【三章第四十一話】 色彩
真っ暗闇、何も見えない聞こえない、そして何も感じない。
ただ俺はそこにいるだけ、ただ俺は何処かにいるだけ。
眼は開いているのか、閉じているのか、何を見ているのか、何も見ていないのか……。
もうこのままここで目覚められずに終わってしまえればいいのに……。
そんな言葉が浮かび上がった刹那、眼の奥に眩い光が差し込み段々と周囲の像が形作られ始める。
美優がいる。
美優がいる。
美優がいる。
美優がいる?
佇む美優はうっすらと赫き(かがや)、白金色に染まった髪は光を反射させて宙をゆらゆらと舞っている。
その場にいるのは美優なのか、それともレイなのか? 目の前の少女は嫌なくらい鮮やかに色づいているのにレイの死体を含めてのその他はいい加減で全くと言っていいほど色が消え失せてしまっている。
「お前は……。誰だ?」
そんな言葉が口から洩れる、彼女はその言葉に反応し此方に振り替える。
光と影、神と鬼、目の前のモノは何者なのか? とても人とは思えない、それでも姿形は紛れも無く人だ。
傷も、汚れも、何もない、そして何かはある。羽化したばかりの邪悪なる聖女――
少年は……。草薙大和は少しばかり聖女様の光りに包まれたお顔を拝見しただけで考えるのを止めてしまった。
怪物だからか、女神だからか、王妃だからか、はたまた人間を超越した存在であったからか、その顔を見てしまった人間は思考が石みたく固まりただ見惚れてしまっていた。
眩しい。
あまりの眩さに、あまりの神々しさに、クサナギヤマトは思わず眼を閉じ、目の前の光景から目を逸らしてしまったとさ。
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「美優お前は一体何を……」
その言葉と共に一気に曖昧な世界から現実へと立ち返る。体に電流が流れ、意識してか意識せずか跳ねるように飛び起きた。
それと同時に……。
レイにやられた足がずしんと音を上げ片方の膝が地に擦りつけられる。
「起きていきなり騒がしい人ね」
片目を閉ざした美優が腹を押さえつつもそんな言葉を発した。
「あれ? 美優?」
先程の少女はもう何処にも、何処を見渡しても存在せず、正しい傷だらけで今にも力尽きてしまいそうな美優だけがその場にいた。
「私がここにいて悪いの?」
「いや違う……」
さっきのあれは一体何だったのか……。美優の様なレイの様なあの少女は一体誰だったのか。あれは俺が見た幻想だったとでもいうのか……。
「俺は一体どれくらい倒れてた?」
気になって美優に問いかけてみる。
「ものの2~3分程度よ」
予想以上、意外にそんなに意識は飛んでいなかったみたいだ。
それではさっきのは?
殆ど力すら入らない足を引きずりレイの死体の前に立った。全く以てレイの死体にも異常は見当たらない。
勘違いか……。まぁこんな状況だし花畑も誰だか知らん人間の一人や二人も見るだろう。
痛む体をぐっと屈めレイの傍に転がっているサーベルを引き寄せる。
「何をしているの大和?」
ゼイゼイと息を零しながらも美優は俺の肩に手を掛け立ち上がる。
「ああ、形見がないと誰がこれをやったか彼奴も分からんだろう」
「ふふ、趣味が悪いわね……。さあ、私に肩を貸して本部まで連れて行きなさい」
「へいへい、畏まりましたお嬢様」
レイのサーベルを腰に差して思いっし体重を掛けてきている美優を支えながら歩く。
「重い」
「オモクナイ」
足に力が入らない……。でも今はそれ以上にいっぱいいっぱいでそんな事さえ忘れてしまう。
つくづく諦めの悪い人だと思うよ俺は。
「大和……」
耳元にくぐもった美優の声が響く、莉乃ほど近い距離からのものではないが。
「しゃべるな、傷に響くだけだろ」
妙に冷たい風が吹き抜けた、それは美優の能力でか、自然の摂理からか。
