10.認識することに意味がある
コンビニで買ってきた弁当をテーブルの上に置き、ソファの上にカバンと上着を置く。
台所からコップを持ってくるとそこへ魔法を使い水を注いで弁当の隣に置く。
イチコはほおっと息を吐き、ソファへと腰かける。
少し上を向き首を傾げ、正面へ直るとメニューを呼び出した。
一覧の中の『 のデータ』の項目に気が付き、イチコは首を傾げた。
「身元が判明しても、記憶が戻らないと埋まらないのかなー」
弟の龍二が訪ねてきてから3ヶ月。
イチコは龍二に連れられて、イチコの通う大学や一年前まで働いていたらしいバイト先。母校である小中高校に、祖父母と弟の龍二が住む実家。両親との思い出のある場所等、イチコの記憶に関係のありそうなあらゆる場所へと赴いた。
それでも記憶は戻らず、喪失の原因を調べる為に入院までしてした検査。その結果は異常なし。
異常がなくてよかったよと祖父母も龍二も言ってはくれたが、どことなく気落ちした様子の3人に申し訳なく思ってしまった事は記憶に新しい。
「それにしても検査で〝異常なし”という事は種族が変わっても体内組織が変化していないって事なのかなー」
身体が丈夫になり、並大抵の事では死なず、一般人には使えないはずの魔法やスキルを扱える。
他のダンジョンマスターがそうであるかはわからないが、イチコ自身は軽トラどころか大型のトラックにはねられたとしても怪我ひとつなく無事でいられる――それどころかおそらく大型トラックを逆に跳ね飛ばそうと思えばできる自信があった。
地球に住む普通の人間には出来ない芸当であるというのに、変化がないのは腑に落ちない。
記憶を失った時に得た知識には、そういった変化による身体の変化についての情報がない。
イチコは少し考え、『 のデータ』を開いた。
名前の欄は予想通り空白のままであるが、他の欄には以前に見た時と比べて変化があった。
名前、『 』
種族、『上位ダンジョンマスター(元人間)』
職業、『ダンジョンマスター 兼 グランドマスター』
魔力、『測定不能』
固有特性、『無効 吸収 全抵抗MAX 全魔法習得可』
固有技能、『コア ダンジョン 職業斡旋 サービス システム アイテムボックス(G)』
所持魔法、『鑑定11 偽装10 防御11 封印11 属性魔法8 毒魔法9』
所持技能スキル、『魔力操作 魔素操作 毒操作(G) 眷属召喚(G)』
所持コア数、『4/4』
運営ダンジョン数、『4/4』
眷属、『――』
登録者数、『15,339/19,029』
踏破済みダンジョン数、『36』
消費魔素、『155,000』
解放魔素、『165,980』
魔素総数、『増大方向に計測不能』
所持魔法と所持スキルが増えている。
属性魔法は自分も探索者として動くと決めた時に得たものだ。それなりに使ったのでレベルは8。
毒魔法は6番のダンジョンマスターとしての力をコアごと吸収したからであろう。普通であればレベルは下がった状態のはずだが、鑑定で見た時そのままのレベル9の状態なのはイチコの固有特性である全魔法習得可の影響であるのかもしれない。
所持スキルもスキルで不思議な事になっていた。
毒操作や眷属召喚を吸収で得たのはわからなくもないのだが、その横にある(G)とは何であろうか。
6番の時は(毒)となっていたし、そういえばアイテムボックスも6番のは(G)ではなく(D)となっていたなと思い出す。
今まで気にした事はなかったが、ダンジョンマスターとグランドマスターとでは同じ魔法やスキルであっても、効果か何かが違うのかもしれない。
これは後で実験かなとイチコは心にメモをした。
「登録者数はそんなものだよねー。そろそろ私ひとりじゃ手が回らないかー」
数字の分母が探索者の総数、分子が現在生きている探索者の総数である。
どれだけ注意喚起をしても、どれだけ死なないように気を付けても、相手はダンジョン。そしてダンジョンマスターである。
ダンジョンは攻略されないように作られているし、ダンジョンマスターも自分が生き延びる為にダンジョンを作り、コア破壊を狙う探索者や他のダンジョンマスターを襲う。
