【二章第九話】 織田莉乃と草薙大和と
小さく蹲っている彼女を見下ろしながら……。
決して俺は此奴を殺せなかった訳ではない。
何度も何度も言葉を噛み切り、心の中で反芻させる。決して俺は情けなんて、情に流された訳でもない……。
「まずは腕一本置いてけ」
さらりとそして力を持って彼女に向かって言い放つ。
潤んだ眼の中には未だ光が残っている、そんな俺と違いこんな状況に置かれていてもまだ何かを捨てていない彼女の首筋に刀を突き付ける。
彼女も人だ……。強くいようと必死に堪えていたのであろう、今も今までも。
大粒の涙が地面に落下していく、それでも顔だけは凛とした感じを必死に作り出そうとしている。
「私は彼奴を殺す、そして織田家を絶対に復興させてみせる……」
声にならない声で彼女は静かに淡々と流れる涙の如くさらりと呟いた。しかし彼女の声色は怨嗟によって淀んでいた。
「織田っ訳が分からん? お前の苗字は明智ではないのか、お前はまた俺に嘘をついていたのか?」
織田家ってあの織田家か? あの家はもう遥か五百年前に青桔梗に弑逆され、禿鼠に乗っ取っられ、最終的には葵狸に敵対して廃滅となったはずだぞ……。ああお茶くみの方もいたな。
ただし彼女の名は明智だ。明智ってあの明智かもしれんが……。だが天童って言っていたよなさっき?
彼女の言葉の意味が分からず俺は一人頭の中で彼女の言葉の真意について考えていた。
しかし、全くと言っていいほど答えが浮かんでこない。
多くの何で、どうして、思案の海から浮かび上がってくる。
「私はね」
彼女は堰が切れたように泣き始めた。それは声にも出さないただ垂れ流されるだけの静かな涙だ。今までの彼女の苦労を、彼女の絶望を、彼女の心の闇を、それら全部を塗り固めて元の純白な弱い人間に戻ろうとするように彼女は己の心の内全てを表に晒した。
「あの鬼の襲来の日、私は見たことも無い恐ろし気なお父様に付き従って外に出たの。そしたら」
彼女は涙を流しながらも切実に俺に語り掛けて来る。
「お父様は殺されたの、事故ってことになっているけどそこでお父様は自身の部下の企みによって殺されてしまったの、そんなお父様が殺されるのを目の前で見ても私は何も出来なかった、私はただただその企ての流れに流されることしか出来なかった」
涙を溜めている眼からハイライトが段々消えていっている、潤んだ眼をしているのに。
「それからお父様の部下に捕まった私はとある場所に連れていかれたの……。そこはかつての私の屋敷、いやその時は数時間前までは私の家だった、その直前までは私の居場所だった」
今にも首に当てられた刀に肉が切り裂かれてしまいそうな勢いで身振り手振りを使いながら彼女は流れる涙を無視して俺に語り付ける。
「そこには私の家は無かった。私の家は私の知らない人間に占領されていて、使用人もかつてのお父様の部下も奴に買収され、我が家に忠義ある者達は追い出され、織田家が古より受け継いできた神器のありかも全部知ってた。神器の継承方法も、神器の扱いも……」
彼女は自分の袖で涙をぬぐい、その意志の光は宿っているが輝きに満ち溢れていない眼をして此方を覗いた。
それはもう眼鏡を貫通し、体の内まで届いてしまうくらいの意志の力が込められていた。
「何故か奴は知っていたの。天童家の真の名前を、織田家の秘密を……。私は一切合切をあいつに奪われてしまった。そして私は無様に名前まで変えられて、忠義ある部下をこの手で何人も屠り、何故彼奴の駒として生きていねばならない」
それでも莉乃が本名だとしても殆ど変わってませんよね。
しかしその名前を付けた奴も物凄く悪趣味だ。彼女が本当にあの織田家だというなら、そこの末裔に『明智』なんて屈辱的な名前を付けるのだから。
俺の心に一つの感情が生まれた、あれからあの中学生の時以来初めて目に見えるバーチャルな繋がり以外で周囲に存在する他人に興味が湧いた。
何故俺はそこまでして彼女の事を知ろうとしている。必死になって此奴の価値を見出そうと、此奴を生かしていい理由を探そうとしている。
これは恋なのでしょうか? ただそれはない、絶対にない。
これだけは確信して言える。好きだという気持ちを知っている俺は余計に困惑しているのだ。
いったいこの気持ちは何なのか?
