第二十一話
ふと敬徳は背後を振り返った。
「いま何かとすれ違わなかったか?」
へへん、と隣の叔宝が鼻を鳴らし
「そんなんで気をそらそうったって無駄だぜ。それとも勝ちを諦めたか」
敬徳は黒毛の愛馬に顔を近づけ鞭を振り上げた。
「部隊の兵全員に酒を奢るとなったらその減らず口も少しは減るだろ。いけホータンオー!!」
「いんや。勝つのは俺、奢るのお前。駆けろカクキョヘー!!」
叔宝も栗毛の愛馬に鞭を入れ、二頭の馬はすさまじい勢いで砂埃を蹴りたて走ってゆく。
やがて目的地である玉門関の巨大な壁が見えてきた。その門を二頭がほとんど並んで通り過ぎようとした瞬間、一陣の白い風が二人の間を駆け抜け城砦のなかに飛び込んだ。竿立ちにして無理矢理馬を止めた敬徳と叔宝は呆気にとられ闖入者を見る。砦の兵たちも何事かと広場を見下ろしている。広場の真ん中には白い馬が誇らしげに立っており、その背には格好から僧侶らしい人物がしがみついている。
と、僧侶が怖々と顔を上げ、それから辺りを見回し、「すみません」と謝った。
「おい坊さん」叔宝が馬でゆっくりと僧に近づき
「なんだって俺たちの勝負の邪魔してくれたんだ?完っ全に俺の勝ちだったってのによ」
「ちょっと待て」敬徳も馬の首をめぐらせ
「明らかに俺の勝ちだったろ。なあお前ら」
問われた城壁の上の兵たちは互いに顔を見合わせ答えた。
「俺たちは坊さんの馬が一番早かったとしか言えません、将軍」
白竜が勝ち誇ったように歯をむき出し、負けた二頭は忌々しげに鼻を鳴らす。将軍という言葉に玄奘法師は改めて二人の男を見た。
「申し遅れた。俺は尉遅敬徳」
その視線に気づいたざんばら髪に彫りの深い顔立ちの男が言った。
「俺は秦叔宝」
童顔に似合わない髭を生やした男も名乗る。
「私は…」と一緒に名乗りかけた法師はとっさに口をつぐんんだ。二人は訝しげに法師を覗き込む。
「なあ坊さん…あんた長安から来たんだろ?」
「だとしたら妙だな。陛下は人が国の外の出るのもなかに入ってくるのも嫌ってるってのに」
「そそそれは…」
二人は更に詰め寄る。
「そういえば長安を出るとき、国禁を破って国外に逃亡した坊さんがいたって聞いたな」
「あれえ?ひょっとしてあんたその坊さん?」
「そそそのっ…」追い詰められた玄奘法師が思わず弱音を口にしようとしたとき、どこからともなく声が上がった。
「ちょっと待ったあ!!」
見ると城門の所に三人の人物が立っている。
「やいやいお前ら!お師匠さまに何かしやがったらただじゃおかねえぞ!」
一見猿のような金目の少年が怒鳴った。
「頭締め上げて首絞め上げて腹も締め上げて奥歯ガタガタ言わせてやるからな!」
タレ目の男がやけに真剣な顔で言う。
「お師匠さま大丈夫?ひどいことされなかった?もう心配ないからね!」
大きな鼻ととがった耳の男が大きな目を潤ませて叫ぶ。
「誰だあれ」叔宝が呟く。
「あの…一応私の弟子たちです」
「へえ、良い弟子持ったな坊さん」
「いえ、それほどでも」敬徳の言葉に恐縮する法師の肩にそっと小鈴がつかまった。
「玄奘さま…ご無事で何よりです」
「小鈴」
「けど少し厄介なことになりました…この玉門関はなるべく避けて通りたかったんですが」
「す、すみません」
「いえ、玄奘さまのせいじゃありません。どうやら一頭が走り出すとつられて走り出すという、馬の本能が白竜を文字通り駆り立てたようです」