ダンジョンを攻略しないという選択肢はないのだから、増やさねば探索者は減っていく。
だからこそ、増やし、死なないようにサポートをするしかないのだが、あいにくとグランドマスターであるイチコは一人しか存在しない。
「方法はなくもないけど、組織を作るのって大変だよねー」
メニューをひとまず横へと移動し、ソファの上に置いたカバンから一冊の本を取り出す。
文庫本より一回り大きなB6サイズの厚めの本。内容はライトノベルと呼ばれる、従来の小説よりも読みやすく難しくない言葉で書かれた、若者向けに書かれた架空の物語の本であるらしい。
イチコが探索者をしていると知った龍二が、場所は異世界――架空の世界だが今の状況に似たような状況の物語があるのだと言ってくれた本である。
検査入院中に一通り、イチコはもらった本を読んだのだが、これがなかなか参考になるのである。
たとえば探索者――物語の多くでは冒険者と呼ばれる職業であるが、それにランク付けをする。
ダンジョンにも難易度をつけ、モンスターも強さでランク付けをし、そのランクによってダンジョンやモンスターへ挑む事が勇猛であるか無謀であるかを測る物差し代わりになるのだ。
探索者やダンジョンへのランク付けはサポートや管理をする上で便利だからと付けていたのだが、モンスターにまでランクを付けるという発想がイチコにはなかった。
ライトノベルというものを読んでその事に気がついたイチコは目から鱗が落ちる思いでいたのだ。
「ギルド支部を現実に作って、適性のありそうな探索者からギルド職員と支部ギルドマスターを選出、かなー」
イチコはソファの上に寝転がり、手に持った本をパラパラとめくった。
物語の中の冒険者ギルドについての場面を読み返しながら考える。
「現実に支部ができれば、探索者同士の顔合わせや交流もスムーズにいくでしょー。強化合宿も開催しやすくなるし、泊まる宿を確保しなくてもギルド支部内に訓練所を作ってしまえばー、探索者同士でいつでも訓練できるよねー」
読むのを止めて本をテーブルの上へと乗せ、起き上がる。
テーブルの上のメモ帳に『ギルド支部つくる?』とだけ書いてペンと一緒にテーブルの端へとそれらを寄せた。
水の入ったコップを手に取り一気に飲み干し、魔法で水を入れなおす。
「ま、腹が減っては戦はできぬーってね。食べながら考えようそうしよー」
レジ袋から弁当を取り出し、透明なふたを開ける。
細長い袋を破り中から割りばしを取り出し、パキッと音を立てて割りばしを割った。
今日の弁当はデミグラスハンバーグ弁当だ。
イチコのこぶしよりも大きなサイズのハンバーグにはたっぷりのデミグラスソースがかかっていて、その横には、レタスの小さな切れ端と少しぱさぱさとした具なしナポリタンとフライドポテトが少量、添えられている。
上げ底ではないようなので、白いご飯は見た通りの大盛りであろう。白いご飯の横にある窪みには、カリカリの梅が1個と少量の柴漬けが入れてあった。
「お祖母さんと龍二くんのご飯もおいしかったけど、コンビニのお弁当はお弁当でおいしいのよね」
いただきますと弁当を食べ始め、誰にともなくイチコがつぶやく。
大きな口でハンバーグや白いご飯、付け合わせのあれやこれやを次々に頬張った。
「……支部に食堂とかあったら便利?」
いつも探索者たちから魔物の素材のほぼ全てを買い取ってはいたが、実は食べられるものがそれなりの数あるのだ。そういったものを使えば経費も節約できるだろうし、イチコのように料理をしない者がいつでもご飯を食べに行けるというのは便利な気がした。
いつでもと言えばコンビニがあるのだが、ダンジョン帰りの探索者は重装備である事が多い。正直に言えば、コンビニは重装備で入るには狭すぎて、通るたびに商品が装備に引っかかって床へと落としてしまうのである。
おかげでスーパーやコンビニ等のお店の多くは、重装備をした探索者は入店を断られる事が増えてきて、嘆き半分ネタ半分。探索者のあるあるネタとして、一般人にまで浸透している。
イチコは弁当を食べながら、うんうんと頷き、テーブルの横へと寄せていたペンを手に取るとメモ帳へ『食堂必須』と書き、その横に花丸も書いた。
