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好奇心旺盛な少女達を前にして、菜々美と蓮は同時にぱっと離れた。
さすがに続きをする訳にはいかない。
蓮は真っ赤になって、少女達の前に歩み寄る。
「なんでこんなとこにいるんだよ!?今日のレッスンは終わっただろ?」
「だって、滝沢センセの彼女が来たんだもん。皆に教えたら見たいっていうから連れてきちゃった!」
丸い顔で少女はエヘヘと笑う。
他の少女達も一同にきゃっきゃと騒いだ。
逃げ場がなくなった蓮は髪を掻きながら天を仰ぎ、勢いのまま菜々美の肩をぐっと抱き寄せる。
「分かったよ。まあ、ちょっと早まっちゃったけど、もうすぐ連れて来る予定だったから、ここで紹介するよ。俺の恋人の菜々美さんだ。学生時代、合唱部の部長だったから、皆もこれから教えてもらうといい」
「きゃあ、恋人だってー!」
「滝沢センセ、やるじゃん!」
少女達は真っ赤になって、興奮してその場で一斉にピョンピョン飛び跳ねる。
突然の展開にリアクションに困った菜々美も赤くなって視線を泳がせるばかりだ。
この場を仕切るのは自分しかいないと理解した蓮は、菜々美の肩を抱いたまま、少女達に宣言する。
「まあ、そういう事だ。せっかく彼女が来てくれたんだから、今日は今までの成果を見てもらおうと思う。準備は大丈夫かな?」
「いつでも大丈夫ですよ!」
「学校にまだメンバー残ってます!」
「今から彼女さんに見て貰おうよ!」
きゃんきゃんと子犬のように騒ぎながら、少女達は駆け出した。
見ると、洋館の外には軽トラが止まっている。
少女達がその荷台に飛び乗ると、運転席のドアが開いて地元の農家らしい老人が顔を出した。
「おお、先生、孫達がいつもお世話になっとります!なんでも、先生の奥さんが来てるってんで、孫が車出せって友達連れてきたもんで、急に来ちまったけど、迷惑だったかい?」
量の少なくなった白髪頭を掻きながら、老人は軽トラの中から大きな袋レジ袋を引っ張り出す。
袋の中にはまだ土がついたままの玉葱がいっぱい入っていた。
蓮は照れ笑いしながら、レジ袋を受け取った。
「いや、迷惑じゃないです。その内、正式に村に紹介に伺おうと思ってたので。野菜、いつもありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ、子供達がお世話になっとりますで。奥さんも街からよくいらっしゃって」
既に妻として扱われているのを否定することもできず、菜々美は精一杯の笑顔を作って何とか対応した。
しかし、どういう事なのだろう。
名古屋では結婚という言葉を出しただけで否定的な態度だった蓮が、こちらでは既に菜々美を妻として受け入れているかのようだ。
子供達を荷台に乗せた軽トラが去った後、菜々美は蓮の脇腹を突いた。
「ちょっと、どういう事よ?」
「………」
「私達、村公認の仲みたいだけど? しかも、村の人と交流してるじゃない」
「まあ、今まで通りじゃダメだなって思うところは多々ありまして……」
照れたような曖昧な笑みを浮かべながら、蓮は菜々美を見下ろした。
「ここでペンションやレストランを経営するなら、地元の方と連携が取れたほうが何かと協力してもらえますし、何より村で顔も合わせたこともない吸血鬼みたいな男が急に女性を連れてきたら、不審に思われることばかりでしょう。だから、俺、ここでちょっとした活動してるんです」
「活動……?」
「それを今から披露します。よかったら俺の車乗って下さい」
◇◇◇
菜々美を乗せて、蓮は小さな村のメインストリートをゆっくり走行した。
いつの間に購入していたのか、名古屋にいる時は見たことがない黒のワンボックスだ。
後部座席は全て畳まれてブルーシートが敷かれているところを見ると、運搬用に使用しているらしい。
やがて、以前来た時に立ち寄った小学校に辿り着き、校門を躊躇なく通って駐車場で停車した。
「ここ……初めて来た時に子供に石投げられた小学校だよね?」
桜の木に囲まれた駐車場に出て、辺りを見回す。
あの時は子供達の歌う声が聞こえてきて、ここで二人で聞いたんだっけ……。
「そうですよ。人口が少ないので、村で唯一の小中一貫校です。先輩が子供の頃ってクラブの時間ってありませんでした?」
「あーそう言えば、なんかあったかも。編み物クラブとか一輪車クラブとか?」
「そういう授業内のクラブで教えられる人を募集してて、俺、週に一回合唱クラブとミニオーケストラクラブ教えてるんです」
「はあ!? あんたが小学校で音楽教えてんの?」
「はい。一応、大学で教員免許取ってるんで、応募したらすぐ採用してもらえました。その流れで合唱部の外部コーチする事になったんです」
蓮は話しながら菜々美の背中を押して先を促す。
グランドでは体操服を着た子供達がサッカーに興じている。
部活動の時間なのか、夕暮れに近づいた校舎から出てくる制服姿の子供の姿がちらほら見られた。
蓮は下駄箱が並ぶ昇降口を慣れた調子で通り抜けて階段を昇っていく。
