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08.黒竜襲来

 ディーとラジーニアに救出された翌朝。

 アイリスはぼんやりとした頭のまま、女神のほこらに足を向けた。

(まったく、昨日はさんざんだったわ)

 店で待っていたミーナとペトラには泣かれて、ロルフからはきついお叱りと父親への連絡を言い渡された。

 知らせを受けた父は、ウルクまでやってくるかもしれない。しかめ面と長いお説教を想像すると気が滅入ってくる。医者に頭の傷は大丈夫、と言われたものの、モヤモヤした気持ちはどうしようもない。

「確かこの辺に……あったあった。ラジーニア様、いらっしゃいますか?」

「おぉ、よく来たなアイリス。体はもういいのか?」

 ほこらの開口部に腰掛けて手を振る、女神の足元。

 見知らぬ花が生けてある。

 アイリスはしていないし、ディーやクラウに花を捧げるような気の利いたことができるとも思えない。

(まさか、私たち以外の信者が増えたのかな?)

 失礼な考えを頭から追い出してから、静かに祈りを捧げる。

 学校が休みの日は店を手伝うことにしているのだが、昨日の一件で静養するように言われており、割とヒマなのだ。ディーには『泣かせてしまって済まない』と謝られたが、こちらにも落ち度はあるので少し気まずい。

 ――いや。

 ディーがアイリスの額の包帯をちらちら見て、しょんぼりとため息をついたり。話している時に妙に目が泳いだりしているのを見るのは――ちょっとムカつくというか、やりづらいというか。

(まぁ、私が悪いんだけどさ! 認めるよ、あのクソ男二人を舐めてたって! 本当に危ないところだったって!)

 そんな訳で。

 店を手伝えないし、ディーと同じ空間にいるのも気詰まりなので。彼の身の上話でも聞けないかと、ほこら行きを決めたのである。

「わたしと会う前に、ディートハルトが何をしていたか、だと? なぜそんなことを聞きたがる」

「別に……大した意味はないですけど。彼のこと、名前以外何も知らないなと思って」

「ほほぅ?」

 ほこら傍の小岩に腰かけているアイリスの周りを、生温かい笑顔の女神が、ふわふわ浮いて旋回した。

「わたしが聞いた話といえば……ディートハルトという名は父親が付けたこと、血の繋がった親ではなく養父らしいこと、言葉は父親に教わったこと、だな」

「そのお父様は今どうしているのですか? 彼の年は? 生まれた国は? ラジーニア様とはどこで知り合ったのですか?」

「質問攻めだなぁ。聞いとらんから知らんよ。出会ったのは、その川の上流にあるわたしのほこらだ」

 不注意でほこらを壊してしまった、と言っていたディーの顔を思い出す。

「わたしの信者になり、ほこらを再建して布教活動に励む。その代わりに、町で暮らす際の助言をする。とまぁ、そういう取引をしたのだ、わたし達は」

「町で暮らす助言……? 彼は農村の出身なのですか?」

「えっと……あ、あぁ。あの通りの世間知らずだからな、あいつは。いささか心配になってしまって」

 定住をしない竜狩り師の一族であるアイリスも、町の暮らしに慣れるまでは少し時間を必要とした。だから、ディートハルトもそうなのかもしれない。

 だが、昨日の疑問はまだ解決していない。

 怪力と緑の手のひら、そして――今はすっかり空色に戻っている、金色の目。

「あの、ラジーニアさま」

 女神に質問しようとした、その時。

「おーい、アイリス! ラジーニア様!」

 当のディーが、カゴを持って通りの向こうからやってくるのが見えた。


「ペトラさんからの差し入れだ。君を心配していたぞ」

「あ、あぁ……うん。ありがとう」

 その心配の半分はあなたが原因なんですけど、と思いつつ、ディーがカゴから出したサンドイッチを受け取る。

 ほこら前の岩にすわるアイリスの横、ディーは立ったまま自分の分を取り出す。

「あのね、ディー。ラジーニア様も、昨日は助けてくれてありがとう。お礼を言うのが遅れてごめんなさい」

「ほほぅ、殊勝ではないか。感心感心」

「どういたしまして。君が無事でよかったよ」

 昼食の前にと、アイリスは二人に頭を下げた。

 横のディーにちらりと視線をやり、どうやって切り出したものかと逡巡する。

(ウルクに来る前は、どこで何をしていたの?……いや、どうしてあんなに力持ちなの? って聞いた方がいいかな……でも、無神経と思われるかな)

