馬鹿と煙
「――うし。いったん、これで終いかな」
素足を止め、その場に手を合わす。
命を悉く奪い去った空間の一点、雪色の肌に血の赤は溶け込み、廊下一面の亡骸は速すぎる硬直に至り。
それらに一切の未練無く、薄暗く並ぶ蛍光灯の下、背を向けて振り返る少女は小首をかしげた。
「……変わらないんですね。イロハさんは」
「――?」
「顔色ひとつ変わらない、まるでなんの抵抗もない……人だったんですよ。ここの全員、元々は――」
少し、困惑があったのだ。
一番、容量を得ないという状態の真逆に居るというイメージのヤツが、戸惑いに満ちていた。
――考慮していなかった。
理解と受け入れる事はまた別問題であり、彼女は畏取の一員とはいえ、文字通り新人であること。
報酬を受けた事が、初戦闘の一回きりであること。
同い年だから、かねてより勝手な親近感があったけれど、こういう血生臭い場面での経験年数には、皆無と無限ほどに差があって。
「――もう暮らせないでしょ。戻せもしない。コイツらにここでの居場所なんてない。調べついてたんじゃないの?」
「……」
そんなことで今更どうしたんだよ。
と、特段問い正すまでとないように。イロハはただ、無表情に目を丸くする。
車椅子に座す彼女の手元は未練がましく、自ら手のかけた者のひとつを手放せていない。
戦闘用にと黒いシャツに、無骨な電動車椅子という模様替えの判断は幸いしていた。
柔い桜色の髪は血糊で原色が見受けられず、手袋も、また同様に塗れている。
しかし――誰がどう見ても、イロハの発言は正しい。
その者等が。
双眸の眼下に杭を打たれて脳の一部を穿たれ、それと配線の繋げられた先の後ろ首には妙な機器が取り付けられ。
あとはもう様々。手遅れなんてものじゃない。
頭蓋を歪められていたり、風穴が開いていたり、倒すまでもなく四つん這いになって自立すらできない脳状態のヤツに、助かり様などまるでない。
殺す以前に壊れている。生かす以前に終わり切っている。
まるで、どこまで欠損すれば、人は人と見なさないものになるのか。
そんな実験を経ても死ねなかった、悉くになりそこなった者達など、どこであれ何者かになれる筈がない。
「それとも。もう少し時間かけた方がよかった?」
「……いえ、その調子で、お願いします」
歩み寄り、何とも目を合わせずにいた彼女を撫でた。
他の体液は流石に無理だが、それだけで黒い滲みの大半は白い掌に消え落ちる。
飛び散っただけに範囲は広く、体を様々に揺すられる時間たっぷり、努めて長く息を継いで、
「……待って」
「手の周りは、そのままで構いません」
「良いこと無いよ、そんなの。血ってばっちいんだから」
「ええ。だからいいんでしょう」
嗅覚を刺す大気を受け入れて、ソメイはようやく前を向いた。
普段、彼女はそう人に弱音を吐く事などはないが。
あまりにも態度の変わらないイロハの手前、自分の弱さへの嫌悪が強まる余りに、燻っていられなくなったという。
そんな内心でさえ、イロハは知る由もないだろうが。
「それで、どうなの」
「……内部ソースはOS含め、バックアップとれました。やはり遠隔でしたね。メインの制御コンピュータは、最奥の部屋にあります」
「……、あぁ。そうか。うん、わかった」
同時、手放したその者との間にあった、『接続』とやらも切れたのか。
その視線は、イロハにない確信を帯び、遠くの何処か一点に伸びていた。
――となると問題は、そこまでに彼女が保つがどうか。
「じゃあ、ソメイ」
「んっ?」
「……ソメイ、さんも、その調子で頑張って。ていうか、頑張ってよね。わたし、あくまでも手伝いなんだから。――ほら、終わったら褒めたげるから。ね?」
今の所は、一旦の余裕を取り戻したらしい。