「最近、教員の働き方改革で、部活動があちこちの学校で縮小されてるんですが、教員が参加できない部活動を地域のボランティアやスポーツのクラブチームが担っていく方向にシフトチェンジしてるんです。で、俺みたいな外部の人間がボランティアで参加できるようになったんですよ」
「……それで週に一度はここまで帰って来てたのね」
蓮の話に菜々美は驚きを通り越して、呆れてしまった。
自称・社会不適合者だった蓮が積極的にボランティア活動をして地元の子供達と交流していたなんて。
一体、どうした心境の変化だろう。
階段を三階まで登った廊下の突き当りには音楽室と書かれたドアがあった。
蓮がドアを大きく開くと、中からキャアア!と黄色い歓声が沸き上がった。
「滝沢せんせー、ご結婚おめでとうございます!」
「彼女さん、村にようこそー!お待ちしてました!」
20人程の女子生徒達が拍手をして、二人を迎え入れる。
まだ結婚どころか、本人に完全否定されたばかりだというのに。
菜々美はこの歓迎をどうやって捉えていいのか分からず、困惑の表情を隠せない。
蓮は菜々美にその場で待つように目配せすると、自分は教壇に立って「はい!静かに!整列!」と声を張り上げた。
なかなか堂に入った教師ぶりだ。
女子達はその号令に従ってワラワラと二列に並んで「休め」の姿勢を取った。
蓮は満足そうにコホン!とひとつ咳払いをすると、好奇心の目をキラキラさせて見つめている女子達をぐるりと眺めた。
「俺がここで皆と合唱クラブ始めてから一年経ちます。俺は本当は東京生まれで、親の転勤で名古屋に引っ越して高校まで過ごしました。今日、来てくれた菜々美さんは、俺が高校の時に合唱部の部長をしていた人で、ピアノの伴奏を頼まれてからの付き合いです」
馴れ初めを聞いた女子達がキャッキャッと騒ぎ出す。
当人である菜々美は恥ずかしくて、何ともいたたまれず教室の隅で立ち竦んでいた。
「俺は東京や名古屋で働いた事あったけど、やっぱり都会の生活が合わなくて、この村で一人でバンパイアみたいな生活をしてました。皆も俺の事、バンパイアって呼んでたと思うけど、そんな時に菜々美さんに再会して音楽の素晴らしさを教えてもらって、いつか、この村で一緒に暮らしたいなと思いました」
興奮で顔を真っ赤にした女子達がキャア!と色めき立つ。
蓮は照れ臭そうな顔で、でも、堂々とした佇まいで教室の隅で固まっている菜々美に手を差し伸べた。
催眠術にでもかかったように、菜々美はその手に導かれて、蓮と並んで教壇に立つ。
蓮に真っ直ぐに見つめられて、菜々美も逃げる訳にも行かずに正面から対峙した。
「だから、内緒で一年前から準備を進めてきました。先輩……いや、菜々美さん」
「は、はいっ!」
蓮は菜々美の両手を取って、真剣な表情で見つめる。
見守る女子達も一斉に沈黙して、教室は静まり返った。
「俺と一緒にここで暮らして欲しい。この村で菜々美さんと一緒に音楽を続けていきたいんです。だから、俺と結婚してください!」
「は、はい……。こちらこそ……お願いします!」
菜々美の返事を聞いて、蓮の顔がぱっと明るくなった。
ヘーゼルの瞳が歓喜でキラキラと輝く。
女子達の興奮もマックスに達し、キャアキャア悲鳴を上げながらその場で飛び跳ねて大きな拍手を送る。
いつの間にかポロポロと溢れてきた菜々美の涙を蓮は指でそっと拭って笑った。
「ああ、良かった!この状況で断られたら、俺、自殺モンでしたよ」
「私だってこの状況じゃ断れないわよ。あ、わざと断れない状況でプロポーズしたのね?」
「実はそれもありますが、一番見せたかったのはこれからです」
悪戯がバレたように、蓮は肩を竦めて見せて笑うと、教壇から未だ興奮冷めやらず騒いでいる女子達を見回した。
「皆、ありがとう。これで俺も結婚できると思うので、ちょっと早まっちゃったけど、菜々美さんに今までの成果を見て貰おうと思います」
「はあい!」
「分かりましたあ!」
「せんせー、お幸せに!」
次々と返事が返ってきた後、再びワラワラと整列の位置に戻った。
両足を少し開き、腕を背中で組んだ「休め」の姿勢で、女子達は蓮の次の指示を待つ。
蓮の家でレッスンを受けていた日本人形みたいな女の子が列から飛び出し、音楽室の隅に置いてあるグランドピアノの前に腰掛けた。
蓮は教壇を降りると、振り返って菜々美に礼をした。
「この日の為にこの子達が用意してくれていた演奏です。どうか聞いてください」
そして、女子達の方に向き直ると、堂々と両腕を上げた。
初めて蓮と一緒に歌った『翼をください』のピアノイントロが流れてきて、女子20人のハーモニーが部屋中に響き渡る。
心が洗われるようなその歌声を聞きながら、菜々美の脳裏に様々な思い出が蘇ってきた。
初めて洋館で蓮と会った嵐の夜、名古屋での二人の生活、仲間と音楽に酔いしれた週末の夜……。
全てがこの日の為に繋がってきた気がした。
「蓮、皆、ありがとう!」
菜々美は思わず少女達の列に駆け寄り、その中に入ると一緒に歌い出す。
週末のミニライブで鍛えた菜々美の声は少女達の合唱にすぐに溶け込み、それを見た蓮もタクトを振りながら笑顔で頷く。
婚約後、二人の初めての共同作業になる『翼をください』は、放課後の校舎にいつまでも響き渡った。
Fin.
長い間、ご愛読頂きましてありがとうございました。