「ほおお」納得して頷く法師を二人の将軍が振り向いた。それから二人は顔を見合わせニヤリと笑う。
叔宝が法師の肩に手を置き
「なあ坊さん、あんたこの玉門関を通りたいんだろ?」
「え、ええ…」
敬徳が反対の肩に手を置き
「なら俺たちと賭けをしないか。勝ったらここを通らせてやる。負けたら長安に戻ってもらう。どうだ?」
「わ私は賭け事は禁じられて…」
「おいお前ら」三人に叔宝が呼びかけた。
「お前らの大事なお師匠さんを返してほしけりゃ俺たちと勝負しろ」
弟子たちはきょとんとする。
「いやあ別に何としても返してほしいってわけじゃ」
「お前らひょっとして暇なのか?」
「賞品は食べ物じゃないとおいら燃えない」
三人を素早く殴りつけ小鈴が指さした。
「さあ戦うのよあんたたち!玄奘さまを助けるため、
いまこそ弟子の本分を果たすのよ!」
「だだ駄目ですよ小鈴!」
「決まりだな」二将軍が馬から飛び降りた。騒ぎを聞きつけた砦中の兵たちが広場に集まってきてる。
悟空が楽し気に指を鳴らす。
「面しれえことになりそうじゃねえか」
「駄目だ悟空!」
白竜が城のなかへと連れていかれ、自身も広場の正面に引き据えられながら玄奘法師が言った。
「この方たちは人間です!お前たちとは力量からして違うんですから戦うなんてもってのほかです!」
悟空から喜色が消える。
「おいおい手加減なら無用だぜ」
「人外の強さを持った相手なら望むところだからな」
「駄目です!」法師は必死に訴える。
「私は、弟子が人を傷つけるなんて絶対に許しません!」
「馬鹿馬鹿しい」舌打ちとともに悟空が吐き捨てた。
「何が人間は傷つけちゃいけねえだ…じゃあ妖魔だったらどんなに痛めつけてもいいってのかよ」
「違う悟空!そもそも妖魔と人間じゃ…」
「じゃあ何か?お師匠さまは俺が相手が弱かろうが強かろうが見境なく痛めつける下衆野郎だと思ってんのか?」
法師はぐっと詰まった。悟空はふいと背を向け
「あー馬鹿らし。こんな奴のために指一本動かしたくないね。俺は降りるぜ」
「ちょっと待ちなさいよ悟空!」
門を出ていこうとする悟空を小鈴が懸命に引き止めていたが、その手を強く払われて諦めたように悟浄と八戒の側に戻ってきた。
門の外に、悟空の姿が小さくなってゆく。
「あとはあんたたちが頼りよ」
小鈴が悟浄と八戒の耳元で低く言った。二人はおずおずと将軍を見る。
「何だ仲間割れか?」
「二対二で丁度いいじゃねえか」
二人は弱々しく笑い返した。広場の中央に進み出ると四人が対峙する。
「悟浄…八戒…」
搭天車の梯子に縛り付けられた法師が不安げに呟く。その肩にまた小鈴がつかまった。
「小鈴」法師がうつむく。
「私は…私のために悟空たちに人を傷つけるようなことはさせたくない…けど、そのせいで悟空を傷つけてしまった…」
小鈴は法師の頭にそっと頭巾を被せた。
「気を落とさないでください玄奘さま。あの悟空が玄奘さまに信頼してもらいたがった…それだけでもすごい進歩ですよ」
法師は頭巾の影から微笑む小鈴を見る。
「さあて、お前ら二人のどっちが強いんだ」
敬徳が鉄環首刀の鞘を払い訊ねた。悟浄と八戒が互いを指さす。やはり鉄環首刀を二振り構えながら叔宝が笑う。
「まあいい。来るか子ブタちゃん」