「紫水に勝つ気があるの?」
「無い……。いや、正確にはどれだけ勝つ気で行っても、死ぬ気で頑張っても勝てやしないだろうな」
「そう……」
「それにお前も敵に回るんだろ?」
俺の肩に手を掛けている美優から返事が返ってくることはない。
「その時は……。ちゃんと殺してくれよ」
「そんなにも死にたいのならさっきの戦いで死ねばよかったじゃない」
「ああ、そうだな。どうしてそうしなかったんだろうな、どうしてそう出来なかったんだろうな、どうしてそうさせてもらえなかったんだろうかな」
当てつけっぽく美優にそう言い放つ。
「莉乃さんの愛の力よ」
「あー、はいはい」
「それで大和貴方は何が聞きたいの」
そりゃ言葉にできないくらい沢山あるさ、正直俺は今でも何が何だか分かっていないんだから。
「あのお方とは何者なんだ?」
「この世の全てを産み出したモノ。人も鬼も全て彼女が作ったの。原点にして頂点、紀元の起源である女神様よ」
「は?」
「大和……。この世界には鬼もいれば、神様もいるの。まぁ神様というのは人間が思っているほど万能な存在ではないけれども」
神と言われてもなぁ。
「この世界は神によって創られ鬼によって装飾が施された。鬼も元を辿れば神の一種、この戦いの原因は一人の神によるもの……。あのお方は見ていられないの、この親子喧嘩を妻としても母としても」
「意味が分からん」
耳元で溜息が聞こえてくる。
振り向いて見るとげんなりした顔と共にジト目が此方に向けられている。とってもとってもイタイです。
ええ、なんで……。 理解力が無くてすみません。
「話す気力がなくなったわ……」
「んなこと言われてもなぁ」
「実際死に向かうだけの貴方は興味もなければ変える気もないでしょ、神とか鬼とか世界とか」
「ないな、でも知りたいことは沢山ある」
「この世界は根本から間違っていて間違いだらけの不完全な存在なのよ。だから皆壊したがる、だから皆邪魔だと思ったモノを消して完全なモノにしたがるの……。紫水も神も結局やろうとしていることは同じ。だからあのお方はそれをどうしてでも止めたいみたいよ」
「ぼかすなよ、余計にややこしくなる」
「そうね、鬼も神もこの世界の在り方を、この世界の過去を、この世界の歩む筈の未来を書き換えようとしているの」
そんなこと言われてもイマイチ実感がわかないがレイも森長可も皆それを本気にして命を懸けていたんだから多分本当の事だろう。
「知らないのは人間だけって事か、人間はただただ踊らされているだけか……」
「ええそうね。人間は何時も分かっていないもの。だからいつも神に弄ばれ翻弄される。人間は真の師匠に弓を引き、後から出てきた詐欺師に命運を委ねる」
「本当は鬼が味方とでもいうのか?」
美優は頷くことも首を振る事も無かった。
「人間世界でいうルシファーもエデンの園のヘビも神武天皇も皆鬼、彼らが人に技術を伝え能力を授けた、歴史上何度も鬼と人は協力し合った。魔術も妖術も鬼の力……。でも人類は彼らを棄て神に縋った。同胞である彼らを排斥して自ら神の奴隷となった」
美優は難しそうな顔をして首を捻った。
「いや?少し違うわ。少なくとも幾らかは人間が自ら鬼を売ったのではなく、そうする様に仕向けられていた……。そうする可能性のある世界で人間にその可能性を、その選択肢を選ばせたのよ」
「と、言いますと……」
「魔女狩り、鬼退治、バンパイアハント、etc etc。古今東西バケモノ狩りなんて皆彼らが仕向けているの。人間と鬼の共存共栄を彼らは嫌う、だから徹底的に弾圧した、だから力の限りこの世界を彼らの望むように書き換えた」
美優の息継ぎの音が耳に入ってくる。冷たい目をして彼女は語る、それは俺が、人類が知るにはまだ早すぎる真実を。
