【三章第二十七話】 アフターダーク
戦場が口を大きく開けて笑っている。
女神さまは双方を手に乗せ弄び嗤うのだ。
本当はもう決めているのだろ、最初から結果なんて決めているのだろ? それでもきっと神様は遊び続けるだろう。
必死な俺達を見て面白おかしく愉快な気分になっておられるだろう。
「何人持っていかれた?」
一人の男はそう聞いた。大して仲間になんて何の価値も見出していない癖していっちょ前に悲しもうとしているのだ。
ふりまでしても悲劇の少年を気取っているのだ。
「八人です」
伊勢が唇をぐっと噛みしめ悔し気に男にそのことを伝える。
男の心は穏やかでいつも通りの心持。
「そうか」
たちどころに上がる黒煙は世界を暗くした。
生きた人間の死骸は味方を暗くした。
それでも彼らは戦った。
それでも彼らは必死に突破口にしがみ付いた。十重二十重と陣を付き壊し幾百の鬼を撃ち取っても未だ戦い続けねばならない。
戦場で生き抜く方法、それは敵を殺し続ける事。それは自分を殺す可能性のあるものを一人一人屠っていくこと。
中央では未だ鬼と人類の一進一退の攻防が繰り広げられている。
皆の注意が中央に向いている中で少数精鋭で砦を強襲、侵入して囚われた者達を救う、これさえ完了すれば、全員とは言わない、たったの数人を人類の領土に生きて連れていけば俺たちの勝ちだ。
数人でも助ければ内地の者も救出したと言う事柄に納得するし最悪残りの人を見捨てての空爆という選択肢もとれる。
「吹雪、大河準備は出来ているな?」
「はい」
眼の前に居た二人はこくりと頷いた。
「榛名、那智、手筈は分かっているな?」
「はい」
那智はこの戦いの為に用意された特別な武器を片手に自慢げに首肯した。
「ハリマ、莉乃、響お前らは救出班のサポートだ」
「はい」
臣たちは命を然りと認識した。
「救出班、お前らが全てを握っている、頼んだぞ」
「はい」
屈強な選りすぐられた男たちは力を漲らせた。
「では残りの皆々に命じよう。諸君、狂いたまえ。踊り叫び狂え、狂うことで常識を打倒せ、怒れ、世界に響くように怒れそして士気を破壊しろ」
では行くぞと言わんばかりに俺は彼らに背を向けた。
敵に悟られないように、そして尚且つ戦場から離れ過ぎないように戦の地を移動しなければならない。
此方は分かっているぞ。
此方は知っている、どれだけ穴を掘って土をもって偽装しようが俺たちは必ずそれを知りに行く。
奪還のために駆り出された一つ二つの隊と数名の自衛隊員は突入地点でもあるドローンから撮影された敵の殆どいない見せかけの塹壕へ向かうのである。
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疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山、動如雷霆。
枯れた草花に火を付ければ瞬く間に黒煙を上げ全てを焦がしていく。
戦争とは騙す事であり、悟られぬことであり、味方が有利になるように働くことである。
瞬時に奪い、雷の如く大音声を上げながら引き上げ山のように守りを固め撤退する。
「まもなくだ、間もなく始まる。準備はいいか」
独り言のような言葉が風に乗って戦場へと消えていく。
皆身体を縮こまらせ強張り緊張に緊張を上塗りしている。
「なに、しくじってもたかが死ぬだけだ」
「毎度毎度思うのですが怖くはないのですか? 隊長」
口からそれはとてもとても穏やかな吐息が漏れ出した。
「あるところに一人の少年がいた、少年には何よりも大切な友達がいた。ある時その友達が寄って集って皆に虐められていた。そしてそんな友の姿を見て少年はどうしたと思う? もしお前がその少年だったらどうしていた?」
何故だろう、ああ何でかな。どうして俺はこんなことを話しているのだ……。
こんなにもあっさりとどうしてこんなことを。
「俺は……。俺なら助けますよ、たとえどれだけ自分が傷つこうとも」
目の前の友は何の迷いすら見せずにそう言い切るのであった。
「大河、お前はどう思う?」
「その少年はどうしたかは分かりません……。でもきっと俺も那智のように迷わずそいつの味方で居続けると思います」
「どうしてそう言い切れる?」
「そいつと友達だから」
一人の『少年』は彼らに背を向け砦の方をぼんやりとそして彼らの言葉を反芻しながら眺めた。
「なら大丈夫だ」
「は……」
疑問とも了解ともとれる声が後方から聞こえる。
「少年はこれから単身突入する俺たちの事で、親友はあそこに囚われた同胞である人類だ。皆は迷わず助けると答えた、ならば大丈夫だ」
