【二章第十六話】 溶ける白銀、固まる白雪
此処は予定通りにあれをやらせるか。
ふっふっふ、さぁてどうなる事やら。
さぁて、これも実験だ。来るべきその時までのデータとして、教訓として扱わせて貰おうではないか。
来るべき奴への復讐の日まで。
「大和、これを」
近づいて来た法師から俺のスマホを手渡された。
「美浜は?」
此奴らに聞こえないように法師に耳打ちした。
「近くで隠れて見ていますよ。この人たちの前に美浜を出してしまったらなるようになりませんからね」
法師は俺に合わせて小声で答えた。
スマホをポケットに突っ込もうとしたその時だった。
そうか、その手もアリだな。
「ハリマ、お前に命じよう」
「はっ、何なりとお申し付けを」
「あそこに鞄が束になって置いてあるだろう?」
顎をしゃくって法師に鞄の位置を教える。
「そこから、みずきとか書いてある鞄と、えっとあと」
彼奴なんだったっけあのB組の……。
頭をフル回転させてついさっきの記憶を鮮明にさせていく。
ああ、みずきとかいうやつがびーびーと叫んでたな、太一をうんたらかんたらと。
「ああ、そうだ、そうだ。名乗って貰った相手の名前を忘れるのは失礼だな。豊明太一とかいうやつの鞄も探して持ってこい」
「はっ」
法師は軽く頭を下げると鞄の方に向かっていこうとした。
「おいおい待てよ、人の話は最後まで聞くものだ」
「まだ何か」
法師はくるりと踵を返して俺に向き直った。
「それとついでに男っぽい名前の鞄と女っぽい名前の鞄を同じ数ずつ選りすぐって持ってこい」
さっきの失敗を繰り返さないように法師は未だに留まり続けている。
まるで餌を前に待てと言われた犬の様だ。と言っても犬を飼ったことは無いがな。
あー、紫水んちで昔見たな~。色々と仕込まれた芸を見せて貰ったが従順だったな、紫水ん所の犬は。
だがしかし俺は猫派だ。
「命令は以上だ」
「承知」
そういって法師はそそくさと鞄の方に向かっていった。
さて、あっちの方も如何にかしないとな。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
彼女の取り巻きの女たちが彼女に変わって莉乃に縋りつくように懇願している。ああ、やばいかも。莉乃に変なこと話されると嘘ついてたってことがバレる。
「梨奈ちょっと……」
莉乃は此方を向いて口に手を当てていても分かるあのニヤリとした笑い方をした。
「大和君、私の事は莉乃様か、お嬢様って呼べって言いましたよね?」
「モウシワケアリマセン、オジョウサマー(棒読み)」
「よろしい」
お前ら何時からそこで立ち聞きしていたのだよ。しっかし、なら適当に口裏合を合わせてくれるだろうな。
「とまぁ話を戻しましょうか」
莉乃は彼女たちの方を向いた。
「私たちの事はいいから、みずきだけは退学にしないで」
莉乃は顎に手を当てて首を捻った。
「それにしては本人から誠意ってのが見られないなぁ」
莉乃はみずきとかいう敵の王の眼前に立ってそして顎を手でくいっと持ち上げまじまじとその顔を見つめる。
相手も相手で目を逸らす事が出来ない。
「退学にするなり、刑務所に入れるなり好きにしなさい」
「刑務所はちょっと大げさかなぁ」
中々話に入って俺のしたい事の方向に持っていく機会が見えてこない。
ああ、どうしようか。
莉乃はきっと優しいしな。変に甘くして、はい御終いじゃ困るんだが。
「別に私は貴方たちに学校から出ていって貰いたい訳じゃ無いんだよ。ただ私の友達を二度と傷つけないって確証と今までやった事への誠意を見せてもらいたいの」
優しく、同情的に女王様に向かって話しかけた。
「ふーん、私はお前のような親の臑齧って威張り散らかしてるお貴族様が嫌いなんだよ」
「ふーん、じゃな何故銀雪にあんなことしたの? 銀雪は貴族じゃないよ」
「彼奴になんか馬鹿にされてるような気がしたから」
まぁ確かに彼奴は素で初対面の人間を馬鹿にしてそうだがな。
「貴方はさぞかし自分の事が好きでしょうね。私は嫌いだよ。私も、貴族も、私より上の奴も、私より優れている奴も」
