第9話:境界炉の胎動
夜が深まるにつれ、職人街の喧騒は途絶え、ハディードの工房だけが溶鉱炉の熱気で赤く染まり続けていた。
「小娘、この外殻の曲面、お前の言う『たいしょうこうぞう』になってるか確かめな!」
ハディードが汗だくの腕で金槌を振り下ろし、灼熱の鋳鉄板を叩き曲げる。
キン、キンと澄んだ金属音が響く中、イクミは作業台に木炭で描いた断面図と、鍛え上げられた円筒形の炉殻を見比べた。
「完璧です、ハディードさん! 内部の空気の流れが綺麗に対流する放物線面になってます。これなら熱と魔力が中心のレンズへ均等に集まります」
「ガハッ! 当たり前だ、ドワーフの目と腕を舐めるなよ!」
リオはその横で、完成した鋳鉄の外殻パーツを一つずつ両手で包み込んでいた。
【詳細把握】で金属内部を視通す。
ハディードの卓越した鍛造技術によってすでに不純物は極限まで叩き出されているが、鋳造時にどうしても生じる目に見えない微細な「ス(気泡や鬆)」が存在していた。
リオは深く息を吐き、指先から魔力を浸透させる。
十秒、十五秒。
魔力が馴染んだところで【再配置】を発動し、鉄の結晶格子を均一に詰めて微細な鬆を完全に埋め、魔力の漏れを防ぐ「完全密閉隔壁」へと仕上げていく。
「……よし、外殻の魔力封止、完了したよ」
「おいおい、触っただけで金属の鋳巣を消し飛ばしちまうのか。反則じみた業だな、小僧」
ハディードが呆れたように笑いながら、真鍮製の支柱とギアを組み付けた土台を作業台の中央へ据えた。
組み立てが始まる。
頑丈な鋳鉄の外殻。
その中心部に、ハディードが削り出した特殊合金の固定枠に収まる「超高純度マナ・シリカ製レンズ基盤」。
そして、大気中の希薄なマナを効率よく吸気するための吸気弁と、熱交換用の銅製パイプ。
三人の手が止まることなく動き、夜明け前の澄んだ空気が工房の天窓から差し込む頃――。
高さ半メテルほどの、重厚な黒鉄と鈍色に輝く真鍮で組まれた、卓上型の『小型集光型魔導炉』が姿を現した。
「……できたわね」
イクミが煤で汚れた額を拭いながら、息を呑んだ。
王立工房にあるような巨大な建屋を丸ごと占有する魔導炉とはまるで違う。無駄を削ぎ落とし、洗練された機能美を宿したコンパクトな筐体。
「火入れだ。小僧、起動はお前の役目だ」
ハディードから渡されたのは、親指大の標準的な下級火魔石だった。
本来なら家庭用の焜炉を数分灯す程度の、ごくありふれた低出力の石だ。
リオは魔石を炉の基部に装填し、レバーを押し込んだ。
カチリ、と機構が噛み合う。
火魔石から放出されたわずかな熱と魔力が、導線を通って中央のマナ・シリカ製レンズへと導かれる。
その瞬間――。
キィィィィン……と、極めて澄んだ高周波の共鳴音が炉の内部から響き渡った。
レンズを通過した魔力は、一切の散乱と抵抗を受けずに超高密度へ集束。大気中の希薄なマナを強烈な負圧で炉内へと引き込み、雪だるま式にエネルギーを自己増幅させ始めた。
炉の観察窓が、青白い閃光で満たされる。
熱交換パイプの先端から、薪数十束分に匹敵する純粋な超高温の熱風が、ゴオオオッという心地よい唸りを上げて吹き出した。
「な……っ!? 下級火魔石一個で、この火力だと……!?」
ハディードが目を剥き、吹き出す熱風に手をかざして後ずさった。
「燃料の魔石が減ってねえぞ! 大気中のマナを喰って、火力を自前で維持してやがる……! こんな炉、王都の最高学府の研究炉ですら見たことがねえ!」
「魔力の伝達ロスがゼロだから、投入したエネルギーがそのまま大気中のマナの励起に使われているのよ。これなら、燃料代ほぼゼロで工房を常時稼働させられるわ!」
イクミが歓喜の声を上げる。
リオもまた、熱を放ちながら安定して稼働し続ける炉を見つめ、胸の奥から湧き上がる確かな手応えに拳を握りしめた。
「これがあれば……廃小屋でどんな素材の精製も、高温加熱処理もできる。僕たちの工房が、本当に始まるんだ」
三人が炉の熱気に包まれて歓声を交わしていた、その時。
工房の外から、乾いた馬車の車輪の音と、規則正しい複数の足音が近づき、建屋の前でピタリと止まった。
先ほどの監査役マテオのような乱暴なノックではない。
トン、トン、と静かに、だが重みのある三連のノックが響いた。
「ハディード、居るか。……客人を連れてきたぞ」
扉の向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある落ち着いた老人の声――『銀の天秤亭』の店主、クラロだった。
ハディードが怪訝そうに眉を寄せながら引き戸を開ける。
朝靄の立ち込める路地に立っていたのは、片眼鏡を光らせるクラロと、その背後に控える豪奢な黒塗りの馬車。そして、胸元にヴェルダ領主家の紋章を佩いた、長身の銀髪の男だった。
「クラロ……それに、領主直属警備隊長のフィエル閣下だと……? こんな早朝に何の用だ」
ハディードの問いに、クラロは口元に薄い笑みを浮かべ、リオとイクミ、そして作業台の上で青白く輝く小型魔導炉へと視線を滑らせた。
「昨日の約束通り、腕のいい職人の紹介の『続き』をしに来たのさ。……坊主、お前が持ち込んだあの結晶の買い手が見つかってね。どうしても製作者に直接会いたいと、閣下自らお越しくださった」
銀髪の男――フィエルが静かに一歩前へ出て、冷徹だが品格のある双眸でリオを見据えた。
「王立工房を追われた少年錬金術師リオ、だな。……貴公らが作ったという『あの結晶』について、領主館の防衛会議で正式に議題とさせてもらった。単刀直入に言おう。我が領の全防衛結界の改修を、貴公らの工房に委託したい」
街の権力の中枢が、二人の生み出した素材の真価に、早くも手を伸ばし始めていた。
第9話をお読みいただきありがとうございました!
次回、第10話も、明日18:00に更新予定です!
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