愛や恋で片付けられるならそれは楽で分かりやすくていいと思う、でもどうやら違うみたいだ。
だから俺は困惑している。
「それはお前が弱いからだ。それはお前がどうしよもない弱者なのだからだ、織田家が滅びた原因もお前のそれだ」
俺は傲岸不遜に彼女の眼前で笑ってみせた。
彼女を嘲るように、彼女を虐げるように、彼女自身の弱さを笑ってみせた。
俺は彼女が今取り戻そうとしている弱さや純白さに向かって声を上げて笑った。
彼奴は俺を特別だと言った。
だから、だから俺は今彼女がその特別のカテゴリーから自分を外すようにと、自分を突き放してくれと彼女を嗤う。
「だから私はあいつに約束を取り付けたの、確実に人類に紛れた鬼がいるはずだと思ったから、そこで武功を挙げたら織田家の独立を認めると、彼奴の築いた地位は全てが織田家のお陰だと発表すると」
嘘だ……。俺の心の何処かがそう告げた。期待すらしていない、彼女の心の何処はそんなところに縋ってすらいない。
「そして鬼はここにいた。神々の神器の力の宿ったこの鏡にハリマ、いえ蘆屋道満を映したときにそこには何も映ってはいなかった。その時から私の疑念は確信に変わり私は気を見て確実に討ち取れるタイミングを窺った」
彼女は徐に服の下から隅々まで装飾の施され真ん中に鑑のような石が埋め込まれているペンダントを取り出し俺の傍にいる法師を映して見せた。
その木瓜紋が彫り込まれている懐中時計のようなペンダントは確かに法師を映し出してはいなかった。
「そして今日が来たと。馬鹿だなそれ、騙されているんだぞ。断言しようお前は俺らの屍をそいつに献上したところでお前の望む結末にはならない、だって裏切り者の言うことだぞ。それにお前も半ば気付いているんだろ? そんなことしても無駄だと」
無慈悲かもしれない、冷徹だ。今心が揺れに揺れている彼女に向かってそれを突き付け彼女の心を完全に崩壊させた。
「そんなことわかっているわ。それでも、それでも、私はそれしか縋ることが出来ないの。ゼロに近くても、限りなく無に近くても私はそれ以外の選択肢が無いの」
彼女は乱れるように声を荒らげた。
「鬼がいるのを知っていて、仲間を連れてこないってことはこれはお前の独断なんだな?」
「そうよ」
彼女は諦めるかのように呟いた。
白刃の輝く刀を振り上げる。
情けない俺を変えるために、そうすれば情けなくはなくなる。ただの情けが無い人間に変われると思う。
「ならばお前を消せば俺らの事を知る奴もいなくなるよな」
彼女はその黒々とした眼をゆっくりと閉じる。
彼女は全く抵抗せずにそれを受け入れようとしていた。
「私は死にたかったの。ただ私の為に死んでいった部下や織田家という名が私が私の首に当てた刀を動かすことを止めていたわ。ただ大和君に殺されるなら、大和君のその何かの目標の糧になるなら私は織田家を捨てて私個人として大和君の為に死ぬわ」
「どうしてそこまで俺に? 俺はお前に何かしたのか」
俺には自覚なんてない。
特別が欲しかったときは、特別扱いされたかったときは、あれ程にあれ程周りに媚び諂い、人の弱みに優しさで斬り込み付け込んできた。
それでも誰も特別とまでは扱ってくれなかった。
なのに、なのに、なんで。
どうして此奴は、どうしてお前は。
何もしてないのに、何かしたつもりなんてないのに……。
「それはね、私は貴方に救われたの。そして私を救った貴方を見て私もどうしようもなく貴方を救ってあげたい気持ちになったの」
「そうか、そうか。それなら俺を救ってくれ、それなら俺を助けてくれ、それならこの悪夢をどうか、どうかお前の手で終わらせてくれ」
何故だか漏れ出た言葉、目の前の此奴はどう受け取ったか……。