距離感を誤り呼び捨てにすれば即座に圧が飛ばされるし。笑みも、目元以外は復活した。
――実際の所。ひさびさのシゴトを、同姓同歳の社員とやれると喜び勇んでいたイロハからすれば嬉しくはある。のだが。
「意外ですね。まさかお気遣いなんて出来たとは」
「……できちゃいないでしょ。そのカンジからして」
「えぇ。まるでなっていませんよ」
どうもやはり、お互い、今現在そういう空気になってはくれないらしい。
言い方は冗談めいているが、さしもの彼女も顔までは取り繕えていない。
さっきもそうだ。初対面の時以上に、身体中触れたのに、眼前の血にまみれた表情のせいか。
イロハでさえ、これっぽっちも嬉しいだとかは思えていない。
「……」
「……ウソです。ありがとうございます。貴女の、怖いくらいの優しさは助かります」
(……優しいヤツに、向ける目じゃなかったでしょ。アレは)
だが別日にて内定を頂いたので結果オーライ、とイロハは大人しく車椅子を押して進軍を再開する。
――そう。無理もないのである。
なんせ、周りが周りだ。
廊下を挟むふたつの大部屋、その両方のガラス張りの壁は悉く割られ、照明の下には白衣を汚しきった死体が幾つもある。
ためらう彼女の眼前で、イロハがテキパキ解体して回った破片の有象無象とはまた別。
これに関しては正真正銘、人間だ。奧に散らかった道具――メスや、ドリルといった工具、多く並ぶ寝台と、その上の拘束具からして、生産者だったのだろう――ただ。
(……逃げようとして、死んでる)
拘束具は、大半破壊されておらずに置き去られている。放たれたのだ。
いったいコイツ等、どの程度まで従う気があったのか。
前の奴等とは違う。望んで死んじゃ居ない体制だ――ボスが勝手にスイッチを押したといったところだろうか。
差し詰め、侵入者を殺す為の致し方ない犠牲か。
「……それに、ようやく。踏ん切りはつきました」
望んでも居ないやつを死なせた。そして、死んだ方がマシな事もした。
ソイツは、元市民の実験体といい、この職員等といい。まるで、人を人と思っていないような扱いだ。
それだけ偉い、コイツらよりも賢いヤツって事なのだろうか。
「畏能だけあっても、その身に器として『素養』がなければ怪人化は免れません。この被検体達は恐らく、それを半端に持っていて生き延びたのでしょう――失敗事例、がこれで全部なのか。これでないなら、研究成果とは何なのか」
「いずれにせよ――せめて、表に晒さないとなりません。その背景と、これを是認した者達の事を」
「……そっか」
両肘を立て、黒く潤む軍手の両手を前に組む彼女は、何か見通しておいでだが。
バカでワルならまだしも、イロハには高権力者なんて想像だにできない。
そんな頭の、足を地に着けるためにも、彼女らは車椅子を進ませた――。
そして、その結果。
「――なんだと、今、キサマなんと言った!?」
「あらどうしましたか。『多少の犠牲』というならば、一人目は当人であるべきと言っただけなのですけど」
(……えー……、マジかぁ、コイツ)
バカだった。
もう見覚えのある、親近感さえある、すげーバカなだけのワルが居た。
そこは、なにやら所狭しと機械音が稼働し反響し合うメインサーバールーム。
八階ほどある進入した施設のうち、七階の中央の蹴破って開通させた一室にて、ソメイが機械と格闘している最中。
頼まれてもないのに本人が堂々と、否、のうのうと。
薄暗い密閉空間に、所狭しと光るモニタ全部に自身を投影させる形で、「人が良い奴ならここにくると思っていたよはっはっは」などと言い寄りに来て、その挙げ句。
「おまけになんですか。あの名簿。実験は脳目的なだけに他部位は大半が原型を留めていて、それも対象は誘拐の関係上女性と子供に限定され、しかも顧客先は――なにやら。ずいぶんと繁盛なさっていたようですけれど?」