 昨日から色々考えてはみたが、結局思考はそこに戻ってしまうのだ。

 自分はそんな、立ち入ったことを聞く権利などあるのだろうか、と。

「アイリス、顔色が優れないようだが……昨日の傷が痛むのか?」

 身をかがめて、心配そうにこちらを見てくる目は空の青。金の瞳なんて気のせいかと思ってしまうほど、名残も何もない。

「うぅん、もう、何でもないよ。大丈夫」

 そっと手を伸ばすと、不思議そうな顔をして、ぎゅっと手を握ってくれる。

「昨日もこうして、手を繋ぎたがっていたな」

「べっ、別に! 深い意味はないの!」

 指摘されると気恥ずかしくなり、手を離してサンドイッチを口につめこむ。

 物欲しそうな女神を横目に、最後の一口。ディーからお茶をもらってほっと一息つく。

「ねぇ、どうしてディーは『人間らしさ』を知りたいと思ったの?」

 考えた末に口から出たのは、二番目に知りたかったこと。

「どうしてって……」

 ディーの困った顔に、後悔を覚えた直後。

 アイリスの意識は、突然聞こえてきた女性の悲鳴に引き寄せられた。

 同時に、腹の奥から湧き上がる寒気。少し前――竜狩り師だった頃は、慣れっこになっていた感覚だ。

「ディー、ラジーニア様、伏せて!」

 ぽかんとした顔の二人と地面に伏せると、頭上を凄まじい暴風が通り過ぎた。人々の悲鳴とともに、サンドイッチのカゴはもちろん、周囲の露天や荷物までもが吹き飛ばされる。

「ドラゴン……」

 暴風の正体、ウルクの上空を旋回する黒い翼を目にしたディーが、熱にうかされたような顔で呟いた。

 無理もない、とアイリスは嘆息する。竜狩り師でもない一般人なら、おびえて縮こまるのがせいぜいだ。ディーは腰を抜かさないだけマシな方だろう。

「なんだってこんなとこに……ドラゴンが町を襲うなんて聞いたことない」

 ドラゴンにとって、人間などは腹に収めるには小さすぎる獲物のはずだ。隊商や旅人ならまだ分かるが、逆襲される可能性がある町を襲うなんて、一体何の得があるというのか。

「また地震?」

 揺れる地面に、アイリスはあたりを見回した。ディーの目は町の中心、巨大な鐘楼に舞い降りた黒鱗のドラゴンに注がれている。ドラゴンが止まった衝撃で落ちてゆく鐘の音をかき消すのは、町中を震わす咆哮と。

 天を焦がすような、劫火の吐息だった。



 ドラゴンの襲来など、港町ウルク始まって以来の非常事態だと、すぐに竜狩り師が集められた。襲来の二日後という早い到着は、アイリスの父親を含む一隊が、元々町に向かっていたからだ。

 夜、パン屋の居間で再会の挨拶をする父と叔父を見つめ、アイリスはぐっと拳を握った。

「元気だったか、アイリス」

「……ん。おかげさまで」

「クラウはどうしてる」

「ウルクでの暮らしには慣れてきたみたいだよ。今頃は部屋で寝なさいっておばさんに言われてるんじゃないかな」

「そうか」

 父は、ほっと息をつき、食卓の椅子につく。ロルフとぺトラは他の竜狩り師達をもてなすため一階に行ってしまったので、ディーがカゴに盛ったパンと、スープを二人分持ってきてくれた。

 彼の肩には興味津々、といった風の女神がくっついているのだが、父には見えていないだろう。ドラゴン襲来以来、女神はディーと行動をともにすることにしたらしい。

「ドラゴンはいまどこにいるの?」

「お前には関わりのないことだ。町への挨拶と宿の手配は済んだ。お前はクラウと一緒に店にいなさい」

 父は静かにそう言って、パンとスープを口に運ぶ。

「どうして? 私も竜狩り師なのに。狩りに加わるから、私の装備を返して」

「だめだ」

「なんでよ!」

「危ないからに決まっているだろう。先日も、やっかい事に首をつっこんで怪我をしたと、ロルフから聞いている」

「それは……っ」

 椅子から立ったものの、言い返せないアイリスの前、食卓に水の入ったカップが置かれた。

「お二人とも、どうぞ」

 ディーの持ってきてくれた水に礼を言い、いっきに飲み干す。

(アイリスよ、冷静になれ。親が子供を心配するのは当たり前ではないか)

