【二章第七話】 天童莉乃と草薙大和と
何も考えずにただただ月日が経つのに身を任せていると案外時間が経つのが早く感じられる。取り敢えず学校に行く、取り敢えず授業を受ける、取り敢えず飯を食う、取り敢えず、取り敢えずの繰り返しで記憶の片隅にさえ残らない、確かに過ごしてはいたが無味無臭、無意味で無価値、無機物のような時間が一日また一日と過ぎていく。
俺は時間にとうとうと流されていた。ただ意味もなく。
生きているという実感が湧いてこない。
こんな時なのにいまだに世界は変わってないと、いや前よりもよっぽど良くなったと今の境遇を喜んでいる馬鹿みたいに平和ボケした、爵位をもった親の子や階級の高い軍人や大企業の息子などの反吐が出るような頭真っ白の連中と、殺意や怨嗟に満ちた復讐者共が交わるにつれ彼らのその冷たい目線も態度も日を置くことに段々と緩く暖かくなってきている。
詰まらない連中だ。何の面白みもない。
あの復讐者たちだってそうだ、自分の力を存在を誇示して自分は無力じゃない、自分は必要とされている、自分はあの時生かされた意味が有るとその貴族たちとの交流でそれを見出しているのだ。
復讐者共には明確な敵などいない、彼らは人類の為と言いながら彼らに危害を加えた大多数にその感情を、その浅はかな感情を向けているのだ。同情を買う為に、賛同を得るために、そして生き残る為に。
無様だよ、無様だ。体裁だけ見繕った、他人の眼ばかりを気にして色を付けていったようなその狂気。ただし彼らの復讐はどうしようもなく正しい復讐だ。
俺は一体何を望んでいるのか……。俺は一体どうしたいのか……。
彼らを見ていると分からなくなってくる。
物事に手を抜いて取り組む日々、武術の剣の模擬試合で反応できる剣にワザと負ける日々、歴史の授業で分かっている質問を聞き流していく日々、頭の中で自分は無能だ無能だと同じ単語を浮かべては消していく日々。
別に悲しみなんてモノは無い。なにせ俺は友一人も守れなかった無能なのだから。
ただ退屈なのだ。小は違えど大は似通った根本的に同じ生活……。
満たされない、面白くもない。
世界が崩壊した日はあんなにも楽しかったのに。
どうしてだ、なぜなんだ。
俺を満たしてくれるのもしかしたら、むせ返るような血の臭いが周囲に漂い、人や鬼の悲鳴や罵声、憤怒の声が飛び交い合う、狂気に満ちた地獄の沙汰のような戦場だけなのかもしれない。
魔女の窯の底の反吐の出るような濃い狂気にまみれた世界、そんな世界を俺は欲する。
俺はそんな世界をどうして望んでいるのでしょうか?
多分薄々気が付いてしまっているから。
取り繕っても何時かはぼろが出てしまう、それが思っていた以上に速かっただけ。
一体全体自分は何をしたいというんでしょうか。
そんな中、剣の鍛錬と筋トレだけは毎日欠かすことなく行った。
筋繊維の破壊と再生が繰り返され、身体は動くたびに全身に刺されたような痛みを覚え、手には豆が出来ては潰れが繰り返され、学校や天童の前でポケットに手を入れていることが多くなった。
学校に行き始めてからはや数か月。
ジメジメしがちな今日この頃,暦の上では水無月である。そう水無月、睦月型駆逐艦の6番艦と同じ水無月なのである。
はぁこの作業も一体何回目になる事やら……。
法師が俺の為に作ってくれた、目釘抜きを使い目釘を抜き取り、柄と刀身を切り離し刀身の油を油取り紙や打粉で古い油を拭き取り、法師愛用の油を布に染み込ませて刀に塗りなおす。
この名古屋に来て剣術より前に俺が法師に初めて教わったことが刀の手入れだ。いくら鬼が憑依していて、中の鬼の霊力が弱まらない限り滅多に錆びたり、刃毀れしたりしない太刀でも、可能なら月に一度くらいはしっかりとメンテナンスをしてやらないといけないらしい。