イチコの中でのルールではあるが、花丸は超重要という意味である。
付け合わせのナポリタンをレタスで包むとそのまま口へと頬張る。
ナポリタン単品で売っている場合はおいしいのに、どうしてハンバーグの付け合わせになるとこんなにパサパサしているのかなと内心不思議に思った。
フライドポテトを容器に残っているデミグラスソースにつけてから口に入れ、それから白いご飯も口へと運ぶ。
「まー、土地の問題もあるからすぐには無理だけどねー」
支部を作る事は決定だが、現実で作るとすれば場所。建物を建て、設備を作れる土地が必要になる。
イチコの身元が判明したとは言え、それを使って購入する訳にはいかないだろう。
いくら上級の探索者であるとは言っても、この間の出来事――ダンジョンマスターとの直接対決によってダンジョンマスターとしての力をイチコが使う事になった事件――もある。
その件では幸いにもバレなかったようだが、疑問に思っている探索者がいない訳ではなかった。
なので、これ以上は、あまり表だって動きすぎると怪しまれるだけではなく、イチコがダンジョンマスターでありグランドマスターであると言う事がバレてしまうだろう。
それだけは避けねばならない。
箸と弁当をテーブルの上に置き、水をひと口飲む。
イチコは眉根にしわを寄せて腕を組んだ。
横によけていたメニューを正面へと戻し、探索者になろうのページを呼び出す。
そこでイチコは思い出した。
「そういえば、通信の問題もかー。ダンジョン化すると電話回線やら電気水道やらがダンジョン由来のものになるみたいだから、その辺も考えないとー」
異変の日から一年半。
イチコの住んでいる部屋の水道電気ガスその他もろもろのものは使われた形跡がなかったらしく、月々の支払いである水道光熱費も基本使用料のみ引き落とされていたそうだ。
電話も繋がらず、チャイムを押してもノックをしても返事が――ダンジョン化した影響で外の音は中に聞こえる事がなかった為――ない。部屋のカーテンや窓が開く事もなく、生活音もしない。
生活をしている気配がない部屋ではあったが契約は2年。そして異変の日以降、現実的ではない――それこそライトノベルの物語のような事件が各所で起きており、混乱していたという事もあった。
銀行で生活費を下ろす事もなく、電気やガスはともかく水道も使わない。
アパートで暮らしていたとは思えない、どこで何をしてどうやって暮らしていたのだとイチコは方々に聞かれた。
その度に「よくわからないけど探索者になってここで普通に暮らしていましたよ?」と、すっとぼけた返事をするしかなかった。
「引っ越さなくていい拠点がほしーけど、実家はダメかな。龍二くんたちが居るからバレちゃう可能性がグッと上がるよねー」
呼び出していたページを閉じ、ダンジョンを選択。
続いて『管理』を選ぶと、『一覧』『編集』『移転』の文字が浮かんだ。
『編集』から『マイルーム』を選ぶと専用のページが呼び出され、イチコの目の前に画面が現れる。
「回線類は……あー、ちゃんと外から回線を引き込めるのね」
今まで表示された事がなかった回線類であるが、イチコが意識をした途端に画面の上に回線の項目が現れた。それを押すと別の小さな画面が出現し、大量の会社名とダンジョン内へと引き込み可能な回線等の名前が並んだ。
つまり、イチコが住んでいるアパートが契約をしている会社以外からも勝手に回線を引ける、という事だ。
その事に気が付いたイチコは口を閉じ、我慢できない程ではないけれど集中の妨げにはなるくらいの頭痛が来た時のような、なんとも言えない表情になる。
「頭痛が痛いってこういう時に使えばいいのかな」
メニューを全部消し、テーブルの上の弁当を取り残りをすべて掻きこんだ。
コップに残った水も全て飲み、テーブルの上へドンと置き、イチコは叫ぶ。
「こんな細かいのまでムリムリ。やっぱり支部作る。ヘルプミー!」
そんなイチコの叫びはダンジョン内で吸収され、外へ漏れる事はないのである。
身元が判明して本名も出てきましたが、本人の記憶は戻っていないのでイチコのまま進みます。