「おいら子ブタじゃないもん」
八戒が玖棘棍を振り下ろし広場に亀裂がはしる。「面しれえ」それをよけた叔宝は両手の人差し指で首刀を回しながら突っ込んできたかと思うと八戒の正面で跳びあがった。八戒はとっさに振り返り二本の首刀が背中に食い込むのを危うく防いだ。くるりと地面に下りた叔宝がニヤリと笑い、観客の兵たちから歓声が上がる。
「おっつかねえ」呟く悟浄に敬徳の首刀が振り下ろされた。
「お前はどんな技を持ってるんだ」
月牙鎩で防ぐ悟浄をジリジリと押さえ込みながら敬徳が訊ねる。
「あいにく野郎に見せる技は持ってないんだな」
「へえそうかい」
敬徳が力を緩めた。悟浄の両腕がわずかに上がったその瞬間、悟浄の腹を首刀が真一文字に切り裂いた。
「くっ」思わず月牙鎩を振り下ろし悟浄は距離を取った。飛び出した刃を首刀を回転させ防いだ敬徳は刀を払い悟浄を見る。
「技の間合いが広いぶん懐が弱いみたいだな」
「…接近戦に強い奴が早々に退場しちゃったもんでね」
着物を裂かれた腹を押さえ悟浄が唸る。
「悟浄!八戒!駄目ですよ相手は人間です」
法師が搭天車を軋ませ叫ぶ。
「でもお師匠さま…」
回転しては鋭い槍のように突いてくる叔宝の刃を懸命に防ぎながら八戒が呟く。
「この人たち普通に強いんですけど!」
素早いうえに太刀筋の読みにくい敬徳の刀をやはり必死によけつつ悟浄が喚く。追い詰められた二人は広場の中央で背中合わせになった。
「八戒…」息を切らしながら悟浄がささやく。
「とにかくここは、お師匠さまを助け出すことが最優先だ」
「…分かった」八戒が頷く。
「もう終わりかお二人さん!」叔宝と敬徳が二人に向かって飛びかかったその瞬間、悟浄と八戒が月牙鎩と玖棘棍を思いきり振り下ろした。周りの兵たちは飛んできた刃に頭を伏せ、辺りは地震のように激しく揺れ土煙がもうもうと立ち昇った。それに紛れ駆け寄った悟浄と八戒がはっとする。
「とっととお師匠さんを助けたかったんだろうが」
「ケリがつく前に賞品を取るのは反則だぜ」
搭天車の残骸から引き出された法師が叔宝と敬徳に抱えられてうなだれている。
「お師匠さま…」
「悟浄…八戒…」法師が弱々しい声で言う。
「駄目ですよ…人を傷つけては…」
二人は目を見開き、やがて悟浄がため息をついた。
「たしかに…悟空の言うとおりだな。馬鹿らしくてやってらんね」
「おいらも…何だかやる気なくなっちゃった」
玖棘棍を下ろし八戒が耳を垂れる。
「あ、そういうことなんで、後はその人、煮るなり焼くなり長安に連れ帰るなり好きにしてください。俺たちもう帰るんで」
呆気に取られている二将軍と兵たちに背を向け二人は門を出てゆく。
「弟子より敵の心配するような奴についていけないよな八戒」
「おいら、もっとお腹いっぱい食べさせてくれる人の弟子になる」
二人が出てゆくと城門は堅く閉ざされた。
法師を抱える二将軍は拍子抜けして
「ちぇっもっと遊べると思ったのによ」
「す、すみません…」
「薄情な弟子だな坊さん、諦めて長安に帰るんだな」
「そ、そうですね…」
「あれ…坊さん頭に金の環なんてつけてたか?」
覗き込む叔宝と敬徳に法師が頭巾の下でニヤリと笑う。徐に立ち上がり貫頭衣を脱ぎ捨てると、その下から悟空が現れた。
「小僧…!いつのまに」
「いつからでしょうねえ。うまいもんだろ」
「超似てたー!」