メンテナンスしないと刀に支障が出るかと言われたらそうでもないらしいが、やはりそこは美学とか士道とかの思想論に行きついてしまうのではないか。
別に俺はそーゆのは嫌いじゃない。
二月はハリマにやってもらったから、確かこれが4回目で、だからもう明智が来て三ケ月か。
そして今回はメンテナンス以外にもやっている事がある。
前の所持者がどこまで手入れをしてたかは分からないが所々劣化や解れが見られる柄巻きの交換作業だ。
法師曰くだが一度鬼が憑依した刀は鞘から柄の頭までも自然放置で絶対に劣化する事は無いというので、この山城のある一部の所だけが見事に解れたり程よく劣化しているのを見て、一人の男に長く長くこの太刀を使い込んできたというのが柄巻きを見て感じ取れた。
一方正式に柄を外し銘が無い事を確認した【約束された勝利の剣】と銘を付けた剣とは名ばかりの刀の方は柄巻き、柄、鍔、などの劣化が酷く、大勢の物に乱雑に使い回されたということを連想させる、刀以外はほぼ手入れが行われていない保存状態の悪い物で即急に修理が必要な状態だったので、数少ない専門店や時にはホームセンターでの材料で自作などを行い、やっと材料を揃えた法師によってついこの間、末森城で本格的な手入れのの実演会が行われたところだ。
斎藤家家臣が使っていたということだけで歴史的価値が付きそうな柄巻きを取り外し、道摩が用意してくれた新しい柄巻きを道摩に教えて貰った通りに巻いていく。
「あれ? 諸つまみ巻きってどんな風だったっけな」
おぼろげな記憶を頼りに柄巻きの巻き直しに苦戦している時だった。
「大和……。お逃げ下され」
突然道満の悲痛に満ちた叫びが家の中を駆け巡った。
そうか……。
柄巻きが巻きかけになっている柄を刀のメンテナンス作業の為に敷いてあるビニールシートの上に置く。
新鮮な血の匂い……。そうか……。そうなのか……。
法師の叫びの聞こえた方、即ち俺の部屋の隣の隣へと足を一歩一歩と進めていく。
久しく感じなかったこの感情、隠しきれそうにもない胸の高鳴り、なんだこの高揚感は。
今俺の心は最高潮に盛り上がっている。何かは分からないし、何が起きたかも知らない。でも感が感覚がそう言っているのだ。
――戦いが起きると。
命懸けの戦いの匂いがする。新鮮な新鮮な生まれたての戦いの匂い。
彼女が来てから一度も入ったことのないこの部屋、入る気すら湧かなかった明智の部屋から普通なら、絶対に聞こえる事のない道摩の痛みに耐えるようにもがき苦しむ息づかいが扉を破ってその周辺に響き渡っている。
息も間も置かずにそこにたどり着くと閉ざされたドアに向かって足を振るう。
ノックもなしにドアを力一杯蹴りつけた。壁に接触して勢いが相殺されるまでそれは勢いを緩めることはなかった。
狂乱の舞台、壇上に上がった役者は二人。
役者同士の舞台はもう終盤を迎え、もうその赤く染まった幕に手を掛ければ終幕になる所まで二人の舞台は進んでいた。
驚きなんてない、分かっていた。
昔自身は彼女と俺は似ているといった。
俺は盛大に期待していたのだ、俺は首を長くして待っていたのだ。
彼奴が俺に似ているなら、彼奴が俺と同類なら……。
「大和君見ちゃったんでだね。あれ? その割には全然同様していないよね。寂しいなここ三ケ月ちかく一緒に一つ屋根の下に住んできたのに」
所々を血で染め上げた天童が手に金の刻印の施され血がこべり付いた諸刃の剣を持ち、俺にいつもの微笑みを向ける。地面には片腕が欠損し、腰から刀が一振り蝋燭みたく突き刺さっている法師が息を押し殺し痛みに耐えている。
「たかが三か月共に暮らしただけで信用されているとでも、否、俺はもはや誰も信じていない、誰もだ」
地面に倒れている、法師に目を向ける。
「無様だな、陰陽師蘆屋道満。お前の悪いところはすぐに人を信じすぎるところだ。そう、だからお前の何十分の一も生きていない幼気な少女に完全に油断し、隙を見せ、一方的に信じていた相手に後ろから刺されてしまったのだよ」