「世界は5回書き換えられた……。神の力ではもう6回目の修正は出来無い、鬼が全世界でここぞとばかりに暴れだしてこの世がこんなザマになってしまったのも、それは彼らが力を失ったから」
「そうか、としか言えないな……」
なんだか土岐家とか織田家とかって随分小さな話だったんだな。これが真理で真実だとすると。
「それで? 貴方はその世界を懸けた戦いに首でも突っ込む気になった? この世界を色んな意味で守るために」
「ない、こんな俺に、こんな凡人には少々荷が重すぎる問題だな」
「今の貴方ならそう言うと思ってた」
肩に掛かっている重みが消えるとともに、美優が眼前に立ちはだかった。傷を押さえることなく片目を閉ざすことなく目の傷を隠すことすらせず彼女は突然進路を塞いだ。
「これは幼馴染としての最後の恩情……。貴方を棄てそして救わなかった事に対しての最後の償いよ」
「おい……」
「いいから頭の片隅にでも留めておきなさい。今はそんな気は無くても、イツカ救われた時の為に、イツカ考えが変わった時の為にも」
オレンジ色に怪しく光る眼と口を開ける赤黒い月の裏側。深淵を覗くとき深淵等しくお前を見返すのだ。
「何故鬼は二〇一六年に侵攻を始めたと思う? 二〇〇〇年では、一九〇〇年代では何故駄目だったの?」
と言われましても……。ああ、ズバリ答えは一つ。
「FG……」
「二〇一二年 十二月 二三日以降なら何時でも良かったの。どうして? それはその日神が力を失ったから」
此方の言おうとしたことを遮り美優は結論を述べた。まぁネタに走るようなロクでもない答えだったけれども。
「まぁそこから数ある月日の中で何故二〇一六年 一月 一七日を決行日としたかまでは分かってないけれども」
「お、おう」
「っとこんな話はちょっとした疑問の提示でしかないわ。何故今だったのか? 何故今これ程大きな版図を築き上げた鬼たちが、終戦直後はこの地を追われたのか? 何故その時鬼たちは戦わなかったのか?」
確かに法師も言っていた、何故政府や軍部と協力関係にあった鬼は終戦直後に自らを切り捨て敵とした人類と戦わなかったのか……。もっともな疑問ではある。
「この戦い、泥沼化して長期戦に成ったら種として人類は負けるわ。例え鬼に勝てたとしても」
「は?」
「これは人間に与えられた最後の期間、今こそが人類の終末。悠長な事をしていたら滅びるのはあっと言う間だわ人間」
「だからどういう意味だよ」
「何故神と戦う筈だった鬼達が生きていた頃の恨み辛みに囚われて過ごしているか? 何故私が勝手なことを出来るか? 器の人格は残るのよ、どれだけ取り払おうが、どれだけ狂化させようが切り取ることは決して出来ない、閉じ込めは出来れども捨て去る事は出来ない」
確かに法師も力を求めすぎ鬼に精神を乗っ取られていたが当の本人の人格は消えていなかった。
「鬼は生前の憎しみや恨み無念を必要とするからそれは必要なこと、でも神様方にはそんな低俗な人間の人格なんて枷でしかないわ。だから彼らは人格すら出来ていない胎児に宿り完全体に近い姿で受肉しようとするの」
「言いたいことは分かった」
「まぁそう言う事だわ。何故戦争中に神童と呼ばれる人間が、今までに類を見ない天才が沢山生まれるのか? もう分ったでしょ? 戦争中には神がいるの、それも大勢。これから生れる子は……」
「正しく神童って訳か」
「ええ、力も余裕も失った彼らは今までと比べ物にならない位下界に進出してくるわ、今こんな世の中では彼らに縋る者も信じる者も多いのだし。いやもうそれを開始している、私みたいに」
「ふーん。別にいいんじゃないか? そうなればついに人間も待ち望んだ進化が出来るわけだし」
俺たちの次の次くらいの世代の話なんて正直どうでもいい。神に乗っ取られようが鬼に滅ぼされてようが本当にどうでもいい。
そんな頃には俺は此処に居ないんだし。