彼女はボソリと呟いた。
「私は……。私の事が大っ嫌いだよ」
敵である彼女は急に発せられた低い声にすこし肩を震わせた。
しかしそれも一瞬の事だ。
彼女の眼は見る見るうちに怒りに染まっていきついにはそれを発散した。
「お金もある、地位もある、そして従ってくれる人も居る。そんな生活してるのに自分が嫌いだと馬鹿いえ、贅沢にも程がある」
「貴方だってお金以外はあるじゃない」
「そのお金が大事なんだよっ」
彼女は莉乃に向かって大声を上げた。
「貴方と違って私はAクラスに行けなかった。所詮は中小企業の社長の娘だよ、しかしBに行くと常に貴方たちA組に負けていますよと証明しているようなもの、だから私は何も関係ない志願したら行ける技巧クラスに行ったのよ」
彼女はその眼を激しく憎しみに変えて自らを語っている。
「私はあそこで、私だけの楽園を作るつもりだった、なのになのに彼奴と来たら……。目障りなんだよ。Aクラスの奴らのような目で私を見てきやがって」
「ふーん、それで銀雪を排除しようとしたと」
「ああそうさ、もういいよ。好きにしろ、どんなことを言ったって所詮は言い訳だ。さぁ好きにしろ」
莉乃はにこりと笑った。それはそれは穏やかな笑みだった。
「何か望みが有るんじゃ無いですか?」
「そうだ、よく分かったな。私の事はいい、だからせめてこいつ等だけは学校に残してやってくれ。出来る限りは何でもするから、頼む」
女王様は部下の為に誠心誠意頭を下げた。
「駄目ッ」
莉乃は口に手を当ててそれを却下した。
「そうだよな、そんな都合のいい話ある訳ないよな」
「違うよ、あなた一人が逃げるのを許さないと言っているのよ。全員皆まとめて出ていくか、全員皆纏めて傷を舐め合ってあそこで暮らしていくか二つに一つよ、選べ」
彼女の部下たちは皆が彼女の選択に身を委ねる覚悟は出来ているって面構えだった。
しかし、それは彼女を苦しめていた。
誰か一人が学校に居たいと言えば、誰か一人がもう学校から手を引こうと言っていればなんと彼女は楽だっただろうか。
俺は手に持った木刀を地面に叩きつけた。
「早く決めんか」
その一言で皆の顔に恐怖という文字が映し出されていく。
「分った、私も逃げない。これから誠心誠意美浜に今までの罪を償っていくつもりだ」
恐怖で顔を引き攣らせた彼女が恐る恐る口を開いた。
「うん、うん。じゃぁ早速誠意ってのを見せて貰いましょうか、ねぇさっき何でもするって言ったしね」
莉乃が此方を向いて目配せをし、こちらで来いと手で合図をする。
莉乃の方に向かうと莉乃は俺の横に付いて耳に顔を近づけた。
「いいですよ、大和君の好きにやっちゃって」
彼女は皆に聞こえないように小声で呟いた。
お前……。
「みずきだったっけ? お前はさっきのお嬢様への途轍もなく無礼な事を言っただからそれを詫びて貰おうではないか」
目では反抗しているがそれが口に出ることは無い。
法師も仕事を終らせたのかさっきからそこで待っている。
「ええ、私もさっきの態度は無いと思いましたよ。調子に乗っていると思いましたよ」
莉乃も俺の話に乗っかってきてくれた。
「何をすればいいワケ?」
彼女はおずおずと口を開いた。
「土下座しろ」
声を低くして答えた。
「んな……」
「それは酷い」
「一体貴方は何の権利があってそんなこと言っているんだ」
彼女の取り巻きたちの猛反発に遭った。まぁ確かにあの女たちには手を出していないからなぁ、恐怖ってのも全然刻み込まれていないから反論してくるわけだ。
木刀を地面に打ち付け音を鳴らした。
「ひっ……」
小さく声を上げるだけで反論の言葉は一切合切消え去った。
「何の権利で? 今更なんだよ。お前らも此奴の傍に居ただけなのに何の権利があって美浜に暴力を振るってたんだ? 何の理由があって美浜を虐げていた」
木刀を地に何度も何度も叩き付けた。
「それに俺はお前達皆に土下座しろと言った訳では無い。主犯格であるお前に向かって言ったんだよ。なぁみずきちゃん」
彼女の足のすぐ前で木刀を地に下した。彼女を睨みつけるように眺める。