彼女の言葉が俺に突き刺さった。そんな迷いを、あの時かけてしまった情けを、甘さを消すために彼女に向かって俺は刀を……。
俺の肩がにゴツゴツとした誰かの手に掴まれる。
「待ってください、殺したところで逆に疑われる可能性が出てきてしまいます」
彼女の肩の上数センチくらいの所で刀は制止する。
目を閉じたままピクリとも動かない彼女。
「彼女はどこぞの貴族の駒でも急に失踪したとなると怪しまれるかもしれません、ですので私の力を使い記憶を消すってのはどうですかね、人なんてものは過去の記憶を軽く弄るだけで簡単に壊れてしまいますから」
法師の手が怪しく煌く。俺にやったあれをしようとしているのだ。
「その能力ってそんな使い方するんだな。使用者も動けなくなるから戦闘向けじゃないゴミ能力だと思っていたら」
法師は悲しそうな目で俺を見つめる。
「我々鬼の能力の殆どが対人用の補助技なんですよ、たまに対鬼用の戦闘向けの能力を持った奴もいますが、基本的には鬼に効きませんし……。確かに私のは使っている間私も意識を失ってしまいますが、ただゴミ能力だけはやめて下さい」
法師の話を聞き流し目でやれと指示をだす。
死にたかった彼女は醜くも生きながらえさせられるということを知ってしまった彼女は目を見開け滝のような涙を顔を歪ませ流し続ける。
「私にどうしろって言うの、せっかく私は私を取り戻したのに。もう無くなっちゃうの、消えちゃうの」
彼女だって人間だ。そして今まではただの少女だった。彼女はその時の少女に立ち返り幼子がダダを捏ねるように心の内の全てを、醜いところも、恥ずかしいところも正しく全てをさらけ出そうとしている。
「明智梨奈、天童莉乃、そして織田莉乃としての最後の言葉はそれでいいのか」
俺は彼女に向かってそう言い放つ。
「もうほぼ何もない私が何を失おうが死ぬのは構わない、でもこんなのはあんまりだよ……。だけどどうか私、私には屋敷の人たちの為にも討ち倒さなければならない敵が、守らなければいけない『しめい』が、果たさなければいけない再興という目的があることを覚えていて……」
これから無くなってしまう自分に言い聞かせるように彼女は未知なる恐怖に怯えながら最後の言葉を述べている。
「どうか……。どうか、屋敷の人の為にも」
――彼女といつかの光景が重なった。
頭の中で克明に流される、炎に焼かれる自分、強さを手にするために弱さを受け入れず捨て去った自分。
彼女と俺とで違うところ、まさしくそれは守るべきモノが有るかどうかだと思う。
俺は守るべきモノを身を挺して守ることが出来たのに恐怖に負けてそれをすることが出来なかった、それからというもの守るべき、守りたいモノなんてものは俺にはない、正しく空だ。
それと比べて彼女はまだ完全に奪われたわけでもない、取り返そうと思えば取り返すことだって出来る。
そう、怖気付かず、身を挺してみれば取り返すことだって出来るはずだ。
彼女は、莉乃は、この生きるか死ぬかの場で自分の記憶よりもお家を、他を優先した……。
きっとそれは俺には出来ないこと。
彼女の最後の言葉を聞きとめた陰陽師はその手を彼女の額の上に乗せた。
俺の中で何かを伝えるような電流が走り彼女に色々なものが重なり出す。もう何が何だか分からなくなってきた。
殺したいのか、生かしたいのか。
何がしたいのか、如何したいのか。
俺は俺が分からない。こんなあやふやな自分が俺は一番嫌いなんだ。
家族の前での顔、学校での顔、友達の前での顔、他人への外面、隠して抑えて表に出さないようにしている内面。
そうやって俺はいくつもの自分を作り上げてきた。そこまでしても俺は誰にかに褒められたかった。
他人の気持ちを優先した、徹底的に自分のキモチを排除してきた。