もう、見るも無惨なまでに論破されていた。
なんというか。開いた口が塞がらないというヤツか。一部始終に言葉もないイロハの手前。
あえて破壊せず残していた監視カメラの眼下、これ見よがしに黒ずんだ血の染み込む軍手で笑みを隠しながら言うソメイ。
文面だけ見れば悪人を追い詰めているという楽しげな様子だが、一切、その目は笑っていない事くらいは横隣で見えずともイロハにもわかった。
一方、白衣の彼はみるみる余裕がなくなっていく様子を、自ら中継でお伝えしてくれている。
悪いことをしたという実感などは見て取れない。ただ征服欲と乱暴さだけが目にあった。
単に気に入らないのだ。人が小さいのだ。
勝手を言われるという事に耐えうる大きさの人ではない。
自分のしてきた所業を誇って一蹴できるキャパシティがない。
余裕なんて、初めから持ち得てすら居ない。
そんな小さな人間だったと、自ら程度を証明するかのように。
「ええい黙れッ、キサマのように、見逃してやった弱小者がっ!」
もはや何を持ち得ているのか。何があってそんなに偉ぶれるのか。
アナウンスはハウリングを起こし、勝手に部屋の灯りが付いた。即座に気付く。
部屋の照明スイッチが勝手に切り替わった。
この場合、スイッチを押したから電気がついたのでなく、電気が付いたからスイッチが入ったという風に。
遠隔操作というべき空間の変化。同時、もうひとつ起きていた事をイロハは見逃さない。
「……頭良いのか悪いのか、どっちかにしてよね」
ダイナミックに入室した結果、壁に空いた風穴の向こう。ソレは居た。
先程まで、一切なにもなかった気配――畏能漏出の発生。
同じく七階の廊下、このサーバールームの手前にあった鉄格子が上がり、拘束は外され、脊髄を覆う金属インプラントが堰き止めてきた身の自由は『起動』される。
――怪人だ。
これ以上なく、人あらざる力に動かされる躰。
その、最も人型を保てていない様相と、背後のソメイから彼女に、構えを取るべきと判断させた直前。
「……、あれっ?」
真っ直ぐ飛ばした睥睨が、紅眼が猫のように上へと目先を追った。
接近される。と思いきや、行動を許されたソレはこちらに脇目も振らず上階へと駆けていく。
――切り落とされた四肢の代わりに腹で走る、芋虫めいた光景だったが。
「――うわあああああっ!」
「お前っ、なぜこっちに、敵はあれだぞッ行け! 来るな、来るんじゃ――あああっ!?」
「…………えぇぇ……」
どかーん。と勢いそのまま、一切の迷いなく敢行される壁の破壊。明るい廊下の明滅。
直後起こる、八階どころか下にまで木霊す情けない声が、アナウンスに遅れて反響。
なんかもう。最早、イロハは呆れる他の感想を持てなくなる。
しかし。なるほど。
まさか、本当に畏能の成り立ち、起動だけに特化していて、その後を考慮しない研究だったとは。
これ、本当に自分が来た意味あったんだろうか……。
「ちょっ、え! イロハさん助けに行って下さい!」
「いやぁ。あれ、ああなってもしょうがないヤツじゃない?」
「だから来たんですって、生きた証拠が死んじゃ意味ないんですよ!」
などと、立ち尽くしていられる場面ではなかったらしい。
背後からの彼女のものとも思えぬ、過去一番切迫した声に背を押され、気の進まない足をたわめての跳躍。
丁度先程に開けられた獣道をなぞり、行き着いた先。
部屋中、所狭しと部屋の様子を映すモニタに囲まれ切ったそこで勢いそのまま、
「――ごめん」
脊髄の機械諸共一蹴。
眼下、腰も意思も抜け落ち、轢かれたカエル同然の白衣男から引き剥がした。
ちゃんと原型は伴っている。是非とも、一生そうしてノビて頂きたい。
――なぜだか終始、コイツを襲ってくれていて助かった。お陰で背後から忍び寄り、出血部位を作って殺す、往年の狩りが久々の成立だ。