刀が法師を貫き床に相当深く刺さっているのか、法師は顔だけを俺の方に向け自らの慢心を詫びた。
「貴方もこの鬼と関わりがあったのですね……。貴方たちは一体人類に何をしようとしていた訳ですかね? 後で我が家の方でゆっくり話を聞いたあげるので、痛い目に遭いたくなければ投降することをお勧めしますよ大和君」
天童は妙に光り輝く血の付いた日本式の剣を正眼の位置で構える。
俺は高々と笑い声をあげた。
傲岸にそして不遜に目の前の状況を笑い飛ばした。
俺は嬉しかった。
彼女のあの後ろ暗さが、彼女の嘘で塗り固め守ってきた部分がまさかこのような形で自分に向くということに。
俺はただただこの状況に拍手を送りたいほど楽しんでいた。
とてもいい演出だ。
「こうだから人は信用できない。どうせ今までのあれも演技だったのだろ。ほんとに良かったと思うよ、お前達を信用しなくて」
侮蔑的に蔑むように眼鏡越しに彼女の眼を覗く。
彼女の剣の構えが少し弛んだ。
「それ違うよ…… 絶対に違う。本当はこんなことしたくない、でもしなくちゃならない。だから私の為に投降して」
彼女は今にも泣きそうな声で俺に訴えかける。
こいつと俺は違う……。やはり違った。俺なら殺せる、何の躊躇無く、何の躊躇いも無く。彼女の訴えは最初から最後まで俺の心に届くことすら無かった。
彼女は強くあろうとした強い人間だ。
彼女は何一つとして捨ててはいない何一つとして諦めてもいない。
それに対して俺は……。
そんな彼女と比較して俺は……。とても醜くて目も当てられない、目を逸らしていた方がいい存在。
「どうしてこんなことしたのかと聞いてくれないんですか……。お前は間違っていると止めてくれないのですか」
それはきっと心の底からの最後の良心の警告なのであろう。此処で彼女に踏み込めば、ここで彼女の心の弱みに付け込めば、きっと戦わずして彼女は折れてしまうのであろう。
彼女は切なげに俺に訴えかけてくる。
「どうしてこんなことをしただと? お前が悩み、考え、行動したことなんだろう。俺はそんなお前を尊重するよ。別に間違っているなんてことは言わない、いやあっている、お前は正しい」
部屋に入った時はあんなにも凛々しく気張っていた彼女の表情が見る見るうちに剥がれ落ちていく。
「私だって好きでこんなことしてる訳じゃ無いんだよ。大和君のあの言葉からずっと迷っていたの」
彼女は剣の構えを放棄してその高そうな服に血で汚れた手を当てて俺に何やら訴え掛けてくる。
彼女は熱を籠らせて、目頭を赤くして俺に向かって口を開いた。
「でも私は……。私は……。あの時大和君が言ってくれたじゃない自分が信じている気持ちに正直になれと。だから私は目を反らさずに天秤にかけたの、私が真に欲しているものか、ここでの生活か」
「そうして俺たちが斬り捨てられたと。非常に良い選択だな」
「違う……」
彼女は即座にそれを否定した。
「私が斬り捨てたのは楠木ハリマとかいう大和君の家臣気取っている鬼だけであって、大和君は私の欲しているものの一つの内でもあるの、だから……」
彼女は俺の眼を見つめた。その視線は眼鏡なんか簡単に突き破り俺の眼の奥に入っていった。
その暖かで優しくふわふわしたそれは俺を心から包み込もうとしていた。
「お願い、私は貴方と居れれば頑張れそうな気がするの。貴方の望むことは出来るだけ叶えられるようにするから、だからここで降伏して」
---【俺の望むこと……】
それは今まさにだ。彼女だって誰にだって俺の願いを叶えられる可能性はある。
俺はあの時の包丁を持った自分とそこは変わらないのだ。
俺の願いはそう……。
俺をちゃんと殺してくれ、俺の復讐を終わらせてくれよ……。
薄々気付いていた。
