【三章第四十二話】 サークルゲーム
桔梗に纏わりつく黒い影が死神の魂である大鎌へと姿を変える。
例え自称でもあの大鎌を乙女が容易く持てて良いものではない。それは一振りで人の首なんて簡単に吹き飛ばしてしまう。
刃に触れただけで致命傷になってしまうだろう。
青紫色の刃が淡く揺れる。
よくもまぁ、今日は強敵ばかりと対峙する。鬼神教団員に森長可にレイそして此奴。
俺の命も今日までかぁ。別にそれについては正直何とも思ってはいない。俺は俺の命に其処までの頓着も執着もない。
ただせめて……。
いやこれは言葉にしよう。
俺は俺の復讐をしたかった。
せめて紫水の夢が何たるかを見ておきたかった。
赤い、紅い、朱い。俺は、またこれだ、いつもいつもこれだ。自覚はしている、自覚しているから嫌なんだ。認識しているからこそ俺は俺を殺したいほど憎んでいる。
俺は誰かに殺されなければならない。
それは……。
それは……。
単なる逃げだ。
分かっちゃいる、分かっていもいる。
悪人は必ず報いを受ける、悪者は何時か打倒される、打倒されなければならない。悪は何時か踏破される。
それが今日か、それが次か、それ何時か……。
やっと何か掴めそうんんだ。やっと俺の理想が叶う兆しが見えたのだ。
だからそれはっ。
今ではない。
「フフフッ」
凍てついた笑みが熱くなった身を貫く。血が出すぎたせいか、桔梗のせいか。
悪は悪らしく最後まで必死に足掻かねばなるまい。
まぁ俺の事情なんて桔梗は知ったこっちゃない長期戦に持ち込まれたら確実に俺が終わる、いやこのひと振りでさえも今の俺は躱すことが出来ない。
ならば……。
黒くドロドロとした感情が自分の中で蠢いているのが分かる。
「おい、オマエ殺されたいのか?」
ただの口だけの返し、心から出てきた言葉をそのままに言っただけ。
「こっわっーい」
随分余裕そうなその一瞬に勝機を賭ける。命をベットした賭け、相手は死神、命一つで許してもらえる自信は無い。
レイのサーベルを抜き鬼の力を開放し一気に心臓を強襲する。死ぬときは一緒だ、お前一人位なら彼方へ連れ込めそうだ。
ただでは死なん、でも死んでも構わん。
サーベルに鬼の力を纏わせ、不可思議な刃を死神に突き立てんとす。
「あ?」
「エッ……」
いつの間にか声が漏れ出ていた、あまりの事に驚きを隠せなかったのだ。
そうか、そうか、これはいい。
本当にあの姫君の力は凄い。サーベルが周囲の血を引き寄せ、操り、深紅の線は大鎌に絡み付いている。
桔梗の鎌はピクリとさえも動かない。
「へぇ、英雄さん。とってもいいおもちゃを手にしましたねぇ」
こんな脆いサーベルが重厚な大鎌を触れずして止めてしまった。
口元が自然と綻ぶ。
敵の武器の勢いはもう完全に死んだ。
確かレイならこんな感じに……。
解除
それを思った途端剣に引き寄せられていた血たちが重力に従い落下を始めた。
解放
そうしてまた落下中の血は引き寄せられてサーベルを包み込んだ。
サーベルはもはやサーベルとしての形を成していない、とても軽い朱色の大剣が突如生成されたのだ。
形勢は逆転した。そっちがそう来るなら今度はこっちの番だ。血を纏った大剣を桔梗に向って薙ぎ払う。
勿論重厚な大鎌を規格外の大剣の速度に間に合わせることなんて出来ない。
群咲きの死神は躊躇なく大鎌を捨て、不遜に嗤う。刀を取り出し大剣の勢いを止める為に討滅の刃を振るった。
衝撃が自分に跳ね返り体中の力を引っ手繰って何処かへ消えていく。目が霞み視界も狭まるばかり。
「あはっ、私もそれ、やろうと思えばできますよ」
彼女の体から出た黒い影が剣の周りを蠢き駆ける。桔梗の持つ力、鬼を宿したヒトのみが行使できる特権。
刀の周りを闇が奔る。自分の目の前、眼の中が暗黒、暗闇で覆い尽くされ雑に塗りつぶされる。
敵の居場所がイマイチ分からない、感覚だけの曲芸。
見た目と重さが釣り合っていない禍々しい大剣を振り上げ剣を振り払った。闇も魔も影も斬り裂き、打倒し、振り払う……。
ハズダ、筈、多分。
血が滴る、視界が霞む、体中の感覚が最早無い、聞こえてはいけない誰かの囁きが……。連戦連戦でこっちはもう限界なんだ。
ガギィイイン
黒く染まった何かが視界から消えた時……。
手の中に返ってくる反動、そして朱色のサーベルの武装がいつの間にか剥がされているのだ。
敵は桔梗だけではなかった。
どこぞの主人公様はヒロインと書いて腹黒と読む桔梗ちゃんを助けるために格好よく横槍を入れてきた。
敵は二人に増えた、それも大太刀使いのようだ。
がくっと体が揺らぐ、両膝が地につき剣が手から離れる。体に力が入らないしサーベルも俺の手元にない。
文字通りに二人に見下されてしまった。
「私はあの事は反対です。高君このまま此奴を殺します」
マダダ、マダ。
睨み返す事しか出来ない訳じゃない、齧り付いてでもオレハ。
「おいっ、桔梗」
「へぇ、貴方には此奴が味方に見えるんですかねぇ」