他人の言うことを信じてきた、正しさを他人に合わせてきた。
そうして、そうやっているうちに俺は本当の俺がどれだか分からなくなってしまった。
俺は如何したいんだ、俺は何をしたいんだ。
死にたい、消えたい、生きたい、死ねばいいのに、死んでしまえたら楽なのに、助けなんていらない、俺は、俺は、俺は。
まるでルーレットに向ってダーツでも投げる気分だ。
回る、回る、回る、回る。
「止めろ道摩よ」
俺は静かにそう呟いていた。
莉乃は俺とは違う……。莉乃は俺の何十倍も強いのであろう。そして莉乃は俺の思っている以上に使えるのではないか。
法師は命じられるのが分かっていたかのようにすんなりと、ゆっくりゆっくりと接近させていた手を引かせた。
「俺を甘い人間だと思うか? 道満よ」
「私の主君は貴方様であり、従者である私は主君のやっていることを正しいと信じ行動するのみでございます」
俺の真後ろまで下がった隻腕の法師は自分の刀を置いて床にに伏せた。
「お前は何をしてでも復讐に手を染める覚悟は出来ているのか」
いきなりの展開に驚いたような顔をしている莉乃に冷たく問いかける。
「出来ている」
「お前はどんな奴が敵に成ろうとも、お家の為にそいつを斬れるか?」
莉乃は小さくそしてはっきりと俺に向かって呟いた。
「はい、私はその覚悟があります。私は、私が手を汚す覚悟はもう出来ています」
良い面構えになったじゃねえか。彼女の顔を見て俺はそんな風な感想が浮かび上がってきた。
俺とは違い彼女は弱さを受け入れる事が出来たみたいだ。
俺は弱さを否定して、追いやって徹底的に排除した。弱くなければ正しいと、弱くなければ思ったように生きれると。
強くいれば紫水みたいになれると信じていた。
だがどうやら違うみたいだ。
「ならば、家名も情報も何もかも俺に差し出せ、織田家は復権してやるよ、ただし俺の傀儡、傀儡としてだかな」
「織田を家臣にしようとするとはいい度胸ですね。いいでしょう大和君のその話乗ることにします」
涙を振り払った莉乃からはこれまで、一度も見た事の無い笑みを浮かべた。
それは今までの俺に見せていた笑顔がまるで茶番に思えるそんな笑顔だ。
部屋の隅に転がっている神器を法師が拾い上げ俺に差し出す。
ふっふっふっ、これは莉乃は使えるかもしれない。次は、次こそは、絶対に莉乃が拒絶できない状況を作りちゃんと莉乃に殺される。
次こそちゃんと俺は討ち倒される。
だがそんなことを言っても、そんなことを思っても、それは結局、俺は結局。
また答えを選ぶのを躊躇ってしまった。
俺はこの感情を秤に乗せたままにして答えを除くのを先延ばしにしてしまった。
「お前天童ってことは信雄系の織田氏なんだろ……」
わざとらしく大きなため息をついた。
「なんですか、そのゴミを見るような眼は、違いますの私の家系は信忠系の家系ですよ」
今までの事なんてもう忘れてしまったかのように、彼女はあどけない返事を俺に返す。
ただ今彼女は聞き捨てならんことを言ったような気がした。
「待て待て、信忠の家系は秀信で途絶えたのではないのか……」
「あはは残念ながら、一族の記録によると高野山に追放された秀信公は実は子を二人設けているのです。それからほどなくそのうちの一人は織田信雄公の手によって大和に引き取られ、信良系の家系に待遇を受けながら明治まで身を潜めて参りました」
意味が分からなかったが軽く相槌を打ちをうった。
「この天童って苗字は維新後、鬼の暴走を防ぐために密かに作られた神帝兵立ち上げと同じく、新政府設立に深く関わる鬼たちから織田ということを隠すために、私たちのご先祖様が最後に侍であれた地からとって名乗り出した名前なんです」