俺は変われてなんていない、俺は理想の自分に、成りたかった人間になんてなっちゃいないって事くらい。
俺は本当はお前みたいな、紫水みたいな……。
でもそれは叶わないって知っている、知っていて妥協した。
俺はあそこで友を見捨てた時点で如何足掻いても、もうお前らみたいになれないって事が決定してしまっていた。
だから俺は。
それでも俺は。
そこで俺は。
妥協したんだ。妥協した理想の自分を作り出したんだ。
変わらなくても成れてしまう、ただ力だけが強い、好き勝手身勝手を振舞っても許される、俺の一番に憎んできた奴らを元に、理想の自分を作り上げた。
虐げられる側の俺から見たらあの輝かしいまで城の主をやるのはきっと楽しいんだろうなぁ、と思っていた。
そう思って憧れていた。
――でも違った。それは憧れなんてモノではなかった。
俺は昔から俺に復讐したかったんだ。でも出来なかった。
例えどんな自分でも我が身は可愛いもんなんだ。
俺自身を、俺が忌み嫌い、憎んだ者と同じにしても俺は俺に刃を振り翳せなかった。
一色への復讐心は本物だ、確かなモノだ。
でも真に復讐したいのは、昔っから憎み続けてきたのは……。
変われたと思った、変われると信じてた。
無慈悲で冷徹で、自分さえも殺せる人間に成れたと思っていた。
違った。
違った。
こうまでなって、こんな風になっても俺はまた適当な理由を付けて少しでも長く生きようとしてしまっているみたいだ。
こんな人間、本当はもうすぐにでも死ななきゃいけないのに。自らの心がそれを無意識のうちに邪魔をする。
だからね、俺はもう、自らを逃げられないようにするんだ。
逃げても、逃げても、手詰まりに成るくらいに。
誰か、誰か、俺を助けてくれよ。
誰か、誰か、誰か、オレヲハヤクコロシテクレ。
「鬼か人間かも分かったもんじゃない俺に情けなど掛けるのか?」
心の関が彼女の感情を拒んだ。そのふわふわした物も燃えカスのような心を包んだところで何も意味はない。
俺は彼女の要望を拒絶した。
俺は彼女と敵対したいが為に拒否をする。
「大和君は人間だって分かってた。だってその手の潰れた豆が教えてくれたんだもん」
確かに鬼はちょっとやそっとの事で怪我はしない。しかし何故彼女はハリマが鬼だと分かったのだ?
まぁそんなことはいいや。
「確かに俺はまだ人間だ、まだな。だがお前らの立ち振る舞い次第では人ならざる古からの愚物を滅する猛き武士にも、常識では図り切れない人外の力を手にしたこの世の全てを憎み廃滅へと導くフリークスにだってなるぞ」
大英帝国伝説の剣の名を持つ刀を取り出し中段の位置に構える。
戦いに口頭も口実も台詞回しも必要。
「何故大和君が鬼の武器を持っているの……。いやそんなこと聞いても聞いても無駄か。居場所が欲しければ自分で勝ちとってみろよ。それが大和君の教えだよね、私にとって大和君は私を認めてくれた、私に居場所を与えてくれた人そのもの。だから力づくでも私はあの屋敷と奴に取られた家柄と貴方を奪ってみせる」
彼女はその剣を再び正眼の位置に構える。
敵の眼つきが変わった。そりゃそうだ、さっきまでの反吐が出るような慈悲、哀れみの心というものは自分が圧倒的優位な状況に立っていることで初めて持てるものなのだから。
今その圧倒的有利は崩れ俺と彼女は同格となった。
「さぁてお互い今までの茶番劇はしまいだ、閉幕のワルプルギスの開幕とでもいこうではないか」
突如彼女の剣が光に包まれ、冷気を空気中に放出する。
彼女を包めようにその刀の冷気が立ち込めていく。
「私の名は天童莉乃……。我が一族の長年の夢、お家の再興の為にハリマには死んでもらうことになる、これが最後だ、その刀を置いて投降しろ。さもなくば古より我が一族に受け継がれてきた迦具の業火でさえも凍らす神代の十束剣、天之尾羽張が貴方の一部を体を欠損させることになる」