叔宝の頭を敬徳が殴る。
「あのタレ目がお前が一番強いようなこと言ってたぜ」再び刀を抜く敬徳に「おっ続きができんのか」叔宝も両手に刀を構える。見据える悟空に二人が斬りかかった。ヒョイヒョイと後ろにかわした悟空は口をゆがめ
「そんなに遊んでほしいなら相手してやるぜ」
そう言い髪の毛を引き抜くとふっと息で放った。するとたちまち悟空そっくりな小猿たちが現れ二将軍に飛びついた。
「うわっ何だこいつら、離れろ!」
「こらっよせっうひゃあやめろっ」
小猿たちは全力で二将軍をくすぐる。
「よせって俺脇駄目なんだってうひいっ」
「おっ俺は腹と背中…てだからやめてえっ」
身悶えする二人を周りの兵たちが呆気に取られ、あるいはメモを取りつつ眺める。
「ウッチーは脇…シンシンは腹と背中…」
そうしてる間に悟空が指笛を鳴らし呼び寄せた觔斗雲に飛び乗った。
「ふざけやがって…」ようやく小猿から解放された敬徳が息も絶え絶えに唸る。
「まともに勝負もしないだと…これもお師匠さんの言いつけを守るためか?律儀なことだな」
「お前ら妖怪だろ!?なんでそんな律儀にあの坊さんに従うんだよ!」
叔宝も体をさすりながら喚く。
「俺もよく分かんねえな」悟空が西陽に目を細める。
「お前ら唐の人間だろ?お師匠さまは唐を救うためにの経を探し西に行くって言ってんだ。何でそれをお前らが邪魔するんだ?暇だからか?」
「ち、違う!許可なくこの玉門関を通してはならないという陛下の詔をだなあっ」
「そうだ!そういう決まりなんだ!俺たちはそれを忠実にだなあっ」
「決まりねぇ」觔斗雲の上で悟空はひとしきり考え込むふうだったが、やがて顔を上げ
「俺もたぶんそれだ」
「は?」
「たぶんあのヘタレ坊主に従わなきゃダメな決まりなんだ。誰かがかってに決めやがった」
「…お互い苦労するな」叔宝を敬徳が殴る。
「じゃ、お前らもせいぜい頑張れよ」
「ああ…て何で偉そうなんだよ」
觔斗雲で去ってゆく悟空を見送る二人に兵が報告してきた。
「将軍…西側の門が大岩で塞がれています!」
「…何!?」
「東側の門も塞がれています!」
「あいつら…」
先をてくてく歩いていた悟浄と八戒が追いついた悟空を振り返る。悟空と悟浄がこちらに向かって尻を叩き、八戒が手を振る。その先の丘に、夕焼けを背に玄奘法師らしき馬に乗った人影が見える。
「まんまと出し抜いてくれたな」
「今度会ったらたたじゃおかねえ」
城壁にもたれ忌々しげに言う二将軍に兵が訊ねた。
「射掛けますか」
「いや…無駄だろ」
二人は夕陽に向かって小さくなってゆく影を眺める。
「なあ…唐を救うってなんだ?」
「…さあ」
また兵が報告した。
「本隊がやって来ました」
「やっと来たか」敬徳がため息をつく。
「さーて仕事だ仕事」
背中を伸ばした叔宝がぽん、と手を叩いた。
「思いついたぞ。新しく建てる砦の名前」
「誰も頼んでねえぞ」
「『天門関』てのはどうだ?あの小僧が今度戻ってきたときあの雲に乗っててもバコーンってぶつかるようなでっかい砦を建てるんだ」
敬徳が顎を撫でる。
「面白いかもな」
「だろ?だろ?」
「しかし戻ってくるかな」
叔宝がニヤリと笑う。
「賭けるか?」
敬徳もニヤリと笑い返す。
「賭けになんねえと思うがな」
そして二人はまた夕陽の沈みゆく地平へと目を向けた。