「ああ、見えはしない。だが九十九様はこの草薙を仲間としていている。お前は九十九様に土岐家に背く気か?」
「そっ、それわぁ……」
こっちの精一杯に搾り出した残り僅かの力が何処かに行ってしまうほどには死神は豹変していた。
「草薙お前も武器を仕舞え、俺たちはこんなのでも一応仲間だ。仲間同士争って何になる」
ああ、気味の悪いノイズ交じりにしかもう聞こえない。
「お前らいつも一緒に居るなぁ、あれなん? デキてるの、こっちに見せつけて来てるの?」
高義央、佐々木桔梗同様に土岐家に古くから使えるモノであり、そして鬼を宿しているという疑惑も持っている人物。
瀬戸家のとある人の言葉が思い出される確か此奴は……。
ああ、もうどうでもいいや。平気を装っているがもう限界である。眠たいし、もう立ち上がれない。
「ふぇっ、英雄にもそう見えますかぁ、うへへぇデキてるですっつて高君」
刀を消した高の近くで顔を赤らめあからさまに俺とは違う対応をしている桔梗、こいつ等マジで何がしたいんだよ。
「俺たちはそんな関係ではない、それよりお前はその刀も鎌も仕舞え」
「へぃへぃ、高君が言うならそーしますよ」
桔梗が武器を仕舞うのを見て、俺も歪んで薄れ掠れている武器を消し去った。
「草薙そろそろ立てよ」
優しい男なのか高は俺に向って手を突き付けてくる。正直この手を握れる気力なんて物は無い。
だから。だからこそハッキリしなければならない。
こいつらが味方である理由を。
「で、お前らの要求はなんだ」
高は突き付けた手を元に戻して真剣な顔つきで言い放った。
「草薙大和土岐家の明智梨奈を引き渡せ、九十九様の要求はただそれだけだ」
何の感情も込めずに俺を信用するともしないとも、彼はただそれだけを言い放った。
一方隣の桔梗は何か言っている、声は聞こえないが言っていることは大体予想できる。多分俺の事を信用できていないのだろう。
俺の返事はたった一言。
「いいだろう」
これはその場凌ぎの嘘ではない。
じっと俺の眼を覗いていた高は何かの一言と共にたった一度だけ大きく頷いた。
「おい仲間なら、だれか読んできてくれ……。もう限界だ、眠い。ああ、あとそれと向こうにもう一人転がってるから助けてやってくれ……」
相手の返事を聞く前に硬くまだまだ冷たい地面に死んだように転がった。
その後誰かに体を揺さぶられたが少したらそれも無くなり周りから一切の気配も感覚も消えた。
死んだように眠ったのか死んでしまったのか。
『お主はきっと大切なモノを失う。このままお前は進み続けたならば必ずお前は大事にしていたモノを失う。何故か? それは我が手の中にあるからじゃ。諦めなければ、お主は必ず地獄を見る、我はお主の予想だにしない、予想以上の地獄を味わわせる。これはお主の心の底を見た我の恩情による忠告じゃ』
「――l君」
名前と共に体をゆさゆさと揺すられる。
「大和ー―」
悲痛に近い声。今までそんな声をして俺を読んでくれる人なんていなかった。
「や・ま・と・く・ん」
ぎゅっと何かに体を包まれる。
イタイ。
「大和君?」
もっと体を強く、まるで絞めるように独占するが如く力強く体を密着させてくる者がいる。
イタイ イタイ イタイ。
「大和君、痛いのですか? どこが痛いんですか、大和君? 大和君」
喜びを一杯に、ただそれでも尚状態を変えずに声の主は問い詰める。
「離して……」
「ムリです」
「足が痛い、身体も痛い」
眼を瞑りつつもそう答える。
「そうでしょうねぇ、大丈夫です、それは大和君が寝ている間に処置を施しておきました」
「ならどいてくれ……」
「駄目です。体を処置してもまだ心はまだ出来ていません。大和君今日は頑張りすぎです、ちょっとは休むべきです」
確か俺は今日此奴に何度も強く当たってしまった気がする。
それなのにどうして
それなのになんで……。
それだから俺はお前の事が……。
離せ、離さないと俺はお前を本当に……。
心に桔梗と対峙した時よりも強く何かが蠢き心を埋め尽くしていく。
高の問い掛けが思い出される。
明智梨奈、つまり天童莉乃を土岐家に引き渡す。
あの時もそうだといった。
今は今もその答えは……。
変わらない。
眼を開ける。近すぎるくらいの莉乃は今にも泣きそうな顔をして喜んでいる、ただ心の何処かでは悲しんでいるのが分かる。
涙が流れないのは多分皆が見ているからだろう。
「ああ、そうだな。今回ばかりは俺も疲れたよ。戻ったら少し休むことにするよ」
周囲の人間も唐突な一言に驚きを隠せないでいた。
「大和君……」
「あっ、あと美優は?」
あれだけ周りに絡んでいた手がするりと解けていった。
「随分お熱い事ね。そして貴方私を置いてった癖して途中で気を失っているってどういう事よ」
片目を包帯で隠した美優が隊の周りの者から少し離れたところで呟いた。
重傷は再生できないのか彼女には痛々しく大きな痣や傷だけが残っていた。
傷だらけの美優を見ると少々心が痛む……。
もし逆だったら、紫水ならすべての事柄をもっと上手くやっていただろうか。