法師から受け取った剣を莉乃に差し出す。
鞘がないため刀身が晒され、横向きにはしているがお互いに刃が向いている状態である。
「だから私はこの地で、織田家が最も力を得た地、尾張で天童としてサムライになるの、許す事の出来ない彼奴から何もかも取り返せるような強い侍に。そして何もかも取り返したら、その時はちゃん明智でも天童でもなく……」
莉乃は剣を握っている俺の拳を両手で包み込み瞬く間に刀を消した。
「ちゃんと本当の私の名前、鬼が攻めてきたら名乗れと言われていた真の家名。織田と、織田莉乃と呼んで下さいな」
いや俺はもうお前を認めてはいるよ、莉乃。
お前の弱さも儚さも、そして強さも全部。お前にはあの時の俺のような道を歩んでほしくない。
その手から全てのモノが零れ落ちて絶望するのも、俺の様に何かを手に入れる為にその代償として何かを捨てるのも。
「それじゃあ、ここの掃除と持っている情報を全て横流しお願いします。飯は作っといてやるから夜までに片付けろ」
手を引き抜き抜こうとするが、莉乃の両手に力が入る。
「そんな怖い顔しなくても、これだけは言っておくけれど本気で好きだったんだからね」
莉乃は俺の手を掴みながらそう呟く。
「俺のどこがいいんだ。今まで一度もモテたことが無いのだから分からないのだが」
前から気になっていた。こいつは俺の何処が好きなのかを。
「私より不幸で苦しみを抱えている雰囲気があったからだよ、あの時は。裏切りの件もあって私は世界一不幸な人間だと思っていたの、でも違った。避難所で遠目から大和君を見たとき私より不幸せそうな人間がいるってことを知ることが出来たの、そして始めて貴方の為になにかしてあげたいって思ったのそれが始まりだったの」
どこかで俺と自分を比較することで自分を肯定し、優越感などにでも浸っていたのだろう。そしてそれがいつの間にか歪んだものになっていた、そんなところか。
やはり、彼女と俺は似ているのかもしれない。
でも肝心なところが違った、肝心なところで俺は踏み外してる。
彼女にとっての俺は、俺にとっての……。
変なもんに好意を持たれたもんだ。
俺の中でとある映像が再生され俺の手を握る莉乃がそれと重なる。その手の温もりだけが莉乃だと分からせてくれていた。
分かっている彼女は彼女だ。
でも……。
そもそも俺は女が嫌いだ。それ以上に男も嫌いだ。即ち人間が嫌いなのだ、憎んでも憎みきれないほどに。その中に勿論俺も含まれる。
俺の耳の中であの日教室で俺の行動に爆笑していた女どもの声や、俺をゴミを見るような眼を向ける娘、紫水に暴力を振るった奴は批判しないくせに、俺がやった時は野次馬となり好き勝手悪口を言っていた奴らの騒めき、母親が俺を罵倒する声が耳に響いて木霊する。
重ねてはいけないのは分かっているがどうしても彼女をそーいった連中と重ねてしまう。
『俺クラスの奴に告白されたんだ……』
中学の頃紫水が言った言葉が再生される。
――その告白した女の事を好きだった奴が一色で、断られ逆上し一色に紫水を攻撃するよう仕向けたのもその女だ。
一色と仲良くしていた時に2人きりになる状況があってその女が俺に言ったことだ。
『――皆バカみたい、一色もちょっとそそのかしただけであんなことするなんて、いいわ私もスッキリしたし別にこれからまた葛城と仲良くしてもいいんだよ』
酷く悔しかった、こんな奴の手の平で踊らされた俺も、こんなやつら以下であった俺も。
悲壮感に溢れ、家に帰っても親は俺を罵倒し愚物として扱うことしかしない。
紫水を殴ってからというもの夜も眠れなかった。だがその夜は違った。俺は決意した、もう人と仲良くなんてしないと。
次第に一色と距離を置き進級と同時に縁を切った。部活にもいかなくなった。