誰かヒトを殴ったり蹴ったり、にはならなくて済んで万々歳である。
そんなのは可哀想だ。わたしの手足が。
「つっても、締まらないなぁ。どうも」
と、己の肘を抱き、走らせていた足を急に止めるワケにもいかず、その場をくるくると歩く過程。気付いた。
ここの画面。この施設内は勿論の事、外も映っている――主に。裏路地に集中して。
「……まぁ、そうだよな」
「ジョーシキも先ず知らないヤツ、頭良いワケがないもんね」
足を止める。もはや驚きもしない。
道行く市民も実験対象、と見ていたに違いない。
その程度、イロハでさえ区別はつける。そこいらのヒトに血が流れているからといって手は出さない――つい最近、そうすべきと思った。
それさえないとは、本当。親近感さえ覚える馬鹿だ。
「……」
――しかし。なんの間違いでこうなったのだろう。
なにがどうして、コイツなんかが、お偉いさんの席に座る事が許されたのだろうか。
みんながこれを望んだというのだろうか。
これは、それだけで片付く話なのだろうか――。
「……、?」
紅眼が見張る。無音の室内だが、変化があった。
そこらじゅうの施設内モニタに、ねずみ色の壁しか映っていないのだ。
入った時はこうではなかった。先程通った道の姿ではなくなった。
部屋の窓には悉くシャッターが降り、廊下の途上はハッチを閉鎖し、ほぼ全てのカメラが壁によって監視の役目を放棄した。
否、この場合、監視するまでもなくなったというべきか。
『――イロハさん、どうですか。彼、ちゃんと生きてます?』
さっきまでと音声設定が同じだったからか。管制室へと届いた声、同時にモニタの中から車椅子に座る少女を見つけた。
そちらでも事態を把握しているのか。むしろ一山越えたとばかりに、桜色の髪を後ろからかき上げて、頭から抜け落ちた負荷に弛緩する。
「うん、生きてるよ。間に合った――ソメイさん、これって」
『ええ。来る前にお伝えしていた、一定以上の権限で常備される、施設終了プログラムです。すでに、バックアップデータも削除が始まりました――ま、もう遅いですけどね』
そう言って、ぽいと、並列するコンピュータの配線を手放すソメイ――それは、つい先程まで彼女の衣服の下、腹部に繋げられていたものである。
――下窄ソメイの畏能は、『亜種蔕合』。
端的に言うなれば、機械との一体化だ。
効果として『生身で接した機械を、自分の生身同然に扱う』事ができ、また畏能でなく体の『素養』として、その身は一切の機械に対する拒絶反応を持たない。
普段は閉じられてこそいるが、肌の一部には同色の蓋の下に埋め込まれたコンセントがあり、それと接続させたが最後、外れるまでは対象は彼女の一部となる――つまり、身体拡張という。
普通なら怪人化一直線の本体発動前提、真っ向から原則に逆らうが如き、異能だ。
『証拠は消されずに済みました。目標達成です。おつかれさまでした、イロハさん』
そう、シャツをスカートにしまい直しつつ。
両手に何も触れられてもいないのに稼働し、両側の車輪に被さっていた装甲のクローをムダに関節豊富なアームで打ち鳴らし、優雅な素振りで拍手する車椅子。
余りある効果音の無骨さと、気品の共存した絵面は奇妙さの極みだ。カメラ越しでさえ味わい深すぎてリアクションに困る。
が、ともあれ、当初の予定は全て、これにて完了だ。
彼女は無事にここまで辿り着き、目的のものは手にした――だから。
「ねぇ、ソメイ」
『はい』
「……なんか、アレみんな、解放されちゃったみたいなんだけど」
『――。はい?』
施設内カメラの片隅。これまた無音で、職員の集まった事務室で展開される、食い荒らされる光景。
それが正真正銘、想定外であるくらい、イロハでさえもわかる事態であった。




