第二十話
その日は太極宮全体の空気が張りつめていた。
皇帝陛下が久し振りに朝議にお出ましになるというので官僚たちは大忙しだった。
「ではまず九卿よりのご報告から…」
「それより」廷尉の言葉を階の上の玉座に座る皇帝が遮った。
「節度使の報告を先にしろ」
役人たちが慌てて書類を探す。
「朔方節度使よりの報告です。大小の突厥の首領たちが陛下を自分たちの王として仰ぎたいと請願しているとのことです」
「馬鹿馬鹿しい」皇帝が一蹴する。
「奴らが大人しくしているのは家畜が肥え太っているときだけだ。長城の建設は進んでいるのか」
「は…それに関しては何も…」
「急がせろ。北に憂いを残していては西にも東にも目を向けることはできん」
役人たちが顔を見合わせる。
「他の節度使からの報告は」
「恐れながら」
魏徴が拱手しながら進み出た。
「陛下、長城の建設には都やその周辺からも大勢の人間を徴発しております。更には先日辺境守備のために多くの者を徴用しました。これ以上の人員に労役を課すのは…」
皇帝の冷たい目が階上から魏徴を見下ろす。
「人民の平和も異民族の脅威が無ければこそだ。そう考えれば当然の課役であろう」
「しかし軍備のための徴税でも人々は疲弊しております。このうえ…」
「くどい!」皇帝の一喝が含元殿に響いた。
「魏徴…お前はまさか突厥の家畜のように人民を肥え太らせるのが皇帝の務めだとでも言う気か?その程度の諫言ならば私は必要としないぞ」
魏徴は口をつぐみ拱手し下がった。その様子を房玄齢と杜如晦が黙って見つめる。
朝議を終えた二人は並んで廻廊を歩いてゆく。
突然忍び笑いを始めた如晦を玄齢は胡散臭げに見た。
「いえ、すみません…先ほど魏徴殿が陛下に意見されたときの、玄齢殿のあの我が意を得たりといった顔ときたら…」
「な、何が我が意を得たりだ!儂があの男に同意するはずがないだろっ相変わらず小うるさい奴だと思っただけだ!」
如晦はまだクスクス笑いながら
「けど、『法は寛平』を心がける玄齢殿なら思っていらっしゃるんでしょう?」
如晦が笑みを消し含元殿のほうへ目をやる。
「たしかに…日に日に法が厳しくなっていると」
ぐっと玄齢は眉間のシワを深くしたが、やがてため息をつき
「陛下はいま…蛮族の平定に力を注いでいらっしゃるのだ。そのためには…どれも已む得んことだ」
「…そうですね」
如晦は静かに頷き、二人はまた黙って歩く。「そういえば」とふと思い出したように如晦が
「蛮族の平定といえば…そろそろあの二人が西の辺境に着く頃じゃないですか」
唸りながら玄齢がまたシワを深くした。
西の回廊を大きな部隊が進んでいた。
「お二人の姿は見えたか!」
軍候が叫んだが答える部下はいなかった。地平を見渡し軍候は嘆息する。
「まったく…退屈されるといつもこれだ」
その部隊より十数里先を玄奘法師一行がノロノロと進んでいた。
「『ヘタレ坊主』ず」
「『ずるくね?自分だけモテて』て」
「『天津飯食べたい』い」
「『色目坊主』ず」
「『ずるくね?自分だけ馬に乗って』て」
「『天丼でもいい』い」
「いいかげんにしなさいよあんたたち!」小鈴が玄奘法師の肩で怒鳴る。
「何なのよさっきからそのあてつけがましいしりとりは!」
「別にあてつけてなんかいませんよー隊商の列を自分への追手と勘違いして頭ギリギリ締め上げられたくらいでーねえ悟浄さん?」
「ええ、悟空さん。岩影を自分を狙う妖怪と勘違いして窒息死させられそうになったくらいどおってことないわよねえ八戒さん?」
「おいら、お腹思いっきり締め付けられたせいでお腹すいたなんてひと言も言ってないよ」
「す、すみません私の早とちりで」
「充分あてつけがましいってのよ!」
小鈴が弟子三人の頭をはたく。そのとき、後方からもうもうと砂嵐が近づいてきたかと思うと一行を飲み込み、あっというまに前方に去っていった。たまらず三人が咳込む。
「大丈夫か八戒、お前は目も鼻もでかいからな」
「大丈夫…おいらブタじゃないからね」
「悟空は大丈夫か、耳は」
「耳かよ」
八戒の前髪にしがみついていた小鈴が呟いた。
「玄奘さま…玄奘さまがいない…白竜も…」
「何!?こんな何もないところで迷子になっちまったのか!?もはや才能だなお師匠さまの方向音痴も」
小鈴が悟空の頭を殴りつける。
「さっきの砂嵐にさらわれちゃったんじゃない!きっとあれは魔物の仕業だったんだわ…早く追わないと!」
「しっかし…」弟子三人は影ひとつみえない地平を眺め
「どこいったか分んねえし」
「どうやって捜していいか分かんないし」
「お腹減ったし」
そろって遠い目をする。
「そうね…」小鈴もため息をつき
「いまは待つしかないわ…離ればなれになったときのために玄奘さまに大声で愚痴でも弱音でも叫んでくれるように頼んでおいてよかったわ」
三人の顔が強張った。