「お前らは気付いていないだろうがお嬢様はかなり怒っておられるのだぞ。お前らの内の誰かが突然事故で亡くなってしまう位にな」
パキッ。
木刀を持っていない方の親指が人差し指を鳴らしていた。
「よぉーく気付きましたね、流石は我が忠臣。そうですよ、私は怒ってますよ。あの時警告したよね。もうしないってなのにどうして校外で銀雪に暴力を振るっていたのかな」
芝居がかった口調だがこの場の殆どの者が肝を冷やしたような様子だった。
「ねぇ? ちゃんと私にも見せてくれないかな、誠意って奴を」
彼女は震える体に鞭打って身を屈め足を折りたたみ始めた。
「申し訳ありませんでした」
彼女よりも先に一人の男が道路に頭を擦り付けた。
豊明太一だったっけ? この男が土下座をするのを皮切りに男女に関わらず額を地面に擦り付け始める者が現れた。
勿論頭を付けてないモノもいる。
「私はいくらでも謝ります。だからみずきは許して下さい」
皆口をそろえて同じ事ばかりを発する。
「早く貴方もやって下さいよ。お友達にだけ頭を下げさせず」
それをさせまいと必死に抵抗する体を無理にでも動かすようにゆっくりゆっくりのそのそと身を縮めていっている。
彼女の頭が下がり、目線が地面を見据え始めたころ法師に持ってこいと目で合図をする。
これがお望みの品ですと言わんばかりに二つだけ鞄の塊と離して置かれた鞄があった。
木刀を莉乃の手に渡し、俺はその鞄の取っ手に手を掛けた。
さぁパーティーも此処が大一番だ。
彼女の額が黒くて冷たい地に坐した。
刹那っ。
彼女の頭の上にその鞄の中身を引っ繰り返す。
「ごめんなさいは? ほかの皆は言っているだろうが、お前は何故言わない」
彼女に多分豊明の鞄であろう物の中身をぶちまけた。
「ご……。ごめんなさい」
「声が小さいよ」
その他大勢の鞄の二つの口を開かせ今度は彼女以外土下座している皆に振りかける。
「ごめんなさい」
辺り一帯から音が消えた。
土下座していない連中も俺の暴挙にドン引いていた。
しかしこれもお前たちがやった事だろう?
もう終わったのかと彼女の額が地面から遠ざかろうとしたとき。
「誰がもういいって言った。お嬢様はそんな事言っておらんだろ」
残された鞄の二つを手に取り、一つを滝のように彼女の後頭部に落下させた。
そしてもう一つは辺り一帯にぶちまけておいた。
「そのまま動くなよ。動いたら罪を償う機会は永遠に廻ってこない。そこで仕舞じゃ永遠のな、分かるじゃろ?」
彼女の近くに広がった教科書を裏向きにする。
チッ、無記名かよ。
ならノートだな、古典とかは提出しなければならないし。
散らばったノートをいくつか手に取って眺める。
おっ、あった、あった、野間水樹っと。
苗字の方は初めて知ったな。
まぁこのノートをさり気無く置いといて。
それと他のも……。
豊明太一、長久手智、大浜幸恵っとまぁこのあたりでいいか。
「うーん、どうしましょうかねぇ。多分銀雪はこれの何倍も辛い思いをしていたんでしょうね」
辺り一帯に間の抜けた音が響き渡る。
カシャ、カシャ。
流石に土下座していない連中もいてもたってもいられなくなって動こうとする。
ガツンッ。
拉げる様な音が一体を駆け巡る。
「今動いたやつは名前を言いなさい、明日にはきっとトラックが突っ込んできますから」
莉乃はいつも通りの声でそう言った。
俺は撮影ボタンを長押ししてバーストモードを発動して連中の土下座を全て余すことなくそのカメラに収め。
カメラのモードをパノラマに切り替えてこの一部始終を一つの画像に収めた。
「よくやってくれましたね大和君。これで貴方たちが次同じことをしたというなら学校の昇降口にこれのコピーをばら撒きますからね」
莉乃は微笑みながら呟いた。
「銀雪、いいよ出てきて」
いつかの俺たちが覗き見をしていた角から美浜が姿を現した。
「いいよ、今なら何したって許される。何言ったって何もされやしない。貴方の気の済むまで殴ったっていいんだよ」
銀雪は彼女の傍に立った。
