。思考がまともに働かない。
落ち着かないと、と思えば思うほど、逆に体の震えが増していく。
――こんな時は……。
僕はおもむろに画像フォルダから、ネットからダウンロードしておいた秘蔵の猫画像を開いた。画面いっぱいに、つぶらな瞳に愛らしいもふもふ毛並みの猫が映し出される。
――ああっ、可愛い! 癒される!! 猫最高!!!
「おいおい、こんな時に何やってるんだ!」
僕のPCモニタを覗き込んだ幸司が唖然とした声を上げたが、結城さんは、
「急いでいる時ほど心を落ち着かせることは大切」
と、擁護してくれた。
貴重な一分を使って猫画像を堪能すると、全力疾走した時のように跳ね上がっていた心拍数も落ち着き、手の震えも止まっていた。やはり猫神様は偉大なり。
ずっと見ていたい気持ちを抑え、画像を閉じた。
癒しの時間は終わり。
さあこれからはリリアーヌさんのための時間だ。僕はプログラミングを再会した。
「おおっ。確かに、目つきが変わった」と幸司。
さっきよりもずっと集中できた。もう、オデロンやドロテの罵り声や、ミシェルの今にも泣きそうな声も耳には届かなかった。
水底に潜ったような静寂の中、僕はひたすら完成に向けて、一つ一つプログラムを組み立てていく。
「カケル、貴方ならできるわ」
以前、リリアーヌさんから言われた言葉を思い出す。
これまでの経験を活かせば、必ず完成できるはずだ、と、自分に言いきかせる。
――待っていて、リリアーヌさん。必ず助けに行くから。
「できた……」
何分経っただろうか? ソンジュンたちの顔を見ると、それほど経ってないようだが。しかし、
「急げ。生徒会長、顔面蒼白で今にも泡を吹いて倒れそうだぞ」
ミシェルを見ると、額からは大粒の汗が無数に噴き出し、目から滂沱の涙を流していた。
「や、やめろ、やめてくれ。お願いだから妹に手を出さないでくれ……」
――なにが信頼に応えるだ、ダメダメじゃないか!
「確認のテストはどうする?」
幸司の質問に僕は首を振った。
「時間がない、一発勝負だ」
僕はノートPCを持ってミシェルに近づきスマホとPCを接続した。そして改良版のアプリをスマホへコピーする。
顔をくしゃくしゃにするミシェルが僕を向いた。僕は黙って頷き返した。
ミシェルはスマホに向かって言った。「ドロテ、オデロン……。わかった。俺の負けだ。スマホから出る方法を教える」
「最初からそう素直になればよいものを」
ドロテの勝ち誇った声がする横で、ミシェルが僕たちに目配せした。あれだけ流れていた目にもう涙はなかった。もしかして演技だったのか? いや、彼の手と足はぶるぶると震えていた。これが演技にはとても見えない。
とにかく、各人スマホを持ち、準備万端の部活メンバーに向かって、僕は叫んだ。
「今だ!」
皆一斉にVRチャットのアバターを『魔界迷宮』へ送り込む。
「な、なんだ突然!」
突如、頭上に出現したアバターを、オデロンとドロテは唖然とした表情で見上げた。
ロボットアバターがオデロンに、狐アバターと僕のアバターがドロテに掴みかかった。
ドロテの手がリリアーヌさんから離れる。
「リリアーヌちゃん!」
すかさずお姫様アバターがリリアーヌさんを抱きしめ、ドロテから引き離した。
「邪魔をするな、離せ!」
ドロテが激しく体を揺すりながら、恐ろしい形相で睨みつけてくる。
「ドロテさん。もうやめて下さい。リリアーヌさんが貴女のことをどれだけ信頼していたか、わかっているんですか」
「黙れ、私が長年受け続けた数々の屈辱、貴様も私の何がわかるというのだ。当然あの小娘もその一つだ!」
頭に血が上っている彼女に今は何を言っても無駄だろう。と、僕は悟ってしまった。
「ドロテさん……、少し頭を冷やしてください」
そして僕は新たに追加した罠を作動させる。ぽっかりと開いた落とし穴に、オデロンとドロテを突き落とした。
「おのれ、こざかしいガキどもめ!」
ドロテの恐ろしい叫び声が、落とし穴に飲み込まれていった。
勝った。しかし、ちっとも嬉しくなかった。こんな後味の悪い結果になってしまうなんて。
「……カケル」
リリアーヌさんの声がして、僕は、結城さんのアバターに抱きしめられた彼女へ目を向けた。
――でも、彼女は救えた。
僕はリリアーヌさんの元に向かうと、静かに腰を落とした。
「お姫様、お助けに参りました」
あとは、少しエピローグがあって完結です。