「進化ではないわ退化よ。ただ彼らは貴女達より、そして私よりももっと高次なだけ。彼らは非常に合理的で感情というモノをとことん排除する。そうなったモノは不正確で低スペックな機械と化すの。人道も倫理も道徳もすべて消えるわ、勿論愛も」
別にいいじゃないか、そうなれば俺みたいなのは生まれなくて済む……。ただそれを俺は言葉にはしなかった。
「まぁ今の事は頭に止めていた方が良いわ。皆がある意味特別になった世界、じゃぁ特別じゃない貴方達はどうなるか、皆が魔法や能力を使えるようになった世界、魔法や能力を持たない貴方達はどうなるか? 貴方が特別眼を掛けている莉乃さんはどうなるか、早くしないと……」
「そんなことはどうだっていい」
俺はそれ以上の言葉を言わせなかった。
ああ、どうでもいい。俺は今の事しか考えていない、どう生きるかなんて事は考えていないんだ。
勝手に足が前に出てしまった、言う事を聞かず痺れ駄々を捏ねて居た足が一歩を踏み出している。俺は美優を通り越した。
「もういい、置いていくぞ」
自分でも分かるくらいに非常に冷たい声だ。
「今の事は全部忘れる、俺には関係ない、俺は関与しない」
いつの間にか体の痛みが全て消え去っていた、でも確かに痛みは、負荷は掛かっている。
美優をその場に取り残して歩いた。
「お前……。お前がっ、俺の仇。軍の奴は皆殺す」
伊織と同じ眼を俺に向けた俺と同じもしく少し年下くらいの少年は刀を構えた。
「あ?」
鬼神教の生き残りの少年か。全員捕らえたと思っていたのに……。
「俺はお前らに家族も友達も仲間も殺された、殺してやる」
「失せろ」
静かに少年に一言だけ言い放った。正直言って今は戦う気に成れない、そんな気分ではない。
失せる事なんてない少年の一撃を躱す。少年の刀は頬を掠めるか掠めないかのギリギリの所を抜けて行った。
刀を取り出し応戦する。
取った。
「ああああああああ!」
敵は此方の一撃をするりとそして紙一重で、何時かの少年みたくギリギリで躱して見せた。
原因は分かっている。足が思ったように動かなかった、踏み込みが浅く甘かったのだ。
口角が上がる、目の前の敵は――。
影を開放して斬り返し様に敵の攻撃を弾いて見せた。あの時の彼奴は慢心して斬り返しをしなかった、だが俺は違う。
一足飛びに敵の間合いの内側に入り込んで一気に勝負を付ける。いいや……。
刀が地面に落ちる、首を断つ前に刀が既に手から離れていた。負けを悟ったのか、諦めてしまったのか、否。
体がするりと重力に引き付けられ墜落している。
俺を殺すと、俺に明確な敵意を持った立ちはだかった敵は死への恐怖に打ち負けていた。自らの死を悟った瞬間に戦うのを諦めてしまっていた。
「され、お前だけは生かしてやる。早く失せろ」
いやらしく嗤って見せた、敵の弱さを嘲笑った。
「見逃してやるが次は無い。殺したければいつでも殺しに来い、ここを抜けれたらだがな。俺の名前は草薙大和、お前らの家族もお前らが信仰する鬼神様方も皆俺が殺した」
敵の心を折るためにも敵スレスレまで刀を振り下ろした。
「失せろ、ザコが。お前は、そんな様では今のままではナニモマモレナイ、お前では何も変えることが出来ない、まっこと無為で無様だな」
敵の目に炎が蠢く、ただここではどうにも出来ないと悟ったのか、それとも……。
彼は逃げ出した、一目散に、一度も振り替えることなく鬼の領域の方に逃げた。
「あれれぇぇ、英雄さん、皆殺しにするんじゃなかったんですかぁ? なぁぜ敵を見逃しちゃってるんですか」
一目見ればフードを深く被った鬼神教の格好の敵。だが声は聴きなれた、聴きたくもない知り合いの声だ。
「お前が潜入部隊に紛れていたことは知っていたさ、知っていてあえて放置した。でなんだ桔梗……」
「そりゃ勿論……」
フードを取り正体を明かした紫陽花色の死神様は微笑んだ。