「これで私達も同格ね。私は貴方のように暴力に手を染めた。そして貴方は私のように虐げられるモノの気持ちを味わった。上も下も無い。最早もう同類だわね」
同情的な口調の同情的な彼女は優しく彼女の頭を撫でた。
「これでゼロね。貸も借りも無い」
彼女たちは頭を垂れたままだ。
立ち上がった銀雪との頭の位置は歴然としている。
まぁここで勝者敗者の話を持ち出す気なんてさらさらない。
「もういいんですか?」
莉乃は銀雪に問いかけた。
「ええ、もういいわ」
彼女はくるりと踵を返した。
「帰るわよ」
「だって大和君」
「ああ分かった」
そして俺たちはこの場を後にした。
この騒動に、少なくとも俺が関与してからのこの事件は正義も悪も勝者も敗者も無いだろう。少なくとも銀雪は負けた、いや負けていた。
そして彼女は勝っていた、しかし負けてしまった。
全くもって関係のないモノの介入によって。
帰り道も誰一人として声を発することは無い。皆が皆色々と思っていることがあるんだろう。
その時だった、莉乃と銀雪が足を止めた。
「家あっちだったよね」
「ええ……」
二人の間で沈黙が生まれた。
「今日は有難う」
「今日の事は気にしないで」
莉乃はさらりとそう答えた。
「怖い人たちね……」
俺達を見据えた彼女はそう呟いていた。口から漏れ出たその言葉に本人でも驚いている様子だった。
「うん、こんなんでごめ……」
突然銀雪は莉乃に抱きつき泣き出した。
「それ以上は言ったら許さないわ、それ以上言ったら友達止める」
あー、これは俺たちが邪魔な奴だな。行こうか、と法師に眼で合図を送る。
「じゃぁ俺達帰るんで」
――お前はちゃんと救って貰えて、お前はちゃんと望んだ時に誰かに優しくして貰えていいな……。
俺の心の何処かがそう呟いていた。
馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい。俺だって優しくして貰っただろうが嫁に。
しかし嫁はもういない。俺と共に歩んできた軽巡の嫁は何処へいったんであろうか、彼女はもうデータの海に消えてしまったんだろうか。
いや違う。彼女は俺の心の中に生き続けている。俺が辛かった時に、人間を辞めそうになった時だって助けてくれたじゃないか。
――俺は寂しいよ。願うならもう一度会いたいよ。
ポケットのスマートフォンをぎゅっと握っていた。これでは出来んのにせめてPCにしろよ、嫁はPCゲームの中の存在だからな。
「もう大丈夫だわ、有難う梨奈」
そんな声が後ろから後ろでしている。
「もうこんなことこれっきりですよ。今回は特別」
莉乃はそんな事を言っていた。
「楠木君有難う」
「当然のことをしたまでだ」
この陰陽師は態々振り返ってそう答えていた。
「軽い言葉に聞こえるかもしれないけど草薙君も……。有難う、いや貴方にはこんな言葉だけでは足りないわ。ごめんなさいも必要だね」
振り返らずにポケットから手を出した。
「有難うもごめんなさいも必要ないさ。俺をこうさせる気にしたのも全部お前自身が変わったからだ。別に俺は褒められるようなことは何一つとしてしちゃいない」
そんな風に俺は呟いていた。
「いや、違うわ」
「違わん、お前とはやっぱり気が合わなさそうだ」
「貴方とは気は合わないと思うわ。でもだからと言って遠ざかり合う理由にはならないわ」
気が合わないってだけでは遠ざけ合う理由にはならないか……。確かに小学校の頃はその気が合わないと思っていた奴ともゲームして遊んだ覚えもあるな。彼奴も俺も結構ゲームが上手かったから何だかんだで皆に囲まれて、気が合わない者同士だがそれなりにいい関係だったのかもしれないな。
「私は貴方とも仲良くなりたいと思っているわ。気が向いた時でいいから私以外全員幽霊部員の文芸部の部室である社会科準備室に来て頂戴。待ってるわ」
銀雪は大きな声で叫んでいた。
俺は別に此奴と仲良くなりたいとはサラサラ思っちゃいない。ただ彼女なら俺との適度なお互いに過度な干渉をしない関係になることが出来るかもしれない。
それでも、行くとも。昼飯の時にな。