ならばお前らは大丈夫だ、お前らはな。
「俺達はその少年とは違い一人ではない、例え敵が大勢でも一人ではない。恐怖も喜びも悲しみも皆で共有できる、ならば大丈夫だ……」
多分俺は今こいつ等を振り返って見ることは出来ないだろう。
それに何で俺はこんな話をしたのか、何でだろう。
分からない。
「大和君はその話どう思うんですか?」
「ん?」
「大和君がその少年ならという話です」
純粋な何の悪意もない精錬された質問が後ろから自らの心を狙撃した。
よく噛み締め、重く受け止め、しっかりと考えを言葉にして俺は口を開く。
「謝りたいと思っているよ、その少年は」
「へ?」
駆け巡る雷すらも越えてしまう大きな炸裂音と共に二カ所から白煙が上がった。
煙の中にこれでもかと矢を撃ちかける他の部隊。
戦いの狼煙は上がった。
「多分な、多分。その少年は恐怖に打ち勝てなかったことに今も後悔していると思う、そしてその後悔が少年の何者さえも恐れない原動力なのだろうな」
一人の少年の成れの果ては爆音がけたたましく響き渡る戦場でそんな事を口走った。
「えっ? 今なんて言ったんですか?」
「どうやら作戦開始の様だ」
皆言われなくても覚悟など決めている。
勝負は一瞬だ。
どれだけ早く風では搔き消せぬ大火に成れるかが成功のカギ。
「此方キングジョージ、アドミラル、頃合いだ、以上」
「此方、destroyer(駆逐艦)。上空から敵部隊の移動を確認、以上」
兵士たちは死に物狂いで、怒りに任せて、覚悟を決めて走った。
例え前から玉が飛んでこようが、矢が飛んでこようが彼らは一歩も引かないであろう。
決死、必死。
それはまさに死を引き連れた突進。
塹壕に、塹壕の周りに、塹壕の後続の柵に向かって投げられる自衛隊の手投弾。
土を巻き上げ、木片を吹き飛ばし思うがままに力を振り下ろす。
攻め上るところに上がる深い深い俺達の盾となってくれる人工の霧。
騎兵を出撃させるために作り上げられた橋に兵士たちは殺到する。
「では私達はここで」
橋の中核を超えると緑の人達は此方の行動を隠すために周囲に向かって発煙弾を投げた。
「那智、榛名」
お互いがお互いに周囲にとある新兵器を投擲した。
ドガァァァン。
煙の中でそれは誰もが身を固くするような発破音を上げる。
銃火を始め人を殺すほどの爆薬・爆弾などは我々の使用は禁止させられている、ただこれは違う。
爆音に限りなく近い音を上げる音響弾が煙の中で響き渡っている。
どうか敵が自らの使用した黒色火薬が爆発したと勘違いしてくれますように。
ただ寄せ付けないのは周りの鬼たちだけ、中に居た、もともといた奴は別だ。
「支援部隊抜刀。救出部隊は駆け抜けろ」
予期せぬ襲撃に狼狽える鬼たちを次々に味方衆は切り刻んでいく。
「叫べ、敵の士気を蹂躙しろ」
魁は吹雪のドローン。
「お前もちょっとは仕事しろや」
「私の命令は隊長を守る事、人質の救出ではない」
涼し気な我関せずという顔で声すら上げずに応戦するまひる。
「なら周りはお前に任せるぞ」
返事の代わりに刀を輝かせて遠方の敵を切り裂いた。
「ゴーゴーゴーゴー」
何者かの叫びが聞こえる。
「目標地点に到達、人質の無事を確認」
開けた地に磔にされている女性。
「これより救出行動に入る」
皆怒涛の如く押しかけ血を周囲に撒き散らした。
これでもかなり減らしたが敵はある程度は存在する。
慌てているのか? 焦っているのか? 敵は人質にさえ手を付けず刃をもって決死の特攻に及んだ。
兵士たちはそんな鬼をいとも簡単に対処する。
「活路を開け」
槍の如く一丸となって敵の集団を貫く。
斬った、殺した、殺された、死んだ、生きた、突いた、打った、討ち取った。
爆音が絶えず響いている。声が敵の士気に響いている。
遂に救出班が竹垣の中心に囚われている女性の元に辿り着いた。
救出班を囲むように円陣になり細々とした鬼たちと内から斬り合う者達。
一心不乱に女性を救出しようと行動する班員。
外から鬼を斬り付け殲滅していく俺達。
女性の精神の蝋燭は最早消えそうで、虚ろでぐったりと項垂れている。
一瞬だがほんの一瞬だが彼女の眼と俺の視線が互いに交差するような錯覚を覚えた。それを真実かどうかなどと確かめていられる余裕などはこの戦場にはない。
何故か体に駆け巡る悪寒。
何かがおかしい、根本的な何かが狂っているような気がする。
敵兵は居る、居はする。
真田のように迷路に追い詰めて俺達を殲滅するのか? いいや、俺たちはそれなりにだがここの構造を知ってはいる。
何故だろうか、何故俺はこんな可笑しな気持ちになっている?