だが自分で打ち立てた誓いも守る事すら出来なかった。
中学の時は孤独に生きていくとこが出来た。ただ高校はそうも上手くいかなかった。
色々な意味で俺も周りもバカだった。高校デビューしたての空気の読めない奴らがクラスに多すぎたからだ。
そんな状況に流されてしまった俺も憎い。
「大和君……。大丈夫?」
心配を通り越した憐みのような眼で俺を見ている。いやそう感じているのは俺だけなのかもしれない。
俺の手を握っている莉乃の手に力が籠められる。
「大丈夫じゃない、一人にさせてくれ」
俺の言葉を聞いたせいか締められた手が緩くなり最終的には俺の手は解放された。
「私はこれから何があっても大和君の味方、私は絶対に貴方を肯定するよ。だから抱え込みきれなくなった時は私を頼って、力になることは出来ないかもしれないけど話しぐらいは聞いてあげられるから」
俺は女は嫌いだ、本当に辛いときに何も言ってくれないし、そもそも言ってくれるような関係の女すらいない。
昔はいた、しかし彼奴はもう。
ただ向こうの世界の女の子は別だ、辛いときに励ましてくれて、頑張れば頑張った分だけ俺を甘やかしてくれる。
俺が二次元の女の子にハマる切っ掛けとなった理由もそれだ、「誰かに励まし、優しくして貰いたかった」俺自身を否定ばかりされている俺を肯定して貰いたかった。
画面の向こうの少女たちは画面の中の主人公の心だけではなく、全くの部外者の俺までも癒してくれた。的確に俺の要望に応えてくれたのだ。
俺は他人の優しさというものに飢えていた、昔は……。
俺自身がどんなに欲しても欲してもいなかった自分自身を肯定してくれるものはそこにいた。
彼女もそうなんだろう、俺にとっての二次元は彼女にとっては俺なのだ。
きっと彼女も俺自身がそんな思いもなく発した言葉を都合のいいように受け取り、心の傷を埋め込みそうして消えてしまいそうな自分を残していたのだろう。
「俺の理解者に成れるとでも? 身の程を知れ三次元が」
自分の思っている以上に冷たいトーンで言いそうになったのを、必死に冷め切った心を温め朗らかな、日常的な口調で話した……。 つもりだ。
莉乃の頭を軽く撫でるように叩き部屋を出た。
自分の部屋に戻り途中であった刀の手入れを再開する。
もし俺が誰かに優しくされていたらきっと俺は法師に殺され死んでいたであろう。
それでも俺は誰かに優しくして貰いたかった。
「よし出来た」
柄巻きの交換を終え、はばき、柄、切羽などを刀身に順に付け、柄を最後にはめ込み目釘を打ち、組み立て直す。
鞘の手入れ、清掃を行い、そこに刀を納刀する。
今日はまだお昼の二時を回ったばかりなのに異様に疲れた。
刀を仕舞い、刀整備の為に使ったものや座布団などを片付け、ごみに捨て、何度も何度も読み返している癒し系日常漫画をいくつか本棚から取り出し、ベットに寝そべる。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生享け、滅せぬもののあるべきか。
俺は敦盛などではなく、熊谷直実でありたい。それも人間をいくら殺しても、殺したことに葛藤や、疑念すら覚えない出家しない直実に、人間らしくない人間でありたい。
俺の人生丸一つ掛けてどれだけ世界に影響を与えることが出来るんだろうか……。俺は人生一つ、命一つ賭けて満足のいく一生を送れるだろうか。
俺は漫画のページをめくった。
-----------------------
貴方が紫水を助けてあげなかったせいで、親友の貴方が紫水を裏切ったせいで。
貴方のせいで私は彼への好きという気持ちが哀れみとかそんな感情に変わってしまったのだけど。