 肩車をやめてふわふわ漂う女神から、アイリスは鼻を鳴らして目をそらした。説教など聞きたくはない。

「竜狩り師殿に、申し上げたいことがあります」

「……なんだろうか」

 ディーの用事は水を運んでくるだけではなかったようだ。

「アイリスが怪我をしたのは、卑劣なやり口に騙されたからです。友人の持ち物を取り戻そうとした、と聞いています。彼女に落ち度は無いと思います」

 背筋を伸ばして父と目を合わせたディーは、どうやらアイリスを弁護しようと考えてくれたようだ。

「あ、あのね、ディー」

 気持ちはありがたいんだけど、と続けようとしたアイリスよりも先に、父の声が空気を震わせた。

「ディートハルト君、だったな。私はマルガという。この町に来た竜狩り師を預かる、長のようなものをやっている。娘が世話になったと、ロルフから聞いた。ありがとう」

 ぺこり、と父がディーに頭を下げた。

 えっ、とアイリスが驚く間もなく、次の言葉。

「それで、君は娘の何なのかね?」

「……はい?」

 ガタイのいい男に鋭い目つきでにらまれ、ディーは腰が引けている。

(ふぅん、父親だものなぁ。娘がどこかの馬の骨といると心配というわけか)

「ど……!」

 どいつもこいつも、と言おうとして、ぐっとこらえる。ラジーニアが笑顔で部屋のドアを指している。

 父に詰め寄られて後じさりするディーの耳元で「せいぜい頑張るんだな」と囁き、女神は寝室への階段へとアイリスを手招きした。


 寝室に入り、寝間着に着替えて窓を開け、町を眺める。

 ドラゴンが近くいるとは思えないほど――いや、ドラゴンが近くにいるからこその静けさなのだろうか。月に照らされた町は、まるで人っ子一人いないかのようだ。

「今は父と冷静に話ができないのだろう? 尊い犠牲に感謝して、一晩眠って冷静になれ」

「危ないですよ、部屋に入ってください、ラジーニア様」

 窓の外、幼女の姿をした女神が空中をただよう姿は、まだ慣れることができない。

「年頃の乙女にはよくあることだが、そんなに父親が嫌いか?」

「……別に、嫌いではないです。ただ、父は何でも一人で決めてしまうから」

 それまでは厳しい鍛錬を強いていたくせに、母が仕事中の事故で死んだとたん、竜狩り師にはなるなと言ったり。

 療養中に学校に通う話だって、勝手に決めてしまったのだ。

「うんうん、そうか。信者の悩みを聞くのも神の務め、遠慮なく話すといい。今日は添い寝してやろうか?」

 ぽつりと漏らしたものの、偉そうな顔で胸を張られると、話そうという気持ちは失せた。

「……いえ。お気持ちだけで結構です」

 宿に行く父と、下宿に帰るディーを窓からこっそり見送り。

 ベッドに居座ったラジーニアと、とりとめのない話をしているうちに、眠気に襲われた、のだが。

 ひたひた、という小さな音で意識が覚醒する。

「足音の重さが大人ではないな……子供だ」

 この家に子供は一人しかいない。

「トイレにしては、やけに忍び足ですね。私の眠りを気にするとも思えませんけど」

 二人で顔を見合わせていると、勝手口が開く音がして、クラウは外に出たらしい。

 このままにはできないと、女神が尾行をすることになった。彼女なら少なくとも足音はしない。

(うーむ、ドラゴンが来ている夜の町を、子供がどこに行こうと……お、あれは鐘楼だな。壊れて立ち入り禁止になったはずでは?)

(危ないことをしたら、連れ戻して下さいよ?)

 頭の中に直接聞こえる声に、アイリスは目をつぶってじっと聞き入った。

(そうだ、声だけでなく映像も送ってやろうか? 心の準備をしろ)

(えっ)

 つぶっているはずの目に、上半分が壊れてしまった鐘楼と、何かを握りしめて祈っているようなクラウの姿が見えた。今までに見たことがないほど、真剣な顔つきだ。

(フフン、力を取り戻した今ではこんなこともでき……むむ、クラウの祈りはわたしへのものではないな? けしからん!)

 女神が見たものを自分も見ているらしい、と理解して、妙な胸騒ぎにかられた。

(分からなくなっちゃったな。ディーのことも、クラウのことも)

 二人との付き合いは決して長くないのだから。分からないことがあったっておかしくはない、と言い聞かせるしかなかった。

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