一人の女性は十字架から下ろされ救出班の一人の男に背負われた。
「事前に打ち合わせた通りに動け。退け、引き上げろ、引け」
皆が皆揃って大きな声を上げる。
死んだ目を、生きることを諦めてしまった眼の女性を背負った男や救出班を中央に配置し皆即座に撤退を始めた。
敵の追撃も緩い、これはいける。
そんな心と裏腹に何かドロドロとしたものが腺となり疑惑を膨れ上がらせていく。
引くところに強襲を掛けてくるようなことも無い、そもそもだ。
そもそもこれは思い過ごしか?
何せ俺達は敵を隅に分散させて中央を叩いたんだ。敵数が少ないのも、追撃が緩いのも、撤退際に此方が驚くような策さえ撃って来ないで当然だ。
ただ、ただどこかで、一度見た、これよりはるか前に取られた空中写真から推定された敵の数よりは幾分も余裕がなく少なく感じた。
多分気のせいだろう。
側面からの敵の一撃を腰から抜いた刀で受け止め、その隙にまひるがとどめを刺す。
迫り来る敵を薙ぎ払い、斬り倒し、外へと向かって行く。
それから多少の追撃はあったものの何て事無く砦の出口に辿り着いた。
「これで最後だ、発破をかけろ」
味方が完全に撤退しきったところでこれ以上の追撃が無いようにと馬の出し入れの為に作られた橋に置かれたプラスチック爆弾が炸裂した。
砦をでさえすれば敵の追撃などは完全に失せてしまった。
敵はまた籠城戦の構えを取ったのだ。
そして敵の砦から幾分と離れたところで手筈通りに敵を引き付ける為に展開していた部隊と落ち合った。
「アドミラル、どうやら終わったようだな」
「ああ作戦は成功した」
恵まれた体格を持つ歴戦の猛者の言葉に首肯する。
目の前の男は俺の肩をバンバンと叩きとても喜んでいるみたいだ。
「報告によれば他の班も大勢奪還に成功している。あとは中央の広間の人質たちだけだな」
どうやら各地の戦線で我々は人質を救出しているらしい。
ならばこの男の言うように中央の救出は行われるか少々不安になって来た。
我々は一定の戦功をあげたのだ、もしかしたら此処で引いてあとは空爆に任せるのかもしれない。
本陣の吹雪の報告によれば中央の戦線は人類が優勢。
まさに此方の作戦通りに、シナリオ通りに全てが進んでいる。
ひゅるり、ひゅるりと風が吹き荒れる。
雲を従え、煙を下僕に、死臭を引き連れ戦場を遍く駆け巡る。
本陣と推定される地点から一筋の狼煙が上がった。
ただ敵は砦を棄てて討って出て総掛かりを仕掛けてくるような感じには見えない。
人知れず、人が知らない所で女神は嗤う。
心臓が不規則に脈打った。
ポトリと汗は落下し地面を潤す。
俺はこの感覚を知っている、何時だもこの感覚を味わった事がある。
そして勿論良い事なんて起こらなかった。
――じゃあな……。また今度……。
いつかの、何処かの親友の声が心の中から溢れてくる。
何故だろうか……。
また今度なんて無かった。
あの時の俺もまた今度なんてもう二度と廻って来ないような錯覚に囚われた。
それでも俺はそれを気のせいと認定し無視し続けた。
やはり……。
いや絶対に何かが起こる予兆だろう。
俺はあの時とは違う。
俺はあの時とは違う選択を取れる。
「ハリマ……」
とある老臣に意見を求めた。