私の好きだった気持ちを、私の大切な日々を返して。
大和……。
彼女はそう俺に言い放って泣き出した。
そんな彼女を俺はただただ拳を握りしめながら見ている事しか出来なかった。
そうね。そうだわね。
――これで貴方との関係も終わりね。
私は紫水の事が好きだった。紫水と仲良くして居られるその時が私にとっての幸せだった。勿論貴方の事も友達だとは思って居たわ。
でもそれだけの関係だわ、紫水がいなくなればそこで終わり。
だから私たちの関係ももう……。
――オワリね。
そういって彼女はくるりと後ろを向いて涙を払い走っていった。
待ってくれよ、なぁ待ってくれよ。俺は心の中でそう叫んでいた。
しかし結ばれた口を動かすことが出来なかった。
なぁそんなこと言わないでくれよ……。
せめて理由だけでも聞いてくれよ。なぁ----。
ねぇ、なんで、なんでだよ。
俺はお前の事が好きだったのに……。
理由も聞かずにはい御終いですか。
ねぇ待ってくれよ、聞いてくれ、聞こえてくれ、頼む口よ開いてくれ。
どうか、どうか。
――皆バカみたい、一色もちょっとそそのかしただけであんなことするなんて、いいわ私もスッキリしたし別にこれからまた葛城と仲良くしてもいいんだよ。
また別の女が俺に呟いた。
だってそうでしょ? 一色も一色だが紫水も紫水だね。マジウケんだけど。
「それで。あの女を生かして良かったのか?」
昔の俺が俺の目の前に現れた。
「なぁ少年少年と馬鹿にしていたが答えろよ俺。お前は彼奴を信用できるのか?」
何処からともなく声が聞こえる。
「なぁ答えろよ狂った俺よ。俺の知ってる俺はまだ根底は変わってないはずだぜ」
――お前はお前自身は知らぬところで女に恐怖を抱いているはずだ。
それは母のあの暴力に近い教育から始まった。
「今ならまだ間に合う、あの女を殺せ」
それでも俺は、それでも。
「彼女は莉乃はもう俺の掌の中だ。考えもせずに入れていたお前とは違う……。俺の小さな器でも復讐に殆どを費やしているそんな器でも、彼女くらいは入れられるはずだ」
「君は本当に自分の事を何も分かっていないようだね、いや? 分かっていて、見て見ぬふりをしているんだろ? 自らの身の上も、親の事も、彼奴とのことも、君はいつになったら自分の深層を覗くんだい?」
俺は大きく息を吸った。
「お前は死にたくないだけだろ? ここまでしても醜く足掻きたいだけだろ、なぁ弱い俺よ、なぁ死ねなかった俺よ」
そして俺はその少年の首根っこを掴んだ。
俺はお前があの時首に掛けるのを止めた縄だ、お前はそろそろ黙っていろ。窒息しろと、息をするなと水の中にこいつを浸す。
「お前が馬鹿だったんだよ、お前のせいでお前が見えていないふりなんてしてたから、お前だって気が付いていただろう? 昔は、俺を特別扱いしてくれた人間は一人いたぞ、なのに、なのに、お前がどうしようもなく屑だから」
何が恐怖だ、何が怯えているだ。
ふざけるな。
――分かるよ、お前は結局最後までどうしようもない俺なんだから。
お前は俺たちを捨てた。向き合わずにただ殺した。
だから俺はいつまでも変われないんだよ。
俺の本当の闇は、俺自身の本当の問題点はお前が意識すらしてない所に潜んでいるんだよ。
俺は最後まで抗い続けるぞぉ。
せいぜい頑張れ、狂った俺よ。
――っつ。
「ハアハアハアハア」
耳に響く誰かの荒い息使い。
ああ俺のか。
フーッと息を大きく吹き流して呼吸を整える。
机の上に丁寧に積まれている漫画の山、そうか俺は寝ていたのか。
それにしても馬鹿馬鹿しい。
何がお前は恐れているだ。
馬鹿馬鹿しい。夢だとしても馬鹿馬鹿しい。
俺は額に手を当てた。
濡れている……。
俺は滝のような汗を流していたのだ。




